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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス【王都篇】7 ガラスの迷路を突き破れ(後編)

作者: シベリウスP

お待たせしました。ガラスの迷路の後編です。シリウスとカノープスの因縁については、【辺境編】でじっくり書くつもりです。

転の章 凄絶、シリウス対カノープス


 そのころ、城の外に残っていたジョゼは、

 「ジョゼフィン先輩、アマデウス先輩は無事に戻ってくるでしょうか?」

 と、心配するマチルダのお守りに忙しかった。

 「大丈夫だよ、ハシリウスが行っているんだから……」

 ジョゼはそう言うが、マチルダは必死の面持ちで訊いてくる。

 「でも、アマデウス先輩を誘拐した人たち、とても強そうでしたし。その、……ハシリウス先輩ってそんなに強そうじゃないですし……。ジョゼフィン先輩は、ハシリウス先輩のこと信じているんですか?」

 ジョゼはにっこりとして、マチルダに答えた。

 「うん、ボクはハシリウスのことを信じているよ。アイツはああ見えても、とても心が強くて、優しくて、頼りになるヤツなんだ。人の強さって、腕力だけじゃないと思うなあ……」

 「?」

 ジョゼの言葉に、マチルダは首を傾げた。確かに、人間の強さは腕力だけでは測れない。それはそうだが、誘拐犯と対峙するためには、まずもって腕力の裏付けがなければならないのではないか――そう言っている顔である。ジョゼはマチルダが思っていることを読み取り、言葉を続けた。

 「ふふっ、確かにね、ハシリウスは優男だし、ケンカなんかしないから頼りなく見えるけれど、男の子の強さってケンカだけじゃ分からないものなんだよ。ハシリウスは誰に対しても優しいし、そして、諦めることを知らないヤツなんだ。だから大丈夫、アマデウスをきっと救い出してくるよ」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「むっ?……」

 ここは、ヘルヴェティカ城の北側にある『蒼の湖』の畔である。一軒の粗末な小屋の中で、観想をしていた老人がそうつぶやいて目を開けた。

 「……いかがなさいました、セントリウス様?」

 セントリウスと呼ばれた老人の側に、白い衣に金の帯を締めた女性が姿を現してそう訊く。彼女は女将ではあるが、星将を束ねる主将でもあった。その長い金髪に飾られた金の宝冠が、その地位を証明している。

 「ポラリスか……。どうやら今度の相手はカノープスらしい」

 セントリウスはそう言って黒曜石のような瞳を細め、ポラリスを見つめた。ポラリスは顔色を変えた。

 「カノープスというと、先の闘将筆頭の?」

 セントリウスはその言葉にうなずくと、白いあごひげを右手でつかみ、目を閉じてつぶやいた。

 「カノープスはいい星将だったが、“闇の秘密”を知ったために、自分が女神アンナ・プルナ様をも超える存在になれると勘違いしてしまった……。惜しい闘将だったが……」

 「セントリウス様、カノープスの強さは段違いです。それに、“闇の秘密”を知った今は、さらに強さを増していることでしょう。たとえシリウスでも、一対一では敵わないかと思います。すぐに私とアンタレスを遣わしてください」

 話を聞いていたのであろう、澄み渡った空の色をした長髪と瞳を持つ風の闘将・アルタイルが顕現して言う。しかし、そこに金の巻き毛が美しい星将・アークトゥルスが顕現した。

 「カノープスの狙いは、セントリウス様かもしれない。デネブがハシリウス殿のそばにいる今、四闘将すべてがセントリウス様の側から離れたら、誰がセントリウス様をお守りするのだ? ベテルギウスもトゥバンも、ベガもレグルスも、『闇の王国』の所在地を探索していて、今ここにはいないのだぞ?」

 アークトゥルスはそう言ってアンタレスとアルタイルの派遣に反対した。ポラリスもうなずいて言う。

 「アルタイル、私もアークトゥルスの意見に賛成です。ハシリウス殿のことは、シリウスとデネブ、そして“日月の乙女たち”に任せましょう」

 しかし、セントリウスは銀色の髪をかきあげると、ニコリと笑って言った。

 「……まあ待て、ポラリス。わしがどうなろうと、ハシリウスを守ることが先じゃ……。アルタイル、すまんがアンタレスとともにシリウスを守ってやってくれんか? まだ、シリウスとデネブを失うには惜しいからのう」

 「セントリウス様!」

 ポラリスは、セントリウスの言葉に不吉なものを感じた。そのため、いつになくポラリスの声は大きく、とげとげしくなった。セントリウスは鋭い瞳を細めたまま、ポラリスに言う。

 「ポラリス、シリウスとデネブ二人でも、今のカノープスには敵うまい。カノープスはすでに星将ではない。“闇の秘密”に心を奪われ、正気を失くしてしまった彼は、闇の12夜叉大将でもない。カノープスは、今や神への反逆者になったのじゃ。そうであれば、何としても今、カノープスを星に還さねばならぬ。そのためには、シリウスとハシリウス、二人がどうしても必要じゃ」

 「ですが、四闘将が一人もいなければ、あなたを守ることは不可能です。もし、カノープスでなくても他の夜叉大将がここを狙ってきたら、どうなさいますか?」

 ポラリスはあくまでそう言って反対するが、そのポラリスをさらに驚愕させるセリフをセントリウスは口にした。

 「今回は、わしもハシリウスを助けに行こう」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 そのころ、ガラスの城の中にいる人間たちを救出することに主眼を置いていたクリムゾンは、夜叉大将クリスタルの配下であるグラスレスの協力を得て、なんとか無事に全員を城の外に誘導することに成功していた。

 「よし、これで最後だな」

 最後の親子連れが外に出て行ったのを確認すると、ガラスの城の出口でクリムゾンはうなずいた。その顔には満足そうな色が浮かんではいるが、しかし、緊張はまだ解いていない。

 「クリムゾン殿、人間たちはもう、この城の中には残っていないようだ」

 そこに、36部衆であるグラスレスが現れて言う。

 「……グラスレス殿、この身にご協力いただいて、感謝する……」

 グラスレスは、クリムゾンが口ごもりつつもお礼の言葉を述べたのを聞いて、一瞬顔を赤くしたが、すぐにクリムゾンの真意に気が付いて笑って答えた。

 「クリムゾン殿、正直に言おう。我らはそなたたち人間からモンスターとかミュータントとか呼ばれているし、“黒魔導士”などと呼ばれているのを知っている。しかし、我らとて好んで他の種族と争っているわけではない。我らとて他人を思いやる気持ちも持っているし、平和に暮らすことを何よりも望んでいる……」

 静かなグラスレスの言葉であったが、その響きには深く、真剣なものがあった。クリムゾンは目を細めて軽くうなずくと、その先を促す。

 「確かに、我らや仲間たちは、人間とは違う。我らには、角があったり翼があったり、しっぽがあったり牙があったりする。皮膚の色も違うものがあるし、そもそも毛皮で覆われていたり、鎧のような皮膚を持つ者もいたりする。しかし、我らとて生きているし、生命の大切さはそれぞれが十分にわきまえているつもりだ」

 つぶやくように話すグラスレスだが、その言葉には段々と熱がこもり、クリムゾンを見つめる目にも必死の色が浮かんできた。クリムゾンは深くうなずくと言う。

 「……今回のそなたの協力を見て、私も認識を新たにした。白状するが、私は辺境にいた時は、モンスターやミュータント、そして黒魔導士たちはこの世に災厄をもたらす存在で、我々人間とは相容れぬ仲だと思い込んでいた。そのことはここで深く謝罪する」

 クリムゾンの懺悔を聞き、グラスレスはひどく意外そうな顔をした。自分たちの仲間内では、“ローテン・トイフェル(緋色の悪魔)”クリムゾンのことは憎悪と畏怖に包まれた噂でもちきりだった。正直、グラスレス自身、クリムゾンの名乗りを聞いたときは、“悪いヤツと出会った!”と体が震えたくらいである。しかし、今、静かに話すクリムゾンは、自分たちの仲間を情け容赦なく殺戮した魔剣士とは思えないほど真摯な慈悲深い青年にしか見えなかった。グラスレスは首を振って言う。

 「……過ぎたことを言っても始まらない。わが主たるクリスタル様はいつもおっしゃっていた。『白魔導士と黒魔導士、人間とその他の生き物、それぞれの中には何か感情の行き違いがある。それぞれがもっと相手の立場に立ち、想像力を働かせて相手の言葉を聞けば、もっと分かり合えるのではないか』と……。その言葉を、私は今、実感している。クリムゾン殿、クロイツェン陛下とハシリウス殿の話し合いの場をぜひ作りたい。お力を貸していただけないか?」

 「……そうだな。そなたのような戦士を束ねる夜叉大将ならば、話し合いの余地はあるかもしれぬ。しかし、そのためには、人間を襲わせたもう一人の夜叉大将を何とかせねばならないが?」

 クリムゾンがそう言った時だった。

 「グラスレス、なぜ、人間どもを逃がした?」

 そう言って、金髪をなびかせながらカノープスが現れた。

 「カノープス様!」

 グラスレスはカノープスに慌てて釈明する。

 「カノープス様、今回の我らの任務は、ハシリウス殿をわがクロイツェン陛下のもとにお連れすることです。人間を襲うことではありません。わが主・クリスタル様は、信義をもってハシリウス殿をお誘いするべく苦心されていましたのに、あんなことをされてはクリスタル様のご苦労が水の泡です」

 カノープスは、グラスレスの釈明を鼻で笑って聞き流すと、その冷え冷えとした視線をクリムゾンにあてて言う。

 「グラスレス、人間がそこにいるようだが? 何故そなたはあの人間を始末しない?」

 それを聞いたクリムゾンは、くっくっと笑って言う。

 「カノープスとか言ったな? それほど人間の血を見たいのであれば、そなたが私の首、見事取ってみるか?」

 それを聞いた途端、カノープスの顔色が変わった。薄い唇をキッと結び、その青い目はさらに冷え冷えとした殺気の輝きを放つ。カノープスは低い声でつぶやくように言った。

 「……私もばかにされたものだな……。人間よ、そなた程度の者が、先の闘将筆頭カノープスに敵うと思うか? シリウスを血祭りに上げる前に、望みどおり、貴様の首から頂こう」

 言いつつカノープスは佩剣を抜いた。抜いたと同時に、体勢を変えもせずにいきなり鋭い突きをクリムゾンに向けて放った。

 「!」「!!」

 声にはならないが、裂帛の気合がその場の空気を切り裂く。グラスレスが驚いたことに、カノープスはいきなり呪文詠唱もせずに“トランス・ストライク”を放ち、クリムゾンはそれを間一髪ではあったがかわしていた。すかさずクリムゾンの剣がカノープスの首筋を狙って振り上げられる。

 チイイン!

 クリムゾンの早業を、カノープスは難なく剣で受けとめた。

 「ふむ……人間よ、貴様、只者ではないな? 名乗れ!」

 カノープスは、相手が普通の魔剣士ではないことを悟り、そうクリムゾンに言う。クリムゾンはカノープスの鋭い剣を飛び下がってかわし、体勢を整えると名乗った。

 「私は、クリムゾン・グローリィ。王女付きの護衛士だ」

 「……そうか、貴様が“ローテン・トイフェル”か。ならば、“ローテン・トイフェル”よ、そなたへの敬意をこめて、私も少しは真剣に勝負させてもらおう」

 カノープスがそう言うと、その目が赤く怪しく光り始めた。

 「!」

 クリムゾンは、カノープスの身体からゆらゆらと陽炎のようなものが立ち上るのが見えた。人間とはいえ、長く辺境にあり幾度も死線を超えてきた歴戦の戦士であるクリムゾンだからこそ察知できた、カノープスの殺気である。

 ――こいつの攻撃を避けることは難しい……よし、ならば!

 クリムゾンは、カノープスの実力を正確に測り、到底自分では太刀打ちできない相手であることを悟った。そして、戦士らしく自らのすべての力をもってカノープスと相討ちになる決心を固めた。

 「?」

 カノープスは、クリムゾンが、身体の前に構えていた剣を左手に持ち替え、ゆっくりと下段の構えに移るのを見て、いぶかしく思った。斬撃は上から下に振り下ろす方が速さと強さに勝ることは自明の理である。それを何故、あいつは……?

 クリムゾンは左手に剣を持ち、右手にはいつの間にか抜いていた短剣を構え、どちらも下段に取っていた。対するカノープスはゆっくりと剣を身体の前から右肩に担ぐように移動する。カノープスの口から、剣の動きとともに呪文が漏れ始めた。

 「……闇の精霊王シュバルツバルドよ、その力をわが剣に与え、この世の光を覆わしめたまえ……“闇の静寂”イム・ルフト!」

 カノープスはその声とともに、必殺の剣をクリムゾンに叩きつけた。

 「闇の精霊シュバルツよ、わが正義を哀れみ、かの者の刃を砕く力をわれに与えよ。“星辰剣・揚羽蝶”!」

 カノープスの剣が、まるで空気を切り裂くような素早さで滑って来るのを見据えながら、クリムゾンはそう呪文を唱え、身を沈めざまカノープスの胴を狙ってこれも電光石火の剣を走らせた。

 キィィィン!

