第十七話
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フツクニの大路の走行は血管のそれに喩えられる。
空がしらじらと明けてゆく黎明の頃。人々は箪笥の奥から一張羅を引き出し、下駄の音も高く小路へ出て、さらに大通りへ、そして白桜の城へと集まる。
白桜城をぐるりと囲む、4ダムミーキに及ぶ城壁。正月参賀の時などは市民も大門をくぐることを許され、閲兵用の広場にて撒き餅などの恩恵に預かる。
広場の周囲に組まれた階段席は人で埋まっている。竹と麻紐で組まれただけのものだが、城の修繕も行う鳶職が組んだものであり、非常に頑丈な作りである。
「おいおい、予選会場でこの広さかよ。ここだけで二千人は座れるんじゃねえか? しかも同じようなもんが4つあるんだろ?」
「いや6つだ。柳町の方にもう二つばかり作るらしいぞ。参加者が多すぎるんだとよ」
「店も出てるな、あそこで握り飯とお茶まで売ってんのか」
「いや、飯はタダらしいぞ。他の屋台もだ。売り上げたぶんを城が払ってくれるんだと」
ひょう、と素早く息を吸うような感嘆が漏れる。
「おいおい、豪気って呼ぶにも凄すぎねえか。急な話だってのにそこまでやるのかよ」
タダと聞いて周りの客が動くかと思いきや、席を立つものは少ない。来客が後から後から押し寄せているため、席を立てないのだ。
「あのお殿さま、地味なお方だと思ってたが、ここまで肝の太えことをなさるとはねえ」
「まったくだ、ちょいと見る目が変わっちまわあな。できれば三日前に知らせてほしかったが」
「あれ? そういやトメさん、今日は弟の祝言じゃなかったかい?」
「心配いらねえ、弟とその嫁さんも別の会場にいるよ」
「ははっ、そりゃ見逃せねえわな」
「ベニクギ、双王さまを見ませんでしたか?」
その観覧席の隅の方。高台になっている有料席もある。
そこでは灰色の頭巾で顔を隠した二人、ベニクギとズシオウが言葉を交わしていた。
「いえ、宿には戻らなかったようでござる」
「あのお二人はほんとに……、まあ、御前試合に関わらないのならそれで良しとすべきでしょうか」
相撲の升席のように木枠で仕切られた席。しかし、見たところ出場者の中にユーヤはいないようだ。別の会場に行ったのかと、多少がっかりする。
「ユーヤさん……大丈夫でしょうか」
「拙者にはユーヤどのの勝負を不安視する資格もござりませぬ。ただ勝利を信じるのみ」
ベニクギが参加するという選択肢もあり得たかも知れぬが、さすがにそれはできなかった。今はズシオウのそばを片時も離れられない。
「ユーヤさんが勝つとすれば……それは、やはり手妻でしょうか。それとも私たちには分からない、早押しクイズの裏技があるのでしょうか」
それはありえない、とベニクギは思う。
三択や〇×ではないのだ。一問一答の答えを知識なくして知るような技があるはずはない。
「あるいは裏工作、出題者の買収……」
それはズシオウも何となくの発言だった。ユーヤという人物が不正とまったく縁がないとまでは言わないが、相手は侍である。土地勘もないユーヤに買収できるとは思えない。
「あるいは……」
ズシオウが言いかける言葉。それは鉄塊のように重かった。ベニクギは鞭で打たれる直前のように身構える。
「ユーヤさんは贅月ができる……。すべての問題を覚えていて、早押しポイントを知っている、のでしょうか……」
ベニクギはぎしりと奥歯を噛む。
その可能性はある。昨夜、月が出て沈むまでずっと考え続けていた可能性のひとつ。
もしユーヤがこの御前試合を戦えるとしたら、贅月ができるとしか思えない。
「でも、それは」
ズシオウの言葉に、心の中で同調する。数音先の未来が聞こえるような感覚。
