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「アビー! 来てくれたのね」

「しー……、また内緒でね、大きいエレオノーラには内緒だよ」

「わかった……ふふ、ないしょね!」


 あの最初の会合から数日、城であったガストル公爵にも小さいノーラについて話を聞いた。公爵と夫人はエレオノーラが迷いの森の魔女に専属侍女一人を連れて入って協力を仰いだと事後報告で知ったらしく、ノーラを連れて帰って屋敷中がひっくり返ったらしい。その気持ちは分かる。

 最初、エレオノーラは「消えるまでどこかに閉じ込めておいて」と公爵家の地下を使おうとしたと聞いて驚いた。本物の人間ではないと言えどもなんて提案をするのか。

 当然、幼い娘の姿をしたノーラを無下に扱うことなどできず、夫人の説得によりこうして比較的自由に過ごしているようだ。私は、城でエレオノーラが教育を受けている時間をこうして見計らってたまに顔を見にくる事にしていた。

 使用人は事情を知っているとは言え、屋敷の中から出ることの叶わない生活だ。ノーラの気が晴れたらいいと言い訳をしながら、私自身がノーラの裏表のない笑顔に癒されに来てしまっていた。


「アビー、今日は何をして遊ぶ?」

「そうだな……ノーラは何をしたい?」

「かくれんぼも良いけど……今日はお庭が暑いから、本を読んでほしいわ」

「いいよ、好きな本を持っておいで」


 本のお供にと、ガストル家の使用人に頼んで手の汚れない茶菓子を持ってきてもらう。その到着とほぼ同時に、嬉しそうに本を数冊抱えたノーラが戻ってきた。


「これを読んでほしいの」

「これ? お姫様が出てくる話じゃなくて良いの?」

「いいの! アビーはこの本が好きだったでしょう? その代わり、英雄様と結婚した聖女様のセリフは私が読むわ。アビーは英雄様のセリフを特にかっこよく読んでね」

「はは、そうか、じゃあ気合を入れないとな」


 私も楽しんでほしい、喜んでほしいという純粋な想いに心の底からの笑みが浮かぶ。もう大人になった私は読む本によって機嫌が変わったりはしないが、その心配りが何より嬉しい。

 本物のエレオノーラがこのくらいの頃はどうだっただろうと思い出そうとして嫌な事も思い出してしまう。わざとそっけなくしてみたり、当時の私はかっこつけようとしてから回っていたところが多かったな。今は大人として余裕を持って、真正面から好意をぶつけてくれるノーラとこうして素直に接する事ができる。この場にはからかってくる幼馴染がいないおかげでもあるだろうか。


 私自身も幼い頃は夢中になって読んだ、思い入れのある児童書を読もうとノーラを膝の上に乗せて、一緒に本を覗き込む。ずっと図書室にあって読む人が誰もいなかったせいで、古い蔵書から移ったのか歴史を感じる匂いが仄かにした。

 人間ではないこの感触にももうすっかり慣れた。


「じゃあ始めようか」

「いいわよ」

「それでは──ここに記すのは、英雄フィルーンの活躍を記した物語で……」


 その時、廊下の方から慌ただしい音が聞こえた。数人、使用人だろうか。何かを止めようとしている、しかし喧騒の中心がどんどん近づいてくる。嫌な予感がすると同時に開いた扉の向こうには、想像通り険しい顔をしたエレオノーラが立っていた。


「まぁ、アルベルト殿下。ガストル公爵家としてお構いもできない時分にいらっしゃるのは困りますわ。今日は父も兄も城に出仕しておりますし、母もおりませんのに」

「……婚約者の家に訪れるのにそこまで理由が必要かな」

「家の者が誰もいない時に馬車を招き入れるなんて外聞の悪い行為、隠そうとしても親切に耳に入れてくれるお喋りな宮廷スズメがたくさんおりますので、構わないわけにはいきませんの。ガストル公爵家が紋を掲げられない馬車をわざわざ誰もいない屋敷に招き入れるなんて疾しいことをしているのではと貶めたいのでしたら、その試みは成功しておりますけれど」

