第二十五話
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「さあさあ寄っといでよ! 鎖摺の箕島屋、御前試合の様子を逐一お知らせしていくよ! 知恵者の死闘の行く末も、凝りに凝ったクイズの趣向もこれを買っときゃ一目瞭然、向こう七夜七晩語るにゃ困らねえよ、さあ見といで聞いといで!」
大通りの辻で声を張り上げるのは若い女性、もろ肌を脱いでさらしを巻いた胸で大きく息を吸い込み、人の垣根を突き抜ける声で呼びかける。
その周りは黒山の人だかり、それは流動性を持っている。大通りを塞がぬよう立ち聞きが禁止されていたため、多くの人間がその鎖摺から別の鎖摺へと、啖呵売を聞きながら歩いているのだ。
周囲には棒を持った役人が立っており、立ち止まるものがいないかを見張っている。その役人からして、鎖摺に興味津津ではあるが。
「まずもって注目株はセレノウのユーヤ! セレノウからの招待選手ってえ触れ込みだけど予選で通過枠を独占する圧倒的な勝ちっぷり! ちと陰気な顔だが油断のできねえ怪物だ!」
ばん、と似顔絵も張り出される。それは写実性よりもケレン味を重視して描写が盛られており、下から睨め上げるような視線はもはや闇の暗殺者のようだ。
「同じく注目なのは播州米田村のタケゾウ! まったくの無名株だが柔のニシザト、居合のモリザキと破っての準決勝進出! 世にも珍しい二刀流の使い手だあ! 二刀流が何かって? そりゃあここに詳しく書いてあるさあ! かわなきゃうまくねえのはサケの切り身と鎖摺! 一切合切ここにきっちり書いてあるよ!」
鎖摺は複数の荷台に山積みにされ、それらが雨に溶ける砂糖のように消えていく。小銭を入れる麻袋だけで何袋という有り様である。
「大家の旦那、どうだい次の試合は」
「いやあもうわからないねえ、薙刀のミソノベ様は存じてるが、後の三人はさっぱりだよ」
「月羅塾のランゼツはどうだい、どの試合も紙一重で勝ってるらしいが、実力的には抜きん出てない感じかねえ」
「いやいやクマさん、それは立派なことだよ。紙一重の勝負に勝つのが一番難しいんだ。勝負強さがあるってことだろうねえ」
「しかし月羅塾ってなあどこにあるんだい?」
「さあねえ、何しろヤオガミも広いから……」
準決勝からは観客は特に選ばれた侍や、町人であっても大商人など特別に招待を受けた者のみになる。
一般の町民はもはや城下にて伝え聞くのみになるが、それでもクイズへの熱気は高まる一方に思えた。講釈師は早くも高座にて戦いの様子を語り、敗退して市民に混ざっている選手たちは飲み屋で質問攻めにあう。
そんな下界の喧騒を遠く聞く、白桜城の上層。
「ユーヤさん」
控えの間を訪れるのはズシオウ。いつも通りの白装束に木彫りの面をつけている。
付記するならばその面には金泥の線が引かれ、普段より格式張ったものに見えた。普段はズシオウでさえも立ち入らぬ城の上層階であるため、ただの木彫り面というわけにはいかなかった。ユーヤにはそのあたりの機微は分からないが。
「ズシオウ、城内がバタバタしてて疲れただろう? 大丈夫かい」
「私のことなど気になさらないでください」
ズシオウはユーヤの前に座る。この人物がやたらと周囲を気遣っている印象があるのは、逆を言えば自分のことなどどうでもいいと思っているからか。そんな危惧を抱く。
ズシオウはそわそわと落ち着かない様子だった。正座になったあとで何度か足の指を動かし、重心を探るように腰を浮かす。
そして何かに耐えかねるように語りだす。
「ユーヤさん、よからぬ噂がいくつも流れています。この試合はそれぞれに大金が賭けられていて、特に招待されている剣客たちは、それぞれ刻刀を賭けていると」
噂というより、もはや町民の間でも確定事項であった。イシフネ氏は数え切れない観客の前で刀を折られたのだ。
その意味についても盛んに話の種になっている。多くの者が行き着くのは、この御前試合は豪族らから刻刀を奪い、力を削ぐためのものである、という推測だ。
「父上は、やはりヤオガミの統一を考えておられるのでしょうか。しかし、こんなやり方では……」
「僕にはヤオガミの統一ということの実現性のほどが分からない……。どうなんだろう。事実として各国から刻刀が集められ、あのヒクラノオオカミに捧げられている。軍事的優位は広がっていると言えるのかな」
