第十二話
※
ややあって。
部屋の隅に正座させられてるのは双王。首から。
「私たちは王様をらちしました」
と書かれた木札を下げている。
「うう……あんな全力で尻叩きせんでも」
「お、お尻が……お尻が腫れて魅力的になってしまう……」
ぎろ、とユーヤが鋭い視線を向ける先で、双王は慌てて背筋を伸ばす。
「君たちハイアードでもやってるからな。これで2回目だから念入りに尻を叩く必要がある」
「いや、だいぶ前じゃがアテムのあれを入れると3回目かも」
「……仲が悪いはずだな」
「双王……またしても大変なことを」
そう言うのはベニクギ。深い溜め息をつきつつユーヤと差し向かいになって座る。
「しかしまさかズシオウ様を拐かすとは、どのような策を弄したのでござろうか」
ユーヤが般若のような顔を双子に向ける。
「説明して」
「え、ええと……ズシオウは白桜城の三の塔、ちょっと小さな天守におると聞いたのじゃ」
「なのでうちの騎士たちを変装させて潜り込ませて、ちょちょいと拐ってきたわけじゃな」
「……? ベニクギ、君の目から見て、あの夜会服の騎士たちはそんなに優秀なのかな」
「いや、拙者の見たところ、一般的な兵を大きく超えないと見るでござる」
その騎士たちは開け放たれた庭にずらりと並んで、二日酔いに苦悩する顔で正座させられている。
今まで、双王だけが特別に放蕩者で、騎士やメイドはそれに振り回されてるという印象だったが、それも少し改めるべきかとユーヤは考えている。パルパシアという国はどうも無軌道すぎて読みにくい。
「……」
誘拐については少し奇妙に感じていた。侍が何百人と控えている白桜城に潜入し、国主代理であるズシオウを拉致する。そんなことができるのだろうか。
この世界は確かに少し緊張感に欠ける部分があるし、シラナミが破れた噂などで城内は混乱していたかも知れない。あまりにも大胆な作戦なので不意を突かれたという可能性もある。
(……目的、大将軍クマザネが考えてることの中心にズシオウがいないのか? 何か、違うものを追い求めている、だからズシオウの警護に隙が生まれた……?)
というよりも、もっと直接的な言い方をするなら。ズシオウにまるで気を配っていない。
(……見たくもない? いや、しかしそんな)
「私がいけないんです」
縄をほどかれ、床の間の前にちょこんと座るのはズシオウ。白い装束がゆったりと畳に広がっている。
「私が注意していればこんな事態には……。むざむざと身柄を奪われてしまうなんて、国主代理としても失格です」
「ズシオウのせいじゃない……」
ユーヤは宥めるように言う。半分ほどは自分の感情を鎮めるためでもあった。
「とにかく、これからどうするか考えよう」
「では……城内の混乱が大きくなる前にこっそり送り返すでござるか」
言うベニクギと、その言葉を受け止めるユーヤ、両者の間に油の川のような重い沈黙が流れる。
「それは、できない……。一度連れてきてしまった以上、手放すわけにいかない……」
「ユーヤさん……」
先ほど、ユーヤと双王が話していたことはズシオウにも聞こえていただろう。白ずくめの国主代理はぎゅっと拳を握る。
「本当なのでしょうか……この国で鏡が濫用されているだなんて」
「真偽はまだ分からない。だけど、僕はそれを止めるために来たんだ」
できれば、ズシオウには秘したままで進めたかった調査である。
しかし聞かれてしまった以上、すべて話さない訳にはいかない。ラウ=カンで仙虎から聞いたことも伝えた。
「……考えてみれば、これでよかったんだ。ズシオウはすべてを知る権利があるし、思い切った手を打たねばならなかったのも本当だ。君が身に着けてる鏡も重要になるだろうし」
「なんじゃやっぱりそうでは」
「勝手にやるのは論外だけどな!!」
「ひいいっ」
ユーヤが一喝する先ですくみ上がる二人。なぜか、二人ともとっさに尻を押さえる。
「ズシオウ、あの鏡を見せてくれないか」
「はい」
