第十五話
ぱん、と音が鳴り、熱狂しかけていた鍛冶職人たちがはっと静まる。それはクマザネが両手を強く打ち合わせた音だ。
「クロキバ、琉瑠景時を持ってこい」
「御意」
黒衣の忍者はのっそりと立ち上がり、ベニクギの脇に置かれていた刀を引っつかむ。緋色の傭兵は血が出るほどに頬の内側を噛み締めていた。
「ま、待ってください!」
立ち上がるのはズシオウ。喉の下あたりで拳を握り、悲愴な声を上げる。
「それはベニクギの魂です! 唯一無二の刀なのです! どうか没収までは」
「ズシオウ様、これは拙者とそこの埋の……」
「なあズシオウよ。そもそもの話、なぜお前がそこまでベニクギに肩入れする?」
「え……?」
クマザネは刀を受け取ると片膝を立て、そこに頬杖を置く構えになる。円舞台にいるベニクギを冷徹に見下ろしつつ言う。
「かつてそこのロニは国を捨てた。思い出すのも疎ましいあの人斬り、辺鎖州の蜥蜴ごときとロニの座を奪い合い、そのおりに気が触れたあやつを取り逃がし、責任を取るように国を出たのだ。それがなぜお前と主従の誓いを結んでいる。なぜ国屋敷の旗印たる至宝、琉瑠景時を与えた」
「刀を与えたことは書簡にて許可を得たはずです!」
「そうだとも。国屋敷の主は国を代表する立場だからな。表立って反対などせぬ。だが私とお前の考えがすべての場合で同じであるはずもない」
「今さらそのようなことを……」
(何のつもりだ)
ユーヤは。
この豪胆なようで、それでいて子ねずみのような過敏さも併せ持つ男は、クマザネの気配に違和感を覚えている。
「ズシオウよ。お前も分かっているだろう。ベニクギは強すぎるのだ。天が与えたというのも陳腐な言葉だが、まさに呑舟の魚。人格も知性も余人とは一線を画す、それは認めざるを得ぬ」
「何を……何を言われているのですか、父上」
(なぜ、僕を見る)
たとえ視線を向けていなくても。一言も自分への言及がなくとも感じ取れる。クマザネはユーヤに意識を向けている。ほぼ常に、間断なく。
(警戒しているのか……? だがそんな雰囲気でもないような)
周りの職人たちは動けない。石のように沈黙している。それはクマザネとズシオウの間に流れるただならぬ気配のためか。
「先程も言っただろう。もはやヤオガミに刀は要らぬ」
物憂げな、重たい息を吐きつつ言う。
「ヤオガミの懐刀という意味でもだ。ベニクギ、お前はもはや時代にそぐわぬのだよ。私の目指す理想の時代にな」
はっと、ベニクギが周囲を見る。
その視線の先をユーヤも見る。丈高い樹の上、切妻屋根の棟(三角形の頂点部分)の向こう。どこかの工房の窓の奥にも。
(埋どもが配されている……咥えている長筒は吹き矢か、投網を構えている者も……)
「クマザネどの……そこまで拙者を」
「抵抗は無駄だ。いや、暴れても構わぬが、その際はすべての責をズシオウに負ってもらう」
「ぐっ……!」
「お、おい、今の話どういうことだ」
「刀はいらないって、それに、周りに埋の奴らが集まってるぞ」
(……この里の刀鍛冶も知らないのか?)
この里はフツクニの軍事力を支える要と聞いている。それにヒクラノオオカミが安置されている土地でもある。
そうでありながらクマザネの開国論を知らない。
(おかしなことはいくつもある。フツクニの軍事力増強の話と、刀は要らないという発言はどう結びつく?)
(人に恵まれた君主と聞いているのに、彼以外の誰も知らないような大胆な開国論を温めていた?)
(それに御前試合だ。明後日までに各豪族に早馬を飛ばして出場を募るという)
(まったく根回しも打診もしていないだと。長い年月をかけた陰謀があるわけじゃないのか?)