「そうかも知れません。しかし……ヤオガミの統一という大事業は、そんなに性急に進められるものではないはずです」
本来は、試合を前にしたユーヤに相談することではない。ズシオウもそれを分かっていながら、こうして相談するよりない。城内に充満しつつある噂の気配に、陰でかわされる黒雲のような言葉に息が詰まりそうだった。少しでも吐き出さねば窒息しそうなほどに。
「フツクニは20年近くも大戦をしておりません。対して地方豪族には経験豊富な兵が多数おります。それに戦を仕掛けるなら、何ヶ月も前から訓練をして、糧食や、刻刀以外の武具も備えねばならないはずです」
ズシオウがそのような話をするのはユーヤには意外なことだった。目を見開いて応じる。
「ズシオウは……ヤオガミの統一について考えたことがあるのかな」
「はい、いずれは成されねばならないと思っておりました。開国もそうです。ハイアードの国屋敷でたくさんのことを見聞し、そのような意見をまとめて国許の父上に送ったこともあります。父上からの返信は、時期尚早である、という一言だけでした。開国論を持っておられたのは意外でしたが、嬉しいことでもあるのに……」
「ズシオウ」
それは相槌ではなかった。石のように重く響く声、ズシオウははっとなってユーヤを見る。
その黒瞳は夜より深く、じっとズシオウの中心を見据えるかに思える。わずかな体の震え、呼吸の乱れすら察知されそうな緊張感が場に満ちる。
「何か、もっと他に相談したいことがあるんじゃないのか? 不安なこととか」
「……い、いいえ、父上のことだけです」
「それならいいけど……」
嘘ではない。確かに懸念しているのは父のことだけだ。
だがそれは父の思惑が分からない、という懸念だけではない。
城内の侍たちですら、クマザネに対する噂が止まらなくなっている。
御前試合は高官達ですら預かり知らぬこと。老中たちを中心に批判的な意見も目立ってきている。今は盛り上がりがあまりに大きいために、意見しかねている状況だろうか。
(不安なのは、噂があまりに早く広まっていること)
(慎重に、何年もかけて練り上げた計画ではないのですか、父上)
(それなのに、なぜ数日でここまで波紋を呼ぶような行いを……)
ユーヤはといえば、首をわずかに巡らせて部屋を見渡す。銀髪メイドはふすまを隔てた隣の部屋にいるが、緋色の傭兵、ベニクギの姿は見えない。
だがいないはずはない。きっと姿を隠して見張っているのだろう。ユーヤには原理がまるで分からないが、彼女が空気の隙間から現れるような瞬間を何度か見ている。
ズシオウが誰かに狙われたとして、襲撃者すら気づかぬうちに現れ、組み伏せるための隠密なのか。
つまり、ベニクギは警戒を増しているのか、そのように理解する。
「クロキバが何か動いてる様子はあるかな……」
「おもに他の豪族たちと渡りをつけているようです、賭けを持ちかけているとか。しかし具体的なことは何もわかりませんが……」
「そうか……」
ユーヤは忍者たちが何か暗躍していないか確認したかったが、ベニクギがズシオウのそばを離れられないため、得られる情報が限られるようだ。無理な頼みはできないと思い、沈黙する。
「とにかくあと二戦だ、大丈夫、勝つよ」
「ユーヤさん……何か変です。クロキバがここまで何も仕掛けていないなんて」
それは感じていた。忍者たちの妨害工作ぐらいはあって然るべきと思って、それなりに備えの御札を用意していたが、一枚も使うこと無くここまで来ている。
「……どう変だと思う?」
「クロキバは父上が全幅の信頼を置く埋です。幼少期よりの側仕えと聞いています。いくら御前試合を勝ち上がるのが困難なことでも、クロキバをまったく噛ませない賭けは不自然です」
(その通りだ)
口に出しては肯定も否定もしない。本音を言えば、ズシオウの前でクマザネの謀略の可能性について話したくはなかった。
(クマザネ氏が盤石の勝ちを狙うなら、どこかの段階でクロキバを噛ませてくるべきだ。僕に対してやるなら、予選が最良だったはず)
(それなのに何もしてこない……もう準決勝だ。侍たちに囲まれた中では不正も難しいはずなのに)
わけがわからない、考えても仕方がない。そんな益体もない言葉だけが浮かぶ。
