第十六話
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数十万の人口を抱えるフツクニの都、その活気を支えるのは引きも切らぬ物流網の密度である。各州に伸びる街道筋には赤血球のように荷車が行き交い、荷を山と積んだ千石船が港に列をなす。
それは夜になってもやむことはない。妖精の明かりで周囲を照らす輸送馬車が、遠く街道を渡ってやってくる。
この日はまた様子が違っていた。北の街道に現れた黒い列。それは数十人の騎馬武者を従えた豪族の行列である。
「おい、本当にナナビキ様だぞ」
「比較的良好な関係の方とはいえ、百人の行列で乗り込んでくるとは……」
騎馬武者の前後には槍を掲げた歩兵。よく見れば槍の穂先は木で出来ている。非武装を表す木札槍と呼ばれるものだ。本物の穂先はそれぞれの兵士が携帯し、すぐには装着できないように布と綾紐で封印されている。
「噂だと、青水州のニナタカどのや辺鎖州のバイゴウどのにも声をかけたとか……」
「昨日の夜に使者を出したんだろ? 青水州なんて早馬でも三日はかかる距離だぞ」
「閘風船を出したらしい、あれなら12時間で行って帰ってこれる」
「妖精の力で走るってやつか、すごいな……」
「おい、あんたら聞いてるか!」
噂話を広げることに命をかけている、という風情で駆けてくる男がいる。すでに汗だくである。
「どうしたクマさん」
「興行の弥斗屋が人足を募ってる。1日で四分金6枚(約30000ディスケット)だってよ! 大生豆屋に七雲屋もだ!」
「うお……マジか。フツクニの興業士をぜんぶ動かす気か」
「お城の子請け仕事だろ。御前試合にどれだけ金子を使ってんだ?」
「紙問屋やら糊問屋やら何もかも大忙しだ、明日の朝までにすごい舞台を作るらしいぞ!」
「よし、こうしちゃいらんねえや! どっかで仕事にありつこうぜ!」
「おう!」
※
「やれやれ、やっと出られたぞ」
「こんな暗いとこに閉じ込めおって、色白になってしまったらどうする」
土蔵から出された双王は肩をぐるぐると回し、不満げに口をとがらす。
「君たちを連れてく余裕は無かったんだ。もともと君たちが撒いた種だろ、納得してくれ」
「まあ良い。土蔵の中でも雑誌のインタビューを3件と対談を2つこなしたからのう」
「この国の千両役者だとか着物のデザイナーと対談したのじゃぞ、本になったら読むがよい」
「対談した人もびっくりしたろうな」
ぱちり、と双王が同時に扇子を閉じる。
「それでユーヤよ、その顔はまた面倒事を背負い込んできた顔じゃな」
「……分かるのか?」
「ふ、もちろんじゃ、何年の付き合いじゃと思っておる」
「ひと月ぐらいかな」
双子を閉じ込めていた土蔵からパルパシア用の家屋へ移動。その間にかいつまんで説明する。塀に囲まれた戸建ての宿であるが、この時は荷車の走る音がやたら大きく聞こえた。物流網が加速している気配を感じる。
「ふむふむ、やはり御前試合に出るのか、そうなると思っておったわ」
「ヤオガミに来て2日足らずでそうなるとは、あいかわらず呪われておるのう」
半ばあきれる口調に、ユーヤも少し恥じ入るように頬をかく。
「双王さま、今回は本当に危ないかもしれないんです。誰がどんな陰謀を巡らせてるのかまったく分かりません」
ズシオウがずいと前に出てくる。
「双王さまに危害が及んでは申し訳が立ちません。できれば宿でおとなしく……」
「待つのじゃズシオウよ」
発言を遮るように扇子を突き出すのは、翠のユゼ。
「我らは我らで義務を背負ってヤオガミに来ておる。その陰謀とやら、パルパシアには直接関係ないのじゃろ。ならば我らは御前試合にはタッチせぬから、自分たちの仕事をさせてもらうぞ」
「え? ええと、まあ、そうしていただければ」
「よし、ではユギよ、さっそく出かけるぞ!」
言われて、きょとんと目を丸くする蒼のユギ。双子の間で、そのように意思決定にラグが生まれるのは珍しいことである。
