第十四話
※
「のう、ユゼ」
「どしたんじゃ?」
土蔵の中は暗い。降り積もるような静かな闇で満たされ、高い位置にある小さな窓だけが世界の全てに思える。その中で双子はごろんと寝そべっている。
「おぬしユーヤをどうしたいのじゃ」
「そう真正面から聞かれると返事に困るのう」
寝転んだ二人に色の区別はつかない。どちらがどちらともつかない闇の中で、手探りで互いに手を伸ばし、指を絡めて握る。
「できればパルパシアに連れ帰って遊び相手にしたいがのう」
「セレノウの姫君のことはどうするんじゃ。形だけとはいえ結婚しておるぞ」
「そんなもの何とでもなる、パルパシアの快楽の沼に漬けてしまえばのう……」
言っていて、言葉に実感がこもってないと感じる。
確かに、かの双子都市はこの世の快楽すべてを煮詰めた眠らずの都、多くの政治家や大芸術家がその魔力に囚われてきた。
だが、あの異世界人にそれが通じる気がしない。
「ユーヤ自身が悦楽をまったく解さぬ朴念仁というわけではないのじゃ。ただあやつは、自分の意志より大きなものに支配されている、という感じじゃな」
「うむ……快楽だけではない、どのような苦痛でも金銭でも動かせぬじゃろう。義務感とか責任感とか、そんな言葉でも説明できぬ。あやつはクイズと何かに支配されておる」
「ヤオガミのあとはセレノウへ行くじゃろうな、止める手立てが思いつかぬ」
そして沈黙。
やがて、ユギはのっそりと上半身を起こして言う。
「どーするんじゃ、ユーヤの結婚式でも見物に行くのか」
「それも一興……と言えれば楽なんじゃがのう」
かつては、ユーヤが結婚していることなどどうでも良かった。
そもそも相手が既婚か独身かなど頓着する双王ではない。それはパルパシアの国民性でもある。
だが、今はもどかしい。
ユーヤが自分のものではないこと。自分ではないどこかを見ていることに心がざわめく。
嫉妬という言葉が適当とも思えない。自分のものではない家に住んでいるような。球体の上に立っているような不安定で不安な感覚。そんな感情が渦巻くことも意外だった。
「ユーヤは、あの偏屈な男だけは我らの力が及ばぬ」
「うむ、あやつは自分の意志で動き、我らと関係なく事件に巻き込まれ、それを解決していく。口惜しいことよ」
仲間外れ。
そんな言葉が浮かび、浮かんで見ればそれはしっくりとはまるような気がした。では自分はどうすればユーヤの仲間になれるのか。一緒に遊ぶことができるのか。
ユゼは、この西の果てからユーヤを追いかけてきた王女は、闇の中で天井を見つめる。
おぼろげながら答えは見えている。だが、それは遠く険しく、超えられるかも分からぬ峻厳なる山のよう。
「クイズ王になればよいのじゃ」
「王に?」
「あやつは常にクイズ王のそばにおる。それがあやつの生き方であり人間性。あやつの視線の先に我を置きたい。あやつが目を逸らせぬほどのクイズ王になりたい」
「じゃがどうするんじゃ、御前試合に出るのか? 我らは贅月を覚えておらん。ほとんど丸暗記してる侍たちとは戦えんぞ」
「戦う相手と場所は、我らが生み出せば良い」
双子はどちらからともなく抱き合い、暗闇の中で一つの生き物になろうとする。
「我らに相応しい相手を、我らだけが行けるクイズの覇道を……」
※
クイズ文化の流入とはどういうものを指すのか。日常のあちこちでクイズを見かけるだけではない。庶民のクイズ戦士への憧憬、その戦いへの関心の高さもあるだろう。
隈実の里の中央。いくつかの石造りの長椅子が同心円状に組まれた集会場である。
そこには百人からの職人たちが集まっている。みな引き締まった筋肉を持ち、肌は鍛造の火に焼かれて浅黒い。汗を止めるために分厚い手ぬぐいを額に巻いた者や、グローブのような厚手の革手袋をはめた者もいる。
職人気質の厳しい顔であるとか、ふいに仕事を中断されて不機嫌であるとかそんな様子があまりない。誰もがざわざわと勝負について話し合い、好奇にまるまると膨らんだ目をしている。
「おいおい、ロニどのが本当に戦うのか」
「しかも相手は埋の筆頭だってよ。クイズできるのかよ」
その中央には円形の石舞台。そこに緋色の傭兵、ベニクギ。そして黒衣の忍者、クロキバが向かい合って座している。互いに円筒形のクイズ帽をかぶり、薄紫色のボタンを目の前に置いている。
集会場の東西には木組みの上に畳を置いた観覧席が組まれ、東側にはクマザネ、西側にはユーヤとズシオウが座っている。そのような席をすぐに用意できるのも職人ならではだろうか。
司会を務めるのは若い職人。白作務衣を着て烏帽子帽に似たものを被っている。
