第十九話 +コラムその20
州行御役目所幡随屋敷。
それが御前試合本戦、第一試合の会場である。
幡随屋敷とは地方を管轄する役人がフツクニに滞在する際の宿泊所であり、接待や会議の場としても用いられる。
そのため外観は超一流の料亭のよう。特に庭はヤオガミでも指折りと言われ、百年をかけて枝ぶりを整えられた松や、湖底に石でモザイク模様を描いた池など美々しい作りである。
本戦は勝ち抜き戦、すなわちトーナメント形式で行われ、会場も試合ごとに用意されるという。
そのお触れが辻ごとに掲げられたのが正午ごろのこと。昼八つ(14時ごろ)には想像を絶する人間が各会場へ押し寄せていた。
この幡随屋敷も同様。大通りから屋敷へ伸びる道だけは侍により封鎖されていたが、それ以外に周囲を囲む道は人で埋まっていた。
五千人を超えたあたりからもはや節操もなくなってきており、近くの屋敷の塀や松の木に登る者、堂々と屋敷の庭に忍び込む者、大声で賭けを取り仕切る者など現れてくる。
侍や町役人たちももはや取り締まるのを諦めて、最低限、喧嘩など起きないように見張る程度だった。
「のうお主、知っておるか、柳町の会場のこと」
「勿論だ。50問をすべて一人で答えた男がいたそうだな」
「うむ、およそ人間業ではないな。いわゆる魔法使いか、あるいは妖術師であろうか」
「セレノウの人間だと聞く。あの国には奇っ怪な術が伝わってるとの噂もあったな。あり得るかもな」
実際は誤答で何問か消費されたので、その人物が答えたのは40問と少しである。早くも話に尾ひれがついている。
「他に注目すべき者は……やはりシラナミどのかな」
「シラナミどのは辻斬りに遭われて負傷なされたそうだぞ」
「ああ、そうであった。昨日今日とあまりに色々ありすぎて失念していた。そうだな、居合いのモリザキどの、鎖鎌のウメノキどの、柔のニシザトどのなど来ているようだが、やはりイシフネどのだろうな。延州の大名よりの依頼で参加なされたらしい」
「なんと」
その名は意外だったのか、聞いていた周りの侍も視線を送る。
「延州では無敵と聞いておる。剣の道でも言うまでもなく達人だ。飛んでいる蚊の羽根をむしったとか、波を立てずに水中の鯉を斬ったとか……」
「うむ、まさに達人の代名詞であるな。私も一度はその剣技を見てみたいものだ」
「とはいえ、この幡随屋敷にイシフネどのが来るとは限らぬがな」
「予選通過は30人近いことだし、セレノウのユーヤとの戦いなど、そうそう実現するはずが……」
※
「セレノウのユーヤ様、一回戦のお相手は延州のイシフネ様でございます」
「わかりました」
伝達に来た侍にそう返す。物腰は丁寧であり、極めておとなしく、人畜無害。社会人としてのユーヤの側面の一つである。
「……僕がこの会場で戦うことは、公知されているんでしょうか」
「いいえ、第一試合は何箇所かの同時進行にて行われますゆえ、観客に偏りが出ては出場者に申し訳ないとの儀により、対戦者は秘されております」
観客の差とは言っても、すでに塀の外は荒波のように人が揉まれあっている。どの会場も大差はないだろうと思われた。
(ベニクギとズシオウは来られないだろうな……)
「二回戦からは広く公知されます。どうぞご武運をお祈りしております」
生真面目そうな若い侍は丁重な態度である。ユーヤがセレノウの王室関係者なことは伝わっていない。ひとえに予選で行った離れ業のためである。
雷問での強さは、侍たちの敬意を集めるには十分らしい。
「ユーヤ様、その、お気にされないのですね」
若い侍の物言いに、ユーヤは小首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「いえ、イシフネ様と言えば生ける伝説にございます。雷問での強さも神がかり的だとか。御年88でありながら、まだ衰えることが無いとか。正直、私などはお目にかかれると思うだけで血潮の沸き立つ思いです」
「……」
「その者はイシフネなどという名前には動じぬよ」
どすどす、と板張りの床を踏み鳴らす音。若い侍はその人物に気づき、静かに平伏する。
「少し下がっておれ、太刀小姓も下がらせよ」
「承知いたしました」
そして、その人物は。
ヤオガミ国主、クマザネはユーヤの前にどかりと座る。
「予選から派手にやったようだな。大生豆屋の仕切りが台無しになったと聞いたぞ」
「……勝ち残るために必要な方法だった」
クマザネとは何度か会っているが、通底する印象としては快活で活動的。それは元々の資質というより、少しハイになっているために見える。これだけの規模の御前試合、仕掛けた側が興奮するのも無理からぬ事かと思われた。
「のうセレノウのユーヤ。私はヤオガミをもっと開けた国にしたい。旧来の因習を捨て去り、血なまぐさい剣の歴史を終わらせたいのだよ。そのためにクイズを利用したい」
「……」
「贅月は検討し尽くした。いかにお前が町人やら野武士を圧倒できても、クロキバには到底及ばん。それでも戦うのか」
(なぜ今さらそんなことを……?)