「大丈夫、何があっても勝つよ」
それだけを言う。余計な言葉を言えば、危うい何かを踏みそうな予感がした。
そこで、ふすまが開いて小姓が声をかける。
「セレノウのユーヤさま、準決勝のお時間です」
「わかった」
「ユーヤさん、私、応援していますね、その……」
何かを言うべきなのか。
それとも何かを言ってほしいのか。
ズシオウはひどく不安定な己の心を自覚する。
「行ってくるよ」
明るく微笑む、その異世界人の笑みは技術の産物だと分かっている。自分を安心させようとしているのだ。
異世界人が去って、ズシオウは部屋の中で一人になる。
真の意味では違う。ベニクギは常にそばにいるのだろう。それに聞かれまいとするかのように、細い声でつぶやく。
「ユーヤさん……私は不安でたまらないんです」
震える体を押さえるように、己の両肩を抱く。
「父上が何をお考えなのか、御前試合は、開国論は、そしてヒクラノオオカミは。どれ一つとっても一瞬の瞬きも許されぬほど注視すべき事態です。でも……でも、なぜでしょうか、そのすべてが、もっとずっと、最悪な事態の入り口に過ぎないような、そんな気が」
言葉にすることが恐ろしい。
しかし言わねばならない、言葉の霊が、悪い予感という名の悪鬼が、口をこじ開けて出てくるような――。
「私たちの、想像を絶するような、何かが……」
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天狼の間。
それは城主の間の上、望楼とも呼べる吹きさらしの空間である。
板張りの空間には壁もなく衾もない、四隅に柱が立つだけの場所。フツクニを一望できる眺めは城主だけの特権とされ、ここを掃き清める掃除夫は目隠しを義務付けられるという。
そこに、今は侍たちがぐるりを囲む。数十年来無かった事態が現出している。
「いやあ……すっげーなあ、まさか天狼の間におれみてえな浪人が登れるとはなあ」
相対するのは蓬髪の男。まだ若い、16になるならずであろうか。
その男はすり切れた胴丸を腰履きの代わりにしており、上は麻の着物だが、肩に大袖と言われる板状のものが乗っている。洒脱でやっているというよりは、鎧の他に着るものが無いという風情である。
左右の腰に刀を下げ、人の垣根の外側に立ってフツクニを眺めている。
「おいお前、そのような格好で勝負に臨む気か」
「だって着るもんがねえんだよ。五日前まで瑞州で城攻めやってたんだぜ」
「何、お前あの合戦に参加しておったのか……」
地方豪族同士の小競り合いではあるが、時には城攻めにも至る。かなりの乱戦であったと伝わっているが、見たところ若者に外傷はない。
「ともかくその大袖は外せ、拙者の羽織を貸してやる、これでも羽織っていろ」
「おっ、すまねえなおっさん」
「お、おっさ……拙者は勘定奉行控え方の……」
「お二方、中央へ参られよ」
司会の侍はと言えば白髪の人物。白袴に白の肩衣、刀の鞘までも白い。何かしら精進潔斎を済ませたことが察せられる。矍鑠たる姿には高潔な雰囲気があり、身分の高さ以上に、何かしら重要な役職を預かる人物であると察せられる。
「セレノウのユーヤ、播州米田村タケゾウ、双方準備はよいか」
「問題ありません」
「おー、あんたがユーヤか、すっげーつえーらしいな、よろしくなー」
底抜けに明るい様子でそう言う。ことによれば一国一城を買えるほどの大金がかかっている勝負であるのに、まるで緊張感がない。
しかし武に長けた一部の侍は、その若者の立ち姿にどうも隙を見いだせないことに気付いただろうか。
「拙者、司会進行を務めさせていただく祭祀事預かり方、ウブスナ。よろしくお願いいたす」
「よろしくお願いします」
「おう、よろしくな!」
ユーヤが視線をウブスナに向ける。彼が問題集を持っていないことが気になったのだ。ウブスナはその視線を受けてわずかに目礼をする。
「此度の準決勝、より多くの人間にクイズの様子を届けるべきこと、そして天狼の間を使うという貴重な機会を生かすため、フツクニに旗を打ち立てし興行師筆頭、弥斗屋の提案なるクイズを行う」
そして白一色の司会者は、フツクニの街を指さす。
そこにそびえる半鐘、火事を知らせるための見張りやぐらを。
「問題は500メーキの彼方、フツクニにおける鎮火の象徴、あの鴻半鐘より出題される」