ズシオウは白い着物のもろ肌を脱ぐ。真綿色の襦袢からは驚くほど細い肩が見えた。
そして、九角形の真珠色の板。
「肌見放さず身につけるようにと言われているものです。これが妖精の鏡だと思っていましたが……考えてみれば確かに、他のものと違いますね」
やはり小さい。そして肩に結わえ付けていたことからも分かるが、櫛ほどの厚さしかない。
「……変わらず身につけておいてくれ、君がこれを持つこと自体が危ういとも思うが、僕の方で保管するわけにもいかない」
「わかりました」
ズシオウはわずかに愛おしそうに鏡を撫でる。その輝きには確かに神秘性があり、少なくとも悪いものという印象は受けない。
(……鏡は基本的には人に利益をもたらす。ズシオウを守る効果でもあるのだろうか)
「さて、これからどうするでござるか」
「やはりズシオウをパルパシアまで送ってはどうじゃ?」
「この際それを検討してもいいけど……パルパシアは遠いな。ラウ=カンから飛行船に乗せるとして……」
「あの、ユーヤさん」
すい、と控えめに手を挙げるズシオウ。
「どうしたの」
「私、実は思い出したことがあるんです。この国の神様の話」
「神様……」
ユーヤはヤオガミについての知識を思い出す。この国は多神教であり、高位の神はいくつか存在するが、その中でも最高位とされるのはヒクラノオオカミという神であると。
「ここより早馬で二時(4時間)ほど。フツクニの都を見下ろす箕篭の山を越えた先に、隈実衆の里があります。良質の鉄を産出する土地であり、そのために町民は立ち入りすら許されぬ禁踏地ですが」
「そこには、ヒクラノオオカミがいるのです」
※
馬に揺られて街道を行く。
以前にも思ったことだが、この世界の馬はユーヤの知るそれよりも性能が高い。
ユーヤの感覚ならば馬が時速30ダムミーキの駆足で走れるのは30分ほど。全速力であれば五分と持たない。
だがベニクギが調達した馬は時速40ダムミーキ以上を2時間は続けることができた。途中の馬宿で新たに馬を調達し、ほとんど止まらぬままに山三つの距離を走破する。
ユーヤはといえばメイドの腰にしがみついて同乗している。少し情けない乗り方になるが、駆足での騎乗でそんなことを気にしている余裕はなかった。振り落とされないように気を張るだけで精一杯である。
「ユーヤさま、鞍の乗り心地はいかがですか」
「うん、大丈夫……」
乗り慣れない馬での長距離移動がきつくないはずはないが、無理をして倒れるほどの苦痛ではない、と自分で判断する。
やがて道を外れ、やぶを踏み分けながら高台へと。
「……見えたでござる。あれが隈実衆の里」
見下ろせば、まさに製鉄の村という眺め。ところどころに白煙が上がり、木板で仕切られた人工の川が流れ、鉄鉱石を積んだ台車を大柄な男が押している。この里では鉄鉱石からの製鉄ができるようだ。
屋敷はどれも立派なものだ。ユーヤの目には旅館のようにも見える長細い屋敷が有機的に連結しており、そこかしこから槌音が聞こえている。歌のような伸びやかな声も聞こえた。
「歌が聞こえる……」
「カナヤゴの歌と言われるものですね。刀を作るときに金づちで何度も地金を打つのですが、その回数やリズムを他の工房に知られないための歌と言われてます」
カル・キは適当な木に三頭の馬を繋ぐ。
「セレノウのメイドどの、ロニである拙者と、国主代理であるズシオウ様は見つかっても殺されるまではないが、そなたは危うい。できればここに居てほしいでござる」
「ユーヤ様のご判断に従います」
「ここにいてくれ、もし誰かに見つかりそうになったら勝手に逃げてくれていい」
「分かりました」
馬は始終おとなしく、さほど息を荒げる様子もない。
ユーヤはベニクギへと問いかける。
「どうする? 忍び込むのか」
「隈実の里はまさにフツクニの要。拙者であっても、将軍であっても正式な手続きがなくば入れぬでござる。時間もなきゆえ、隠形にて事を成すしかないでござる。拙者について後ろを……」