 二人は一瞬の間に体を入れ替えていた。そして、二人同時にゆっくりとお互いの方へと向き直る。

 「……なるほど、“緋色の悪魔”という通り名は伊達ではないな……。浅いとはいえ、私に手傷を負わせた者は、貴様が初めてだよ、クリムゾン」

 カノープスは、左頬を伝う血をゆっくりと右手で拭いながら言う。

 「それに、私の“闇の静寂”を外したのも初めてだ。しかし……」

 カノープスはニヤリと笑うと、ゆっくりと剣を構えなおして言う。

 「もう貴様の負けだ」

 チャリーン、カラカラ……カノープスの言葉が終わるか終らないうちに、クリムゾンの左手の剣が中ほどから折れた。と同時に、クリムゾンの洋服の左わきが裂け、鮮血がほとばしり出た。クリムゾンはくずおれるように左ひざをつく。しかし、大きく肩で息をしているが、カノープスに向けた顔には、まだ闘志があふれていた。

 「……確かに、そなたは私が戦ってきた中では、最強の敵だ。しかし、私とてむざとは死なん」

 クリムゾンはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

 カノープスは、そんなクリムゾンを冷笑しながら見つめていたが、

 「……益体もない、人間とはどうしてこんなに身の程知らずが多いのだ」

 そう吐き捨てると、呪文を詠唱し始める。

 「わが友たる闇の精霊王シュバルツバルドよ、その大いなる力をもってわが前に立つ愚かな者どもを大いなる暗黒へと誘いたまえ……“トランス・ストライク”ウント“闇の静寂”イム・ルフト!」

 カノープスは、クリムゾンに向けて必殺の剣“トランス・ストライク”を放った。

 「“闇の沈黙”!」

 クリムゾンは、“闇の沈黙”の力を短剣に込めた。そして、左ひざをつくと折れた剣を突進してくるカノープスめがけて投げつけた。とともに、

 「クリムゾン殿、私も助太刀いたす!」

 その声とともに、グラスレスが剣を抜いてカノープスに斬りかかった。

 「おうっ!」

 カノープスは危うくクリムゾンの剣を弾き、グラスレスの剣先をかわすとそのままグラスレスの胴を深々と薙ぎ払う。しかし、クリムゾンは自ら投げつけた剣とともにカノープスに突進していた。

 「やっ!」「くっ!」

 ジャリ――――ン!

 カノープスの剣とクリムゾンの短剣が打ち合い、“闇の静寂”と“闇の沈黙”がぶつかり合う音が響き、二人の魔力の爆風が辺りを包んだ。

 「ぐおっ!」

 クリムゾンは爆風によって強かに壁に叩きつけられたが、何とか体勢を立て直す。その視線の先に、同じく壁に叩きつけられたカノープスと、ざっくり割られた腹部を押えながらもゆっくりと立ち上がるグラスレスが見えた。

 「……グラスレス、貴様、何故人間をかばう」

 カノープスは冷たい視線をグラスレスにあてて言う。グラスレスは赤い糸を引く唇をゆがめて笑うと、案外しっかりした声で答えた。

 「我々と人間、そして黒魔導士と白魔導士は、お互いに分かり合えるかもしれないからです。クロイツェン陛下もそのことに気づかれたものと拝察します……。カノープス様、今は争う時ではありません。お互いの本音を語り合う時ではないでしょうか? でなければ、我々の時代には平和は訪れないかもしれません……」

 「グラスレス殿……」

 クリムゾンがそう言いかけた時、カノープスの哄笑が響き渡った。

 「はっはっはっ……グラスレス、貴様もあのクリスタルの理想主義に感化され、つまらない夢を追いかけたばかりに、ここで敢え無く死ぬわけだ……。いいか、この世の基本は闇だ。その真実に目を背ける輩は、いずれにしてもこの世の理を乱す者たちで、生きている資格などない馬鹿者どもだ。私がおとなしく話をしているうちにそこをどけ、グラスレス」

 「いけません! 不必要な争いは平和を遠くします! 私はここをどきません……ぐふっ!」

 あくまでカノープスを諌めようとしたグラスレスの背中から、カノープスの剣先が飛び出した。

 「グラスレス……私の座右の銘は“力こそ正義”だ。闇と光の戦いには、言論は必要ない。ただ、お互いが信じる“正義”をぶつけ合うしかない。そなたはクリスタルと同様、甘すぎる……」

 カノープスはそう静かに言うと、力を込めて剣を払った。

 ズシュッ!

 肉を切り裂き、骨を断つ鈍い音が響き、グラスレスは声も立てずに仰向けに転がった。その姿を冷たく見つめていたカノープスは、その冷徹な視線をクリムゾンに戻した。

 「さて、邪魔が入ったが、勝負の続きをしようではないか? “ローテン・トイフェル”」

 「の……望むところだ……」

 クリムゾンは、出血と痛さで遠くなりつつある意識をかきたてて、そう答えた。その様子を見てカノープスは片頬で笑うと冷たく言い放った。

 「すでに死にかけているそなたを楽にしてやろう。さらばだ! “緋色の悪魔”よ」

 カノープスがそう叫んでクリムソンに斬りかかろうとした時、何かが風を切ってカノープスめがけて飛んできた。

 「!」

 カノープスは危うくそれをよけると、後ろに跳び退って叫んだ。

 「シリウス! 待っていたぞ、出てこい!」

 クリムゾンはそんなカノープスの言葉を聞きながら、ゆっくりと壁に寄りかかり、気を失って崩れ落ちた。

 「慌てるな、俺は逃げも隠れもしない」

 その声とともに、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスが顕現し、床に突き立った蛇矛を引き抜くと肩に担いだ。

 「久しぶりだな、カノープス……」

 星将シリウスはその黒い瞳でカノープスをまっすぐに見つめながら言った。

 「30年ぶりか? 少しは成長したか? シリウスよ」

 カノープスも剣を肩に担ぐと、その青い瞳でシリウスを見据えて訊く。

 「……ごらんのとおりだ」

 シリウスの言葉に、カノープスは乾いた笑いをたて、やがて言った。

 「ふっふっ……確かに少しは腕を上げていそうだ。まあ、“闘将筆頭”であれば不思議はない。しかし、まだ貴様は甘いところがありそうだ。シリウス、私は言ったはずだ、戦いの場ではその優しい瞳を捨てよと……」

 「……カノープス、一つだけ訊かせてほしい」

 シリウスが最後まで言わないうちに、カノープスはその冷たく通る声で言う。

 「今さら何も話すことはない。確かに私がセントリウスを刺した。……闇の力、闇の秘密と引き換えにな……。私はそれで星将を追われたが、後悔はしていない。シリウスよ、闇の秘密を知り、光の力を持てば、何者にも負けぬ強さが手に入る。そなたも、私と同じように星将でもなく、夜叉大将でもない、真の創造主を目指さぬか?」

 シリウスは眉を寄せ、目を閉じてカノープスの言葉を聞いていた。そして、カノープスの言葉が終わると、ゆっくりと息を吐き、目を開けて言った。

 「……カノープス、俺はあんたとこんな形で勝負をしたくなかったが、どうやらこれも運命らしい」

 そして、蛇矛をゆっくりと構えると言った。

 「星将の名にかけて、あんたを星に還す。……覚悟してもらおう」

 「そうか……私の言葉を受け入れられないなら仕方ない……」

 カノープスもゆっくりとそう言うと、薄く笑いを浮かべて剣を執りなおし、今までにないほど冷え冷えとした声で言い放った。

 「闘将筆頭シリウスよ、そなたこそ星に還ってもらおう!」

 カノープスは、叫ぶと同時に左手を挙げた。その途端、カノープスとシリウスのいる空間が闇に満たされ、『ガラスの城』が粉々に砕け散った。

 「おおっ!?」

 シリウスは思わず飛び下がった。間一髪、今までシリウスがいた空間をカノープスの剣が薙ぎ払う。

 ――カノープス、30年前以上に速く、鋭くなっている!

 次々と繰り出されるカノープスの攻撃をかわしながら、シリウスはそう思うと同時に、

 ――しかし、俺があんたを星に還さねばならないんだ! セントリウスのためにも!

 シリウスはそう心で叫び、蛇矛を繰り出した。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ファイナル・スラッシュ!」

 ハシリウスが神剣『ガイアス』を揮うと、ハシリウスと『月の乙女』ルナの行く手をふさいでいたモンスターやミュータントたちは、ひとまとめに一刀両断になる。

 「道を開けなさい!」

 『月の乙女』ルナも、あるいは『アルテミスの弓』で破魔矢を放ち、あるいは『ムーン・スピア』でモンスターたちを突きまくり、あるいは『月光の楯』でハシリウスへの攻撃を防ぎながら、一歩一歩アマデウスがいると思しき『鏡の間』へと突き進んでいく。

 ――だめ、このままじゃきりがないわ……。

 ソフィアのルナは、『闇の使徒の下僕』たちと戦いながら、そう思ったが、

――でも、どんな強敵が控えているのか分からない。ハシリウスのために、私が頑張ってできるだけ多くのモンスターをやっつけないと!

 ルナはそう考え直した。

 確かに、ハシリウスは、ロード・ベレロフォンとともに『ウーリの谷』を守り抜いた時、夜叉大将マルスルの軍2万を一瞬のうちに消滅させている。このくらいの敵であれば、ハシリウスの魔力をもってすれば一網打尽にできる。しかし、それだけの魔法を使えばかなりの体力を消耗し、あとの戦いが不利になる。それでなくてもハシリウスは『魔法伝導過負荷心筋症』という爆弾を抱えているのだ。無理はさせられなかった。

 ハシリウス自身、それが分かっているのだろう。先ほどからほとんど魔法を使わず、剣技と体技だけで戦っている。それにしても、大君主となったハシリウスの剣技は、並みの魔剣士では太刀打ちできないほどの鋭さを持っていた。

 「きゃっ!」

 ルナは、後ろの鏡から突き出てきたモンスターの手に足を払われて体勢が崩れた。その隙を見逃さなかったもう一体のモンスターが、すかさずルナの頭めがけて鋭い斬撃を放つ。

 「!」

 ルナは観念して目を閉じたが、

 キィィン!

 鋭い音がしたので目を開けたルナが見たものは、いつの間にかルナをかばうように神剣『ガイアス』でモンスターの刃を弾いたハシリウスが、反す刃で二体のモンスターを始末する光景だった。

 「大丈夫か? ルナ。無理はするな」

 ハシリウスは碧の目を細めてルナにそう声をかける。ルナは思わず顔を赤くして答えた。

 「あ……ハシリウス……ありがとうございます」

 ハシリウスが差し出した手をつかもうとしたルナの瞳が、ハシリウスを後ろから攻撃してくるモンスターを映して固まった。しかし、ハシリウスは振り返りもせずに頭上に振り下ろされた敵の剣を神剣『ガイアス』で受けとめ、弾くと、そのまま敵を唐竹割にする。

 「足は大丈夫か?」

 ハシリウスから助け起こされたルナは、ハシリウスの早業にぼっとしていたが、そう声をかけられて我に返ると首を振って言う。

 「大丈夫です。何ともありません」

 「そうか……まだ先は長い。無理はするな」

 ハシリウスはそう言って微笑むと、

 「ぬるいっ!」

 すきを窺って突進してきたモンスターたちを振り返りざま斬って捨てた。


 「ふむ……さすがに大君主だな……」

 カノープスの副将である36部衆・ガルバニコフは、『鏡の間』でハシリウスたちの奮戦を見てそうつぶやく。

 「魔法だけでなく、剣技もあれほどとは、正直思わなかった。そなたを囮に使えと言われたカノープス様の慧眼には、いつもながら感服する」

 ガルバニコフは、ぐるぐる巻きにされたアマデウスを見て、勝ち誇ったように言う。

 「……けっ! 言っとくが、ハシリウスは今まで四天王や夜叉大将レベルの敵を何度も打ち破ってきているんだ。お前なんか瞬殺されちまうよ」

 アマデウスはそう憎まれ口をたたいたが、さっと顔色を変え、ゆっくりと近づいてくるガルバニコフの目に殺気を感じて、心の中で激しく後悔した。

 「ほう……この私が『大君主』に瞬殺される? 面白いことを言うねえ、坊や」

 ガルバニコフは右足でアマデウスの顔を踏みつけながら哄笑する。

 「私はね、これでも夜叉大将候補なんだよ。次の定期考査ではまず間違いなく夜叉大将になるし、ここで『大君主』の首をクロイツェン様に持参すれば、シュールの後釜として四天王も夢ではないんだ」

 「そ、そうかい……そりゃよかったな……」

 アマデウスは何とかそう答えたが、ガルバニコフはさらに得意そうに続けた。

 「四天王筆頭のティターン様も、私のことを気に入ってくださっているし、西の天王・ワルキューレや東の天王・デュポーンは私の同期生だ。だから私は必ず『大君主』に勝って見せるよ」

 そう言うと、ガルバニコフは足を離し、アマデウスの耳元で言った。

 「坊や、君については、殺してはならぬと言うカノープス様の言いつけもあるから、これ以上痛めつけはしないよ。しかし、人の心を逆なでするような失言癖は、今から治しておいた方がいいな……」

 そして薄い唇をゆがめると、

 「さもないと、女にモテないぞ?」

 そう言ってまた、高らかに哄笑した。


 「ルナよ、このままでは埒が明かないな……」

 ハシリウスは神剣『ガイアス』を構えたまま、隣で荒い息をしている『月の乙女』ルナに言った。

 「……大君主様、私はまだ大丈夫です。どんな敵がいるかも知れないのですから、大君主様こそあまり無理をなさらないでください」

 やっと息を整えてそう答えたルナは、ハシリウスに飛び掛かってきたモンスターを

 「やっ!」

 という声とともに『ムーン・スピア』で串刺しにする。しかし、ルナの体力とソフィアの精神力は、ハシリウスから見ても明らかに限界を超えようとしていた。

 「ソフィア、もういい……」

 「えっ?」

 『ソフィア』と呼ばれたルナは、びっくりしてハシリウスを振り返る。その顔は、『月の乙女』のそれではなく、ハシリウスの幼なじみでヘルヴェティア王国の王女であるソフィアのそれになっていた。