「とても、恐ろしいことですね……」
※
一方。参加希望者は受付に長蛇の列を成している。次から次と木札を受け取り、いくつかある予選会場に振り分けられているようだ。
「待たれい、そこのお主、柳町の会場だな」
話しかけるのは豪傑風の男。長く太い野太刀を背中に背負い、荒縄で編んだような無骨な草鞋を履いている。羽織っているのは猪の毛皮のようだ。
話しかけられたのは黒の着物に黒漆の下駄。羽織りには銀糸の刺繍を散らしたやはり黒の仕立て。後ろに撫でつけた髪は妃花油の上品な匂いを残す。
粋人にも見えるが表情が乏しく、影の中に立つような暗澹たる気配。どことなく正体不明の印象である。
「我輩、南州から来たばかりゆえ道が分からぬ。案内願えるか」
「すいません、僕も詳しくありません」
男は頭を下げつつ言う。着ているものは高価そうだが、態度は丁寧というか卑屈というか、庶民臭のする男だ。ますます正体が分からない。
「むむ、そうか困ったな、通行人にでも聞くとするか」
「ああ、良かったら僕が案内しますよ、一緒に行きましょう」
声をかけるのは若い侍風の男。二本差しであり、ノリをかけたばかりのように角がピンと立った紋付を着ている。
他にもぞろぞろと、10人ばかり連れ立って移動。
「雷問での大規模な御前試合、僕はこういう機会がいつか来ると思ってましたよ」
若い侍は先頭に立ち、楽しげに語る。
「いよいよヤオガミにもクイズの時代が来るんです。大陸では多対多の大きな戦はもう起きないそうじゃないですか。剣より賢、血より智などと狂歌師は歌いますが、きっとこの御前試合で、有望なクイズ戦士を幾人も召し上げるおつもりなんです」
「ふん! 戦が無くなるなど、斯様なことのあるはずがない!」
ふんと鼻を鳴らすのは豪傑風の男。
「武士の本分はあくまで刀だ! 我輩は刀をもって白桜の城に力を見せつける!」
「ですが、此度の御前試合は雷問だとのお触れが」
「贅月であろう! あれには武士の心得や道徳の問題も多い! ようは恥ずかしくない程度に回答できれば良いのだ! これは南州の水と鉄で鍛えし業物。それを背負うを見れば、抜いてみよとの仰せがあるに違いない。あとは我が腕の冴えを見せれば良いこと!」
なにぶん急すぎる御前試合である。その開催の意図も全体の規模も分からない。参加者はあれこれ噂を述べつつ、優勝賞金の四船関はさすがに高望みとしつつも、士官の機会は十分にありそうだと、そのあたりの結論を皆で胴上げするように噂する。
「見えました、あれが柳町の会場のようです」
それはフツクニに集まる米などの集積地。白塗りの土蔵が立ち並び、開けた場所に観客もいる。階段席は流石に間に合わなかったのか茣蓙を敷いただけであるが、千人はいるだろうか。
「参加者の者ども! これより予選を行う! 十人ずつ行うゆえ、まず十人前に出られよ! 残りはそちらの白線に沿って列を作られよ!」
言われるが、参加者の一団はざわめきを見せ、その場に止まる。
それというのも有名な私塾の門弟だとか、大陸帰りのクイズ通だとかがめいめい名乗りを上げながら来たのだ。どの十人組に入るべきか、考えたくなるのも当然であろう。
「ではお先に」
だが、ほとんど迷いなく進み出るのが一人。群青色の羽織りを着て、背中には「至」の一文字。
「む、あれは至月楼の高弟ですね」
「それは何だ?」
「フツクニでもっとも大きな私塾ですよ。二千人からの門弟がいますが、あの「至」の字を背負えるのは十人にも満たないとか」
「おい、お前先に行けよ」
「おいふざけんな、あんな組に入れるかよ」
「失礼します」
と、人の壁を割って出てくるのは黒衣の男。のっそりと歩いて「至」の字の隣に並ぶ。