ユーヤから見ると神事を務める服装のように見えるが、この世界でも刀鍛冶は神職に通じるのだろうか。
「僭越ながら贅月の抜粋、および出題を担当させていただきますテツハネと申します。出題は7問先取、お手つき誤答は2回まで許容いたしますが、3回目は失格とさせていただきます」
観客がわずかにざわめく。
「2回まで間違えていいのか、雷問って誤答は御法度じゃなかったか?」
「祭りの余興なんかだと1回休みのルールもあるが……」
それはユーヤから提案したルールである。雷問ではお手つき誤答が即敗北になるルールも珍しくないらしいが、なるべくユーヤの知る形式になるようにと、7問先取の誤答3回での失格、すなわちナナマルサンバツでの試合を提案した。
「なお……誤答の際は問題は終了にならず、もう一方に回答権が残ります。どうぞ最後まで聞いてから押されますようお願いします」
エンドレス方式と呼ばれる出題形態である。誤答の際の取り扱いは決まってないとの事なので、ユーヤが提案した。
(……といっても、誤答を覚悟して攻めて押す、という戦術はベニクギには無理かも知れないが)
ユーヤはズシオウと並んで座る。隣りにいるズシオウは正座しながらも上半身が前にせり出すかのようで、力が入っているのが分かる。
「ユーヤさん、見ててください。いつぞやの勝負では一度限りの創作問題を使いましたが、この贅月での勝負こそヤオガミの真骨頂なんです」
「ああ、しっかり見させてもらう」
「ベニクギよ、試合の前に何を賭けるか決めようではないか」
クロキバが言う。ユーヤの見立てでは彼は30半ば、狼のようないかめしい顔つきであり、明朗ではっきりとした発音はあまり似合わない。意図的にはきはきと喋っているのだと感じる。
「賭けでござるか」
ベニクギはさっとクロキバから目線を外し、長椅子の一つに腰掛ける将軍を見つめる。
「拙者が勝てば先の発言は一旦思いとどまっていただきたい。老中や大勢の家臣と話し合い、意思を統一させていただきたく」
「ああ分かった。お前が勝てばそうしよう」
「拙者が負けたならロニの返上にござるか」
周りの職人たちがどよめく。輪になっている客席の中で無数の言葉が回転するかのようだ。
クマザネは小首をかしげ、疑問をつぶやく。
「そもそもロニを返上して何の意味がある。お前の強さは大勢が認めておる。他の侍がロニを名乗ったとしてお前の強さまで消えぬ。ロニとは目に見えぬ玉座だ。お前が生きている限り誰も座れはせぬ」
「では……何を」
ユーヤはわずかに息を呑む。
腕の一本でも斬り落とせと言うのだろうか、あるいは命までも。
しかし、そこまで想像しているのはユーヤだけのようだった。誰もここで、血が流れたり命のやり取りが起きるなど想像もしていないように見える。
クマザネはたっぷりと間を置いてから、鎚を振り下ろすように言う。
「琉瑠景時を渡してもらおうか」
「……ッ!」
ベニクギはぎしりと奥歯を噛む。その脇に置かれた刀が、会場のどよめきに共鳴してちりちりと鳴る。
「ズシオウ、あれは貴重な刀なのか?」
「はい、隈実衆が今まで鍛えてきた中でも最高の一振りとされています。百年余り様々な剣豪の手を渡り歩きましたが、一度たりと輝きが失せることはなく、一度たりと研ぐ必要が無かったとか……」
それは誇張した伝説だろうか。
あるいは神の力が込められた鉄なればそれも起こりうる事象なのか。ユーヤにはそこまでは分からない。
「ベニクギよ、この勝負、座興とはいえヤオガミの政を左右しようとしておる。お前もそれに値するものを賭けるのが道理だろう」
「……承知、いたし申した」
いくら賭けの天秤が釣り合わないからと言って、自分の家族を天秤皿には乗せられない。そんな感覚であろうか。
刀は武士の命、賭け草にするだけでも断腸の思いであると――。
「では……そろそろ勝負を始めさせていただきます。お二方、準備はよろしいでしょうか」
「構わぬでござる」
「いつでも」
あらかじめ贅月から抜粋され、司会者の手元にある20あまりの問題。
そして、第一問が。
「問題、ヤオガミで最も高い山と/い」
ぴんぽん。
クイズ帽から蛇を打ち上げるのは、クロキバ。
「お答えをどうぞ」
「酒々楽山」
「正解です」
ざわめきと喝采。職人たちのごつい手が拍手を送る。
「……? ユーヤさん、今のは押すのが早すぎませんか?」
「……なぜそう思う?」
「ヤオガミで一番高い山は白妙山ですが、というのが前振りですよね、その後は」
――ではヤオガミで2番目に高い山は?