 「ハシリウス、そんなこと言われたら、シンクロが解けてしまいます」

 ソフィアはそう言うと、ぶるぶると頭を振り、精神を集中してルナの姿に戻る。

 「大君主様、王女様もそして私も、大君主様の力になりたい一心で戦っているのです。そんな優しい声で、私たちの心を乱さないでください……はっ!」

 そう言いつつ、ルナは『クレッセント・ソード』でモンスターを袈裟斬りに斬って落とす。

 ハシリウスは碧の目を細めると、神剣『ガイアス』を顔の前に立てた。

 「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

 ハシリウスは、突然、『28神人呪』を唱え始めた。

 「大君主様! いけません! まだ私は戦えます、無理なさらないでください!」

 ルナはびっくりしてそう叫んだが、ハシリウスは構わず呪文を唱え続ける。唱えているハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。ハシリウスの鼓動は、だんだんと強く響き、その鼓動は『ガラスの城』の波動と共鳴して、心地よい響きを奏で始めた。

 「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しきこの『ガラスの城』の魔力を破砕させしめ給え……」

 ハシリウスが構える神剣『ガイアス』には、昼間ではあるが星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。

 やがてハシリウスは澄んだ声で叫んだ。

 「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神は南へ、ウッタラアシヤダ神は北東へ、アシンビ神は東へ動きたまえ!」

 ハシリウスが神剣『ガイアス』を南に、北東に、そして東にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。

 「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」

 神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。ハシリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、澄み切った声で叫ぶ。

 「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣、大地の刃”!」

 そう叫ぶと同時に、ハシリウスは神剣『ガイアス』を逆手に持ち替え、ドスンと『ガラスの城』の床につきたてた。すると、ハシリウスの身体から円形に光が広がるとともに、神剣『ガイアス』から空に向かって一筋の光が閃き、『ガラスの城』を組み立てている強化ガラスや鏡が、すさまじい音とともに一枚残らず砕け散った。


 一方、『ガラスの城』の外では、クリムゾンに導かれてモンスターの攻撃から脱出してきた人々が、折よく駆けつけてきたレギオンを見てほっとしつつ、その恐ろしさを口々に語っていた。

 「おや、貴女は確か、ハシリウス卿の幼なじみの……」

 アマデウスのことを心配して涙ぐむマチルダを、必死に元気づけていたジョゼは、不意にそう呼びかけられてびっくりして振り向いた。

 「あ、あなたは確か、マスター・アキレウス様?」

 ジョゼがそう答えると、アキレウスは、亜麻色の髪を揺らしながら笑って言う。

 「お久しぶりですね。火竜サランドラの一件以来ですか?」

 そして、灰色の鋭い目を光らせて訊く。

 「貴女がここにいらっしゃるということは、ハシリウス卿もおいでなのですね? そして、通報があったように、この『ガラスの城』は『闇の使徒』たちの巣窟ですね?」

 ジョゼは、表情を凍らせたままうなずく。そして、アキレウスにこれまでのことを話した。

 「……ということは、王女様もこの『ガラスの城』の中においでなのですね?」

 アキレウスは表情を硬くして訊き返した。まずい、これでは状況的に言うと王女様が人質にとられているも同然だ。ハシリウス卿が一緒にいると言っても、相手が悪ければ……。

 憮然として考え込んでしまったアキレウスに、ジョゼがおずおずと話しかける。

 「あの~、マスター・アキレウス?」

 「……あ? 何でしょうか、お嬢さん?」

 ジョゼに話しかけられて考え事を中断されたアキレウスだったが、如才なく笑顔で訊く。

 「あの……この子、学園の理事の娘さんで、マチルダ・ヴァレンタインさんだけど、この子を保護してあげてもらえないかな? ボク、気になるから、ちょっとハシリウスの所に行きたいんだけれど……」

 ジョゼが気軽にそう言ったので、アキレウスは慌てて両手を顔の前で振って言う。

 「じょ、冗談じゃありません! 相手は『闇の使徒』ですよ!? ここはレギオンやハシリウス卿に任せて、お嬢さん方は安全なところにいてください。お二人を保護することについては、私が責任もって請合いますから」

 慌てるアキレウスをしり目に、ジョゼは可愛らしい笑顔を向けてのたまった。

 「あ、ボクのことなら大丈夫だから、気にしないでいいよ。ボクもソフィアと一緒にハシリウスを助けてあげなきゃいけないから」

 その時、二人の後ろから笑い声が聞こえてきた。

 「はっはっはっ……勇猛果敢なマスターシェフ・アキレウスもジョゼ嬢ちゃんには形なしじゃのう」

 その声に、アキレウスが振り返って、驚きの叫びをあげた。

 「おおっ! 筆頭賢者様!」

 アキレウスはそう言うと、セントリウスの前にひざまずいた。

 「ハシリウスのおじい様! お久しぶりです」

 ジョゼは顔を少し赤くしてセントリウスにあいさつした。お転婆なところを見られちゃったかな?――と気にしている顔だ。セントリウスはニコニコと笑いながら、ジョゼとアキレウスに言う。

 「二人とも久しぶりじゃな。……さて、ジョゼ嬢ちゃん、ハシリウスのことを気にしてくれることはとてもうれしい。今回の敵は元・星将のカノープスという者じゃ。こいつは闇の秘密を知って、星将から追われた者じゃが、はっきり言うとシリウスより強いかもしれん」

 「じゃ、余計にボクがハシリウスの側にいてあげないと!」

 そう言って慌てるジョゼを、優しい言葉でセントリウスは引き留める。

 「まあ、待ちなさい。何事も十分な情報を持ち、対策を講じてからのことじゃ。でないと、『太陽の乙女』であってもハシリウスの足手まといになりかねん」

 「……『太陽の乙女』?」

 眉を寄せてつぶやくアキレウスに、セントリウスはその鋭い瞳をあててうなずいて見せると、ジョゼに向き直る。

 「ジョゼ嬢ちゃんや、闇の属性は“包括”じゃ。つまり、すべてを包み込むのがその本性じゃ。そう言った意味では、『月の乙女』の方が闇に近い。しかし、光の性質の中にも“包括”がある。それは、嬢ちゃんなら身体で感じていることと思う」

 セントリウスの言葉に、ジョゼは少し考える顔をしたが、すぐに何かに思い当たったのか、大きくうなずいた。セントリウスは続ける。

 「今回、カノープスはおそらくハシリウスではなく、星将シリウスを狙っているものと思われる。じゃから、ジョゼ嬢ちゃんはハシリウスのもとに行き、ハシリウスが速やかに友人を救い出せるように協力してあげてほしい。シリウスのことは考えなくてもよい」

 「え!? でも、そいつって、シリウスより強いんでしょ? シリウスが危ないんじゃ?」

 びっくりするジョゼに、セントリウスは黒曜石のようなその目を当てて、強く言った。

 「ハシリウスをこの城から出さねば、シリウスも助からないからじゃ。シリウスは、わしが助ける。心配せずともよい」

 セントリウスがそう言った時、物凄い音とともに、『ガラスの城』が粉みじんに砕け散った。

 「おおっ!」

 「きゃああっ!」

 降り注ぐガラスの破片をよけようと、人々が逃げ惑っている中、セントリウスはジョゼを自分の“光のシールド”の中に入れて、破片から守りながら、城の残骸を注意深く眺めていた。

 「おっ! セントリウス様、あそこにハシリウス卿がいます!」

 同じく、“風のシールド”で自身を守っていたアキレウスが、残骸の中ほどに白銀のマントを翻し、神剣『ガイアス』を持っている少年の姿を見つけて叫んだ。

 「うむ……シリウスの姿が見えん……。少し遅かったかもしれぬな……」

 セントリウスはそうつぶやいたが、ジョゼに優しい瞳をあてて言った。

 「どうやら、ハシリウスの心配は要らんようじゃ。ジョゼ嬢ちゃん、そなたの役目は、あそこに倒れている王女様と、クリムゾンをまず救出することじゃな」


 ガルバニコフは激しく動揺していた。噂には聞いていたが、ハシリウスの『大君主』としての魔力の強大さが、自分の想像をはるかに超えていたからである。

 カノープスはこの城の中に、モンスターやミュータントを1万近く配置していた。もちろん、鏡を使って、異空間との間に連絡路を造っていたからそんな芸当もできたのであるが、ハシリウスの魔力からは異空間に退避したモンスターたちですら逃げることができなかったようである……鏡面結界魔法で守られていた『鏡の間』を除いては。

 その『鏡の間』も、ハシリウスの“星々の剣”に耐えられなかったようである。ガルバニコフがいる部屋は、壁も崩れ落ち、床にもひびが入って大きく傾いていた。難攻不落を誇っていた城塞が、一瞬でハダカ城にされてしまったようなものであった。

 ハシリウスは、神剣『ガイアス』を支えにしてゆっくりと立ち上がっていた。ハシリウスは碧の目を細め、口元には微笑みすら浮かべており、あれほどの魔力を示した割には、まだ余裕綽々としているように見える。

 「……さすがだな、『大君主』。倒しがいがあるってものだ」

 ガルバニコフはそう言って剣を抜いたが、声も、そして構えた剣先も、恐怖で少し震えていた。

 「……遅かったな、ゾンネ」

 ガルバニコフを淡々とした視線で見つめながら、ハシリウスはいつもと変わらぬ声で言う。『太陽の乙女』へと変身したジョゼは、くすりと笑って答えた。

 「ごめんなさい。でも、大君主様がいけないのよ? マチルダさんのお守りを私に押し付けるもんだから……」

 ゾンネは、金のヘルメットの奥で可愛く笑うと、両腕の金の腕輪をきらめかせながら『コロナ・ソード』を抜き、『太陽の楯』を構えて言った。

 「あいつは、私が始末します。大君主様は、星将シリウスを助けてあげてください」

 ハシリウスは神剣『ガイアス』を肩に担ぎ、ニヤリと笑うとゾンネに言った。

 「では、そなたに頼もうか……『闇の下僕』の後始末、そなたなら1分とかかるまい」

 ゾンネは真剣な目でガルバニコフを睨みつけていたが、その態度に似合わぬ可愛い声で、声に似合わぬ物騒なことを言った。

 「あら❤ あの程度なら5秒でOKよ」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 一体、どれくらい戦い続けているのだろう?

 星将シリウスと夜叉大将カノープスは、真の闇の中、それぞれの運命に導かれた死闘を続けている。シリウスの蛇矛とカノープスの長剣は、すでに何百回もの討ち合いに耐え続けていた。

 「くっ!」

 カノープスは必殺の“闇の静寂”の力を乗せた長剣を自在に操り、目にも止まらない速さでシリウスの首筋めがけて斬りつける。

 「鋭っ!」

 シリウスはそれを間一髪でよけ、これも必殺の“煉獄の業火”の力を乗せた蛇矛をカノープスの胸板狙って繰り出す。

 「ふんっ!」

 ジャリン!

 カノープスは蛇矛を剣で受けとめると、ニヤリと笑ってシリウスに話しかけた。

 「驚いたよ、シリウス。大した成長だな」

 「ほざけ! あんたはまだ半分も本気じゃないんだろう?」

 シリウスは、肩で息をつきながら言った。

 「とんでもない。私は十分、楽しんでいるよ」

 カノープスは笑いを収めると、薄い唇をゆがめて言う。

 シリウスの銀の衣と髪は、すでに汗でしとどにぬれている。それに比べてカノープスの方は、まだ息一つ乱していない。両者の力量の違いは歴然としており、負けず嫌いのシリウスも、残念ながらそれは認めざるを得なかった。

 「ふむ……シリウス、そなたはもっと強くなる素質がある。しかし、そなたが星将にこだわっている間は、このカノープスを討つことはできぬ」

 カノープスはそう言うと、シリウスの蛇矛を長剣で押しやり、続いて目にも止まらぬ突きを放つ。

 「くそっ!」

 シリウスはそれを予想していたので、さっと後ろに跳び下がる。しかし、カノープスの突きはシリウスの予想を超え、跳び下がるシリウスを追いかけるように伸びてきた。

 「おおっ!?……ぐふっ!」

 シリウスは慌ててカノープスの長剣を蛇矛で払おうとしたが、一瞬遅く、カノープスの剣はシリウスの左の脾腹に突き刺さった。シリウスは痛手にめげず、さらに後ろに跳んだ。長剣が抜けた傷口から、血が噴き出す。

 「ふふ、シリウスよ、私の突きの行き足を見誤ったな。闘将筆頭にあるまじき醜態だぞ」

 カノープスは、片膝をついたシリウスにそう言うと、長剣についたシリウスの血を左手の人差し指ですくい取り、それを口にくわえ、サディスティックな笑みを浮かべて続ける。

 「そなたの血はうまい……。しかし、まだ私にかすり傷ひとつ与えていないではないか。シリウス、闘将筆頭のそなたが、たかが人間風情の“緋色の悪魔”に負けてどうする」

 シリウスは、星の力を集めた手のひらを脾腹の傷に当てた。傷はそれほど深くなかったこともあり、瞬く間にふさがる。シリウスは額の汗をぬぐうとゆっくりと立ち上がった。

 「……カノープスよ、この闘将筆頭シリウスが、人間に劣っているだと?」

 シリウスは口元をゆがめてそうつぶやくと、カノープスに鋭い視線を投げた。その瞳はいつもの黒ではなく、青く澄んだ光を放っている。

 「……面白い、このシリウスの力がどれほどか、とっくりと味わってもらおう」

 そう吐き捨てるシリウスの身体から青白い炎がゆらゆらと立ち上がり、青白い光を放ち始めた。シリウスの周りの空気が沸き立ち、波動となってカノープスの身体に押し寄せる。並みのモンスターや悪神であれば、それだけで消滅してしまいそうなほど凄絶なシリウスの殺気である。

