第二十話
「ははは、いやあ愉快だ悦楽だ、このような綺麗どころに囲まれるなど男冥利に尽きるというもの」
三人の男は上機嫌であった。
それなりに仕立てのいい着物を着て、屏風と行灯に囲まれた空間で酒を飲んでいる。上物の白桜酒の香気と、つまみには漬物、それに焼いた羊肉を燻製にしたものや、牛乳を煮詰めて発酵させたチーズのようなもの。ヤオガミでも珍しい食べ物である。
「あらこちらさん、たくましいお腕」
「うふふ、お声もとても素敵で聞き惚れてしまいそう」
「戸隠屋」は高い店ではあるが庶民でも入れる敷居の低さがある。芸姑たちの接客も特に典雅な言葉などではなく、大陸での水商売のそれと大差ない。
いかがわしさはやや薄いが、そこはやはりフツクニの花たる場所。薄暗いお座敷には独特の男女の香気が漂っている。
「まあ、飲みっぷりも男らしいこと」
「さあさあ、こちらのお肉もどうぞ」
であるため、パルパシアの二人もごく自然に溶け込めていた。
蒼と翠、双王はこの「戸隠屋」に乗り込むと、支配人のもとへ案内させて直接交渉。いかなる話術か、それとも身につけていた宝石を使ったのか、15分後には化粧を済ませ、芸姑の着物を着てお座敷に上がっていた。
二人とも顔をかなり白く塗り、アイラインを本来の目の形とかけ離れた形に引いている。頬に影を与えて年かさの雰囲気を出しているため、双王をよく知るものでもすぐには気づかない自信があった。
そして二人の持つ強烈な気配のためか、いつの間にかお座敷の中央にて、三人の男たちに挟まれて接客する流れになっている。
他の芸姑は周囲で相づちを打ったり、軽く三味線の音を奏でて場を盛り上げる。
支配人にもパルパシアの双王であることは明かしていないため、芸姑たち全員、この二人は何者なのだろう、という顔をしていた。男たちはその顔の意味には気づかない。
「お三方、とても羽振りがよろしいですねえ、大きな仕事でも終えられましたか」
普段の口調を隠してユギが言う。一種のプロ意識が働くのか、水商売の女になりきろうとしている。
「仕事はこれからよ。頭がカネを持たせてくれてな。今宵はたっぷり楽しんでこいと言うてくだされた」
「頭は本当に凄いお方よ。いつも我らのことを考えてくださる」
頭とは話に聞くクロキバのことだろうか。ユゼは男の一人にもたれ掛かりつつ、それとなく問う。
「尊敬されてるんですねえ」
「勿論よ。あのお方こそすべてを手に入れるべきお方だ。百代に一人の天才、我らの歴史においても並ぶもののない無敵の男なのだ!」
「あらあら、まるでロニのよう」
それは周囲にいた芸姑の発言だった。双王は数瞬、身を固める。
三人のうち一人が、ぐいと酒を飲み干して言う。
「ふん! 今のロニなど反物屋の娘ではないか! ならば我らの頭がロニになって悪いはずもない! 実力でも遜色ないはずだ! いや、間違いなく我らの頭の方が上だ!」
(そこまでの実力じゃと……?)
ユギはその話を掘り下げることに危うさを覚えたが、しかしこの機会は逃せなかった。ごく自然に話を引き延ばそうとする。
「今のロニ、ほんにお美しいお方ですねえ」
うっとりとした、自分ひとりの呟きのように言う。
「一度お目にかかってみたいですねえ」
「ふん、知らぬであろう、この世には今のロニなど問題にならぬ強者が存在するのだ。雷問でも、剣の冴えでもだ」
「あらあら、男の方は皆さんそう仰いますねえ」
もし、ユギとユゼが「そんな方がおられるのですか」と聞いたならば、忍者たちは本能的に警戒したかもしれない。
懐に手を突っ込むような話し方は極力せずに、むしろ無関心を装う。
「この間は1万人を斬ったというお方もおられましたねえ」
「そうそう、男の方のそのような物言い、愛おしくて大好きですわあ」
「それは荒くれの大言壮語だろう! いいか聞け、我らの頭は何にでもなれるのだ。岩を両断する剣豪にも、博覧強記なる学者にもなれる。この世のすべての人間になれる、だから完全無欠だと言うのだ」
男はろれつが危うくなっており、他の芸姑の太腿に手を置きながら話している。
(何にでもなれる……)
忍者といえば潜入工作、必要に応じて誰かに変装する技術は持っているだろう、そのような話であろうか。
「ということはあ、ベニクギさまにもなれるという事ですかあ?」
「無論だ、そして我らが殿は頭を高く買っておる。開国の際には国屋敷の」
「おい! 飲みすぎだぞ!」
ぴしり、と叱責の声が飛ぶ。三人の一人が眉を吊り上げていた。
だが双王は即座に理解する。今のは情報漏洩を恐れたのでなく、双王が男に密着していたのに嫉妬したのだ。
だが止めるべきタイミングではあったのだろう。双王は今の発言を思い返す。
――開国の際には国屋敷を。
(国屋敷……ヤオガミが国屋敷と呼ぶのはハイアードにある大使館のみ)
(そこを任せるつもりかのう? あれの主は国主代理を名乗ることを許される。白桜城の後継候補じゃ。ではズシオウはどうなる)
(……やはり、ズシオウは鏡の生贄に捧げる気なのか? その後にクロキバを跡目にする……?)
