第十三話
「大将軍、クマザネ……」
「将軍でよい。クマザネは家名だが、私の名という気がしなくてな」
大将軍である人物は前に会ったときと同じ、裃を着て髷を結い、快活そうな顔をしていた。横にいた黒装束の人物を指差す。
「この者はクロキバ。埋の元締めを任せている」
「彼はヤオガミの忍びなのか」
「そうだ、そして……」
見れば、背後にいる赤い狼はきらきらと輝く何かに寝そべっている。
それは刀身である。柄から抜かれた鉄無垢の刀身部分が山と積まれている。
反りは優美であり刃文は霜のように自然、ユーヤですらそれらが業物だと分かる。ぞっとするような美しさ。
「将軍……あなたは今、「本当に来たのか」と言ったが、僕たちが来ることが分かっていたのか」
「クロキバがそう予見した」
その埋は両手を後ろに回してじっと立ち尽くしている。浅黒い顔には研鑽を重ねた人間が持つ厳しさが張り付き、まるで彫像のように動かない。
「ズシオウが拐かしにあったなら、賊はこの地に現れるとな。私もこのオオカミの様子を見に来たかったし、まあ、丁度よかった」
「父上、この方たちは……」
将軍はひらひらと手を振る。
「無事ならそれで良い。そんなことよりセレノウのユーヤよ。私に何か聞きたいことがあるのではないか」
「……」
ユーヤは内心戸惑っていた。
将軍の態度に敵意は感じない。それどころか好意のような、歩み寄る気配まで感じる。ズシオウが拐われたことはどうとも思っていないのだろうか。それを訝しむ。
「……そのオオカミが、ヤオガミの神なのか」
「そうだ、他に似たような存在がいるのかは知らん。こやつは一度も口を利かぬが間違いない。ヒクラノオオカミだ。その毛並みは燎原を走る火のごとく。その眼差しは中天に在る陽のごとく。ヒクラとは陽の座、太陽を安置する御座を指し、このオオカミが太陽を東から西へ運ぶと言われる」
だが、と、将軍は立ち上がり、その毛並みを撫でる。目算では体長10メーキはあるだろうか。あの仙虎や、シュネスで見た竜ほど大きくはないが、自然の生き物とは隔絶していると分かる。
「だが、弱っている」
わずかに開いた目は白く濁り、頬や尻の肉がたるんできて皮膚はだぶついて見える。かなり年老いており、生気は薄れて見える。
「高齢の神……なのか?」
「そうではないな。記録によればつい百年前までは若々しく雄々しかった。妖精の王に若さを奪われたのだよ」
「妖精の王に……」
「ヒクラノオオカミは鉄を司る神だ」
ふいに、そんなことを言う。
「かつてヤオガミの地は資源に乏しく、人々は鉄を得るために川床から砂鉄を集めねばならなかった。その地にヒクラノオオカミが降り立ち、山に息吹を吹きかけ鉄を与えたと言われる。わかるかセレノウのユーヤよ。ヤオガミで取れる鉄には神の力が含まれている。高熱を加えて何度も鍛えることでその力は純度を増し、刻刀と言われる名刀になるのだよ」
「では……そこにある刀は」
「その通り、すべて刻刀だ」
長刀だけでなく、槍の穂先や薙刀の刃。肉厚の包丁などもある。オオカミは刃の上に寝そべったまま、わずかに息をしている。
「命を永らえさせているのだ。今まで与えた刀は千本あまり、これを初めてからようやく衰弱が止まった。回復へと向かっている、という印象はないがな」
「では、そのために刀を集めていたのか」
「そういうことだ。さてここで長話をするのも良くなかろう、外で話そう」
※
堂を出て崖に沿って進めば、なだらかな階段が見えてくる。
一段が1メーキほどの幅がある石の階段であり、将軍たちとユーヤの一行は適当な間を空けてついていく。
「将軍……ひとつ聞きたい」
「うむ、何でも申されよ」
「あなたはヤオガミの鏡を使っているのか」
「使っておらんよ。過去に使われたという記録も見たことがない。そもそも鏡に特別な効果があるなど私も知らなかった。ハイアードの一件とシュネスでの一件。ズシオウから報告を受けて知ったのだ」
「……」
(感情が読めない……)
それはずっと続いている。大将軍クマザネという人物は内心を隠しながら話すことに長けているようだ。
ユーヤに何かを隠しているからか。それとも全ての場面でそのように話しているのか。それも分からない。
「ズシオウに持たせている以外に鏡はあるのか」
「ある」
それは意外な言葉だったのか、ユーヤの後ろを歩いていたベニクギが数瞬、警戒の色を示す。
「あれによく似ていて、少し大きいものが将軍家に伝わっている。存在を知られるべからずと言い伝えられていて、宝物庫の奥深くに安置してある。肌見放さず持ち歩くには大きいのでな、ズシオウには小さい方を持たせている」
