第二十六話
「500メーキの距離から出題だと!?」
観客の驚愕の声、ウブスナは重々しく頷く。
「これは南州でのとある故事に由来するクイズ。ある村にて、夜中に山で炭を焼いていた男がいた。男がふと村の方を見下ろすと、牛小屋の藁置きから火の手が上がっているのが見えた。赤猫、すなわち放火である。男は死にものぐるいで叫び、村の者たちに火事のことを伝え、牛飼いは牛を逃がすことができた。南州の大名はその男の功績をたたえ、極上の反物を与えたという」
「それは、「静かな権六」という昔話になっているな、拙者ももちろん知っているが……」
ウブスナは吹きさらしになっている広間を端まで歩き、腰の高さの手すりから遠くを指し示す。
「あの鴻半鐘はフツクニの火守の要である。白桜城の高さも考慮し、三角関数的な計測によって丁度500ミーキあることを確認している。出題者はあそこに立ち、大声で早押しクイズを出題する。なお出題は30問を予定している。同点の場合は決勝問題を行う」
ざわざわと、高位の侍たちも戸惑いを浮かべる。ルールの奇抜さもさることながら、そんなクイズが本当に可能なのかと訝しむ様子である。
(人間が出せる最大の声は……)
ユーヤはクイズ的な知識を思い出す。この世界には超人的な身体能力を示す人々が稀にいるが、この場合はそれを考慮するべきでは無いだろう。
(ギネス記録によれば129ホン。これは飛行機のエンジン音に相当する。しかしこれは例外的な数字で、文章として叫ぶならせいぜい100ホンと見るべきだろう)
(また、人間の声が文章として聞き取れる目安はおよそ150メートル。500メートル……500メーキの距離ならば叫び声のような高音でギリギリ音だけが届く)
(他には……ある民族が使う口笛のような言語は3、4キロ先まで届くとか、ある音響学的偶然によって、17キロ先まで声が届いたという記録もあるが、今回はどちらも当てはまらない)
(問い読みの人物がよほど訓練された声量を持つとしても、この楼台に届く声はせいぜい10ホン前後、それをいかに捉えるかの勝負か)
「双方、何か質問はあるか」
「ありません」
質問したいこともあるが、相手のタケゾウにも情報を与えることになる、そんな判断が働いた。
「おれもねえぜ。おもしろそーな勝負だな、燃えてきたぜ」
「進行はこの楼台より行う。光信号にて半鐘にいる者たちとやり取りし、問題を出題させる。予め、出題する問題はここと半鐘で同じものを用意しているが、出題された問題については都度、確認を行う」
この展望楼閣には立ち見客が多数いるが、それ以外にも隅の方に侍たちがいる。彼らは妖精を使用した投光器を持ち、城下へと向けている。
「このようなクイズ……大陸でも聞いたことがありません」
観客に紛れてズシオウもいる。ベニクギも周囲にいるのだろうか。声だけが返る。
「ユーヤどのはイントロクイズでも並々ならぬ実力を示したと聞き及ぶでござる、そこまで不利なルールではないかと」
「そう、ですね、確かに」
「紫晶精のボタンをお配りいたす。クイズ帽を被られよ」
そして、勝負が始まる。
世界で初めての形式、おそらく予行もろくにできていないだろう。
どのような勝負になるのか、技術的要素は、勝負の勘所は、どのようなクイズ戦士ならば有利に戦えるのか。
何もかも手探り、そのような無人の荒野を切り開く二人。誰も知らないクイズこそ、真なるクイズ戦士に相応しいのか。
「第一問、光信号を」
ユーヤはおもむろに立ち上がる。
ボタンを左に、右手は耳の後ろに当て、ゆっくりと天狼の間を歩く、歩く先で侍たちが左右に分かれる。
そして城下から、風のうなりのような声が。
「――――ら、―――とり――も――川に」
ぴんぽん
押すのは、黒い羽織の陰鬱な男。
「セレノウのユーヤ」
「雅味黒石」
「正解」
光信号を持つ侍が素早く信号を送り、半鐘台からの光が返る。