「おい、あいつ行ったぞ」
「ありゃ誰だ? かなり仕立てのいい羽織だが」
「ええい、ごちゃごちゃうるさいぞお主ら!」
と、次に出てくる豪傑風の男、次いで道案内を買って出た若い侍も出てくる。
「こういうものは一挙手一投足、すべてを見られておるのだ、最初の組に入る度胸を試されているに違いない」
「私もそう思います。しかし十人ずつの予選ということですが、何をやるんでしょうね」
やがて、観念したようにぽつぽつと歩み出る者が集まり、十人の横並びの列ができる。
「よろしい、では第一の組はこの十人で執り行う!」
司会の男は身分の高そうな侍。手元の紙を見ながら何かを言い聞かせるように語る。
「第一予選のルールは、早押し突破限定席クイズである」
司会者が言い、観客を含めた全員の頭上で言葉が踊る。
「これより貴殿らに贅月から次々と出題していく。前列の十人が早押しにて正解すれば、通過権をひとつ得られる」
司会者が列を指差す。
「お手つき誤答は通過権をひとつ失い、ただちに列の最後尾につくこと。そして列の先頭が補充として十人の並びに入る。これを繰り返し、50問を出題し終わった時点で終了とする。なお、第二予選、第三予選まで行い、当会場での通過者は5名ほどを予定している」
指差しで数を数える気配。そして列の後半のほうが慌てて手を上げる。
「も、申し上げます! それでは後列に並んでいる者は回答の機会もないのでは!」
「案ずるでない、後列にボタンを配布する」
そして後列にもボタンが配られる。列全体で20個ほど。3、4人で一つのボタンを持ち合う形になる。
「後列が正解した場合、いま並んでいる10人をまとめて列後方に送る! 出題の総数は変化しないため、純粋に通過枠がひとつ減ることになる! ただし、後列の人間がお手つき誤答を行った場合、その者は即座に失格となる!」
「なるほど、こりゃあえげつねえルールだ」
観客の一人が言う。
「お、おい、どういうこったよ」
「列が80人ぐれえだろ、その中から最大で50人の勝ち抜け。しかしだ、正解によって通過できるのは前列の10人だけ。しかもだ、前列が答えると通過権を一つ得る。つまり凄腕の回答者が二問三問と答えれば、それだけ通過者が減っていくんだ。ざっと見積もって、通過者は10人に満たないかも知れねえ」
「そ、そんなに少なくなるのか」
「まあ、後列に並んでるやつは誤答で一発退場だから、なかなか押しにくいだろうがな。それをコミで考えても15人ってとこだろう。この一次予選でごっそり減るぞ」
「そもそも三次予選までで5人だからな。一次で振り落として、興業としては二次と三次で何か見せてくれるんだろう」
「柳町の会場は奇抜なことが好きな大生豆屋の仕切りだからな、楽しみにしてようぜ」
「ふん! ようは答えればいいだけのこと! 前列なら失格はないのだ! 度胸で押すだけよ!」
「そうですね、うまく列が回れば四回か五回は前列に来れるでしょう。通過の機会は十分あります」
前列の男たちは配られたボタンを持ち、クイズ帽を被って前傾姿勢を取る。
(ここは、あの至月楼の男が取るだろうな)
(どうせダメで元々よ、攻めて攻めて押してやる)
「……」
何かのつぶやき。
豪傑風の男が、ふと脇を見る。
いつの間にそこにいたのかという錯覚。いや、たしかにこの男は至月楼の男に次いで二番目に出てきたはず。存在を忘れていたのか。
「……」
何かを呟いている。観客の声援の中でかき消えそうになる声で。
「何を言っておる?」
「……細工は」
「うん?」
「小細工は、させられない、イレギュラーな試合形式は、排除しなければ」
そして奇妙な印象。男の声には異様なほど沈鬱な響きがある。恋人と別れた直後のような。今日これから腹を切る覚悟のような。