 しかし、カノープスはその殺気をまともに浴びても身じろぎもせず、青い目を細めて言い放った。

 「くっくっ、いいねえ、この殺気……さて、シリウスよ、私をもっと楽しませてくれ」

 「減らず口もそこまでだ! 行くぜ、“煉獄の業火”!」

 シリウスは渾身の力を振り絞って、蛇矛を繰り出すとともに、その蛇矛に乗せて“煉獄の業火”を放った。青く光るシリウスの炎は、狙い過たずカノープスの胸元に伸びていく。

 「この程度で怒るなぞ、そなたはまだ甘いんだよ、シリウス」

 カノープスはそうつぶやくと、長剣の刃で“煉獄の業火”を弾き返した。それはそのままシリウスに向かって投げ返されていく。

 「くそっ!」

 シリウスは自分の“煉獄の業火”を蛇矛で斬り払った。しかし、シリウスの目は“煉獄の業火”の後ろから自分の胸元めがけて飛び込んでくるカノープスの姿を映し、大きく見開かれた。

 「くっ!」

 シリウスは蛇矛の石突でカノープスの剣を払おうとした。しかし、カノープスの剣は蛇矛の攻撃をかわし、そのままシリウスの胸に深々と突き立った。

 「ぐおっ!」

 苦しげな叫びをあげ、口から鮮血を吹き出すシリウスの瞳に、ニヤニヤと笑うカノープスの顔が映る。カノープスは右手で剣をひねり、左手でシリウスの蛇矛を押えると、シリウスの耳元に唇を寄せてささやいた。

 「……シリウス、そなたを殺したくはない。どうだ、私の仲間になり、クロイツェンを征伐し、アンナ・プルナを倒して、世界の創造主にならないか?」

 「く、……こ、断る……」

 シリウスはやっとそれだけを言うと、自由な左手でカノープスの剣を押えようとした。しかし、カノープスは眉一つ動かさずに、

 「そうか、残念だ。ではシリウスよ、星に還れ!」

 そう言うと長剣を横に薙ぎ払った。

 「ぐああっ!」

 吹き出す血の音とともに、シリウスの叫びが闇の中にこだました。

 カノープスが跳び下がると、おびただしい血を失ったシリウスの顔は見る見るうちに蒼白となり、わななく唇からも赤い糸を引いている。その糸はだんだんと太くなり、いまやシリウスの左半身は真っ赤に染まってしまっていた。

 「ではシリウス、そなたの首級をいただこう」

 カノープスがそう言いながら、ゆらゆらと突っ立っているシリウスに近づいた時、シリウスは最後の力を振り絞って鋭い逆袈裟を浴びせた。

 「ぐおっ!」

 カノープスは、思わず叫び、左手で顔を押えながら跳び下がった。

 「く……ふ……」

 シリウスは濁った眼でカノープスを眺め、ニコリと笑うとそのままどうと仰向けに倒れた。

 「……シリウス……貴様、よくも私の顔に……」

 カノープスが左手を離すと、ざっくりと割られた左頬と左目からさっと血が流れおちた。カノープスは思わず哄笑する。

 「はっはっはっ……せっかく私も本気を出そうと思っていたのに。闘将筆頭シリウスの最期の攻撃が、こんなかすり傷だとはね。情けない、星将の質も落ちたものだ」

 そしてキッとシリウスを睨みつけると、剣を逆手に持ち替えてシリウスの首を掻こうとした。

 「!」

 まさにシリウスの首を刺そうとしたその時、カノープスは自分を狙って飛んでくる何かを察知して跳び下がった。

 「そこまでじゃ、カノープス。シリウスを死なせるわけにはいかん」

 カノープスがその声がした方を見ると、セントリウスが星将アンタレス、アルタイルそしてデネブを従えて立っていた。

 「久しぶりだな、カノープス。相も変わらず魔性の剣を揮っているようじゃの」

 セントリウスの声は、まるで友人に言うような何気なさであるが、その瞳はこれまでにない鋭い光を放っていた。さしものカノープスも、セントリウスのその眼光に射すくめられたのか、身体が痺れたようになってしまう。

 「シリウス! しっかりしな! 大君主を残して死んじゃだめだよ!」

 ぼろきれのように横たわる変わり果てたシリウスの姿を見つけたデネブが、敵の目もはばからずシリウスに取りすがって叫ぶ。アンタレスとアルタイルはそれを痛ましそうに見つめていたが、やがてそれぞれの得物を構えた。

 「シリウスの仇は取らせてもらう」

 アンタレスがその偉大な青竜偃月刀を振りかぶれば、

 「デネブの悔しさも加えてな……」

 アルタイルもその長大な“風の槍”を構える。

 カノープスは目を細めてセントリウスを睨みつけていたが、やがてふっと笑うと、

 「や~めた、やめた。つまらない勝負は私の性に合わないからね。セントリウス、私の望みは大君主の首だ。そなたのような白髪首には用はないよ」

 そう言っていずこかへと消え去った。

 「アルタイル、アンタレス、デネブに手を貸して、シリウスを天界へ運んでほしい」

 セントリウスはそう命令し、心配そうにしているアンタレスに、付け加えて言った。

 「大丈夫じゃ。ポラリスとスピカ、ベガがすでにわしの周りに『星楯陣』を組んでいる」


決の章 ガラスの迷路を突き破れ


 『ガラスの城』のせいで、アクエリアス(新暦)823年の『風の祭』は、それまでにない混乱を見せていた。アキレウスとハシリウスから事情を聴いた大賢人ゼイウスは、とりあえず『風の祭』の会場を一時閉鎖し、逃げ遅れた人々がいないかどうか、また『闇の使徒』の痕跡がないかどうかアキレウス軍団をもって徹底的に場内を捜索させた。

 「約100人の方々が、『闇の使徒』から殺され、または傷を負わされました。こんなことはこの国始まって以来の不祥事です。セントリウス、何とか『闇の使徒』たちを征伐できませんか?」

 ゼイウスやアキレウスからの報告を受けた女王・エスメラルダは、一日、セントリウスを王宮に召して親しく善後策を話し合っていた。

 「陛下は、先のアナスタシア陛下から『クロイツェン・ゾロヴェスター』の話をお聞きになっておられますか?」

 セントリウスは、銀色の髪を揺らし、黒曜石のようなその目をエスメラルダに向けて訊く。エスメラルダはうなずいて言った。

 「『ローザンヌの魔法会議』の後に起こったことについてですね? 聞いています」

 セントリウスはニコリと笑うと、

 「奴らは、闇の世界を基本としています。それ自体は間違いでありません。この世の大本は闇であり、その闇の中に創造神アルビオンの御心により光が生まれました……この場合の“光”とは、“生命”と同義語です」

 そう静かに言う。

 「私も、闇と光の秘密をすべてつかんでいるわけではありません。しかし、星が教えるところによれば、闇と光は対立する物でなく、相互に依存し、相互に響きあう性質も持っています」

 「……セントリウス、そなたの言うこと、何となくではあるが分かる気がします。光と闇は、相互に包み込みあうもの……そうではありませんか?」

 自身も光魔法を使う女王・エスメラルダは、言葉を選びながらそう言う。セントリウスは大きくうなずいた。

 「御意、しかし、一番大切な視点は、なぜ生命が生まれたか、です。創造神アルビオンは、なぜ森羅万象を形作ったのち、我ら人間を万物の霊長としてこの世に送り出されたか……この視点に立てば、闇を基本としつつ、光を基礎にこの世を考えるべきだという、わが祖先であるファン・カレイジウス猊下の主張に耳を傾けざるを得ません」

 セントリウスの言葉に、エスメラルダもうなずく。

 「だから、『ローザンヌの魔法会議』の後、光魔法を頂点とする魔法体系が形作られたのではないですか?」

 セントリウスは、目を閉じて何かを考えていた。しかし、自分が考えていることを適切に表す言葉が見つからなかったのであろう、目を開けるとゆっくりと右の人差し指を立て、その指先にポッと光をともして見せる。光魔法の基本中の基本“シャイン・ランタン”である。

 「おお、美しい光ですこと……」

 エスメラルダは、セントリウスの“シャイン・ランタン”をうっとりと見つめて言う。“シャイン・ランタン”の光の色や明るさには、使う術者の心根が反映すると言われている。

 「光魔法も、使い方を間違えればすべてを破壊します」

 セントリウスの静かな言葉に、エスメラルダは

 「そのような輩が、この国を狙っているということですね?」

 そう言って眉をひそめる。セントリウスは“シャイン・ランタン”を消すと、難しい顔で言う。

 「クロイツェンの王国の位置は、まだはっきりと分かっていません。分かり次第、私とハシリウスでクロイツェンを征伐します」

 「セントリウス……そなたがそんな難しい表情をするのを初めて見ました。そなたとハシリウス卿、二人でかかっても難しい敵なのですね?」

 セントリウスは首を振って言う。

 「クロイツェンを倒すだけであれば、おそらくハシリウス一人ででも大丈夫でしょう。しかし、闇を倒すことはできません。光と闇、そのバランスを崩さずに、クロイツェンを封じること……それが大事なのです」

 「光と闇のバランス……」

 エスメラルダが繰り返すのに、セントリウスはやっと笑顔を見せて言った。

 「ハシリウスがおります。ハシリウスは、私よりも光と闇の秘密に近い位置におります。彼ならば、陛下やソフィア殿下のために、やってのけるでしょう。そう信じています」

 

 「ええっ! シリウスが?」

 ハシリウスは、『蒼の湖』の畔にあるセントリウスの部屋で、星将ポラリスから星将シリウスの受難について話を聞いてびっくりした。そう言えば、『ガラスの城』の中で別れて以来、この2日間、シリウスの気配がまったく感じられなかったことに気が付いた。

 「相手のカノープスは、元星将で、シリウスを凌ぐ猛者でした。“闇の秘密”を知って以来、言動が傲慢になり、ついに人を傷つけたかどをもって、28神人から星将位を剥奪されたのです」

 星将ポラリスは、豊かな金髪を揺らしながら、ハシリウスをじっと見つめて話す。ハシリウスは心配そうに訊いた。

 「シリウスの容態はどんなふう? 僕がお見舞いに行けそうかい?」

 星将ポラリスは、その優しい顔を曇らせて黙ったが、しばらくすると意を決したように言った。

 「……私は、ずっとあなたとシリウスの仲を見ていました。あなた方からは、人間と星将という関係を超えた特別な関係を感じます。ですから、今回のことも包まずにあなたに話した方がよいでしょう」

 「シリウス……そんなに悪いの?」

 ポラリスの言葉から不吉なものを感じたハシリウスは、恐る恐る聞く。ポラリスは静かにうなずくと言った。

 「消滅しなかったのが不思議なくらいです。あれほどのダメージを私が受けたら、今頃は星に還っていることでしょう。シリウスは、今も意識が戻ったり、眠ったりしています。シリウスのことですから、きっと良くなると信じていますが、予断は許さないという状況です」

 「嘘だ! あのシリウスがそんなことになるなんて嘘だ! ねえポラリス、僕をシリウスの所に連れて行ってくれないか。シリウスを元気づけたいんだ」

 ハシリウスがそう叫んだが、

 「あきまへん! 大君主様、シリウスの兄ぃは人間の言葉で言えば“面会謝絶”でっせ。今はあきまへん。……けど、シリウスの兄ぃのことです。きっとよくならはります。それを信じて待っておくんなはりまへんか?」

 緑の髪を揺らしながら、星将トゥバンが顕現して言う。トゥバンの目にも涙が光っている。トゥバンとしても信じられないのだろう、あのシリウスが死線をさまようほどにやられるなんて。

 「シリウスのことは、女神アンナ・プルナ様とデネブに任せましょう。それより大君主様、今後のことについてです」

 金髪を細い指にからませながら、星将アークトゥルスが顕現して言う。彼は12星将きっての智将で、ハシリウスのことを最初から『大君主』として認めていた星将の一人であった。

 「今後のこと?」

 ハシリウスが言うと、栗色の髪をした12星将随一のイケメン・星将ベテルギウスも姿を現して言う。

 「今回、シリウスと戦ったカノープスは、必ずあなたを狙ってきます。その対策をたてようということです」

 「対策?」

 「はい、カノープスは凶悪な悪神です。しかし、セントリウス様の側にはポラリス、スピカ、ベガ、レグルス、そしてアルタイルとアンタレスがいますので、たとえカノープスが現れても大丈夫です」

 星将アークトゥルスは、ややうるさげな前髪をいじりながら、静かな声で言う。

 「しかし問題は……」

 そこでアークトゥルスは髪をさわる手を止めて、ハシリウスをその青い目で見つめて言う。

 「シリウスの側にデネブとプロキオンがいますので、ハシリウス、あなたを守れるのは私とベテルギウスとトゥバンしかいないということです」

 「それはそれで構わない……ていうか、カノープスとかいう奴が現れたら、僕がシリウスの仇を取ってやる」

 ハシリウスは、常に似合わずその顔を紅潮させている。シリウスがひどい目に遭わされたということが、ハシリウスの心の平穏を乱していた。

 「だめだよ、ハシリウス。そんなに怒っていちゃ、ボクにだって勝てないよ」

 ジョゼが泉から水を汲んだ桶を抱え、部屋に入ってきて言う。

 「だって、ジョゼ……」

 ハシリウスがムキになって言うのに、ジョゼは優しい微笑みを漏らし、

 「……ハシリウス、気に障ったら謝るよ。でも、話を聞いているとそのカノープスってやつは、一筋縄じゃいかないよ。そいつと戦う時は、怒っちゃだめだ。怒ったら、そいつ以外のことが見えなくなって、どんな罠に引っかかるか分からない」

 ハシリウスの手を取ってそう言う。星将アークトゥルスもうなずく。

 「大君主様、『太陽の乙女』の申す通りです。戦いの原則は、『大胆に、かつ冷静に』です。大君主様ならば、カノープスに勝つかもしれません。しかし、私たち星将や『日月の乙女たち』の力を合わせて戦えば、勝つ確率は断然、上がります」

 ハシリウスは、ジョゼの心配そうな顔と、それでもハシリウスを信頼しきっているその瞳を見つめているうちに、心が落ち着いてきた。ふっと吐息を漏らすと、ハシリウスは笑って星将たちに問いかけた。

