10月15日
十月十五日水曜日放課後。
言ノ葉、八重、信吾の三人は、life for reversibles送られた
京子『暇な人は、放課後四階集合』
のメッセージを頼りに、美術部の部室である別棟四階の屋上前踊り場に集まっていた。
京子は隅に重ねられた椅子を人数分、円状に配置していく。
全員が促されるまま座席に座りれば、開いている窓から、季節外れの熱風が入って来た。
集まっている全員がブレザーを脱いでいる所を見るに、今日の暑さが伺える。
「あっつい!何だよ今日は!急に暑くなりやがって、暑くなるならそう言ってくれないとよう、こっちも準備ってもんがあるからなあ?八重!」
今日の熱気と相まって、存在が暑苦しいと思えて来る信吾が、ブレザーを脱いでも足りないと、ズボン膝まで捲り、ワイシャツの裾を出すが、誰も咎める事は無い。それ程までに今日の気温は十月としては稀に見る猛暑日だった。
「確かに……蝉が鳴いていないのが不思議なくらい暑いわね……」
暑さに弱いのか、言ノ葉も優等生然とした態度を崩し、椅子に浅く腰掛ける。
「コレばかりは仕方が無い、諦めろ」
八重は半袖を着て、半分解けた保冷剤を額に当てている。
「つうかよう、何で八重そんな準備がいいんだよぅ……ブレザーの下に半袖着て来るとか、保冷剤持って来るとか……準備おかしくねえ?」
「そうね……教室でも妙に八重くんだけ、快適に過ごしてたものね……」
おでこに貼った熱冷ましに、首に巻いた冷感タオル。
まだまだ融けない保冷剤を見れば、今日の為に八重が対策をとって来た事は一目瞭然だった。
「知っていたからな、今日が暑くなるのは」
今日の熱波は記録的な物となった為、八重の記憶でも特にこの日は印象的だった。
それに加え、設備点検の為今日一日エアコンが使えず、今日だけは授業中の水分補給と購入が許されるという異例の事態となった。
そのため八重は、暑さ対策を万全に整え今日の熱波に備えたのだ。
「言いなさいよ!何で知ってて……いわないの……よ……あつぅうぃ……」
「ずりぃ……何でだ八重……言ってくれてもいいじゃねえかよぅ……」
感染末期のゾンビの様な緩慢な動きで、決して逃れられない暑さから逃げようと横に座る言ノ葉と信吾は、椅子に座りながらのたうっている。
「職員室前の掲示板に設備点検の有無は乗っていた筈だ。それにこの暑さは昨日の時点で天気予報によって予告されてた。つまり誰でも知る事の出来た情報の組み合わせと言える。情報収集を怠った二人の怠慢だ。分かったら大人しく諦めることだ」
だが二人の批判は留まる事はなく、もう一人の暑さ対策を行っている京子へと向いた。
「京子も、なんでそんなに涼しげなのよ!こっちはこんなに暑いのに!不公平じゃない!」
暑さでイライラが頂点に達している言ノ葉の言葉は、単なる逆切れに近いが京子は何も気にした様子はなく、むしろ呷る様に取り出した内輪で自らの顔を扇ぐ。
「私は八重くんに教えて貰ったさね、むしろ二人は教えて貰えなかったんだねえ、おやおや可哀想だねえ」
二人の非難の視線は当然八重に戻って来る。
「語弊があるから伝えておくが、今日の熱日で俺の知る『荒木 京子』は途中で具合が悪くなって帰ってしまった。だから教えた。それともお前達は京子の具合が悪くなる事を望んだのか?」
「そんな訳ないじゃない!でもそれとコレは話が別よ!何で私達には何も言わないわけ!狡いじゃない!卑怯よ!」
「そうだぜぇ八重ぇ……こんなのあんまりだぜ」
「お前達は身体が丈夫だからな、今現在も元気に悪態を付いているじゃないか。何ら問題はなさそうに見えるがな」
「誰が身体だけが丈夫な、がさつな女よぅ……」
「誰が身体だけでかい木偶の坊だよぅ……」
もう座るのも億劫だと二人は背もたれにしなだれ掛かり、こちらを見ようともしなくなった。
「そこまで言ってない。京子はお前達と比べて身体も小さく筋肉総量も代謝も低い。そうなれば必然体内の温度管理が苦手と言える。総じてお前達より繊細な身体をしていると結論付けられる、であれば……何をする京子」
色素の薄い肌に青筋を立て、枝の様な細い腕で八重の胸にポカっと握りこぶしを叩き付けた。
「何をするじゃないねえ!八重くんは何を言ってるんだい!」
「何の話題をしているのかと聞かれたなら、お前の身体の話をしている」
「何で勝手に人の身体の話をしているんだい!やめておくれよ!恥ずかしいじゃないかい!」
「すまない、どうやらデリカシーに欠けた発言だったようだな」
「この!この!」と京子は人生最大の連打を繰り出すが、八重が手首の心配をする始末だ。
「ねえ京子……怒るのは後にして、そろそろ暑さに耐えられないから、なんで私達此処に呼び出したのか……聞いていいかしら?」
言ノ葉は半分程の温くなったペットボトルに入った水を片手に、疲れ果てたボクサーの様に頭にタオルを被せていた。
見かねた八重は、バックから最後の保冷剤を取り出し、言ノ葉と信吾それぞれに渡していく。
「最後の清涼だ、脇と太腿の付け根、それから首回りを重点的に冷やせば三十分は使える」
「あっ……ありがとう……」
「お!サンキュウ!八重!」
「気にするな、困った時はお互い様だ」
八重が保冷剤を配り終え、自分に宛てがわれた席に座れば、全員の視線が京子へと集まった。
