第二十一話
※
舞台は御前試合へと戻る。幡随屋敷、本戦会場。
「正解! イシフネどのに「春」の箱を!」
齢88に達するという老人、イシフネの横に箱が積まれる。これで傍らには「春」の箱が三つ。
観客は塀の上から、あるいは近くの屋敷の屋根の上から勝負を論ずる。
「イシフネさま、春の箱ばかり集めてんな、季枯れってやつを狙う気か」
「春の箱を5つ独占したらゲーム終了だからな。だが、終わる前に必ず春夏秋冬が揃ってなきゃいけねえんだろ」
「だとしたら、揃わねえうちに春を5つ集めたら反則負け……になるのか」
ぴんぽん
クイズ帽から蛇を出すのはユーヤ。
「ユーヤどの、お答えを」
「腎臓」
「正解です、ユーヤどのに「春」の箱を」
散発的な拍手が上がる。
だが、ほぼ同時にイシフネが押していたことも見ていた。そこに違和感を覚える。
(早すぎる……今の押しは、ただ早いだけじゃなくて)
「ふ……なかなかに達者なことだ」
緞帳の向こうから聞こえるような低い声。イシフネが、ユーヤにのみ届く声で言う。
「だが剣士ではないな。それでは勝てぬ……」
「……剣士、であることが、重要なのか?」
「無論だ」
イシフネは年老いてはいるが、その奥には確かに剣士としての気迫があった。枯れ枝のような指をかるく動かす。
「知剣合一。優れたクイズ戦士は剣士の中より生まれる。なぜならば雷問は勝負であるからだ。先の先を制するすべての要素がここにはある……」
「そうは思わない」
それは、ユーヤという人物には珍しく、感情が先走った反発だった。
「クイズ戦士はクイズだけできればいい。その技術が他のジャンルの役になど立たなくてもいい。クイズで勝てれば、それ以外の全てで負けていても構わない。そんなクイズ戦士もいる」
「ふ……頭でっかちな三流の剣士が言いそうなことよ。クイズで勝つならば、剣でも勝てねば意味がない。それが優劣を決めるということ」
「おい、イシフネさま何か言ってんのかな」
「さあ……この距離だと聞こえないな」
だが、ユーヤの方は確かに何か言ってるようだ。その目には感情の色が見える。どことなく石像のように無味乾燥な印象だったので、そのように熱っぽく語ることもあるのかと観客は思う。
「僕が証明するとも……あなたに勝ってみせる」
「できるかのう……早押しは寸毫の争い。わずかでも相手より早く動く、それを極めたのが剣士たる者よ……」
「……」
(そう、わずかなんだ)
(単に早いというわけじゃない、この人物は僕とほぼ同じ地点で押している)
(この人物も贅月の検討をしていたとしても不思議じゃないが、押す場所が異世界人である僕と同じになるのは不自然だ)
(つまり、僕を参考に押している)
かつてユーヤは、セレノウにおける早押しの名手との戦いで、その人物の予備動作を見て押した。
だがそれは予備動作が極端に大きい相手だったからだ。ユーヤは必要最低限の動作で押せている自信がある。
(予備動作ではないとすれば、つまり、意図しない肉体の変化を見ているのか)
「では次の問題、「夏」の箱より出題!」
ユーヤが正座のまま、膝の先端に体重を預ける感覚を持つ。
「問題、海の近くにあ/り、」
ぴんぽん。
「ユーヤどの、お答えを」
「……汽水湖」
「不正解です! ユーヤどのは一回休みとなります。では問題の続きを。海の近くにあり、夏にのみ用いられる高波を警戒するための見張り台として有名な……」
イシフネは危なげなく正解。これにより得点状況は。
ユーヤ:春
イシフネ:春春春 夏夏
となる。
「5対1か……。ユーヤって選手も焦ってるな、今のは早く押しすぎだ」
「イシフネどのが相手なら無理もないさ」
(わかった)
だが苦戦の中にあって、ユーヤはイシフネの力を把握しつつあった。
(決め打ちに近い早押しでは押して来ない。やはり無意識の領域を見ている)
ユーヤは第一問を振り返る。問題文の全容はおそらく以下のようなものだと推測。
問、三日月原といえば春霞の名所ですが、その白/さの病的で生々しいさまを生物に喩えて何という。
解、魚腹霧
霧の白さに注目した問題であるから、「白さ」と発音された時点が確定ポイントになる。
名所ですが、の後に続く問題文の可能性は数通りある。
――では夏霞の名所として知られる土地は
――霞のような食感で知られる架州の名物の
――霧の中を通ったような、女性の髪の艶やかさをいう言葉で
(そうだ、注目すべきは確定ポイントではない、分岐点だ)
(ここから問題が枝分かれすると思われるポイント、そこに差し掛かったとき、僕の体に何が起きた……?)