(やはりあるのか、その情報をここで明かすとは……)
「……ズシオウに小さな鏡を持たせている理由は」
「将軍家の身分を証立てるためという言い伝えがある。それだけだ。他に理由などない」
石の階段はゆるゆると続き、あたりには松の木が現れる。岩に根を張って踏ん張るような見事な松。階段は青に近い岩肌となって続き、隈実の里を見下ろす石と松の空間は、独特の美意識と調和を持っていた。
「ズシオウを生け贄に捧げるとでも思っていたか?」
「いや……」
「あれは大切な世継ぎだ。国主代理としてハイアードの国屋敷を任せているし、各国に外遊に出している。鏡にどのような効果があったとしても、その身を捧げるなどあろうものか」
一分の隙もない。
ユーヤが抱いた印象はそれである。
刀を集めていたのはヒクラノオオカミを助けるため。
鏡の効果について将軍は知らず、ズシオウを捧げるつもりもない。
鏡があと1度の使用で砕けるという華彩虎の言葉。あれはつまりヒクラノオオカミが弱っているためであり、鏡の濫用など無かった。
ユーヤですら、その答えに縋りたくなる。
「……シラナミのことはどうなんだ」
「うん?」
だが、この偏屈にして強情な性根を持つ異世界人。
あらゆることを警戒せずにはおけない。
「シラナミは夜分に襲われた。そこの忍者に斬られて槍の穂先を奪われたんだ。そこまでして刻刀を集めるのか」
「ふむ、それは確かにやり過ぎたが……」
「クマザネ様」
初めて、黒装束の埋が声を上げる。言葉を話すまで全員がその存在を忘れていたかのように、急に気配を纏って現れる。
「すべて包み隠さず話すべきかと」
「うむ……」
峠の頂上のような場所に至る。わずかな空間に腰掛けるに丁度よい岩が散らばり、眼下には鉄の里と雄大なる山々。詩作にふけるには最適に思われる場所である。
将軍は平たい石に腰掛け、眼下にある隈実の里を眺める。
「ユーヤどの、私はな、この国に黎明を与えたいのだよ」
「黎明……」
「この国は長らく大陸から切り離されていた。鎖されていたのだ。ラウ=カンと国交を持って80年あまり経つが、縛国政策を採って交流を制限してきた。だが、最近になって人の流出も増え、パルパシアなど大陸西方からの文化の流入もある。そろそろ頃合いだろう。大陸に国の門戸を開き、あらゆる文物と人材を受け入れるのだ」
「開国を、目指すのか」
「そうだ」
ベニクギはと言えば、少し所在なさげであった。それはベニクギにも開国という言葉の意味が掴めなかったからであり、今のヤオガミの何を問題視されているのかが分からなかったためである。
ズシオウはもう少し理解が深かったようだ。一歩踏み出して発言する。
「父上、開国となればヤオガミの統一が必要不可欠です。まずは国の統一だと、常々おっしゃっていたではないですか」
「もちろん統一も行う、それもクイズでだ」
手ぬぐいで額の汗をぬぐいつつ言う。
「此度の御前試合、四船関という大金を出すのは豪族からの参加を募るためでもある。ナナビキ、ジュロウ、トジモリ、ニナタカやバイゴウにも早馬を飛ばして参加者を募っている。これは剣から賢へ、戦からクイズへ、ものごとのあり方を大きく変える試みなのだよ」
「剣から……賢へ」
「そうだ」
クマザネは主にユーヤにだけに語りかけていた。その一見、人懐こそうな丸い目がユーヤに据えられている。
「もはやヤオガミに刀は要らぬ。槍の白羅院のような武門の家も要らぬ。まして神の力が宿った刻刀は人には過ぎたる武器。神の癒やしのために使えるなら丁度良かろう。そういう意味もあって積極的に刀を集めている、そういう次第だ」
「なるほど……」
なるほど、というのはユーヤもほぼ無意識につぶやいた言葉である。
確かに何もかも説明できる気がする。ヤオガミの統一、刻刀の排除、そして開国という大業の前に、自分の心配など小さな事だったのではないか、ユーヤですらその想念を無視できない。
「どうだユーヤどの、御前試合にそなたも参加してみぬか」
「僕は……知ってのとおり異世界人だから、この世界のクイズはできない」
「ん? そうか……」
その時、クマザネは割と分かりやすく落胆を示した。
色々と長く話して疲れたかのように、一度長く息を吐く。
「ユーヤどのが公平に戦えるクイズを考えてもよいが……。そうそう、忘れていたが雷問についても意見を聞く予定だったな」
「ああ、それについては……」