そしてベニクギは斜面をゆっくりと降りて行き、ズシオウとユーヤはその後に続いた。
※
「ヒクラノオオカミが……」
「はい、隈実の里の西端、山を割ったような見事な崖があり、その崖をくり抜いたような塩梅でお堂があります。そこはヒクラノオオカミを祀った場所なのですが、幼い時、私はそこでオオカミを見たのです」
ズシオウの話によれば、それは三歳か四歳の頃。なぜその場所に自分がいたのかはよく思い出せないという。
「とても大きかったのを覚えています。そしてとても老いていました。目も開かぬ老齢なるオオカミが、息も絶え絶えに寝そべっていたのです」
「わかった、そこへ行ってみよう」
ユーヤが切り出し、背後で双子が立ち上がる。
「そういうことなら我らも」
「君らは留守番!」
言われて、双子は口をとがらせて不満を述べる。
「嫌じゃ嫌じゃ、神に会うとかそんな面白そうなこと除け者にするとかひどいぞ」
「よいのか、酒を飲むぞ、置いていくなら帰ってくるまでずっと宴会するぞ」
「そんな脅し方はじめて見た」
ユーヤは少し考える。この双子は放っておくと勝手についてくる可能性が高い。それに並んで正座してる騎士たちもかなり酔っていて、これ以上宴会させるのは気の毒だった。正座しながらすでに三人ほど吐いている。
(別の仕事を任すか……? いや、神に興味を引かれてるし難しそうだな)
(いっそ連れて行くか? しかし人数が多いと行動が遅れそうだし、神を刺激したくない……)
「……よし」
ぱん、と膝をついて立ち上がるユーヤ。
「閉じ込めよう」
「えっ」
ごがあん、と重い音を立てて土蔵の扉が閉まったのが5分後のこと。分厚い白壁に囲まれた宿の倉庫である。
「こ、こらちょっと待たんか! こんなとこに閉じ込める気か!」
「我らはパルパシアの王じゃぞ! うわなんかカビ臭い暗い怖い」
「今ちょっと余裕がないんだ。夜には戻ってくるから大人しくしててくれ」
「おまえちょっとメンドーくさくなっとるじゃろ! ちょっと待てユーヤああああ!!」
土蔵の外にはパルパシア側の使用人が何人か来ていた。ユーヤは彼らに対しては申し訳無さそうに頭を下げる。
「すまない、今は閉じ込めておくしかないんだ。双王が怒ったとしても君たちに当たらないように言い聞かせるから」
三つ編みのメイドを含め、使用人たちは顔を見合わせる。
「いえ、まあ双王はよく閉じ込められてますから」
「そ、そうなのか」
「パンツでも投げ込んどけば大人しくなりますので」
「冗談だよね? 冗談で言ってるよね?」
まだ若いのにと、双子の将来が若干心配になるユーヤであった。
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「ここです」
刀鍛冶の里をぐるりと回り込み、ヤブをかき分けて村の裏手側へ。
槌音が遠くなってきた頃に至るのは巨大な崖と、円柱型のお堂である。崖の中腹あたりをくり抜いて、その中に建立されたような眺めになっている。
「詞寂堂……。かつてはここに古い坑道があったそうです。使われなくなった坑道に眠りを与えるために作られたのだとか」
「だが、南京錠が……いや、開いているようだな」
いかにも頑丈そうな錠前がかかっていたが、閂が外れて垂れ下がっている。内部に誰かいる証拠だと、三人は警戒を強める。
「ユーヤどの、拙者のそばを離れず」
「わかった」
中に踏み込む。
瞬間。天地が広がる感覚。
とてつもなく広い堂内。板張りの薄暗い空間を、中央で焚かれた篝火がこうこうと照らし出す。
あまりにも広すぎる。空間全体に意識が広がるのに数秒かかる。
天井は石を投げても届かぬ程に高く、左右の壁は50メーキ以上離れている。
外観と違いすぎるだけではない。明らかに木造建築としての常識を超えている。
「これは……」
「ほう、本当に来たのか」
奥にいた人物が声を上げる。
それは大将軍クマザネ。
黒衣の埋。
そして羆のように大きく、炎のように紅い、真紅の狼が……。