だが、どうやら。
自分のやるべき事は見えてきた。たとえ全容が霧に隠れていても。
「持ってくれ、将軍」
ユーヤの言葉に、クマザネが弾かれたように瞳を動かすのが見えた。
「何かな、セレノウのユーヤどの」
「僕と賭けをしないか。その賭けが終わるまでベニクギに手を出さないでほしい」
ユーヤの黒目がさらに闇に近づくような一瞬。
こらえかねたようにクマザネから漏れる「喜」の感情を、ユーヤの観察眼がはっきりと読みとる。
(なるほど、狙いは僕なのか)
(これ見よがしにズシオウとベニクギを苦しめて、僕が割って入るのを待っていたのか)
(自分から勝負を持ちかけなかったのは、僕に言わせたかったからか? 異世界人と知っている相手にクイズ勝負を持ちかけるなど不自然だから、というのもあるか)
「ほう、セレノウのユーヤよ。この私と賭けをするのか」
「そうだ、そこのクロキバと改めて勝負したい」
「ふむ、いろいろと聞いているぞ。お前は誰も予想がつかぬような奇怪な手口を使うらしいな。クロキバの実力に疑いはないが、一回限りの勝負をさせるのはさすがに不安が募るというもの」
「ならば、僕も御前試合に出よう。そして優勝する。それを賭けにするのはどうだ」
快活そうなクマザネの口元、それがひきつるように動くのが分かる。クマザネは開けた口に小鳥が飛び込んできた鰐のよう。二重三重に用意していた言葉の罠が、今まさにユーヤを絡め取った確信に打ち震えているように見える。
「ユーヤどの! 止めるでござる!」
当然、そのようなクマザネの変化に緋色の傭兵が気づかぬはずはない。
「今はっきりと分かった! クマザネどのの目的は最初からそなたにござる! あの埋はユーヤどのの」
「ベニクギ」
けして声を張らず、早口でもなく。
碁石を置くような静かな声がベニクギを黙らせる。
「この場は黙っていてくれ。僕に決めさせてほしい」
「ゆ、ユーヤどの、しかし……」
「将軍。僕も御前試合に出る。賭けの条件を決めよう。僕が優勝したなら、あなたが変えようとしている全てを無かったことにしてほしい」
「全てか。私にそれだけのものを賭けさせて、お前が負けたらどうする」
「僕は……」
ユーヤは、そこで少しだけ言いよどむように見えた。
(ユーヤどの……)
ベニクギはその内心の葛藤を察する。ユーヤはもはや自分で自分の体を好きにできる身分では無いのだと。軽々に自分の身柄を賭けの皿には乗せられないのだと察する。
「……僕にできる範囲で、あなたの言うことを聞こう」
「ユーヤさん……」
ズシオウも同様のことを察していた。
この世界に呼ばれただけの異邦人、その彼がなぜ全てを差し出してまで戦ってくれるのか。なぜそこまでクイズのために生きられるのか。そこには畏れと同時に憐憫もある。
クイズに全てを捧げた。
その言葉の意味を噛みしめる。
「ふ……いいだろう。実のところ、謹慎を破ったカドでベニクギを捕縛しようと考えていたが、この場は矛を収めてやろう」
クマザネは立ち上がり、湧き上がる興奮を抑えかねるように口角を上げる。
「予選の開始は明朝、昼四の刻より始める。ゆめゆめ欠席することの無きように」
※
「あれはメタ的な読み、早押しクイズにおける技術だ」
贅月の分厚い本を前にユーヤが語る。
場は畳敷きの広間。縁側には隈実の里の風景が見えているが、いつも聞こえるはずの槌音、そしてカナヤゴの歌が絶えている。
「僕が見たところほぼ最速だ。特に列挙問題でのマイナー押しを完璧にやれている。問題文の暗記はもちろん、押しもきわめて正確だ」
「ユーヤさん、マイナー押しというのは?」
「いわゆる列挙問題。色の三原色と言えば赤、青、あと一つは? という問題があるとする」
「ええと、それは混ぜ合わせるとどんな色でも作れる三色のことですね。ヤオガミでは彩組と言います。答えは黄色です」
「この問題の場合、一見すると「赤、あ」が確定ポイントになりそうに見える。しかし実際は黄色が問われることが多いので、三原色のことを聞かれていると判断した時点で黄色だと答えられる。これをマイナー押しとか、順序押しとか、仲間外れ押しと言う」
「そう、かも知れませんが、ヤオガミでは誤答を嫌いますからね、なかなかそのタイミングでは押せないです」
「加えて言えば贅月は答えが固定されている。もし全ての問題で「赤」「青」という答えが存在しないなら迷わず押せる。実際にはもっと複雑だが、あの忍者たちは贅月を徹底的に研究して早押しポイントを割り出したんだ」