「どうしたのだ、おぬし……」
「バラエティに富んだクイズをやるわけにはいかない。そしてこのルール、偶然か誰かの指示か、仕組まれた印象がある。このルールで勝ち抜いてみせろと挑むかのような。僕にそんな事をやらせるのか。できないと思っているのか。僕の覚悟を甘く見ているのか」
「な、何を……」
「第一問!」
司会者が声を張り、会場に水を打ったような静寂が降りる一瞬。
「ツララガモの羽/から」
ぴんぽん。
全員の眼が一箇所に集まる。
押したのは、黒衣の男。
「回答を述べよ!」
「鴨羽油」
「おお――正解!」
全員が目を見張る。あまりにも常識を超えた早押し。
そして黒衣の男は列を離れるでも、前傾姿勢を崩すでもなく、ただ目を閉じている。
視覚さえも遮断し、全感覚を聴覚に絞っている。
「第二問!」
※
「もし、ユーヤさんが贅月を勉強しているなら、恐ろしいことです」
ズシオウが言う。この会場はそれはそれでクイズの激闘が展開され、出場者の悲喜こもごもの戦いに皆が熱中しているが、ズシオウには目に入らないようだった。夢うつつのように言葉を重ねる。
「大陸でも贅月のテキストが手に入らないわけではありません。でも、ユーヤさんはいったいいつから、それを学んでいたのでしょうか」
「おそらく、ユーヤどのにとっては贅月が唯一、クイズ戦士として戦える種目でござる。いつかヤオガミに来て、クイズで戦う機会が巡らないとも限らない、だから学んでおいた可能性はあるかと愚行いたすでござる。すべての問題を丸のまま暗記しようと」
「でも、ユーヤさんはセレノウの人間としての責務があったはずです。異世界に来てからの貴重な日々であったのに。この世界のことを学んで、この世界に順応していくための大切な日々だったはずなのに」
その勉強はいつから始めたのか。
ラウ=カンに滞在していた頃か、シュネスか、パルパシアか。
それともさらにずっと前、ハイアードにいた頃、ヤオガミの国屋敷を訪れた頃、あるいはそれよりも前から。
身震いがする。
異世界に迷い込んだ人間が、そんなことに日数を費やして良いはずがない。
それでも学び続けられるのか。いつか役に立つと信じ続けることが可能なのか。その精神力は人間の域を超えている。
目頭が熱くなる。
彼の人生はクイズに捧げられたのか。この世界の美しい景色も、楽しい娯楽も、ろくに見ることも無く――。
「もし、ユーヤどのが贅月を学んでいるのなら」
ベニクギは、主君の震えを押さえながら言う。
「これはきっと、ユーヤどのが初めて見せる本気の戦いにござる。クイズ戦士として、我らの想像もつかぬ人生を歩んできた男の、最初で最後の本領にござれば、我々はそれを見届けねば……」
※
「だ――第三十七問!」
会場の空気はこの世のものとは思えない。騒乱、恐慌、狂熱、そして混沌。
「ま、待ておぬし! なぜそこまでする! もはや通過権などとっくに得ているだろう!」
「銀掘りの歌」
「せ、正解だ! 次! 第三十八問!」
参加者も観客も、もはや何も言えぬ。
その悪魔じみた早押しの前に、恐怖に身をこわばらせるばかり。
「6メーキ半」
「正解!」
これまで38問中、34問の正解、残りの4問は他の参加者の無茶な早押しによる誤答。
「あ、あなた、まさかすべて答える気ですか」
「予選の通過枠は五人なのだぞ! わ、吾輩はこのために南州から!」
「天示紋時計」
「正解! 続いて第四十問!」
それは神か悪魔か。
新しい時代を運ぶ創造者か。旧世界の破壊者か。
暴風のごとく吹き荒れるクイズの風。
セレノウのユーヤ。
この名がフツクニの都に轟くまで、そこから一時間とはかからなかった。