 「じゃ、悪いが星将アークトゥルス、『もしもカノープスがギムナジウムに現れたら』、という前提で作戦を立ててみてくれないか?」

 「ギムナジウムに……ですか? 確かに、あそこならば大君主様のご友人たちがいて、戦いにくい場所ですね……これは盲点でした」

 アークトゥルスは一本取られたという顔で言う。

 その時、星将ベテルギウスがドアの外を見つめ、鋭い声で問いかけた。

 「そこにいる夜叉大将よ、用事があるなら顕現して物申せ。さもなくばこちらから行くぞ!」

 それを聞いて、星将トゥバンとアークトゥルスがハシリウスの左右を守り、ジョゼがハシリウスのやや後ろに控える陣形を取った。ジョゼはすでに『太陽の乙女』ゾンネへと変身している。

 ハシリウスは、目を閉じて息を整えた。ただそれだけで、『暁の鎧』に身を固め、神剣『ガイアス』を佩き、金の額当てと金の鎧、白銀のマント、銀の手甲と脛当てに身を包んだ『大君主』へと変貌する。

 ハシリウスが『大君主』の姿を現すとともに、ドアの前に金の長髪が美しい、線の細い男が現れた。夜叉大将クリスタルである。

 「お初にお目にかかります、大君主ハシリウス殿。わが名は夜叉大将クリスタル。わが主たるクロイツェン陛下の使いとして参りました」

 クリスタルはその黒曜石のような目を細め、男にしては優しい声でハシリウスに呼びかける。ハシリウスは碧の目を細め、5秒ほどクリスタルを凝視していたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 「丁寧なごあいさつ痛み入る。『ガラスの城』でのことは、クリムゾン殿やアマデウスから聞いている。私と話がしたいそうだな」

 クリスタルは長い金髪を揺らして、首を振る。

 「話がしたいと仰っていたのは、わが主人たるクロイツェン陛下です。そのために私が遣わされ、ハシリウス殿を陛下の離宮にお連れする予定だったのです。しかし、状況が変わりました」

 「? 状況が変わったとは?」

 ハシリウスが首を傾げる。そんなハシリウスを見て、クリスタルは、

 ――確かに、ハシリウスは『大君主』にふさわしい少年だ。まだその能力は完全には開花していないようだが、今でさえクロイツェン陛下より強いかもしれぬ。

 そう感じていた。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ――ここは、どこだ?

 星将シリウスは、ぼんやりとかすむ目を開けた。まぶしくて何も見えず、シリウスは思わず手を動かそうとした。

 「つっ!」

 身体中に走る激痛に、シリウスが声をあげた時、すぐそばで

 「あっ、シリウス! よかった……目覚めたんだね」

 という声とともに、誰かがシリウスの顔を覗き込んでくる。痛さによって意識がはっきりし、ようやく霞みが取れたシリウスの目に、心配そうにしている星将デネブの顔が映った。

 「……デネブか……。俺はまだ生きているんだな」

 シリウスが言うのに、デネブはほっとした表情を見せる。

 「死んでもらっちゃ困るよ。でもよかった……なかなか目を覚まさなかったから、アンタがこのまま星に還っちまうんじゃないかと思ってた」

 「俺は、どのくらい眠っていた?」

 「……まる2日ですよ。デネブはその間、一睡もせずにあなたのことを看護していました」

 星将プロキオンが、これもホッとした表情を見せて言う。

 「そうか……世話をかけた、デネブ」

 シリウスがつぶやくと、デネブは頬を染めて、慌てて言う。

 「ばっ、バカっ、勘違いするんじゃないよ。あたしは、あのカノープスに『闘将筆頭ってこんなもんか』って思われたら悔しいから、アンタにリベンジしてもらいたいだけだよ」

 その言葉に、シリウスは目を閉じ、眉を寄せて何かを考え込んでしまう。そんなシリウスの様子に気づかず、プロキオンはデネブをからかった。

 「へぇ~、だから食事もとらずにシリウスにつきっきりで、手まで握っちゃってたんだあ~」

 「うっ、うっさいわねェ! 余計なこと言うんじゃないわよ!」

 デネブは真っ赤になってプロキオンに怒鳴る。そして、シリウスの様子に気が付いてはっとした。

 「ご、ゴメン、シリウス。うるさくして……シリウス?」

 デネブが心配そうに言うと、シリウスはゆっくりと目を開けて訊いた。

 「カノープスは、なぜ俺にとどめを刺さなかったんだ?」

 「セントリウスが守ってくれたんだよ。さもないとアンタの首、今頃はカノープスがクロイツェンに捧げてるだろうさ」

 「……そうか……」

 デネブの言葉で『カノープスが自分を見逃したのではないか?』という想像が打ち消され、シリウスはカノープスに対する迷いを消した。シリウスはその黒い瞳に強い光を宿して、誰にともなく言った。

 「俺は、カノープスの言う通り、まだ甘かった……。しかし、もう迷いはない。必ずカノープスを星に還す!」

 デネブはくすりと笑うと、快活に言った。

 「……よかった、いつものアンタらしくなって……。でも、そのためにはまだ養生が必要だよ。早くいつものアンタを見せてやらないと、ハシリウスが心配するからね」

 「そうだ、ハシリウスは無事か?」

 シリウスが言うと、プロキオンがうなずいて言う。

 「大君主様なら、まったく何ともありませんよ。それに『闇の下僕』は『太陽の乙女』が始末しましたし、『月の乙女』も“緋色の悪魔”もみんな無事です。なんなら、私が水鏡でお見せしましょうか?」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「セントリウス……」

 『風の谷』の北には、『青の山脈』と呼ばれる山々がそびえている。その険しい山々の中にある洞窟で、カノープスは考え込んでいた。

 『相変わらず、魔性の剣を揮っているようじゃのう』

 ――あの時、なぜ私はセントリウスに飛び掛からなかったのか。今なら、セントリウスの命すら、奪えたのではないか? 30年以上の年月は、確実にセントリウスに老いをもたらし、星の戦神たる自分はあのころのままなのに……。

 しかし、カノープスは、セントリウスの眼光に射すくめられたように動けなくなっていた。それだけではない、闘志や緊張感すら、あの時のカノープスからは失せてしまっていた。

 「私に『闇の秘密』を教えたのは、セントリウス、貴様だったではないか。その『闇の秘密』があったればこそ、あの時、シリウスを救い、クロイツェンを封じることができたのではないか!」

 カノープスは、誰もいない空間を見つめ、そこにセントリウスがいるかのように激しく自分の気持ちをぶつけた。


 それは、アクエリアス790年、今から30年以上前のことである。

 時の大賢人筆頭補佐という要職にあったセントリウス・ペンドラゴンに、時のヘルヴェティア王国女王たるアナスタシア3世から『闇の帝王』クロイツェン・ゾロヴェスターとその一統の征伐命令が下った。クロイツェン一味が黒魔導士やモンスターの軍団を整備し、ヘルヴェティア王国と友好関係にある諸国に対して侵攻を開始し始めたからである。

 セントリウスは、12人の星将とともに3年がかりで各地にはびこった『魔軍団』を壊滅させ、ついにクロイツェンの本拠地であるシュバルツヴァルデンに総攻撃をかけた。その時に参加したのが、現筆頭ロードであるネストル・イオニアクスや、バルデール・ヘルヴェティカ、現マスターの一人である若き日のペリクレス、アイネイアス、オデュッセウス、アガメムノン、テミストクレス、そしてレオニダスの父の大レオニダスであった。

 戦いは長引いた。ヘルヴェティア王国軍がレギオン(王国正規軍)と各谷のヨーマンリー(地方軍)含めて10万だったのに対して、魔軍団は36万を数えたのだから、それも当然だったろう。

 その状況を打破するため、セントリウスは最終手段を取ることにした。“闇の力”には“闇の力”を――セントリウスは12星将中、特に信頼する4闘将、筆頭カノープス、アルタイル、アンタレス、そしてシリウスに、“闇の秘密”を授け、自らとともに『シュバルツ・カイル』と呼ばれる星将陣を組み、見事にクロイツェンを封じた。

 しかし、元々星将は光の戦神である。“闇の力”は星将の力を一時的に増大させはするが、その精神をゆがめ、力を暴走させることにもなる。セントリウスはそのことを案じ、4闘将には十分に注意をするとともに、特に闘将で最も若く経験が浅いシリウスには、

 『シリウス、そなたは常にわしとともにあり、わしの背後を守ってくれ。戦いに入れば、わしは振り向く余裕はなくなる。十分に注意して行動するのだ。頼んだぞ』

 そう言葉をかけていたのである。

 しかし、クロイツェンの城に突入すると、まずシリウスが“魔力の暴走”によりセントリウスの手綱を放れて暴れはじめた。シリウスの暴走は『魔軍団』を壊滅させるほどのものだったが、シリウスには理性が残っていたのか、ヘルヴェティア王国軍へはその力は向かなかった。

 しかし、筆頭カノープスは冷静に魔力を使い、セントリウスを最後まで助け続けた。その彼も、“闇の力”に酔い、

 ――この秘密さえあれば、私は世界の創造主になれる!

 そう思ってしまったのである。

 カノープスは、この力を失うことを恐れた。そしてシリウスがセントリウスにより白銀のオオカミに封印される場面を見て、ついにカノープスはセントリウスから離れることを決意した。

 それから先は、カノープス自身も覚えていない。気が付いた時には、セントリウスは朱に染まって倒れ、カノープスは血塗れた剣を持って突っ立っていたのだ。

 その場面を最初に見つけた星将アルタイルは、アンタレス、デネブ、レグルスとともにカノープスに挑みかかってきたが、カノープスは彼らを叩きのめし、星将の地位を失うことになってしまった。

 「私は、必ず創造主となる。そのためには大君主の魔力が必要だ。セントリウス、そなたの孫を私が討ち取るとは、数奇な運命というべきかな……」

 カノープスは思い出から浮かび上がると、剣を抜いて刀身を見つめながらつぶやいた。その目は冷え冷えとした青い光を放っていた。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「状況が変わったとは、どういうことだ? 話し合いは必要なくなったということか?」

 ハシリウスは碧の目を細めて夜叉大将クリスタルに問いかけた。クリスタルは不思議な笑いを浮かべて言う。

 「私の代わりに、カノープスという者が、ハシリウス殿への使いに任じられました」

 「カノープスというと、シリウスをひどい目に遭わせてくれたヤツだな? そんなヤツが私に何の用だ?」

 ハシリウスの声が少し冷たくなる。クリスタルは、その微妙な声の変化に気づいた。

 「カノープスは、あなたを陛下の離宮にお連れする任務を受けていますが、その実は鏡の魔宮によってあなたを始末するつもりです」

 「……どういうことだ?」

 ハシリウスはすうっと目を細めると、鋭いまなざしでクリスタルの目を見据えた。自分たちの仲間の手の内をばらすなど、裏切り行為ではないか。それとも、クリスタルが嘘をついているのか?

 ハシリウスや周りの星将の気持ちが分かったのか、クリスタルは笑って言う。

 「はっはっ……カノープスの手の内をばらすのは裏切り行為……あるいは私があなたを罠にはめに来たのかと疑っていらっしゃいますな」

 「クリスタル殿と私は、今現在は少なくとも味方ではないからな。当然の用心だと思うが?」

 ハシリウスの言葉に、クリスタルは居住まいを正して言う。

 「今現在は少なくとも味方ではない……そうですね。しかし、私はあなたのその言い方に期待を持ちます。私たちとあなた方は、決して分かり合えぬ間柄ではないと……分かり合い、お互いに譲歩できるのであれば、我々とあなた方は平和に暮らせるというものです。そうではありませんか?」

 その言葉に、ハシリウスはうなずく。ハシリウスのうなずきを見て、クリスタルは続ける。

 「私は、戦場では策も弄しますし、敵に慈悲もかけません。しかし、こと話し合いの場では、信義が最も大切だと思っています。お互いに信義さえあれば、戦わずとも良いことがたくさんありますから。戦は最後の、最も愚劣な手段です」

 「クリスタル殿、あなたの誠意は伝わった。しかし、それと同胞の策をこちらに告げる行為とは、また別物ではないかという気がするが?」

 ハシリウスはクリスタルの目を見て、“この人物は信用できる”と思った。しかし、仲間を裏切る人物は、最終的には信頼が置けないとも思っている。そこで、そう疑問をぶつけてみたのである。

 「……カノープスの望みは、女神アンナ・プルナやわが主・クロイツェン陛下にとって代わることです。彼はその意味では私たちにとっても敵……お分かりでしょう? クロイツェン陛下の目も節穴ではありません。今回のカノープスの動きから、その邪な野望を知り、あなたと戦わせることで彼を始末しようと考えられたわけです。失礼ながらあなたが負けたとしても、カノープスは私とクロイツェン陛下で始末できますから」

 クリスタルは内情まであからさまに語った。ハシリウスは苦笑する。そんなハシリウスに、クリスタルは一言告げて消えた。

 「カノープスは、“闇の秘密”を知っていると思っています。しかし、陛下が仰るには、彼はまだ闇の本質までには手が届いていません。そのことをあなたに伝えよと陛下から命令がありましたので、ご忠告かたがた参りました。私は、あなたと陛下の話し合いがなされれば、この世は平和になるものと思っています。ご武運を祈ります」


 「はっ!?」

 カノープスは、クロイツェン直々に下された命令を聞いて、思わずそう訊き返した。クロイツェンは玉座に座り、いつもの冷え冷えとした声で言う。

 「聞こえなかったのか? カノープスよ。そなたがハシリウス卿を『イスの国』にあるわしの離宮に案内してまいれと言ったのだ」

 クロイツェンはそう言うと、

 「前回のクリスタルのようなヘマは許さん。期待しているからな、元星将カノープス」

 そう、笑いながら言って謁見の間から退室した。

 ――どういうことだ?

