第二話
※
「……あれは、もしかしてあれがフツクニの城なのか」
いくつかの防塁を備えた巨大な港、そこにラウ=カンの御用船を停泊させると、すでに城が見えている。
「うむ、白桜城じゃの。ものの本によれば十六層七蓋(屋根)、高さ90メーキに達する城じゃ」
「城塞としてのランキングでは、床面積ならシュネスのゴルミーズ王宮、高さなら白桜城が世界一じゃ。港からも見えるとは驚きじゃのう」
「すごい建築技術だな……」
クイズ的な知識を思い返せば、姫路城が高さ46.5m、松江城が30m、現存していないが江戸城は高さ58mに達したという。
あの城は規模にしてその数倍はある。フツクニという都市の豊かさと権勢も推し量れようか。
「それでユーヤよ、まずどうする」
「ああ、とりあえずズシオウに会っておこうかな。ある人物の護送のために帰国してるはずなんだ。できれば将軍にも」
「うむ、では今日は港の近くで宿を取るぞ」
「城に先触れを出すから、明日には会えるじゃろう」
この世界では妖精の力を使ったラジオは存在するが、個人間の通信技術というものがない。そのような妖精がいないのだ。そこに妖精王の意図があるのか無いのか、それは判然としない。
伝書鳩という手段もあるが、ヤオガミまで飛ぶ鳩は希少であり、また伝達率が100%に届かないため、最終的には人による伝令に頼ることになる。
港を少し離れる。港湾を中心として市街地が形成されており、そこには人があふれている。着流し姿の町人や呉服を着た商人。下帯を締めた人足や、明るい色の振り袖で笑い合う女性たち。ひし形の前掛けを着てよちよち歩く子供もいる。
反物を山積みにした荷車、煙管の部品を売る屋台、大量の本を背負って歩くのは貸本屋だろうか。
ユーヤのよく知る景色のようでもあるし、あらゆる点が少しずつ違うような気もする。そんな認知の混乱もだいぶ慣れてきた。
「どうせならでかい風呂のある宿がいいのう。そう思わんかユーヤ」
「その前に何か食べるかの? 奢ってやろうぞ」
「いいよ、旅費ならラウ=カンから借りてるから」
「おぬしあの若奥様にさんざん恩を着せとるじゃろ、どーんと数億ぐらい要求しても……」
――ユーヤ様。
三人が足を止める。
それは音声と言うより、空に現れる書き文字のように思えた。それほどに透明で癖のない声である。
視界の中央にメイド服。今そこに現れたように唐突に気づく。セレノウ風の古典的なメイド服であるが、ユーヤは一瞬、服だけが歩いてくるように思えた。
その人物があまりに細身で、陽に溶けるような白い肌をしており、ガラスを束ねたような銀髪であったためだ。
「君は……」
「カル・キと申します。ハイアードではお目にかかることはありませんでしたが、セレノウの上級メイドでございます。この港にてユーヤ様が来られるのをお待ちしておりました」
彼女は大きめのトランクを持っており、さらに腰の後ろから何かを取り出す。
それは妖精。銀メッキされたガラスの立方体に座り、3つの目を持つ妖精が笑うかに見えて。
「あ、待っ」
風景が塗り替わる。
現れるのは竹林。太くたくましい竹が全周のすべてを埋め、ユーヤたちが立つのは石の円舞台である。
周囲では竹がかなり密集して植えられており、頭上だけにぽっかりと青空が見えている。
そして石舞台でくるくると踊るのは、笑顔のまぶしいオレンジ色のリボンのメイド。
「なんとなんと! ユーヤ様! 今回はヤオガミに」
映像が途切れる。
風景のすべてを塗り替える藍映精がその三つ目を指で塞がれ、カル・キのポケットに収まる。
「まあ通行人の迷惑ですので、あとは私より説明させていただきます」
「あ、そう……」
今の映像、ハイアードにあるヤオガミの国屋敷である。せっかく頼み込んで撮影したんだろうに……とユーヤは少しだけ不憫に思った。
「お着替えかの。ヤオガミでは外国人はその国の服装でも良いのじゃぞ」
「我らも着替えてもよいのじゃが、ヤオガミの服は動きにくいからのう」
二人が何やら言っている間に、カル・キはユーヤの手を取って近くの商店へ。すでに話はついていたらしく、その店の奥方らしき女性が着物と羽織を用意して待っていた。
「ヤオガミには独得の身分制度がございまして、特に白桜城の城内ではさまざまな決まり事がございます」