「それは……、」


 いつもはエレオノーラの家族のうち誰かがいて、「将来の親族との交流」という名目で招き入れてもらっている。特にエレオノーラの兄のユリウスは個人的にも友人関係だ。当然いつもは私の馬車を使っている。エレオノーラ以外のガストル公爵家の者は、ノーラの存在を快く受け入れていた。私が彼女と遊ぶのを歓迎してくれる。

 ただ今日に限ってユリウスが急な用事で不在になってしまったのだ。家人が誰もいないのに訪れるのは不自然だと私も分かってはいたのだが、約束をしたノーラをガッカリさせるのがどうしても忍びなくて。

 もしバレても婚約者なのだから堂々とすればいいと夫人のお墨付きがもらえたからと来てしまった、その非は認める。でも実際婚約者の家なのだから、そこまで穿った見方をする人間はほとんどいないだろうに。文句をつける者はいるかもしれないが、思い浮かぶのは政敵というか、そもそもこちらが何をしても最初から揚げ足を取るつもりの存在しかいない。

 ノーラは私に縋り付くようにキュッと腕を絡ませて、もう一人の自分を見上げる。エレオノーラのその言葉こそ、私が何をしても否定したいようにしか聞こえなかった。


「どうして?! どうしてエレオノーラはアビーに酷い事ばかり言うの? エレオノーラもアビーの事が大好きだったのに!」

「それはね。わたくしの恋心である貴女が別の存在になったからよ。わたくしの中にはアルベルト殿下への恋心がもうないの。模範的な臣下としての敬愛だけ」

「そんなのやだ……私がアビーの事大好きじゃないなんて、そんなのやだよぉ!! 仲良くしてよぉ!!」

「だからもう、望まれていない無駄なお節介はしたくないの。アルベルト殿下には望まれない限りご一緒しないし、ご学友の立場を気にしない。だってわたくしが口うるさく言っても意味がないでしょう? それより平民か下級貴族の子息令嬢が誰か一人失脚するのを見せた方が早いし効果的だわ」

「ヤダヤダヤダ!! そんな事したらアビーが! お友達を失ったアビーが傷ついちゃうじゃない!!」


 ノーラのその悲鳴じみた声に心臓が締め付けられそうになる。ノーラの……エレオノーラの本心を知って、自分は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 身分に囚われない優秀な人間の登用を初めて、学友も実力で選んでいる。いや、だが問題が起きた事なんて無かったじゃないか。


「まぁ、聞き分けのない子。安心なさい、王家の威光はその程度では一切揺らがないわ。陛下も王妃殿下も、若いときの失敗として一度くらい味わわせた方が良いと散々おっしゃっていたじゃないの」

「それでも!! アビーが悲しむって分かってて、アビーのお友達の誰かの未来を失わせるなんてヤダ!!」

「ま、待て……陛下と王妃殿下は承知しているのか……? 彼らは私自ら見出した、才能あふれた優秀な者達なんだぞ?!」

「まぁ、それが何か? そのうちの一人……アルベルト殿下なら一人経験すればお気づきになりますでしょう? その将来と引き換えに、アルベルト殿下の、将来の統治者としての御心が成長なさるなら十分ではないですか。まだ身分社会の意識は強いのよ? 強い権力を持つ老人達ほど余計に」


 父上と母上もわかった上で私の学友達が危険に晒されるのを看過しているなど。否定したいが、それをはっきりと否定できる情報を私は持ち合わせていなかった。

 しかし私は十分注意を払っていた。彼らに対して身分を理由に害を成す者が出ないようにしていた。彼らの実家へもきちんと意識を向けていた。きちんと機能していたはずだ。

 いや、平民や下級貴族出身の人材が本来の力を発揮できずに埋もれるなんて間違っている。揺らがない、私は胸を張って言える。彼らが不当な圧力をかけられないようにできる限りの事を出来ていたと。

 なのに、何だこの不安は。


「たとえば。挨拶ひとつにしても。アルベルト殿下のご学友方がわたくしや殿下の元々の側近の皆様に挨拶をするには、わたくし達の方から声をかけねばなりません。学園の中で身分を気にせずとは言っても、そこまで無視する事はできませんから。先に声をかければ礼儀知らずと言われますが、アルベルト殿下のご学友方に、『高位の令息と顔を合わせて挨拶もしないとは』という誹謗が向かないようにするためには、高位の者が気を配って先に声をかけてやらねばなりません」