――では大陸で一番高い山は?
――ではヤオガミで一番低い山は?
「この3つの可能性があって、すべて贅月にあります。酒々楽山というのはヤオガミで最も低い山です。4メーキしかありません」
「……おそらく、司会者のイントネーション」
「抑揚ですか? どういうことなんです?」
「あれは司会者が贅月から抜粋し、文章を再構成させた問題だ。読みの練習もやってるだろう。一般的に、聞きたい部分と前振りのイントネーションは呼応している」
「呼応……」
「そう、例えば「ヤオガミで」にアクセントが乗っているなら、そこと呼応する部分が主たる問いかけになる。ヤオガミと大陸が呼応するので、つまり続きは「では大陸では」となる」
「あ……なるほど」
「「一番」にアクセントが乗ってれば「では2番目に」と続く可能性が高い。「高い」に乗っていれば「低い」が呼応する。今の読み、わずかに「高い」にアクセントが乗っていた」
「そんな予測が可能なんですか!?」
「可能だ……僕のいた世界でも、クイズ戦士たちはそういう部分に注目してきた」
クロキバは正解を重ねている。それに対してベニクギは動けない。
それは無理からぬことだった。誤答を極端に嫌うヤオガミの傾向は、踏み込んだ早押しをする際には足かせになる。
「次の問題……なで肩、/」
ぴんぽん。
「な――」
蛇を打ち上げるのはクロキバ。ベニクギが驚愕の声を漏らす。
「おっと……クロキバどの、お答えをどうぞ」
「棚娘舟」
「正解です」
「おい、あの埋何者だ!? なんてとんでもねえ早押しだよ!」
「あのベニクギ様が手も足も出ねえなんて……」
「ゆ、ユーヤ様、今のは何なのですか、まだ答えが絞りきれる段階ではないはず」
「……そう思うか?」
「と、当然です。なで肩という言葉が含まれる設問は「蜃気疼痛」「釣り鐘力士」などもあるはず」
「今のは「なで肩、塩又、泥釘などの櫂が用いられる、浅い川を通行するための平船を何と言うでしょう」という問題だ。一見すると「なで肩、し」が確定ポイントになる」
「そ、そうです、まだ次の1音は聞こえていなかったはず」
「なで肩、のあとにわずかな空白があったからだ。それで名詞を列挙する前振りだと察した。だから確定ポイントは「なで肩、」になるんだ」
「そ、そんなことが……」
「だが確定ポイントを知っていれば押せるわけじゃない。あの忍者はやはり、只者じゃないんだ」
すでに得点は6対0。追い込まれている状況の中でズシオウは勝負のことしか見えていない。今のユーヤの発言に疑問を持つ余裕もない。
「第七問」
異様なことが起きているのは司会進行のテツハネも分かっている。しかし隈実衆の職人として、司会を任された者の矜持として、あくまで淡々と勝負を進めようとしている。
「緋色から始まる色の並びが」
ぴんぽん。
押したのはベニクギ。
(緋色から始まる色の並びが特徴的な、芳葉屋の扱う顔料組と言えば何。答えは)
「紅山風、にござる」
「う……」
司会者は一度、激しい苦痛をまなじりに浮かべ、何かを断ち切るように言う。
「ふ、不正解です!」
「何――」
ぴんぽん。
と、押すのはクロキバ。司会のテツハネは焦って言う。
「く、クロキバどの、回答権は残っておりますが、問題を最後まで聞いてから答えられても構いませんが」
「必要ない。おそらく問題はこのように続く。「緋色から始まる色の並びが特徴的な顔料組と言えば紅山風ですが、その名の元になった「紅に山風」というのはどの山を指す言葉でしょうか」
「答えは。千具山」
「せ――正解!」
わっと、すべての観客が立ち上がる。
あまりにも劇的な七連先取、興奮と感激の声が湧き上がる。
「速読メタ……」
ユーヤがつぶやく。
問題文が速めに読まれていることから、問題文全体が長いことを察知する技術の一つ。
だが周囲はユーヤなど見ていなかった。観客たちはクロキバへと殺到する。その勝利を称えようと背中を叩き、クロキバも愛想笑いで応じている。ズシオウは畳に手をかけ、その細い指でい草をぎしりと握る。
(――そうか)
そしてベニクギは。
この緋色の傭兵は、膝頭を掴んで敗北の恥辱に耐えつつ、思考している。
(今、分かった)
この男。黒衣の埋の正体を。
そして大変な熱狂の中でただ一人、ユーヤのほうへと喜悦の視線を伸ばすクマザネに気付いていた。
(この埋は。ユーヤを再現している)
(クマザネどのは、ヤオガミをクイズの世に変えようとしている)
(ユーヤの力で、それを支配しようと――)