(クロキバは忍者ではあるが、側近として取り立てるなら無くはない……のか?)
もう少し情報を引き出したい、しかし強く叱責された男はすっかり委縮していて、酒も覚めてしまった様子だ。
では、むしろいま怒鳴った男の方が脈があるのではないか、ユゼはそのように判断する。そそと畳の上を移動し、その男の脇に張り付く。
「大胆なことを言うのは人の常というものですねえ。特にフツクニも御前試合で沸き立っておりますし、我も我もと言いたくなるのは無理からぬことですねえ」
体重を預けつつ言う。そして理解する。こちらの男は緊張しているのを隠している。場慣れしてないようだ。
「う、うむ、そうだな、いや、大声を出してすまなかった」
「大名となりたい、蔵いっぱいの黄金を得たい、何が人をそのように惑わしましょうか。こうして浮世の風に吹かれ、血潮に火照る肌を重ねることにまさる悦楽などありましょうか」
手の甲にそっと触れる。肉がついているというだけではない。粗塩を擦り込んだように硬い皮膚。職人とも武人ともつかない手だ。
「いや……我らが頭の問題ではない、その上だ。親玉とか親方とかそのようなものがおるのよ。惑うたのはそれよ」
「おやまあ、頭の頭。一山当てようと躍起になりましたか。それとも男に生まれたからの野心というものでしょうか。そのような豪気さも好きですけどねえ」
「ふん、そんなタマではない。あれは小物よ。人に恵まれていると言えば聞こえはいいが、実のところは皆、勝手気ままにやっておるだけ。当人は何も出来ぬ小坊主に過ぎん。戦働きなど笑止千万。あれは刀すら持ち上げられぬ。見てくれを取り繕うのが達者なだけよ」
先ほど叱責を放った男ではあるが、やはりその男も酔ってはいた。
自分では抽象的な話をしているつもりだが、露悪的な、己の素性をほのめかす物言いに快感を覚えていた。そこにはやはり、双王の魔力もあるだろうか。
「そのような人間が……あろうことか世の転覆を図ろうとしておる。だいそれた企みよ。おお、我らは万全に働いてやるともさ。だがその結果をあやつが受け止められるものかな。なぜいきなりあんなことを言い出したのだ。本気ですべてをひっくり返すつもりなのか。それは、やはり……」
「……」
男の声は、だんだんと小さくなっている。
べべん、と三味線の音が流れている。
どこか離れた座敷からは長唄の声も届く。
窓の外には祭りのざわめき、今日は特に客が多い。酒や人足を調達に来る商人たちの掛け声もある。フツクニでは物資も人手も、いくらあっても足りない状態らしい。
そんなざわめく夜の底、極小のつぶやき、双王の耳でなければほとんど聞き取れるものではなかった。
その男は猪口でぐいと白桜酒を飲み、己の中の澱を吐き出すかのように、短く言う。
「狂うのか」
「この世ならざるものに触れると、人は正気を失うのか……」
ごく、と、無意識に唾を飲む。
はっ、と男がユゼを見る。その顔には戸惑いが張り付いていた。
まさか今のつぶやきを聞き取れたとは思っていないが、明らかに今、この男は話しすぎていた。
「む、いや、楽しい酒であった」
たん、とわざとらしい音を立てて酒杯を置く。
「お前たち、そろそろ戻るぞ」
「何だって、まだ一時(2時間)はあるだろう」
「そうだぞ、せっかく頭が金を持たせてくれたのだ。羽を休めるのも役目のうちであろう」
「だめだ、やはり遊郭など来るべきではなかった。ついつい深酒してしまう」
「せめてあと小半時くれ。そのように無理に引き剥がしては心残りが生まれようぞ」
「ううむ……」
と、男はユゼの顔を見る。
その時にはユゼから動揺はすっかり消えていた。化粧は濃いながらも、あどけない純朴そうな顔。いま何が話されていたのか欠片も理解していない。という顔をする。
ユギも頃合いと見たのか、ぱしんと手を打って明るく言う。
「さあ、では宴もたけなわ場もうららか、最後に一曲いかがでしょうか」