「一度は承知した賭けのはずだ」
「クロキバに勝てると言うのか? いや、それだけではない。一回戦の相手はあのイシフネどのだ。お前は知らぬだろうが天下無双の剣客よ。フツクニに居ればロニの座に座っていたのは彼奴だったかも知れん。その名を打ち破るというのか」
ユーヤは顔にこそ出さないが、半ばうんざりしてきていた。なぜ何度もそんなことを確認するのか。ユーヤの決意表明だとか、啖呵を切るところを見て笑おうとでも言うのか。
「あなたと忍者たちは、贅月をさんざん検討したと言った。おそらく押しの技術や、出題者の癖を読む技術なども研究しただろう」
「うむ、その通り」
「だが、そんな場所は入り口に過ぎない」
ユーヤは視線を鋭くする。これ以上、ちょっかいをかけられるのは御免だという意思を込めて。
「見せてやるさ……あなたが見たことも、想像したこともない早押しの世界というものを」
「ふむ……」
クマザネの目は輝きを増し、その頬には赤みが差すように見えた。内面では怒っているのか、それともまだ見せていない隠し玉のことを考えてほくそ笑むのか。
「まあ、やってみるがいい、私も観戦させてもらおう」
「……」
クマザネはやおら立ち上がって去ってしまう。なにかに耐えきれずに席を立った、そんな印象だった。ユーヤはその態度の意味を掴みかねて、やがて考えるだけ無駄という結論に落ち着く。
そして小半時(30分ほど)ののち。
庭に朱色の毛氈をひいて、大ぶりの番傘が二つ設置される。
その下に座すのはセレノウのユーヤ。そして年は88だという、髪が綿のように白くなった老人がいた。
刀を脇に置いているが、その手は骨と皮ばかりに細く、目はほとんど開かれていない。灰褐色の着物をこじんまりと着る姿には確かに老練な落ち着きがあるが、とても剣の達人という雰囲気ではない。口をもごもごと動かして、何かを呟いてるように見える。
塀に登った男たちが噂を交わす。
「おい、あれがイシフネって人か? 剣の達人じゃねえのか?」
「いや、俺も見たことなくて……88ならまあ、普通はあんな感じになるだろうけど」
「ほんとにクイズできるのか……?」
「ではこれより、白桜城御前試合、本戦第一試合を執り行います」
司会者の侍が言い、そして運ばれてくるのは一抱えほどの箱。
数は二十、「春」「夏」「秋」「冬」と大きく書かれたものが5つずつある。
「第一試合は、春夏秋冬早組みクイズ」
観客の頭上に疑問符が飛ぶ。
「春夏秋冬に関連する問題をそれぞれ五問ずつご用意いたしました。最初は「春」の箱より問題を取り出し、以降は正解者が箱の選択権を得ます。お手つき誤答は一回休みとなります」
侍たちは4種類の箱を塔のように積み上げる。
「正解の場合、箱を一つ獲得します。箱は1点ですが、「春夏秋冬」が手元に揃っている場合、プラスで2点が追加されます。そして、季枯れ、すなわち春夏秋冬どれかが尽きた時点で、その時の得点状況により勝者を決定いたします」
「季枯れって何だっけ? 大家の旦那、知ってるかい?」
「連拍歌の言葉だな。季節を表現する言葉を、他の人間と重複しないよう使って次々と歌を詠んでいく遊びがある。もう季節の言葉が浮かばないことを季枯れと言うのだ」
「へー、風流なもんだねえ」
「ただし、季枯れが起きた時点で手元に必ず「春夏秋冬」が無くてはいけません。ルールは以上、双方、よろしいか」
「問題ありません」
「……」
ユーヤの対面、イシフネも同意を示したようだ。わずかに首が動くが、何を言ったのか聞き取れなかった。
そして双方、正座のままでクイズ帽をかぶり、紫晶精のボタンに手を置く。
「するってーと、最低限、春夏秋冬を揃えて勝たねえとダメなのか。最短だとえーと、春を5つと夏秋冬、8問で終わっちまうぞ」