「確認できました! 間違いありません!」
「宜しい、極めて高価なことから国盗りの石とも呼ばれる、川の泥に沈んで宝石化した狼の骨のことを何という、雅味黒石、正解だ」
「おい、おぬし今の聞こえたか?」
「さ、さあ、何となくしか……」
「へー、やるなあ」
米田村のタケゾウはそうつぶやき、丸胴の内側に手を入れる。
「じゃ、こっちもやるか……」
「第二問」
司会は声に力を込める。
城下から、およそ1.5秒をかけて届く声。
「算法――四千――――七をかけ――」
ぴんぽん
押した瞬間、観客に動揺が走る。
「米田村のタケゾウ」
「4075だぜ!」
「正解だ、確認を行う」
「あの、方は……!」
声をわななかせるのはズシオウ。
他の客も皆ざわめいている。タケゾウと名乗る男は板張りの床にあぐらをかき、床に伸ばした左右の手で、それぞれ早押しボタンを押さえていたのだから。
「それは……」
ユーヤの声は、警戒するというより興味の響きを帯びていた。
「へへっ、知ってるだろ。木板を打ち上げるクイズ帽は、複数のボタンと紐づけることもできる。ペア戦なんかもあるからな。だから一人で2つのボタンを持つこともできるんだぜ」
「二刀流……拙者も鎖摺で読んだが、まさか本当にやるとは」
「だ、だが、あんなことに何の意味が?」
「兄ちゃん、セレノウのユーヤとか言ったか? いいよな別に、ボタン2つ使っても」
「僕は構わないが……」
ちらと司会進行を見る。そのウブスナは眉根を寄せつつも了解の目礼。
「構わぬ。それにどのような意味があるのか皆目見当もつかぬが、よほどのことでない限り選手の自由にさせよとのご下知である」
(両手に早押しボタン……そんな話は聞いたことがない、この僕ですら……)
そして問題は進む。
「長蛇地震」
「あくらぎの歌だぜ!」
「劈開性」
「ええと、四冠四靴法だったっけ」
「流星瓦」
「ええと、蟹計算だ」
問題は進み、得点はユーヤ10点に対しタケゾウが9点、肉薄している。
「お、おい、タケゾウとかいう男、かなりやるぞ」
「ふ、二人ともどうして聞き取れるのだ? ほとんど一言すら聞こえぬが……」
「素晴らしい」
ユーヤは惚けたような顔をしていた。天狼の間をうろうろと歩きながら、ふとタケゾウの方へと声を投げる。
その腹の底から出すような声音に、タケゾウもはにかんで笑う。
「へへ、そうかい?」
「推測するに……左右の脳と利き腕の関係か」
その黒瞳が輝きを帯びている。初めて見ることに興奮するのはクイズ戦士の常なのか。
「僕たち人間は、おもに右脳で直感的思考、左脳で論理的思考をしていると言われる。そしてこれは脳幹でクロスして人体に伝えられる。右脳は左半身と、左脳は右半身と結びついていると」
「それは……「脳解抄」でございますな。近年、フツクニの学者が著した脳哲学ですが……」
観客のつぶやきにユーヤは少なからず驚く。脳の働きと人体のあり方を考察する学問、それがすでに芽吹いているのか。
「僕も……確かにそんな意見を聞いたことはある。計算問題などは左脳を使うから右腕で押す、直感が求められる謎解きクイズなどは右脳を使うので、左腕で押す方が有利になる、と。しかし現実的にそんなことを実践する人はいなかった。極小の時間で有意差があるとしても、それは「利き腕で押す」ということの有意差を超えるものではないと思われたからだ」
もっともな話であると、観客も司会者も心の中で同意を示す。
「しかし、もし完全に両利きな人間がいたなら。左右の腕を脳の働きのままに動かせるならば……」
それが二刀流。
ユーヤすらも想定していなかった驚愕の技。
ユーヤは無意識に奥歯を噛む。彼自身意識していないが、それは笑いを噛み殺したのだ。
新たなるクイズの地平に、己の想像すら超えた技に出会えたことに、細胞が震えるほどの歓喜が襲っているのだ。
「司会の方、次の問題を」