「どこへ行くんじゃ?」
「決まっておろう。我らの主戦場。我らが渡り歩いて己の糧とすべき場所」
そこで一呼吸タメて、全員を見渡すように言う。
「えっちなお店じゃ!」
どどど、と背後のメイドたちが雪崩を起こす。
「……君らほんとに好きだな」
「何を言う、これも仕事じゃ。ヤオガミの文化を取り入れてパルパシアに持ち帰らねばならぬ」
「うむ、まあそうじゃな。芸能と色ごとは文化の魁。この機会にあちこち見ておかねばのう」
しゅた、と片手を上げる双子。
「そういうわけでユーヤよ、お主が忙しいなら連れては行けぬな、恨むでないぞ」
「連れてってくれとか一度も言ってないけど、まあ、うん」
双子はなぜか堂々と、胸をそらしながらその場を退場していった。
「……えっと、それでユーヤさん、どうされるんですか。これから贅月の勉強とか……」
「いいや、試合まで寝るよ。このところあまり寝てなかったし、早押しクイズには何より体調が大事だからね」
言われて、ズシオウは意外そうな顔になる。この人物が自分の体調を気遣うのを見たのは初めてではなかろうか。
脇にいたベニクギが口を開く。
「ユーヤどの、あまり根掘り葉掘り聞くことはせぬでござるが、ユーヤどのの世界でも、やはり早押しは盛んだったのでござるか?」
「そうだね……」
数秒の述懐。
その表情の変化に、ベニクギは複雑な変化を見る。あらゆる感情がひとまとまりになって行き過ぎるような。とても言葉では形容しきれぬものを表すような、わずかな瞳の震え。
「……すべてのクイズの中で」
「?」
「すべてのクイズの中で、早押しクイズだけが特別。早押しクイズだけが、他のクイズと違うんだ。それは何故だと思う?」
問われて、ベニクギとズシオウは少し考える。
「はい、分かりました」
あえて明るい声で手を上げるのはズシオウ。
「他のクイズは二人でもできますが、早押しクイズは三人以上が必要です」
「その通り、正解だ」
ユーヤは頷き、ベニクギも得心のいった様子で顎に指をあてる。
「なるほど、クイズとはもともと、出題者と回答者の二人だけで成立する遊戯。しかし早押しだけは違う。いかに早く答えるかを問う競技であり、回答者が二人以上いなくては早押しである意味がない……そういう事でござるな」
「僕もかつて、早押しを得意とする王に出会った」
じっと、その眼がベニクギに注がれている。傭兵はその視線を受け、やや身を固くする。
「どうしたでござるか?」
「いや……とにかく、僕もその王の真似をすることになるだろう。どこまで戦えるかは、分からないけどね」
「早押しの、王……」
ベニクギはその言葉がいまひとつ呑み込めない。それというのも、ヤオガミにおいてはクイズとは早押しクイズとイコールであるからだ。
「それはつまり、早押しを技術的に極めた王でござるか? 先刻の埋たちのように」
「そうかもね……」
ユーヤはあまり語りたくないようだった。ユーヤは己の経験や知識を話すのも責務の一つとしているようだが、この時は妙に舌が重い。
(……二律背反、という気配にござるな)
語らねばならないのに口が動かない。
知っているはずなのに思い出したくない。
そんな印象である。
「分かり申した。くどくどと説明を求めることはいたさぬ。休息が必要というなら、ゆっくり休むべきでござろう」
「そうですね、では私とベニクギも、この宿にお世話になることにします」
「ありがとう……では明朝」
ユーヤは襖を開け、布団の敷いてあった奥の間へと引っ込んでしまう。
「さあベニクギ、我々も休みましょう。きっと明日は、大変なことがいくつも起きそうです」
「承知にござる」
ベニクギは眠る気はなかった。
数日の不眠不休などこの傭兵には何ほどのこともないし、どんな因果でズシオウとユーヤが襲われないとも限らない。すべてが終わるその時まで、武において己の責務を果たそうと誓っていた。
夜はいよいよ更けていく。
しかし町は。
どこか遠くで起きている大火のように、眠ることのないクイズへの期待にざわめいていた。