「しかし外国人であれば許容されますので、ユーヤ様にはひと目でそれと分かる装いが求められます。メイド長は黒で仕立てました」
「黒の着物と羽織りは粋人の証であり、仕立ての良い正絹の着物は身分の高さを表します。小紋はセレノウの意匠である蝶です」
「足は革備えの足袋に黒下駄、髪は妃花油にて固めさせていただきます。独特の匂いがいたしますが日光に照らされると5分ほどで消えます」
「時計は黒漆仕立て、根付は翡翠、根付は中が物入れになっております。四分金をいくつか入れて財布代わりにされてください。四分金一枚で5000ディスケットほどです」
てきぱきと済ませて店を出る。されるがままになっていたが、どういう技術なのか、ほとんど体に触れられた印象がないのに全身すっかり着替えさせられている。
黒の着物に濃暗紫、ユーヤの感覚で言うと茄子紺の羽織、漆仕立ての下駄に黒革の足袋と、昼の町中にあってはそこだけ夜になったかのように目立つ。
「なんじゃ、ただでさえ陰気なのにますます暗澹としとるな」
ユギ王女が皮肉げに言う。ユーヤは着心地を確認するかのように腰をひねる。
「着物なんていつ以来かな……。でもすごく軽いねこれ。分厚く見えるのに動きやすいし、通気性も良さそう、で」
ふと気づく。双子の翠の側、ユゼがこちらをじっと見ている。
扇子で口元を隠して、大きく目を見開くかに思えた。
「……どうしたんだ? そんなに変かな」
「い、いや別に……に、似合っておるではないか」
顔を背けてしまう。ユーヤは首をひねるばかりである。
「ところでカル・キ。君はえらく発音がいいと言うか……きれいな声だけど、専門はアナウンサーか何か?」
「専門は音楽です。歌唱も行なえます」
「僕のことはどのぐらい知ってる?」
「エイルマイル様よりひととおりお聞きしました」
「エイルマイルから……」
「はい、私はハイアードでの騒動の際、伝令のために大使とともに国元へ戻っておりました。数日後にエイルマイル様より鳩が届き、私はヤオガミへ、ティディルパイル陛下側仕えであったカル・フォウはパルパシアへ向かうようにとの指示があったのです。エイルマイル様とは出国の際、すれ違うようにお会いして話を伺いました」
カル・フォウの名には覚えがあった。パルパシアにてユーヤを助けてくれたメイドである。
「カル・フォウは分かるけど、でもあの段階では、僕がヤオガミに行くなんて話は無かったはず」
「万が一の用心とのことでした。ヤオガミにはセレノウの大使館がございませんので、もしユーヤ様が行くことになれば助けるようにと」
「……」
セレノウ第二王女、エイルマイル。彼女はこの大陸に起きている変化をどこまで予見していたのか、どれほどの備えをしているのか、想像すると空恐ろしくなる。
「おぬし雪の民じゃな」
と、会話に入ってくるのはユゼ王女。
「雪の民?」
「大陸の中央、コーラムガルフ山系にはいくつかの少数民族が住んでおる。特に標高5000メーキ以上に住む人々を雪の民というのじゃ。さまざまな部族がいるが、音楽の才能に優れ、雪のように白い肌を持つ人々もいるらしい」
ユーヤはこの世界の地理を思い出す。コーラムガルフ山系は大陸の多くの国と接しているが、セレノウは大陸の北端にある半島であり、山とは接点がないはずだ。
カル・キは説明の必要を感じたのか、目礼をしてからゆっくりと話す。
「40年ほど前のことですが、鉱山の開発により我々の部族は山を降りたのです。我々を手厚く受け入れてくれたのはセレノウでした。雪の民は以前は5千人ほどいましたが、まだ山に残っているのは200人ほどでしょうか」
「そんなに少なく……」
「昔の話です。今はセレノウが私の祖国ですよ」
「パルパシアも多くを受け入れたぞ。芸能で名を成した者もたくさんおる」
「はい、パルパシアにも感謝しております」
鉱山の開発と、土地を追われる人々。ユーヤも元の世界で似たような話を耳にしてきたが、この世界にもあるのかと、何となく気の沈む思いであった。
「宿を確保しております。ヤオガミでの案内はおまかせください」
「頼りにしてるよ。クイズでも協力してもらうかも」
「はい、私でできることでしたら」