 一人取り残されたカノープスが、命令の意味を忖度しようと首を傾げる。そんなカノープスに、『黒き知恵の賢者』バルバロッサが現れて言った。

 「カノープス殿、前回の作戦、あれは私がクリスタルに『ハシリウスを殺せ』と命令したにもかかわらず失敗した。そなたは私の意図をよく読み取り、星将シリウスを始末し、ハシリウスに痛手を与えている。だから今回私が陛下に勧めて、そなたにこの仕事を仕上げてもらおうと考えたのだ」

 「……つまり、大君主の首を挙げてこい、とそう言われるのだな?」

 『話し合いではない、戦って来い』と言われたに等しいカノープスは、猛気を取り戻した。バルバロッサはそんなカノープスを見つめて微笑むと、大きくうなずいた。

 「カノープスよ、大君主ハシリウスはどう考えても我らの最大の敵だ。生かしておくわけにはいかん。シリウス亡き今が、ハシリウスを葬る絶好のチャンスだ。いかなる策を弄しても、ぜひともハシリウスの首を持ってきてもらいたい」

 バルバロッサの言葉を含み笑いで聞いていたカノープスは、薄い唇をゆがめて言い放った。

 「お安い御用だ。ここ一両日のうちに、ハシリウスの首とセントリウスの首を、陛下に捧げよう」

 そう言うとカノープスは姿をくらました。

 バルバロッサは、静かにたたずんでいたが、カノープスの気配が完全に消えたのを確認したうえで、クロイツェンに呼びかけた。

 「陛下、これでよろしいでしょうか?」

 すると、クロイツェンは微笑みを浮かべながら玉座に戻り、ブリザードより冷たい声でバルバロッサに言った。

 「裏切り者を使って大君主を始末する……。なかなかいい発案だなバルバロッサよ」

 バルバロッサは仮面のような顔をうつむけると言った。

 「カノープスは陛下を倒す意思を持っています。我らの仲間ではありません。さすれば、ハシリウスが勝ってもカノープスが勝っても、あまり変わりはありません」

 「カノープスが勝ったら?」

 当然のクロイツェンの問いに、バルバロッサは眉一つ動かさずに言った。

 「すでにヤヌスルとマルスル、イークに命令を出しました。カノープスがこの国に戻ってこない場合は、タナトスの出番です」

 「ハシリウスが勝てば、クリスタルに命じてハシリウスをわが離宮に招待せよ」

 クロイツェンはそう言うと、目を細めて笑った。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「あ、あのな……ハシリウス」

 もう寝ようとベッドを整え始めたハシリウスに、言いづらそうにアマデウスが話しかけてきた。ハシリウスはいつもの屈託ない笑顔で聞く。

 「なんだい?」

 「お、お前の“魔導士バッジ”のことだけれど……すまんな」

 ハシリウスは笑って言った。

 「気にするなよ。バッジの不正使用については親告罪だし、僕はお前を訴えるつもりなんてないぞ。僕に間違われたことで、もう十分怖い目にもあっただろう?」

 ハシリウスの言葉に、心底懲りたような顔でアマデウスが答える。

 「あ、ああ……もうあんなこと、こりごりだ……時に、ハシリウス……」

 「ん? まだ何かあるのか?」

 ハシリウスが言うと、アマデウスは少し顔を赤くして、小さな声で訊く。

 「マチルダちゃんのことだけど……」

 ハシリウスはニヤリと笑って、アマデウスに笑顔で言った。

 「大丈夫さ、内緒にしておくよ。さ、もう寝ようぜ」

 「おお、恩に着るぜ。お休み、ハシリウス」

 「ああ、明日は優しく起こしてくれよな」

 「それは約束できないな~」

 二人はそう、笑いあいながら眠りについた。


 消灯時間も過ぎ、夜も更けたころ、ジョゼは夢を見てうなされていた。

 『シリウスの仇だ、覚悟してもらおう』

 ハシリウスが、金髪の優男に向かって神剣『ガイアス』を突き出す。その優男はまだ抜きもせずに、腕を組んだままハシリウスをニヤニヤと笑って眺めている。

 ――あれが、元星将のカノープス!

 ジョゼは夢の中でそう思い、身体を固くした。はた目から見ても、カノープスは余裕があり、ハシリウスの挑戦を楽しんでいるようだ。

 『ふ~ん、さすがに大君主と言われるだけはある。大した魔力だ。でも無駄だよ。私は神だ、そなたは人間……人間には神を殺せない……』

 小ばかにしたようなその男の言い草に、ハシリウスはその碧の目を細めて答える。

 『“闇の力”にとらわれた星将の末路、自身でたっぷりと味わってもらおう……行くぞ、“月の波動”イム・ルフト!』

 ハシリウスは身体にためた光の魔力を、神剣『ガイアス』で増幅し、叩きつけるようにカノープスへと撃ち込んだ。“月の波動”はカノープスを包み込み、物凄い爆発を起こす。

 ――やった!

 もうもうと上がる爆炎を見て、ジョゼはハシリウスの勝利を確信した。しかし、

 『はっはっはっ、この程度じゃねえ……ねぇ、大君主よ、せっかくそなたと勝負できるんだ。私はもっと楽しみたいんだよ』

 そう笑い声をあげて、さしたるダメージも受けずにカノープスが現れる。

 『今度はこっちから行くよ』

 カノープスはそう言うと、剣を抜きざまハシリウスに“トランス・ストライク”を放った。ハシリウスはそれを避け、神剣『ガイアス』で斬りつける。

 『そなたは私の影ばかり斬っているね、お疲れ様』

 カノープスはそう笑うと、一段と速い動きでハシリウスの後ろに回り込む。それは瞬間移動と言ってもよかった。

 『ぐふっ!』『ハシリウス!』

 ジョゼは、背後から剣を突き通されるハシリウスを見て叫んだ。

 「ハシリウス!」

 ジョゼは跳び起きる。パジャマがじっとりと汗でぬれている。ジョゼは額の汗をぬぐうと、ゆっくりとベッドから立ち上がる。

 「ジョゼ?」

 気配を察したのか、ソフィアが起きた。ジョゼに寝ぼけた声で訊いてくる。それを見て、ジョゼは思った。

――ソフィアは何も夢を見ていないようだ。とすると、あの夢は予知夢ではないのかしら……それにしては鮮明な夢だった……。

 「あ、ああ、ゴメンねソフィア。起こしちゃった?」

 ジョゼがそう答えると、ソフィアはあくびをしながら言う。

 「何か悪い夢でも見たの?」

 「え? う、うん……そんなところ……」

 ソフィアが何も夢を見ていないなら、ボクが見た夢でソフィアを心配させてもつまらない……ジョゼはそう思って、言葉を濁す。その時だった。

 「ジョゼ、何か禍々しい波動を感じるわ……ジョゼは感じない?」

 突然ソフィアはパッチリと目を覚ますと、ジョゼに聞いてくる。ジョゼはそれを聞いてとっさに全神経を集中した。確かに感じる……物凄く強烈で、しかも背筋が凍るほどの禍々しさ……これは、夢の中でカノープスに感じたものと一緒だ!

 「ソフィア、『闇の使徒』よ!」

 ジョゼはそう言うと、『太陽の乙女』ゾンネに変身する。それを見て、ソフィアもうなずき、

 「女神アンナ・プルナよ、大君主を守護する『月の乙女』の力をわれに与え、禍々しき者どもから大君主を守らせたまえ!」

 そう呪文を唱え、『月の乙女』ルナとシンクロした。

 「ゾンネ、大君主様に知らせましょう!」

 ルナがそう言ってドアを開けた時、

 「!」「!」

 ゾンネとルナは、目を疑った。ギムナジウムの寮は、『ガラスの城』と同じように、一面の鏡張りになっていたのである。

 「こ、これは……?」

 ルナが声を震わせる。ゾンネも唇をかんでいた。

 「……困ったね、こんなんじゃ戦いづらくってたまらないよ……とにかく、ルナ、鏡を使えなくしながら進むしかない」

 「そうですね。それに、あの『ガラスの城』には、鏡の中の世界を通って移動するミュータントもいました。気を付けないと、どこから攻撃されるか分かりませんよ?」

 先に戦った経験から、ルナがそう助言する。

 ゾンネはうなずくと、『コロナ・ソード』を引き抜き、『太陽の楯』を構えながら慎重に歩を進める。ルナはゾンネと背中合わせになって、これも『クレッセント・ソード』と『月光の楯』を構えている。

 と、一面の鏡から、無数のミュータントやモンスターが現れ、二人に襲いかかってきた。

 「えいっ!」「どきなさい!」

 ゾンネとルナは、そのまま果てしない戦いに入らざるを得なくなった。

 ――まずい、ほかの生徒がこの戦いに巻き込まれないようにしないと!

 そう考えついたルナは、戦いながら叫んだ。

 「皆さん、部屋から出ないでください! 部屋の外はモンスターであふれています! 結界魔法を使って、部屋のドアを絶対に開けないようにしてください!」

 その声を聴いて、宿直のアクア教諭が宿直室から出てきたが、

 「きゃっ! アクア・ストーム!」

 襲いかかってきたモンスターを水魔法で攻撃すると、宿直室のドアを閉め、寮内に放送し始めた。

 『全寮生にお知らせします。部屋から絶対に出ないで! 部屋の外は魔物の巣窟になっています!』

 繰り返される放送を聞きながら、ゾンネとルナは戦っていたが、

 「このままじゃ埒が明かない、ルナ、どうしようか?」

 だんだんと息が上がってきたゾンネが言うと、これも息を整えていたルナが答えた。

 「女神様の力をお借りしましょう」

 「女神様の?」

 そう言ったゾンネも、はっと気づいたようにうなずいた。そして二人で呪文を唱え始める。

 「女神アンナ・プルナよ、我ら日月の乙女たちを哀れみ、その御力をわれらに預け、邪悪な者どもを悉皆、退けさせ給え――“ホルスト・ヴェッセル”アウフ・ルフト!」

 その途端、二人の身体が光に包まれ、二人が繋いで伸ばした手から、すさまじい衝撃波がほとばしり出た。


 一方、ハシリウスである。いつもは眠りに着いたら最後、何があろうと起きないハシリウスだが、この日の夜は違っていた。

 「!」

 ハシリウスは、どこかでジョゼとソフィアの声を聞いたような気がして、はっとベッドに起き上がった。すぐに精神を集中し、『大君主』へと変貌する。ハシリウスは、部屋の外の気配を探ると、いかなるものも部屋に侵入できないようにする光の結界魔法を張り、自身はゆっくりとドアを開けて部屋の外に出た。

 「ハシリウス殿、あなたが言ったとおり、カノープスはギムナジウムを戦いの場に選んだようだ」

 星将アークトゥルスが顕現して言うと、

 「まあ、学校でなくてよかったな。各部屋には私たちが結界魔法を張っておいたから、雑魚は入って来られまい」

 そう、星将ベテルギウスも言う。

 「……おかしい、カノープスとやらはどこにいるんだ?」

 ハシリウスは神経を研ぎ澄まして気配を探ったが、雑魚のモンスターの気配は感じるのに、肝心のカノープスの気配がないのをいぶかしいと思った。

 その時、ハシリウスの正面にある鏡が、突然黒くなった。そしてそこから声が聞こえてきた。

 『お初にお目にかかる、大君主ハシリウスよ。私はカノープス。そなたと一対一の勝負がしたい。さあ、臆せずこちらの世界に入って来てくれたまえ』

 「ふざけるな! 貴様こそこちらに来い! シリウスの仇を取ってやる!」

 星将ベテルギウスがそう叫んだが、カノープスは皮肉っぽい口調で続ける。

 『私がそちらに行って、寮生全員そなたの道連れにしたいというのであれば、その望みをかなえて差し上げるが? どうする大君主、友人たちも道連れにするか? それともそなただけの犠牲で済ませるか? 選ぶのはそなただ』

 「分かった、そちらにお邪魔しよう」

 ハシリウスは静かな声でそう言う。アークトゥルスとベテルギウスがそれを止めた。

 「いけません、大君主よ。カノープスは自らの魔法で自らに都合のいい異空間を造り、そこであなたと雌雄を決するつもりです。カノープスの土俵で戦ってはいけません!」

 「そうです、どんな罠が仕掛けてあるか分かりません! あの空間では私たちの力も半減してしまいます。まず勝ち目はありません!」

 その声を聞いて、カノープスが笑って言う。

 『はっはっ……臆病な腰抜け星将どもよ、そなたたちの相手はこれだ!』

 カノープスの声とともに、鏡の異空間で待機していた無数のモンスターやミュータントたちが現れて、これはハシリウスたちではなくて寮生の部屋に侵入しようとドアや壁を攻撃し始める。

 「いかん! アークトゥルス、ベテルギウス、あいつらをやっつけてくれ!」

 ハシリウスはそう叫ぶと、自らはカノープスが待つ異空間の入口から、向こうの世界へと飛び込んだ。

 「あっ! 大君主様!」

 星将ベテルギウスがそう叫んで後を追おうとしたが、異空間の入口はハシリウスを飲み込んで閉じてしまった。

 「くそっ!」

 歯噛みするベテルギウスに、アークトゥルスが忌々しげに言った。

 「仕方ない、ベテルギウス。こいつらを始末した後、大君主様の所に行こう」

 アークトゥルスは、ベテルギウスに斬りかかろうとしているモンスターを剣で突き刺すと、そう言って次の敵にかかる。

 「ちっ、仕方ねえ……」

 ベテルギウスは舌打ちしながらも、群れをなして襲い掛かってくるモンスターたちのど真ん中へと突っ込んで行った。

 一方、異空間の門に飛び込んだハシリウスは、底知れない深い穴の中に落ち込んでいく感覚を味わっていた。

 ――くっ、確かにこちら側はカノープスとやらの力を増幅し、私の力を押える波動に満ちているようだ。……しかし、この波動は?