「問題、余州の名所であり、秋に多くの紅/葉」
ぴんぽん
「イシフネどの、お答えをどうぞ」
「耳涙川」
「正解でございます」
(秋に多くの紅葉によって赤く染まることから、火走り川と呼ばれるのは氷涙川。今のは正確には「秋に多/く」が確定ポイント)
(そう、やはり三文字か四文字、僕よりも早い)
(やはり分岐点、見られているのは、次の数文字が読まれたら押そうと身構える瞬間)
早押しにおいて、時に優れたクイズ戦士は問題を待ち構えるような思考をする。
あと数文字読まれたら押すと決める、心の準備。
意識せずに起こる肉体の変化。もし、それを把握することができたなら。
(だが、それは知っているぞ)
ユーヤの中で思考が渦を巻く。
相手の把握と自己の把握、それが出来ているならば、対策は存在するはずと考え思考する。
(イシフネ、この達人が見ている部分、クイズ戦士が身構える瞬間に起きる肉体の変化とは――)
「勝負あったな……これでイシフネどのが「冬」を獲得した時点で勝負が決まる」
「えーと、なんでだっけ?」
「「冬」を取ったら次は「春」の箱を指定するだろう。ユーヤは押せない。答えてしまうと季枯れが起きてゲームが終わるが、ユーヤはまだ春夏秋冬を揃えてないからゲームを終われないんだ」
「なるほど、じゃあイシフネどのは最後まで聞いてじっくり押せるわけだな」
「お若いの、悪いのう」
イシフネが口をもごもごと動かす。
「じゃが、わしも負けるわけにはいかんでのう……殿からの頼みでもあるしなあ」
「……頼みでも、とは? それ以外にも何かあるのか?」
イシフネはちらりとユーヤを見て、しまったとばかりに頭を掻いてみせる。
「かかか、ちと話しすぎたのう。まあ、金子やら名物やら賭けておるというだけの事よ」
「名物……この御前試合に優勝すれば四船関という黄金が出る。それに匹敵するほどの「モノ」を?」
「かかか、少々話しすぎた、勝負を決めてしまうとするかのお。司会のお方、次は「冬」の箱を」
声をやや大きくして言う。周囲の声も聞こえ始める。ほんの数秒、二人だけの世界に埋没していた感覚。
「では参ります! 「冬」の問題!」
「何……!」
イシフネが声を漏らし、そして問読みの声が流れる。
「冬の乗り物であり、大きな4頭/の」
ぴんぽん
「おお……ユーヤどの! お答えを!」
「大菱橇」
「正解!」
盛大な、百羽の鳥が飛び立つような拍手。
今のは誰もが驚嘆するような早押し。
「まさか、なぜそんな事を」
「ただの技術だ」
今の一問。
ユーヤは問題が読まれるあいだ固く目を閉じ、息を止めていた。肉体のサインが外に漏れぬように。
「おそらく呼吸を見られている。答えが分かった瞬間のわずかな呼吸の変化、見抜かれないためには、最初から息を止めていればいい。目をつぶったのは念のためだ。瞳の動きを観察できる距離ではないから」
「ぐっ……この短時間で」
「そして把握した。僕の動きを見ていなければ、あなたには早押しポイントは分からない。これからは一問も渡さない」
「ぬ……ぬかせ、若造め」
――そして。
得点状況。
ユーヤ:春春 夏 秋 冬(5+2点)
イシフネ:春春春 夏 秋(5点)
「「春」の季枯れにて勝負あり!」
司会者が朗々と宣言する。
「一回戦第1試合、セレノウのユーヤどのの勝利!」
歓声が。
街全体が沸騰するような叫び。木の上から塀の上から、あるいは目ではまったく見えていなかった塀の向こうの観客までも腕を突き上げる。
道いっぱいに歓喜の波が走り、フツクニの一角を桜色に染めるような感覚が。
「……負けてしまったか」
「素晴らしい技だった」
まだ喧騒渦巻く中、ユーヤは心からそう言う。
「あなたの技に気づけなければ負けていた。良い戦いができた」