「そんなことが……」
「面目次第もござらぬ!」
ベニクギは畳に額をつけ、肺から息をすべて吐くように言う。
「すべて拙者の不覚。拙者の読みが甘かったのでござる。クマザネどのの目的は、最初からユーヤどのであったのだ」
隈実の里にて借り受けた館、その一室にての会話である。そのようなベニクギの三拝九拝、深い謝罪は何度も繰り返されている。
すでに刀鍛冶の里も仕事どころではないようだ。クマザネが言っていた開国論についてが3、御前試合についてが7の割合で、すべての里の人間が議論を交わしている。
「ベニクギ、ユーヤさんが目的とはどういう意味ですか?」
「クマザネどのの言う開国論とは、つまりヤオガミを大陸のルールに変えるという意味でござる。クイズがすべてを決める世界。力ではなく知恵で事をおさめる世界。そしてヤオガミの統一を、クイズによって成し遂げる気なのでござる」
沈痛な表情である。なぜそこまで考えなかったのか、と自分に腹を立てている顔だ。
「そしてユーヤどのに目をつけた。国屋敷からの報告は逐一国元に届けられている。我々も報告を上げたハイアードのことはもちろん、シュネスでのことも、パルパシアやラウ=カンでの戦いも伝わっていたのでござろう。その戦い方を徹底的に調べ上げ、雷問に、贅月の攻略に利用したのでござる」
「……」
ユーヤは黙って聞いている。一度、他者の視点からすべて聞いておきたいようだ。
「そしてユーヤどのの力を十分に把握している。ユーヤどのさえ手中にできれば、あるいは他国とのクイズですら勝利できると踏んだのでござろう。そしてヤオガミは開国し、大陸と渡り合っていけると」
ベニクギのその忸怩たる顔は、そこまですらすらと説明できてしまうことにあった。
そこまで説明できるのに、なぜ事前に予想できなかったのかを悔やんでいる。
「……買いかぶりだよ。僕がいても他の国とクイズで戦えるわけじゃない」
「左様、今の段階での開国はあまりに危険な船出。クマザネどのの一存で決めていいことでもござらぬ」
「……ひとつ疑問なんだが、軍事力増強という話と、刀は要らないという話はどう結びつくと思う?」
ユーヤが問いかける。
それは元々、鎖摺をもとに双王が導いた推測ではある。しかしまったくの間違いということも無かろうと思われた。
「そうでござるな……軍事力増強とはつまり鉄の確保でござろう? 鉄はヒクラノオオカミを安定させるために必要のようでござったし、もし刻刀をフツクニが集めていると察せられれば、豪族たちは反感し、鉄を買い漁る恐れもある。そうなる前に可能な限り手元に集めておく……そういう計画でござろうか」
「……それなら辻褄は合うな」
こじつけようと思えば何とでも言える。
例えば貿易拡大のために鉄造船を作る計画があるとか。クイズでの支配をほのめかしておきながら、軍事力での支配も同時に目指していくとか。
だが、そんな推測の中に正解があるのかどうか。
「とにかくフツクニに戻ろう。本来、ここにはヒクラノオオカミがいるかどうかの確認に来ただけなんだ。もう滞在する意味はない」
「ユーヤどの、本当に明日の御前試合とやらに出場なされるでござるか」
「そう約束したからね」
ずい、と膝を詰めて、ベニクギがユーヤの二の腕を取る。
「ユーヤどの、いくらなんでも贅月での雷問ができるはずがござらぬ。有力なるクイズ戦士はそのすべてを暗記しているのでござるよ」
「何とかなるさ。さあ、もう行こう。暗くなる前に双王を出してあげないとね」
ユーヤはゆるりと手を払い、席を立って部屋を出てしまう。ベニクギも仕方なく後を追った。
「ユーヤどの……いかにユーヤどのでも、今回ばかりは」
「……あれ?」
ふと、ズシオウが小首をかしげる。
「ユーヤさん、贅月できませんよね」
「勿論にござる。いかにユーヤどのでも今から勉強して間に合うはずもなし。贅月には数学や図形の問題も多少あるが、それだけで戦えるわけも……」
「そうですよね、できませんよね」
「ズシオウ様、どうされたのでござる?」
「いえ、あれ、えっと……さっき、何かがあったような……」
外に出ると蝉の声が意識された。里のあちこちを人が小走りで駆けていき、辻では数人の男が額を突き合わせて話をしている。
祭りの予感が降りていた。
ヤオガミを包み込み、沸騰させるような、熱い祭りの予感が。