「それだと春夏秋冬が一つでプラス2点、計10点か」
「いやあ、そんなこまけえ点の数え合いになるかねえ。だってよ、セレノウのユーヤってやつは……」
「第一問! 春の問題!」
侍が胴間声を飛ばす。鍛えられた腹筋を引き絞る声量。観客が水を打ったように静まる。
「三日月原といえば春霞の名所ですが、その白/さ」
ぴんぽん
蛇を打ち上げるのは――イシフネ。
「……!」
「イシフネどの! お答えをどうぞ!」
「魚腹霧」
顎をぶらぶらと揺らすような力の入っていない声、そして司会者の力強い頷きが――。
「正解!」
コラムその20 ヤオガミにおける経済の変化
群狼国ヤオガミ、シラナミの言葉
「どうも、ここでは我らヤオガミの経済について2、3解説いたします。独自の経済体系のあるヤオガミですが、近年では大陸の影響を受けて少しずつ変わってきております」
セレノウ胡蝶国上級メイド、カル・キの言葉
「あなた包帯まみれですけど大丈夫なんですか?」
・貨幣価値の変化と旧貨幣の復活
シラナミ「近年のヤオガミ経済における大きな変化は貨幣の変化です。妖精の定着によって、銀や銅などが高騰しているためですね。金は一定の価値を保っていますが、これは白桜による統制経済のためです」
カル・キ「州石や州練札の復活が起きたのでしたね」
シラナミ「そうです、スズガネガイや大理石を加工した真っ白な碁石型のお金、貝貨とか州石とか呼ばれる石貨の復活ですね。また砥妙紙と呼ばれるきめ細やかな上質の紙、これに墨で額面を描いた州練札が復活しております」
カル・キ「州石は一つ50ディスケット程度、州練札は数万ディスケットと高価なものです。その間を四分金が埋めていますが、貴金属に変わる貨幣が求められていますね」
シラナミ「木の札や陶器などが検討されていますが、まだヤオガミ全土で統一された方針はありません。一部の州では女性の髪の毛を輪の形に編んだ黒輪幣というのもあります」
カル・キ「お釣りで手渡されたら叫びそう」
・輸出入の変化と蜂蜜
シラナミ「妖精が定着したことで一気に増えたのは蜂蜜の需要です。これは各州の産業に大きな変化を生みました。ヤオガミでは南州や甲砂州で砂糖の生産が盛んでしたが、蜂蜜は特に生産されていませんでした」
カル・キ「ラウ=カンとの交易は金で行われたため、国内から金の流出が起きました。他にも農家が一斉に養蜂をはじめ、それによる多数の弊害もありました。米の不足や、蜂の育成に失敗しての破産者の発生などですね」
シラナミ「そのため多くの州で対策が取られました。蜂蜜を専売制にしたり、大名直轄地でのみ生産したりですね。しかし蜂とは庭の木にも軒先にも住み着くもの。隠れて養蜂を行っていた者は数知れません」
カル・キ「現在では生産力も上がり、ブランド品として大陸にも輸出されています。蜂蜜が増えたことで米食から米粉パンに移る家も増えましたね」
シラナミ「私はご飯に蜂蜜かけるのも好きですが」
カル・キ「だから負けるんですよ」
・まとめ
シラナミ「ヤオガミにも時代の変化は訪れていますが、やはりヤオガミといえば黄金と米です。その二つを大事にしていきたいですね」
カル・キ「そういえば米で作ったお酒のことは白桜酒というのでしたね。やはり淡い白色の桜、白桜がヤオガミの象徴だからでしょうか?」
シラナミ「いえ、米で作る酒は昔は米酒と言ってたんですが、ある人が白桜と名付けた酒を売り出して、それが非常に評判が良かったので、何年かすると白み桜だとか、純白桜だとかちょっと名前を変えたやつが出てきまして」
カル・キ「? はい」
シラナミ「裁判とかになってモメにモメた結果、白桜はフツクニの象徴だからみんな名乗っていいよってことになったのです」
カル・キ「元祖の人、負けてる……」