「じゃあ、話を始めようかねえ。今日集まったのは、他でもない八重くんの話さね。まず八重くんその眼帯外してもらっていいかい?」
京子から促されるまま、八重は眼帯の結びを解く。
「八重くん大分良くなったみたいだねえ」
「……俺はお前達の前でこの結び目を解いた事は一度しかない筈だが。京子お前は何時から気付いていた?」
「正直なことを言えば、今こうして見るまで確証はなかったのさ。ただ、階段の昇り降りと歩くスピードに少しだけ違和感があったのさ。学校じゃあ八重くんは頑なまでに眼帯を外さないからねえ、今此処で見るまでは正直賭けだったさね」
「そうか、だがいい機会だった。こっちとしても外すタイミングを逸していた所だったからな」
八重は左目を開き、見る具合を確かめる。
右目と比べ著しく視力が落ちている左目の視力は、やはり本調子とは程遠いが、左目は確かに光を写し、物の実像をぼんやりと浮かび上がらせるまでに回復していた。
「life for reversiblesと言ったか?成る程、恐ろしい組織だ。よもやここまでとはな」
「私達、八重くんに何かした記憶がないわよ?」
「お前達に無くとも、左目にとってはそうではないということだ。なにせ左目は八年後の未来だ。お前達は図らずも着実に俺の未来を変えているという事だろう」
「そう……それは良かったと思って、いいのよね?」
「お前達が企画したことだろう?俺に良い悪いの判断を委ねるのは間違っているんじゃないのか?」
滴りそうになる汗の玉を、少し長めの前髪をかきあげて拭う。
いつも通りの表情で、いつも通りの言葉で、八重は自身の事を他人事の様に語るのを聞いて、三人は内心面白くない。
「他人事みたいに喋ってるけどよ、皆お前の為に集まってんだぜ?それにお前その左目が見える様にならなけりゃ八重自身が八年後の未来で死んじまうかもしれないんじゃねえのかよ?」
八重以外全員の気持ちを信吾は代弁した。
信吾の言葉を肯定する沈黙の中で八重は垂れる邪魔な前髪を耳に掛ける。
「それこそ問題はない。変えようとして変わるならまだしも、変えようとせず変わっている今の現状、お前達と関わっている限り俺は死ぬ事はない。だから、それは……つまり……」
余りにも唐突な八重の沈黙に、先を求める視線が集中するが、珍しく八重はその先を言い淀む。
「どうしたんだ?つうか、こいつなんか恥ずかしがってねえか?」
「本当だねえ、少し耳が赤くなっているねえ」
「へ〜八重くんでも恥ずかしがる様なことがあるの、それは俄然、今の言葉の続きが気になるわね」
底意地の悪い人相を浮べた三人は、弱っている事を良い事に八重の顔を覗き込む。が対照的に八重は全員に向かって頭を下げた。
「お前達が俺の命綱になっているということだ、だからこれからも……いや、この後の俺もよろしく頼む」
深々と、パフォーマンスではない感謝を告げる為のお辞儀だと、分かる九十度に頭を垂れた謝辞だ。
「なっ、別に私達が何かした訳じゃないんだから、別に頭を下げる必要もないわよ」
「そうだぜ、八重!堅苦しいって!そこまで誰も責めてないから大丈夫だぜ!」
「そうか……だがよろしく頼む。俺はきっと死にたくはない」
暑さのせいか、言ノ葉と信吾は気付かなかったが、京子違う。何故だと思うまでにコンマ一秒とかからなかった。
「八重くんどうしてそんなに他人行儀な言い方なんだい?八重くんの事を話しているんじゃないのかい?どうして『筈』とか『後の』なんて言葉がでるんだろうねえ?」
八重は自身の思考に問い直し、それでもその理由を見つける事が出来なかった。
「……済まない、自然とその言葉になってしまった」
ただ単純に思った事を口走ったと、首を傾げる八重に京子は言葉にならない苛立ちを覚える。
「私は理由を聞いてるんだけれどねえ、そうかい、選んだ理由も分からない言葉があるんだねえ……」
滲む感情に次いで出ようとする京子の言葉を信吾は遮る形で言葉を紡いだ。
「言い回しの違いじゃねえ!?この暑さだしさ、あんまり八重も頭回ってないんだよ。頼む!この通りだから許してやってくれって、な?それにちょっと休憩しようぜ?この暑さじゃ皆が苛立つのも分かるしさ!」
務めて明るく振る舞ってみせる信吾に助けられてしまった形になり、八重は自分のバックから飲み物を取り出して底数センチに溜まった温いお茶を飲み干せば、隣に座る言ノ葉も丁度水を飲み干した所だった。
「済まない、飲み物を買って来たいのだが、少し席を外しても構わないか?」
八重が席を立つと、次いで言ノ葉も空のペットボトルを振って見せた。
「あっ、私も行く、京子は何か飲み物いる?」
「じゃあ、冷たいレモンティをお願いしようかねえ」
「了解、太田くんは……水筒だから、要らないかな?」
カポッと飲み口を開けて、喉を潤している信吾はグッと親指を立てて見せるが、言ノ葉の問いに関する肝心の返事が返って来ない。
「はいはい、水筒が凄いのは分かったから、とりあえず飲むのやめてくれるかしら?飲み物は要るの?要らないの?」
「まだいっぱい入ってるから、大丈夫だな」
「あっそ、じゃあ八重くん行こうか」
素っ気ない態度で、言ノ葉は階段を降り、続いて八重も階段を降りていく。