「承服でき申さぬ」
石と松の世界に赤い花が咲く。そう錯覚するかのような、ベニクギの鮮烈な気配。
「ベニクギ……?」
「刀を捨てる、そんなことは認められぬ。刀は武士の魂。それを力づくで奪うことに義があるとは思えぬ」
じっと、堂のあった方向を見下ろす。
「刻刀は卓抜なる武士のみが持つ力。高潔なる人格を与え、振るうべき時のみに振るう理性を与えるのでござる。もし全ての侍が粗悪な打刀を持つなら、あるいは何も持たぬなら、それは猿の群れに同じ。人は粗野にして愚鈍な集団に堕するでござる」
「ベニクギ……落ち着くんだ。大陸では市民は基本的に武器を持たない。騎士の持つ武器もヤオガミの武器よりはずっと劣る。それでも治安は保たれている」
「ユーヤどの、これは我らヤオガミの問題ゆえ……」
「ふむ」
クマザネは、この粗野でありながら人好きのしそうな魅力を持つ人物は、ユーヤをちらりと見て言う。
「ロニとは元々、大昔の将軍が一人の野武士に与えた称号。君主が君主たる振る舞いを保つため、権力とは別個に置かれた意見役のようなものだ」
ベニクギとユーヤ、その両者を見比べるかのように視線を動かし、言葉を続ける。
「つまり旧態依然とした制度の一つに過ぎん。丁度よい。ヤオガミの開国に合わせてロニの制度も無くしてしまおう。いかに剣とクイズの腕が立つとはいえ、国主と対等な存在など国が乱れる元だ」
「400年以上続くロニを国難の基と言うか! クマザネどのであろうと聞き捨てならぬ!」
(なぜだ)
ユーヤはずっと思考している。
将軍クマザネの仰々しい開国論も。ベニクギの少し意外に思える反発も。
背後に控えてほとんど発言しない忍者も。
どこか芝居じみていると感じる。
何が本当で何が嘘かという以前に。この場にはなにか決定的に目的意識が欠けていると感じていた。
(なぜ、今日この日にこんな会話が起こる)
ヤオガミの国主と、それと対等とされるベニクギの衝突。そんなことがたびたび起きるはずはない。
なぜ今なのか。何が起きているのか。
この会話は、一幕の芝居のような場面は、何のために行われているのか。
「ベニクギよ、ならばクイズで決めるか」
発言した人物を目で追う。クロキバである。彼は気配が薄く、発言するまで透明にでもなっているのかと錯覚する。
「クイズだと……馬鹿な! ことはヤオガミの未来を左右すること! クイズで決めていいわけがござらぬ!」
「ほう? そうか? いかなる相手の挑戦でも受けるのがロニというものではないのか。それとも自信がないか。剣は達者でも知恵を測られるのは御免こうむるか。無理もないな。おぬしはそこの異世界人にすら負けたというではないか」
「それとこれとは関係ござらぬ! そもそも開国論など城内で噂にもなっておらぬ! クマザネどのはそれを老中らと話し合ったのか!」
「関係ないな。今はお前が承服するか平伏するか、そういう話だろう。さてもロニというのはいつからこうも口達者になったのか。我のような埋み者にいいように言われて、刀も抜かずに言い逃れを続けるか」
「やめなさい!」
叫ぶように言うのはズシオウ。両の拳を腰の高さで握り、怒りをこめて震えている。
「ベニクギへの侮辱は許しません! 無礼でしょう! 勝負を受けるか受けないかはベニクギの自由意志のはずです!」
「ズシオウ様、お心違いをなされてはいけませんな。ロニが国主と対等という言葉を一応尊重するとして、ロニ自身に何らかの権力があるわけではない。ロニ自身は私兵も、ヤオガミでの一銭の権益も持たない個人でしかない。ロニがロニたるのはその実力あっての話なのです。ならばどのような状況でも勝負からは逃げてはならない、逃げるロニなど誰も相手にしない。それが道理というもの」
「う、く……」
「……」
ユーヤは息を潜めて様子をうかがう。
クロキバ、今までずっと黙っていたのに、堰を切ったように話しだした。捲し立てるように、挑発をたくみに織り交ぜながら。
「さあベニクギ、格別の恩寵にてお前とクイズで試合ってやろうというのだ。受ける以外の答えなどあろうはずもない」
「ぐ……」
(この男……)
ベニクギはようやく理解した。クロキバが挑発していたのは自分ではない。ズシオウだ。
ベニクギにぶつけたのは挑発ではなく侮辱。それがズシオウを憤慨させるのだと読まれていた。
(この流れ、過去に、どこかで……)
「……ここにおいては是非も無し。受けるでござる」
その言葉しか残っていないのだと。
気づいたときには、すべてが遅かった。