 ハシリウスがそう考えていると、ふわりと落下が止まる。しかし、足元には地面があるような感覚はない。まるで宙に浮いているかのようだ。

 「くっくっ……よく来たね。大君主ハシリウス……」

 突然、目の前に金の長髪で青い目をした、精悍な男が現れた。

 「貴様がカノープスか……なるほど、そのオーラは正しい者の持つものではない。魔性の剣とはよく言ったものだ」

 ハシリウスは、その碧色の目に鋭さを込めて言う。カノープスは薄い唇をゆがめると、嘲笑するような口調で言った。

 「あいにくだが、“闇の秘密”を手に入れた私は、もはや恐れるものは何もない。私はクロイツェンを倒し、アンナ・プルナにとって代わる新しい創造主となる身なのだよ。魔性であろうとなかろうと、私が正義だ。ハシリウスよ、『大君主』と言っても所詮は人間。私は神だ。人間に神は殺せない。覚悟しておくことだな」

 ハシリウスは、カノープスの言葉に苦笑する。ハシリウスの笑いを見て、カノープスはいぶかしそうに静かな声で訊く。

 「何がおかしい?」

 ハシリウスは、口元に笑いを残して、静かに言う。

 「貴様は“闇の秘密”を手にしたと言うが、“闇の真実”に気づいていないようだな……それではクロイツェンにも勝てまい。クロイツェンの“闇の力”は、もっと穏やかで、そして絶対的だった……」

 そして、神剣『ガイアス』を抜き放つと、カノープスに言い放つ。

 「堕ちた星将カノープス、私が貴様を星に還す。シリウスの仇だ、覚悟してもらおう!」

 「言うねえ……私はそなたのような戦士は大好きだ。シリウスは思いのほか味気なかった。そなたとはたっぷり楽しみたいねェ……」

 カノープスはそう言いながらゆっくりと剣を抜き、抜き放つと同時に体勢も整えずに“トランス・ストライク”を放った。それはまさに目にも止まらぬ速さだった。ハシリウスは動かない。

 「!」

 カノープスは瞠目した。ハシリウスは木偶のように動かず、突っ立ったままでいたので、

 ――もらった!

 そう早々と勝利を確信したのに、カノープスの剣はハシリウスまで届かず、まるで強力な磁石に吸いつけられたかのように動かなくなったからである。

 「くっ!」

 自身の剣先にハシリウスの強烈な魔力の波動を感じたカノープスは、剣が使い物にならなくなる前に引き、跳び下がって笑った。

 「なるほど、さすがに『大君主』と言われるだけはあるな……私の“闇の静寂”の魔力をこうまでやすやすと止めたのは、君が初めてだよ、ハシリウス」

 そしてカノープスは笑いを収めると、初めて真剣な目になって言う。

 「私は君を甘く見ていたようだ……認識を改めたよ……」

 そうつぶやくと、カノープスの目が赤く怪しく光り始め、身体中から紅蓮の炎のような妖気が噴き出した。その妖気の炎はカノープスが持つ剣にもまとわりつき、剣を闇の力で黒く染め上げる。

 「くっくっくっ、久しぶりだよ。こんなに愉快な気分になったのは……本気で戦える相手がいるってのは、いいねェ……」

 カノープスは心から愉快そうに笑いながらゆっくりと剣を構えると、今までとは打って変わった荒々しい声で叫んだ。

 「行くぞ、『大君主』!」


 星将シリウスは、落ち着かない気分で、女神アンナ・プルナの神殿の階段に腰かけていた。天界の清浄な空気の中、カノープスから受けた傷は何とか癒え、徐々に力も戻ってきていたが、まだ戦いができるほどには回復していない。しかし、気丈なシリウスは看護するデネブが驚くほどの気力を見せ、まだ不自由ではあるが蛇矛を振り回す程度までにはなっていた。

 「どうしました? シリウス。元気がないですね」

 星将プロキオンがそう言うと、シリウスは沈んだ声で言う。

 「ああ、別に具合が悪いわけじゃないが、何か落ち着かないんだ」

 「大君主様のことですか? 別に何も心配するようなことはないと思いますが?」

 プロキオンが慰めるのに、シリウスは頭を振る。

 「そうだな……。今ハシリウスは何をしているかな。ずいぶん長い間会っていないように感じるが」

 シリウスらしくない言葉に、プロキオンは笑って言う。

 「たった5日ほど会っていないだけなのに、まるで、恋人同士のようですね。では、私の“水鏡”で見てみますか?」

 「……余計なことは言わんでいい。早く見せろ!」

 プロキオンは、シリウスが照れ隠しに邪険に言うのを聞き流して、精神を集中すると“水鏡”にハシリウスを映しこんだ。

 「!?」

 シリウスは思わず目を疑った。“水鏡”に映ったのは、ハシリウスが異空間の門に飛び込む場面だったからだ。星将ベテルギウスが止めようとしたが間に合わず、ハシリウスは異空間へと飛び込んでしまった。

 『くそっ!』

 歯噛みするベテルギウスに、アークトゥルスが忌々しげに言う。

 『仕方ない、ベテルギウス。こいつらを始末した後、大君主様の所に行こう』

 アークトゥルスは、ベテルギウスに斬りかかろうとしているモンスターを剣で突き刺すと、そう言って次の敵にかかる。

 『ちっ、仕方ねえ……』

 ベテルギウスは舌打ちしながらも、群れをなして襲い掛かってくるモンスターたちのど真ん中へと突っ込んで行く――。

 「これはどういうことだ! カノープスがハシリウスに手を出したのか?」

 シリウスは思わず歯噛みすると、虚空から蛇矛を取り出して立ち上がった。

 「シリウス、何をするつもりですか?」

 驚いたプロキオンが“水鏡”を消して言う。シリウスはその漆黒の目を細めると、ニヤリと笑って言った。

 「知れたことさ……ハシリウスを助け、今度こそカノープスを星に還す!」

 「いけません! あなたが勝手なことをしたら、私がデネブやポラリスから叱られます。だいたいあなたはまだ戦える身体じゃないでしょう? 3日前までは消滅寸前だったんですよ?」

 プロキオンは大きく手を広げて言う。シリウスはゆっくりと蛇矛を肩に担ぐと言った。

 「カノープスには30年越しの借りがあるんだ。今度こそきっちり返してやる。そこをどけ、プロキオン、どかなければ蛇矛にかけて押し通るぞ?」

 シリウスの瞳が青く輝き始め、身体からは透き通った青い炎が燃え上がり始めた。それを見て、プロキオンはシリウスを止めることができないと悟った。こうなったシリウスは、たとえポラリスでも、デネブでも止められない。闘将筆頭シリウスの実力を知るプロキオンは、身震いすると言った。

 「……あなたがそうなってしまっては、誰にも止められませんね……でも一つ忠告しておきます。カノープスの“影”を斬っても、何にもなりません。“影”を止めてから戦った方がいいですよ」


 「くっ!」「うおっ!」

 ハシリウスとカノープスは、激烈な戦いを続けていた。カノープスの動きは素早く、それはほとんど瞬間移動と言っても過言ではなかったが、ハシリウスの反応はさらに素早く、時にはカノープスの動きを読んで、カノープスを歯噛みさせることもしばしばだった。

 「だっ!」「くっ!」

 ガキィィン!

 ハシリウスの首を狙ったカノープスの斬撃を、ハシリウスは神剣『ガイアス』で受けとめると、

 「やっ!」「ぐっ!」

 ハシリウスは“月の波動”を放つ。さしものカノープスもそれを避けることはできず、まともに魔法をくらってすっ飛んだ。

 「いいねぇ……ハシリウス、君はとてもいい……私はとてもゾクゾクしているよ」

 ゆらゆらと立ち上がるカノープスに、ハシリウスは瞬息の早業で懐に飛び込み、

 「残念だが、これで最後だっ!」

 そう叫びながらカノープスの腹に神剣『ガイアス』を叩きこんだ。

 「ぐおっ!」

 しかし、苦しげな叫びをあげたのは、なぜかハシリウスの方だった。よく見ると、神剣『ガイアス』は確かにカノープスの腹にめり込んでいるように見えたが、その切っ先はハシリウスの背中に突き出ている。カノープスは、ハシリウスの両手を左手でつかむと、ハシリウスの耳元に唇を寄せて、皮肉そうに囁いた。

 「ホントに残念だったね、ハシリウス。私は空間を歪めることができるのさ……それ」

 「ぐああっ!」

 カノープスが力を込めてハシリウスの腕を引き上げると、ハシリウスの背中に突き出た神剣『ガイアス』が、ハシリウスを切り刻むように上へと動き、広がった傷口からおびただしい血が噴き出した。

 ハシリウスは口から血泡を吹きながらも、渾身の力を込めてカノープスを蹴り上げる。カノープスがそれを軽々と避けて跳び下がると、ハシリウスの背中から神剣『ガイアス』の切っ先が消えた。

 「く……き、貴様……」

 ハシリウスは左手で傷口を押えながら、カノープスを睨みつける。ハシリウスの血は『暁の鎧』を濡らし、白銀の脛当てまで真っ赤に染めていた。

 「くくっ……ハシリウス、これが“闇の力”の一端さ。所詮人間風情では私には敵わないということが分かったかな? しかし、君は最高の敵だったよ。こんなに本気を出し、ワクワクさせてくれたのはクロイツェン以来だ……」

 カノープスは剣を肩に担ぎながら、満足そうな微笑みを見せてそう言った。そして、不意に寂しげな顔をしてハシリウスを見つめる。

 「……しかし、君のような好敵手がいなくなるのは、つまらない気持ちがするよ。クロイツェンを倒すまでは、私は退屈に悩まされそうだ……しかし、勝負は勝負、君の力が足りなかったことを無念に思いながら死んでいけばいい」

 そして、

 「さらばだ! 『大君主』。“トランス・ストライク!”」

 カノープスは、今度こそ会心の一撃となるはずの鋭い突きをハシリウスに放った。

 ――くそっ、もうだめだ!

 ハシリウスは観念のまぶたを閉じたが、

 「なにっ!?」

 というカノープスの驚きの声に目を開けた。カノープスの前には、『太陽の乙女』ゾンネが立ちはだかり、“ゾンネンブルーメ”でカノープスの剣を受け止めている。“ゾンネンブルーメ”は、ただの防御技ではない。防御しつつ、剣を引いたときに炎の刃が相手を攻撃してくる、攻防自在の光と焔の複合魔法である。カノープスはそれを知っているため、剣を引くに引けなくなってしまった。

 「大君主様、遅くなりました。大丈夫ですか?」

 ゾンネがカノープスを睨みつけながら言う。ハシリウスはゆっくりと息を整えると、自分自身に光の治療魔法である“リヒト・ヒール”をかけた。ハシリウスの傷はゆっくりとふさがった。

 「……ありがとう、ゾンネ。よく来てくれた」

 ハシリウスが礼を言うと、ゾンネはほほ笑んで言う。

 「いいえ……それより大君主様、ルナからの伝言です。『影は光で包み込むもの』……ルナはそう言っていました」

 「ルナはどうした?」

 ハシリウスが訊くと、ゾンネは笑って答えた。

 「モンスターの数が多すぎたのです。疲れのためにシンクロが切れて、今は寮の自室で寝ています」

 「そうか、とにかく助かった……くっ!」

 ハシリウスはそう言うと、神剣『ガイアス』を持ち直した。しかし、血を流しすぎたために力が入らず、思わず片膝をついてしまった。

 「大君主様!」

 ゾンネが叫ぶ。しかし、ゾンネとてカノープスを押えているのが精いっぱいだ。その様子を見て、カノープスは笑って言った。

 「くっくっ……『太陽の乙女』か……おや! お嬢さんは半神だな! それでは私もうかうかしていられないね」

 「うるさい! お前なんか、ハシリウスの手を借りなくてもボクが倒して見せる!」

 可愛らしい顔を朱に染め、まなじりを決したゾンネの瞳が、ジョゼのブルネットから金色に変わった。ゾンネが本気モードに入ったのだ。

 しかし、カノープスは慌てもせずに言った。

 「お嬢さん、女だてらに私に勝とうとは思わないことですよ」

 しかし、そのカノープスの声に、ゾンネやハシリウスとは別の声が答えた。

 「まったくだ」

 カノープスとゾンネは、思わず声の方を見た。そこには、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスの姿があった。

 「シリウス! 大丈夫だったのか?」

 ハシリウスがそう叫ぶと、シリウスは片頬で笑って答える。

 「自分の心配をしろ、大君主よ。俺はお前とともにクロイツェンを倒すまで死にはしない」

 カノープスはその赤い瞳を細めて、ゾンネとシリウス、そしてハシリウスを見比べた。

 ――ハシリウスとシリウスは手負いだ。しかし、ゾンネにつかまったままで戦うのは分が悪い。

 そう考えたカノープスは、いきなり剣を引きぬいた。間髪を入れない速さで“ゾンネンブルーメ”の炎の刃が伸びるが、

 「“闇の静寂”!」

 カノープスはいともやすやすとそれをカウンターで封じた。

 「やっ!」「おおっ!」

 予期していたこととはいえ、カノープスは予想より速いシリウスの突きに、一瞬体勢が崩れた。その何百分の一秒かの隙を、シリウスは見逃さなかった。

 「“煉獄の業火”!」

 シリウスは突きから転瞬の早業で引いた蛇矛を、そのまま自身の魔力を乗せて回転させた。

 「ぐあっ!」

 シリウスの蛇矛は、跳び下がろうとしたカノープスの腹を薙いだ。カノープスの右脇腹が切り裂かれ、血潮が噴き出す。カノープスは右手で腹を押えながら、片膝をついた。

 「やっ!」

 そこをゾンネが『コロナ・ソード』で斬りつけたが、一瞬早く体をかわしたカノープスは、逆にゾンネの右太ももを深く斬り払った。

 「うわああああっ!」

 思わず叫び声をあげて転がるゾンネに、

 「死ねっ!」

 カノープスの突きが走る。しかし、それはハシリウスの神剣『ガイアス』に払われた。

 「『太陽の乙女』よ、ハシリウスを守ってくれ」

 シリウスが、ハシリウスとゾンネを守るように蛇矛を構えて立ちはだかる。攻撃が途絶えたすきにカノープスは傷口に手を当て、それを治癒させようとした。その時、ハシリウスは碧の目を細めると、神剣『ガイアス』を顔の前に立てた。

