10月23日
十月二十三日、木曜日。
八重は歯磨きを終えて鏡に映る十七歳の姿の自分を見る。
鏡の前で右目を隠し、左目の調子を確かめれば、昨日の不調が嘘の様に痛みは消え去り見え方も特段に変わった様子はない。
鏡に映る八重の見た目に変わった様子は無いのだが、『大見八重』として内包する彼の意味合いは、確かに変わっていた。
それは見た目では決して理解する事の出来ない内側の部分で、もっと詳しく言うのであれば八重の記憶に関する部分である。
それが何かと聞かれれば、今の『大見 八重』という人間を形作っている八年分の記憶の話。
二十五歳の『大見 八重』が大見八重たる所以である。
不可思議な現象に気が付いたのは、二週間前の事だ。
安穏とした平和な日々を過ごす中で、最初に気が付いたのは自分の部隊名を忘れた事に気付いた時。
そこから広がる部隊に居た人間の名前を誰一人思い出せなくなっていた。
左目が疼痛を感じる度に、また八年間で積み重ねた思い出のどれかが思い出せなくなっていく。
『硯 言ノ葉』を助けられなかった、十月一日から先の八年の日々を、八重は必死に繋ぎ止めようとして、結局打てる手段がなかった。
零れ落ち欠落していく記憶の中で、八重が幸せだと思える物はほんの一握りだ。
だからこそ、彼ら彼女らと関わりを持ち続ける事が、この現象を生んでいる事を理解しても、彼の友人達と離れる事は出来なかった。
彼らと居るのは、八重にとって新鮮で、幸せに満ちていた。そんな心地のいい時間の中で、抱かれる様に眠りに着けるならそれはどんなに幸せで安らかな最後だろう。
そう考えれば、最初から仕組まれていたと思えて来るのはきっと気のせいじゃない。
八重は『硯 言ノ葉』を目の前で刺された事に端を発し、一歩を踏み出せる人間になる為に自衛隊に入隊した。
その『硯 言ノ葉』を助けた時点で『大見 八重』の自衛隊入隊への動機は無くなっている。
動機が無くなれば、八重は自衛隊には入隊しない。入隊しなければ、今の八重の未来が無くなっていくのも道理だ。
何故八重の記憶が少しずつ欠落しているのか理由は定かではないが、此処で二十五歳の『大見 八重』がすべき事はもう無いのだろう。
そんな八重ではあるが、昨日は珍しくも我が儘をした。
思い出すのは陽が沈みきった昨日の教室。
あの場で八重が今の言葉を言ってしまったら、きっと八重はあの場で消えていなくなっていただろう。
だから、言葉を濁し気付かれぬ様に信吾を煙に巻いた。
だが世界はそれを許さない。
失った筈の記憶が左目から流れ込むと同時に、凄まじい痛みが左目を襲った。
時代は一方向に流れていて、その逆をしようとすれば痛みを伴うのだろう。
あるべき形を歪めるなら、それなりの代償を支払わなければならないという事だ。
だが代償を支払ったとしても、約束の日までは八重は守らなければならない記憶がある。
残すべき記憶は二つだけでいい。
一つはこの世界に来た後悔
一つは京子の完成した絵の記憶
紙にぎっしりと箇条書きにした自分の記憶
今はその殆どにチェックが入っている。
その内の記憶に無い項目にチェックを入れ、今日も八重は学校へ出発したのだった。
八重が中野駅に降り立てば、曇天と北風が都市の隅々まで吹き抜け、街路樹を揺らしていた。
冬はもう直ぐそこまで来ているのだろう。この気温であるなら、学校指定のセーターをブレザーの下に着込んできて正解だった。
きっと何時か忘れて行く景色で、後何度この道を通れるのか分からない。一人きりの通学路を歩きながら、しみじみとそんな事を思う。
日常は慢性的なまでに続いてくのだと、十七歳の時は思っていて、だからこそ目の前の起こった呆気ない幕切れの瞬間は八重の人生を分岐させるには十分な衝撃だった。
この記憶が残っている内が最後の分岐点だ。これを過ぎれば二十五歳で死ぬという未来を迎える『大見 八重』は消え、替わりに十七歳の『大見 八重』が戻って来る。
今此処に居る二十五歳の意識はきっと、あるべき場所に帰るだけだ。
学校に到着し下駄箱に下履きを仕舞い上履きに履き替える。
数人のクラスメイトに挨拶を交わし、席の脇に荷物を掛け自席に座る。
朝のホームルームのチャイム直前、朝練終わりの信吾が滑り込む様にして教室に入りクラスの笑いを掻っ攫うと、担任である駒沢教諭ことコマ先の話が始まった。
退屈という程無色ではないが、有意義と言える程色彩の溢れている訳でもない。ずっと浸っていられる程の無限はなく、かと言って目先で直にでも分かる有限ではないこの時間を、八重は無作為に消費していく。
十七の頃と何も変わっていないと、自分を戒めても一回りした思考は結局この場所に回帰して『大見八重』としての最後の時間を埋めていく。