「ちょっと待つのじゃ」
と、ユーヤとメイドの間に割って入るのはユゼ王女。
どうでもいいことではあるが、通行人は先ほどから四人の脇を大回りしている。近寄りがたい雰囲気を感じているのか。
「カル・キとやら、いきなり現れてクイズの相棒まで務めるとは少しばかり図々しいというもの。我らはそなたの実力も知らぬぞ」
「上級メイドにはクイズの素養も求められます。私もセレノウの養成学校で……」
「よしここは我らがクイズでテストしてやろう。そうしよう今しよう」
「はあ」
カル・キはけして感情が薄いわけではなさそうだが、その世俗離れした美しさのためか、あまり表情の変化が読み取れない。淡白に相槌を返している。
ユーヤとしては止めるべきだったかも知れないが、双王の出題するクイズにも少なからず興味が湧いてしまった。止めるのはいつでもできると思い、傍観に回る。
「では問題じゃ! ある部屋に双子の美女がいた。双子は全裸であり、部屋には一切の家具はなく、ただパンツが2枚落ちていた」
「ろくでもなさそうな問題……」
ユーヤのツッコミを受け流し、ユゼの言葉が続く。
「部屋にはいつ人が入ってくるか分からぬ。二人は早くパンツをはかねばならぬが、何となく、相手より先にはくのは負けになるような気がしてきた」
「謎の意地」
「ここで問題じゃ。お主が美女のどちらかであるとして、確実に相手よりあとにパンツをはくにはどうすればよい?」
ふと、ユーヤの動きが止まる。
記憶の想起と思考の加速。クイズ戦士の宿命と言うべきか、どんな問題でも考えずにはいられない。
「わかりました」
カル・キが鈴を転がすような声で言う。
「双子なのですね。先にパンツを2枚はき、誰かが来たら自分は双子の片割れだと名乗る」
「ふふん、それでは相手も同じことを言うに決まっておる。証拠もないし確実な勝利とは言えんのう」
「ついでに言えば双子とはいえ身内なら見分けはつくものじゃ。入ってくる人物が身内の可能性もあるなら確実とは言えぬ」
ユギも出題に参加し、気がつけば周りで町人も頭をひねっている。クイズ好きの気質は無事に海を渡っているようだ。
「ううん……力づくではかせる、というのは駄目ですよね、相手も抵抗するでしょうし」
カル・キは美しい眉根を寄せて考える。ユーヤも声は出さずに思考に沈んだ。
(……これは、もしかしてチキンレース問題か?)
向き合った状態で、互いに全速力で走る2台の車がある。
そのままでは正面衝突を起こす状況で、先にハンドルを切ったほうが負けというチキンレースでの話。
いかにすれば、相手に先にハンドルを切らせることができるのか。
(その必勝法として、相手に見えるようにハンドルを引っこ抜いて捨てる、という考え方がある)
(この場合、相手が避けるしかなくなるので、正面衝突を起こさない限り勝てる。時として選択肢があるほうが不利になるという例)
(このクイズはその応用か……? さすがは双王、ゲーム理論を踏まえた問題を出すとは)
では、このクイズの場合にはどう応用されるのか、次にそれを考える。
(この問題では、相手方の選択肢は「パンツをはくかはかないか」ということ。選択肢を封じるとは、つまりパンツを破いてしまう? いや、それでは相手に先にはかせる、という題意に対して十分ではない)
(……そうか! まず先にパンツをはき、それを見て相手もはく。そして部屋に誰かが入ってきた瞬間にパンツを脱ぐ!)
(これならば見かけ上、相手が先にはいたように見える。出題の目的が「裸を見られないこと」ではないのがポイントだ!)
「どしたんじゃユーヤ。急にガッツポーズして」
「いや何でもない」
「はい、今度こそわかりました」
と、カル・キは小さく手を上げる。
「うむ、答えてみせよ」
「両手で胸と股間を隠せばいいんです」
「見事! 正解じゃ!」
ぱん、と扇子を開くユギ。
「口惜しいが認めざるを得ぬな、さすがはセレノウの上級メイドじゃ」
「エイルマイルどののお墨付きだけはあるのう。その能力をしっかり役立てるが良いぞ」
「ありがとうございます。では確保しております宿に案内させていただきます」
「うむ」
ごん。
「ど、どしたんじゃユーヤ、木に頭突きして」
「……何でもない」