「……そんな事、気にする者は私の友人にいない」

「ええ。そうでしょうね。彼らは元々アルベルト殿下のそこも含めて敬愛してらっしゃるのですから。ただ、その『高位の令息達に気を遣わせている平民や下級貴族達』に周りの人間がどういった感情を抱くかまでは想像されていないように見受けられます」


 笑顔のまま告げられた事実にドッと冷や汗が出る。

 今まで享受していた平穏はエレオノーラの献身によって支えられていたものではないのかと、私の中で誰かが囁いた。いや、でも。私は、守れていたはず。


「アルベルト殿下は性善説で生きてらっしゃいますから。貴方様を愛していた頃のわたくしは愛した人の理想に殉じて生きようと陰から支えたいと思っていたようですけど、自分が悪者になるのは疲れてしまいましたの」

「それが……理由なのか。私への恋心を消したいと考えた……」

「そうですね、アルベルト殿下もちっとも成果の出ない政策があったら中止を命じてもっと効率的なアプローチを考えますでしょう?」


 自分の感情の話なのに、エレオノーラの顔には他所行きの本心を悟らせない微笑しか見えない。以前の笑顔は、そう、私を前にしている事でそこに心からの彩りがあったのだと今ならわかる。

 アプローチを変えて……だから、私の友人を犠牲にする事を選んだのか。


「お願いエレオノーラ、アビーのお友達を助けてあげてよ……! このままじゃアビーが傷ついちゃうよ!」

「あんなに報われない努力をするのはもう御免なの。ノーラ、貴女もわたくしなら分かるでしょう?」

「でも!! アビーに嫌われても、アビーが傷つくより良いって思ってたじゃん!!」


 私の腕にとりすがったまま泣く幼い子供の声に、申し訳なさで押しつぶされそうになる。その感情を魔女によって取り払ったエレオノーラはその言葉に躊躇することなく、私の服を掴むノーラの指を一本ずつ剥がすと腕を掴んで自分の方へと引き寄せた。ノーラを庇おうとしてみるが、女性に対して力づくで制止するわけにもいかず、決心がつかないままあっけなくノーラはエレオノーラが引き連れていたガストル家の警備の人間に捕まってしまった。

 仕えている家の令嬢の「そいつを地下のワイン蔵に放り込んでおきなさい」という言葉に狼狽えている。


「王家の人間として命ずる! ノーラをワイン蔵に連れて行くな。仕えている家の言葉に逆らったという責を負わないように取り計らうと約束する」


 ノーラを任された彼はあからさまにホッとした顔を見せた。人間ではないと言われても、そう。子供の頃のエレオノーラと同じ外見をした存在にそんな扱いをできる訳がないのだ。普通は。


「アビー!!」

「エレオノーラ! 頼む……以前の私の態度が酷いものだったと今なら分かる。謝罪させてほしい……本当に申し訳なかった。改めて、私と……婚約者として関係を築き直してくれないか?」


 助けを求めるように私に向けて伸ばされたノーラの手がとても痛々しい。エレオノーラは感情の匂いを感じない笑顔のまま、私の目をまっすぐ見つめた。


「それをして、何のメリットが?」

「っ……!」

「お伝えしましたでしょう? わたくしの中にアルベルト殿下への慕情は一切残っていませんの。わざわざ面倒で結果の出ない手段を取る必要性がありません。重ね重ね申し上げますが、今後も婚約者としてきちんと務めは果たしますからご安心ください。これが一番効率が良い選択なのですよ。それが間違っているとお考えでしたら、ぜひご学友の方々をアルベルト殿下の手で守り切ってわたくしにお示しくださいませ」


 なんと言えば思いとどまってくれるのか。言葉に詰まる、喉が締まるような感覚。呼吸すら困難に感じて息がうまく吸えない。

 自分の体がコントロールできず、目眩がして絨毯に片膝をついてしまった。高貴な身分に触れて良いのかと一瞬の間に思案したのだろう、咄嗟に足が出なかったらしい周りの人間に「大丈夫だ」と分かるように手のひらで制して立ち上がった。



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