※
日はどっぷりと海に落ち、夜の明かりがともる頃。
フツクニから馬で小半時。お堀に囲まれた一角に二階屋が並び、桃色や橙の灯火が幻想の蝶のように舞っている。それは妖精のともしび。
傾城町とか花街とか呼ばれる夜のにぎわい。フツクニの遷都に合わせて生まれた新しい街だけあって、立ち並ぶ妓楼はどれも真新しく、洗練されたデザインをしている。極彩色の着物を着た女性が男たちに呼びかける声。三味線と小唄、鈴なりに飾りをつけた馬と、位の高い花魁の大名行列ばりの歩み、それに集まる野次馬にはなぜか女性の姿も見える。
よく見れば恋人同士で遊びに来ている者も少なくない。大陸の楽器をかき鳴らす喫茶店や、ヤオガミに二軒しかない藍映精の映画館、クイズも楽しめる賭場など、猥雑なようでいて都会的な洒脱さも兼ね備えた遊戯場。この世界に独特の眺めであろうか。
「ほほう、これがフツクニの花街か、聞いてた通り洗練されておるのう」
双王はといえばひときわ高級な店の二階席に登り、綺麗どころを侍らせて美酒を楽しんでいる。みな化粧は薄く、目元と口元を際立たせる程度である。
「のうユゼ、なぜ花街に来たのじゃ? いや我も好きじゃけども」
二人は華美の極みのような手描き友禅を羽織っており、妖精の照らし出す室内にあっては宝石を散りばめたような輝きである。他の遊女たちもなかなかに高価そうな着物であるが、値段の桁が二つばかり違いそうだ。
「うむ、我はユーヤの話を聞いて考えておった」
「ほう?」
「この一件、裏に埋が暗躍しておる。それもフツクニの秘匿戦力である一流の隠密たちじゃ」
綺麗どころの花魁たちとスキンシップを交わしつつ、顔だけやけに神妙な様子で語る。
「うむ、聞く限りそんな感じじゃったのう」
「そやつらは明日の御前試合でもいろいろと悪さをするじゃろう。我ら双王がそれを阻止できれば、ユーヤも我らを褒め称えると思わぬか」
「えっ、い、いやそうじゃな、きっとそうなるじゃろう」
一瞬、目が点になりかけるが、あわてて双子の片割れに合わせるユギ。
「それで、なんで花街なんじゃ?」
「決まっておろう、男は大仕事の前に酒と女を浴びるものじゃ。恋人のおらぬ男は必ず花街に来るはず。埋とて例外ではなかろう。そこを我らが見つけて、こう……何かするのじゃ」
肝心なところがふわっとしていた。
「さあユギも見張るのじゃ。きっと忍者どもが度胸付けのために遊びに来るはずじゃ」
「う、うーん、そうかのう……」
実のところ、ユギには埋というものの実在がまだピンと来ない。
まずもって言うならば埋とはヤオガミ風の言い方であり、大陸では単純に忍者とか忍びとか呼ばれる。
しかしヤオガミが国交を絞っている現状、忍者という言葉は「架空の存在」というニュアンスを含んでいた。
もちろんパルパシアでも密偵ぐらい抱えているし、ヤオガミにも同様の隠密集団がいることは知っている。
だがそれに先立って創作本や映画のイメージが強くのしかかる。それは巻物をくわえて術を使ったり、巨大なカエルに乗って崖を飛び越えたりする存在で、現実の忍者を見たことはない。
「というより黒装束で来るはずもなし、我らが見たってわかるわけが……あっ」
だがそこは双王。
持ち合わせている運の量が桁違いである。格子窓の外に扇子を向ける。
「あの三人の男……」
「む、どうしたユギよ」
「歩き方がプロじゃ。淡い小袖がまるで着こなせておらん。髷も結っておらんしやたらに肉付きがいい。シロウトではないのう」
「なるほど、おお、ひときわ高そうな店に入りおったぞ。「戸隠屋」か」
「店構えから見て、金さえ出せば庶民でも受け入れる店じゃな。金は持っておるが、自分たちの素性を知られたくないという事かの。ますます怪しい」
「なんだか映画みたいになってきたのう」
「正直テンション上がるのう」
すべて決めつけと言ってしまえばそれまでであるが、双王は店を出て、堂々と正面から「戸隠屋」へと入っていった。