「――うむ、では合図を送り申す」
光信号が放たれ、おそらく向こうからも返る。
ユーヤは舞台をそぞろ歩きながら腕を組む。
「――に、――――のにて――――橋を」
ぴんぽん。
「セレノウのユーヤ」
「がらんだん組み」
「正解、確認を待たれよ」
「なかなかやるなあ」
タケゾウが芯から感心したように言う。
「今のはまるで聞こえなかったぜ、耳がいいんだな」
「そうかもね」
(この位置だ)
わずかに上を見る。天守の屋根の内側。格子状に梁が渡されている。それが音の乱反射をもたらす。
(城下から放たれた音は空気の中を減衰しつつ進み、一度この広間の天井に当たる)
(そして乱反射しながら場の中央付近に最も多く集まる。この場所にいかに早く気づくかの勝負なんだ)
(それと、問題を読み上げる人間……おそらく三人ほどで交代しているが、声の質なのか声量なのか、うち二人は十分に大きな声が出せていない)
(その人物の時に確実に取る……)
「じゃあ、おれも本気出すぜ」
え、と観客たちが視線を向ける。
「司会のおっさん! 天狼の間から出なけりゃどこにいてもいいんだろ!」
「構わぬ」
ウブスナという人物は度量が深いというべきか、職責に忠実であると言うべきか、タケゾウの態度に何も言わない。淡白な物言いながら、敬意を払っているようにも見える。
「言っておくならば天狼の間はこの柱、床、屋根で仕切られた立方体の空間を指す。屋根に登ったり手すりより外に出たりするのは反則である」
「わかったぜ、んじゃあ」
黒い残像。
一瞬、タケゾウの姿が消える。木板の床に落ちる草鞋。
「な――」
目で追った男は驚愕する。
タケゾウは天井に張り付いていた。両手は親指でボタンを押さえ、薬指と小指で細身の梁を把持、足はやはり親指と人差し指で梁を掴んでいる。
そして若く覇気のある顔は、その耳をぴたりと天井に押し付けている。
(まさか!)
「あ、あなた、その天井は霊臣の森から切り出してきた一枚天井ですよ。そ、それ以前にそのような姿勢でクイズなど」
「司会のおっさん! 次の問題たのむ!」
「承知した」
司会は鉄の意志で動揺を押し殺すのか、光信号の係に指示を飛ばす。
そして次の問題が。
「――――がた―――、り―――――、」
「わかったあ!」
ぴんぽん
「米田村、タケゾウ」
「鈍雪屋根だ!」
「正解である!」
全員がわっと湧き立つ、司会の老人ですら声に力が入るのが分かった。
(まさか! 天井の振動を読み取るのか! そんな方法が!)
ユーヤは床に手のひらを当てる。
だが耳を当てるまでもなく不可能と分かる。この場の観客が全員、微動だにしないならともかく、勝負を見ようと常に動き回っている。わずかな体重移動でも巨大なきしみとなって音が伝わる。床ではあの技は使えない。
「では進行を続ける、次の問題を!」
※
「おお、これはまた大きな船じゃのう」
フツクニより馬で30分ほど、人の目を離れた入り江である。
そこには鉄鋼船が停泊していた。全長はざっと65メーキ、船幅は9メーキ弱。
排水量は一般的な木造輸送船の三倍という規模である。ヤオガミで作られる船には、この大きさに達するものは一つもない。
「ハイアード・キールサーフ社の大型船じゃな。黒く塗られておって渋いのう」
「妖精を呼べるカンテラもある。沿岸を高速走行するための機関もありそうじゃな」
「そなたたちは……」
振り向くのは60がらみの男。白地に銀の雲海模様の羽織を着て、紫の房飾りで羽織紐を留めている。袴には濃紺に銀糸の波模様。高価な仕立てではあるが、あまり目立たないものを着ている。
現れた二人の人物。タイトワンピースに金銀モールの大蛇を絡ませるという姿に面食らったものの、表情には出さない。
「我らはパルパシアの双王、ユギと」「ユゼじゃ。このような高価な船を買うとは、フツクニの大殿も豪気なことよのう」




