10月15日
屋上四階に二人で残された信吾と京子だったが、信吾は何かを気にした様に視線を左右に振り何処と無く落ち着きがない。
「どうしたんだい?何か気になる物でもあるのかい?」
「あっ……いや、そうじゃなくてさ……そうだ!荒木さ、文化祭に出展する絵はもう出来たのか?そういえば一年の時も絵描いて何かスゲエ賞貰ってたよな!」
「そうだねえ、昔の話は好きじゃないのだけれど、一年の時の文化祭の絵は我ながらいいものだったねえ。ただ今回の絵はちょっと問題があってねえ、正直筆の進みが芳しくないのさ」
問題を語っている京子の口ぶりに深刻さは見当たらない。
むしろ楽しんでいる節すら感じさせる声音に、信吾は少なくない不快感を抱く。
「問題ってなんの?荒木が絵を描けないとか、そうなると文化祭の出展とか諸々ヤバいんじゃねえの?」
昨年の文化祭を体験した人間ならば知っていることだが、様々な関係者が一年度に描いた京子の絵を見て、絶賛した。
なればこそ、二年となり更に腕を磨いた『荒木 京子』に注目が集まらない訳がない。
「私は今絶賛スランプ中さね、注目するのは勝手だろうけど、出す事まで前年度に確約してないから、別に今年はまぁ、どうでもいいじゃないかい?」
「どうでもいいって!それ大丈夫なのかよ!お前の絵楽しみにしてる奴いっぱい居るんだろ?そいつらだってお前の絵を待ってるんだぜ!?」
信じられない京子の言に、信吾は攻める様な言葉を吐き出したが、京子は煩わしいと軽く手を振って見せる。
「うるさいねえ、私はそんなの知らないよ。そいつらも勝手に楽しみにしてるんじゃないのかい?私が楽しみにしていてくれと頼んだならまだしも、勝手に楽しみにしている人間に、私が責任を果たす必要があるのかい?」
「そりゃ、そうかもしれないけどさ……でも楽しみにしてくれてる人が居るなら、普通期待に応えたいもんだろ?」
「それは私の普通じゃないさ。誰かの思い描いた予想に添って私が作品を仕上げる道理はないんじゃないのかい?それに今の私は別に色んな人に見てもらおうと思って作品を描いていないのさ。そんな私の作品で楽しんでもらおうなんて、そもそも烏滸がましいと思わないかい?」
京子の首筋に汗が滴り、僅かに濡れたワイシャツがその向こう側の華奢な身体を浮き上がらせる。
信吾自身の据えた汗の匂いと別の香りは交互に鼻孔をくすぐり、頬が赤くなった信吾の思考を鈍らせる。
「べつに……烏滸がましいなんて、思わねえよ。誰の為に描いたって、荒木が描きたいって思ったものなら俺は見たいと思うし……つうか俺は見てえよ」
「そうかい、でももう先約がいるんでねえ、まぁその次なら見せていいさね」
一瞬信吾の息が詰まったが、京子はそれに気付く事はなかった。
一年の文化祭からずっと、信吾は『荒木 京子』を目で追っていた。
追っていることに気付いて信吾は彼女が好きなのだと悟った。
信吾の中で京子を気にする様になった切っ掛けだったか今でも、よく憶えている。
「覚えてるか?一年の時、文化祭に出すお前の絵を初めて見たの誰だったか……」
あの時の事を信吾はずっと忘れない。
あれはきっと単なる偶然が招いた結果で、信吾だけが特別だったなどとは思わない。
けれど……
それでも、信吾は信じたかった。
あれは、丁度一年前。
美術室に居た彼女は今よりずっと髪が短く不機嫌を隠そうともせず一人居残りをしていた京子に、部活終わりの信吾は声を掛けたのを思い出す。