「いや、完敗じゃ……時におぬし」
と、ユーヤの全身を見て言う。
「ふむ……鍛えてはおらんな。だがきっと良い剣士になれる。御前試合が終わったなら、剣を振ってみるとよかろう」
「僕は剣士にはならない……」
「なぜそう意固地になる。何なら、わしの道場を訪ねてもよいが」
「イシフネ」
ざ、と二人の近くに現れる影。
大将軍クマザネがイシフネのそばに立ち、首を下げることなく高みから見下ろす。
「う……」
「朱鷺色耶壱を出せ」
瞬間、この老人に走るおこりのような震え。
その骨と皮ばかりの手が脇に置いていた刀を掴み、満身の力を込めて握る。鞘がぎちぎちときしんでいる。
「……?」
周囲の観客もざわめいている。あるいは周りに配されている侍たちも。
そしてイシフネは強く目を閉じ、刀をそっと抜いた。
それは、目の覚めるような深紅の刀身。
灼熱に焼けるような赤。それは鉄の性質なのか、高熱を帯びているわけでもなく、まして赤錆のはずもない。ユーヤも見たことのない美しさ。神の力を宿すという、この世界の鉄の真価なのか。
そして気づく。クマザネが袖から何かを抜いた。黒光りする先端部分を持つ大ぶりの金槌。
「何を――」
身をかがめ、そして一撃。
ぎん、と鈍い音。周囲に悲鳴のような声が生まれる。
鍔に近い部分、刀の最も弱い「腰」部分を撃たれ、さしも名刀も一撃でへし折られる。赤いきらめきを放って転がる。
「なっ……」
「名勝負であった。のちのちまでの語り草となるだろう。ではセレノウのユーヤよ、二回戦も期待しておるぞ」
「お、お、おおお……!」
イシフネは、庭園にひかれた毛氈に額を擦りつける。声にならぬ声。慟哭に近い感情の奔流。その全てを大地にぶつけるようにうめく。
そして黒い裃を着た侍が、二つに折れた刀を回収する。
刀を折ることは把握してなかったのか、侍たちも半数以上は固まっていた。それゆえにユーヤを止めることも忘れていた。
「待て!」
ユーヤは幡随屋敷に踊り上がり、歩み去らんとするクマザネを呼び止める。
「何だ?」
「あまりにもひどすぎる! こんな衆目の中で刀を折るなんて!」
「あやつは賭けに負けただけだ。勝てば、あの朱鷺色耶壱に匹敵する刻刀を5本、受け取るはずだった、そういう賭けを私と交わしていたのよ」
「1対5だと……それで賭けを呑ませたのか。だが折る意味がどこにある」
クマザネは振り向き、軽く首を鳴らす。余裕を見せるような構えだが、ユーヤはそこに喜の感情を見ている。
この場が楽しくてたまらない、という気配がわずかにある。
(あまりにもハイになっていて、感情の制御が追いついていない、という風に見える……)
(イシフネの刀を折ったためか……? おそらくは国宝級の宝を、あの老人の魂とも言うべき刀を破壊して悦に入る、生粋のサディストなのか……?)
そのような感情の発露はやがて消える。やはりクマザネは、自分自身を統御する技術に長けている。
「おぬしも知っておろう。刀はあのオオカミの寝床にする。朱鷺色耶壱は延州の至宝。折っていなければのちのち面倒なことになる。返せだの買わせてくれだの要求してくるに決まっているからな」
「……なぜそこまでする?」
開国論。剣から賢へ。ヤオガミにクイズの時代をもたらす。その考え自体はユーヤも支持できるのに。
なぜこの男は、こんなにも破壊を楽しむのか。
なぜこの男の行動には、すべてに破壊の影が付きまとうのか。
「知りたいなら、勝ち進むがいい」
クマザネは、わずかにユーヤへと視線を残したあと、振り返って歩み去ってしまう。
あとには混乱冷めやらぬ侍たちが。塀の向こうから押し寄せる、何も知らぬ観客たちの歓喜の声が。
そして最後に、大将軍クマザネのつぶやきが。
「この国の夜明けにて、また会おう」