「何か歌うのか」
「そうですねえ、大陸の音楽などはどうです。ポップリップの「ラビリンス☆ラビット」など」
「何と……お座敷でそんな曲が演れるのか、さすがはフツクニの……」
三味線を持つ芸姑に視線を送る。演奏は可能だとの頷きが返った。
そしてユゼは、場の中央にどんと白桜酒のとっくりを置く。
「さあ、最後に別れの盃を、皆さまへお注ぎいたしましょう」
「うむ、うむ、いや、来てよかった。今宵は我の人生でも最良の酒だ」
「二人とも実に美しいな、是非また来させてもらう、いやあ、仲間たちによい土産話が……」
※
「ふうむ、おおむね既知のとおりじゃの」
廓をあとに、比較的目立たぬ浴衣に着替えた双王が夜道を歩く。
遊郭からフツクニへと通じる道は郊外を通るものの、真夜中でも常に人通りがあるため物騒ではない。50メーキおきには妖精を用いた街灯もあり、そのような道はヤオガミ全体でも珍しいものだ。
通行人は多く、双王の近くには駕籠も並走している。六人で舁く大型のものだ。
「この世ならぬものとは妖精の鏡に相違あるまい。その力に触れたクマザネ将軍は気が大きくなり、開国などとだいそれた計画を始めた、そういうことじゃな。刀を集めたりもその一環じゃろう」
「うむ……」
と、ユゼの反応が弱かったので、ユギは肩で肩を小突く。
「ユゼよ、何か思うところでもあるのか?」
「……御前試合は何なのじゃ? これほど大掛かりなイベントを急に打ってきたのは」
「武ではなくクイズという方針なのじゃろ。御前試合で豪族たちを集めて、クイズで賭けを申し込む気じゃろう。将軍の側にはクロキバという無敵の札がある。刻刀でも金銭でも奪い放題というわけじゃな」
「ううむ」
それで一応は筋が通る気がする。クロキバにクイズで戦わせるのも間違いでは無いだろう。
だが、その奥に。
まだ語られぬ、地の底の溶岩のように煮えたぎる何かが。
このヤオガミ全体に奇妙な熱を与えている動機のようなものが、あると感じる。
「この世ならざるもの……」
「ユゼよ、ところでこれからどうする」
「……うむ。そうじゃのう。とりあえずこの三人を隠すか」
と、並走している駕籠を見る。舁いている人足たちは慣れていないのか、汗だくであった。
無理もない。人足たちはパルパシアの使用人が変装したものだ。
双王がそっと中を覗き込めば、三人の男が眠りこけている。八つ脚草の眠り薬はよく効いてるようだ。
「なんか悪いことしたのう。大仕事で張り切っておったのに」
「まあ我らと酒が飲めて歌まで聞けたのじゃ、お釣りが来るぐらいじゃろ」
「それもそうじゃな」
双王は実のところあまり深く考えていなかった、とりあえず忍者の戦力を三人削げたので良しとする。
「……考えてみたら、この三人を拷問したら良いのではないか?」
「まあ忍者じゃし、簡単にはいかんじゃろ。舌を噛まれでもしたら寝覚め悪いしのう」
この三人はどこかへ監禁しておくとして、では自分たちはどうすべきか。
「ようはクマザネどのの開国論を潰せばよいのじゃろ?」
「潰すと言うか、老中たちと諮りにかけるように要求する、とか言っておったの」
「ふむ、ではナナビキどのじゃろうな。外国船舶の密輸でニュースになっておった。フツクニは抗議したが、どうもフツクニとナナビキ氏は内通しておるフシがある」
うむ、と双子の片割れはうなずく。
「ナナビキどのを張って、開国の準備を進めておる証拠を掴む」
「それを藍映精で撮影するのじゃ。公表するなり、クマザネどのとの交渉材料にするなり使いでがあるのう」
「うむ、方針は決まったな、明日も忙しくなりそうじゃのう」
かなり大胆でそれでいて大雑把な作戦。
それをあっさりと決めて、双子はそのままフツクニへと。
戻りはせずにくるりと引き返し。
そのまま別の店に飛び込んで、朝まで宴会を続けたのだった。