 「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

 ハシリウスは、『28神人呪』を唱え始めた。

 「うおっ! き、貴様!」

 カノープスは、ハシリウスの呪に邪魔されて、自分の“ヒール”が無効になってしまったため、驚いてそう叫んだ。

 「くそっ!」

 カノープスはそう叫ぶと、ハシリウスに斬りつけたが、

 「往生際が悪いぜ、カノープス」

 シリウスの蛇矛に阻まれた。

 ハシリウスは構わず呪文を唱え続ける。唱えているハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。ハシリウスの鼓動は、だんだんと強く響き、その鼓動は“闇の力”の波動と共鳴して、心地よい響きを奏で始めた。

 「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しきこの邪神を破砕させしめ給え……」

 ハシリウスが構える神剣『ガイアス』には、星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。

 やがてハシリウスは澄んだ声で叫んだ。

 「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神は西南へ、シッタラ神は北東へ、ダニシュタ神は南へ動きたまえ!」

 ハシリウスが神剣『ガイアス』を西南に、北東に、そして南にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。

 「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」

神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。ハシリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、澄み切った声で叫ぶ。

 「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣、メビウスとクライン”!」

ハシリウスがそう叫ぶと、今まで薄暗かったカノープスの異空間が光に満たされる。その光の中でカノープスは、渾身の力を振り絞って、ハシリウスに攻撃を仕掛けた。

 「ま、負けぬぞ! 私は“闇の秘密”を手にしているんだ! “闇の沈黙”ウム・ルフト!」

 「“煉獄の業火”!」

 「ぐああっ!」

 カノープスは、横合いから飛び込んできたシリウスの鋭い斬撃を外すことができなかった。シリウスの蛇矛は見事にカノープスの左足を切断した。

 「くそうっ!」

 もんどりうって倒れたカノープスが体勢を立て直した時、

 「カノープス、星に還れ!」

 星将シリウスの蛇矛が、カノープスの真っ向から振り下ろされた。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ハシリウス、具合はいかがですか?」

 ベッドに横になっているハシリウスの所に、ソフィアとジョゼがお見舞いに来た。ハシリウスはゆっくりと目を開けると、ニコッと笑って言う。

 「もう大丈夫だよ。金・土・日とゆっくり休めたからね。それよりジョゼとソフィアは大丈夫だったのかい?」

 「ええ、私は魔力切れで倒れただけですから……。私もゆっくり休んだので、もう大丈夫です。でも、大事なところでハシリウスの力になれなくてすみませんでした」

 ソフィアはそうすまなさそうに謝る。ハシリウスは慌てて両手を顔の前で振って言う。

 「そんなことないよ。ソフィアは『ガラスの城』でも十分僕を助けてくれたじゃないか」

 ハシリウスの言葉に、ソフィアは救われたように明るい微笑みを見せて言う。

 「ありがとうございます。そう言ってもらえるとうれしいです」

 そして、ハシリウスは優しい微笑みを浮かべながらソフィアに言った。

 「ごめん、ソフィア。ちょっとジョゼと二人きりにしてもらいたいんだ……」

 「え?……」

 ソフィアはもの問いたげな瞳をハシリウスに向ける。しかし、ハシリウスの瞳には優しさの中に、何か寂しげな色が見えたため、ソフィアは何も聞かずに黙ってうなずいて部屋を出た。

 ドアが閉まると、ハシリウスはジョゼに言った。

 「ジョゼ、お前に訊きたいことがある」

 ジョゼは、ハシリウスのいつになく真剣なまなざしに、思わず顔を赤くし、目をそらして訊く。

 「き、訊きたいことって何だい? つまらない事だったら承知しないよ?」

 「カノープスが、お前のこと『半神』って言っていたけど、どういうことだ?」

 ハシリウスは碧の目を細めて、ズバリと訊いた。ジョゼはその問いを聞くと身体を震わせる。

……長い沈黙が流れた。

 やがて、ジョゼはニコリと笑うと、意を決したようにハシリウスに訊く。

 「ねぇ、ハシリウス。キミ、ボクのことどう思ってくれているのかな?」

 「ど、どう思うって……。ジョゼ、僕がお前に質問しているんだぞ?」

 ハシリウスは顔を赤くしてジョゼに言う。ジョゼは2・3度首を横に振って、さらに訊いた。

 「大事なことなんだ……。答えて、ハシリウス」

 「……」

 ハシリウスは、ひたむきに見つめてくるジョゼの瞳に気おされて、黙ったまま考え始めた。そんなハシリウスを見つめて、ジョゼは少し微笑むと、ゆっくりとハシリウスのベッドに腰掛けて、小さな声で言った。

 「……ソフィアには悪いけど、ボク、自分の気持ちにこれ以上嘘がつけないよ……ハシリウス、あのね、ぶっちゃけて言うと、ボク、キミのこと……その……あ、愛してるんだ……」

 その言葉を聞いて、ハシリウスはさも意外そうな顔でジョゼを見つめる。ジョゼはそんなハシリウスを、真っ赤な顔で見つめ返してうなずいた。

 「ボク、キミのためなら死んでもいいって思っている。だって、キミは独りぼっちになったボクをいつでも守ってくれていた……。そ、ソフィアだってキミのこと愛しているけど……ソフィアの方がキミに似合っているって思うけど……、でも、ボクはそんなキミの力になりたくて、アンナ・プルナ様の祝福を受けて、ゾンネと同体になったんだ……」

 「ジョゼ……」

 ハシリウスは、自分を見つめている少女が、いつも一緒にいて、そばにいることが当たり前のようになっていた少女が、急に手の届かない存在になったような気がした。そして、いつかジョゼが言っていた言葉を思い出した。

 『ボクね、ハシリウスが大君主になった時、とても寂しかった。なんか、ボクやソフィアから手が届かないところにキミが行っちゃう気がして……』

 ――ジョゼは、今の僕が感じているような心細さを、いつも感じていたんだ……。

 ハシリウスは目を閉じた。そんなハシリウスのリアクションをどう思ったのか、ジョゼは急に悲しそうな声で言った。

 「……ボク、キミに告白して嫌われるのが怖かった。ソフィアともギクシャクしそうで怖かった。でも、カノープスとの戦いのとき、血を流しているキミを見た時、どうしても助けたいって思った。ボクはキミがソフィアを選んだら、キミをすっぱり諦めるよ。でも、キミの側でキミを守りたいんだ。だって、キミはボクのたった一人の……家族だから……。だから……、好きになってくれなくてもいい。せめて嫌わないでほしいんだ……」

 ハシリウスは、一つ深いため息をついて目を開けた。そして、ジョゼを優しく見つめて言う。

 「ジョゼ……僕は、はっきり言ってお前のこと、女の子として意識していなかった」

 「う、うん……」

 ジョゼは哀しげに目を伏せる。

 「でも、僕がこんな運命になっても、お前は変わらずに僕のそばにいてくれた。そして、幼いころから色々なことを二人で経験してきたよな」

 「うん……」

 「本当に小さなことだけど、そんな小さなことの積み重ねを、誰よりも多く、お前と共有してきた。父上や母上も、僕とお前を結婚させたがっていること、僕だって知らなかったわけじゃない」

 「……」

 ジョゼはうつむいたまま、首筋まで赤くして黙っている。ハシリウスはそんなジョゼをとても可愛く思った。

 「俺さ……俺のこと、誰よりも大事にしてくれて、誰よりも愛してくれているのは、お前だって気づいた。お前がいなくなったらどうしようって、カノープスと戦っている時、そればかりを考えていた」

 「ハシリウス……」

 ジョゼは顔を上げる。その目は涙で潤んでいた。ハシリウスはそんなジョゼを優しく抱き寄せて言った。

 「俺も、ジョゼのことが好きだ。ジョゼが半神だろうと関係ない、ジョゼはジョゼなんだから……」

 「ハシリウス……うれしい……」

 ジョゼは、ハシリウスの腕の中で泣きじゃくった。ハシリウスは、そんなジョゼの髪を優しくなでる。やがてジョゼは泣き止み、目を閉じて顔を上げた。


 「ジョゼ……おめでとう……」

 ソフィアは、自室でそうつぶやいて涙を流していた。ハシリウスの瞳の色を見た時、ソフィアは何か胸がずきんとした。きっと、その時、ソフィアの意識は感じたのだろう、ハシリウスはジョゼを愛していると……。

 ――でも、私とジョゼを比べたら、ジョゼの方がハシリウスを深く愛している。私は……哀しいけれど、二人の幼なじみとして、そしてこの国の王女として、二人を見守っていかなければ……。

 ソフィアがそう考えたとき、ソフィアの心の中で声がした。

 『王女様、大君主様が『太陽の乙女』と『月の乙女』どちらを選んでも、二人とも大君主様には必要なのです。王女様には大君主様との現在の運命が与えられています。ゾンネに未来の運命が与えられているように……。ですから、哀しがる必要はありません』

 「その声は、星将ポラリスですね? 私とハシリウスに与えられた『現在の運命』とは、どういうものなのですか? ジョゼとハシリウスに与えられた『未来の運命』とは、どういうことですか?」

 ソフィアは、思わずそう言った。ハシリウスがジョゼを選んだことを知って、やはり動揺していたのだろう。星将ポラリスは優しく続ける。

 『今は言えません……でも、ハシリウスは、いつかあなたと暮らすことになるのは間違いありません。あなたの心を軽くするため、今はそれだけを言っておきます』

 「待って、ポラリス! じゃ、ジョゼはどうなるの? 私は、欲張りな女と言われるかもしれないけれど、ハシリウスもジョゼも、同じくらい好きで、同じくらい必要なのです!」

 ソフィアがそう言うのに、ポラリスは優しい声で答えた。

 『うふふ……欲張りなのは誰でも同じですよ……。この国にとってハシリウスが必要だと、王女様が思われるのであれば、ハシリウスは必要な間だけあなたのものです。そして、未来のためにハシリウスが必要だとゾンネが思えば、必要な間だけハシリウスはゾンネのものです。3人とも完全な幸せはないかもしれません。しかし、ハシリウスの子どもたちによって、あなた方は幸せを感じることになるでしょう。運命を信じなさい、王女様。いいえ、ルナ』

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「……そうか、ハシリウスはジョゼ嬢ちゃんを選んだか……」

 『蒼の湖』のほとりに建つ小屋の中で、日課の観想をしていたセントリウスは、星将ポラリスの報告を聞いてそうつぶやいた。

 「すべて運命……そして、女神アンナ・プルナ様の思し召しのとおりになりそうじゃのう……ハシリウス、ジョゼ嬢ちゃん、そして王女様の3人にとっては、決して楽しい運命ではなさそうじゃが……」

 「セントリウス様? それはどういう意味でしょうか?」

 ポラリスは、眉をひそめて訊く。ポラリスとしても女である。ジョゼの喜びが分かる半面、ソフィアの悲しみも痛いほど分かる。その二人の運命が決して楽しいものではないと、ほかならぬセントリウスから聞かされて黙っていられるほど、ポラリスも冷たい女性ではない。

 しかし、セントリウスは難しい表情のまま、首を振って言った。

 「星に聞いてみることじゃな……わしの口からは言えぬよ。それより、シリウスの具合はどうじゃ?」

 星将ポラリスは、さらに何か聞こうとして口を開きかけたが、セントリウスのうるんだ目を見て口を閉じた。そして、いつものポラリスに戻って言う。

 「シリウスなら、すっかり元通りです。しかし、念のためしばらくは天界で養生させています」

 そう言うと、くすっと笑って続けた。

 「養生中に天界を抜け出して、勝手にカノープスと戦ったことで、デネブがすっかりお冠です。シリウスも、しばらくはデネブのご機嫌取りに忙しいでしょうね」


 そのシリウスは、天界の風に吹かれながら、カノープスとの戦いを思い出していた。

 ――カノープス、あんたはなぜ、セントリウスを裏切った?

 シリウスの脳裏に、真っ向から唐竹割にされたカノープスの、最後の言葉が響いている。

 『シリウス、そなたも強くなれば、ハシリウスに物足りなくなるであろう。そなたは、ハシリウスに対する気持ちを変えぬ自信が……ある……か……』

 カノープスは、そう言うと、どうとうつぶせに倒れた。

 「強さってのは、戦いの中だけのことじゃない……」

 シリウスがつぶやくと、頭の上から声がした。

 「そうだね。あたしもそう思うよ」

 シリウスが目を開けると、星将デネブが立っていた。デネブはニコリと笑うと、断りもなしにシリウスの隣に腰掛ける。

 「……なんだ、デネブか……。安心しろ、お前の言いつけどおり、しばらくはここにいる」

 シリウスが言うと、デネブはくすりと笑って、明るい声で言った。

 「それは重畳……いつもこんな素直なシリウスだと、可愛いんだけれどね」

 「……その言い方はやめろ。男に可愛いなんて似合わない」

 デネブは肩をすくめると、やんちゃな弟を見るような目でシリウスを見つめていたが、やがてぽつりと言った。

 「ハシリウスは、幼なじみさんを選んだよ……」

 それを聞くと、シリウスはしばらく黙っていたが、やがて眼を開けてゆっくりと上体を起こして言う。

 「……そうか……。セントリウスの言う通り、運命ってやつかもな……」

 「あたしは、セントリウスの力を十分に知っているけれど、今度ばかりはやるせないね。セントリウスの星の見立てが間違っていたらいいのにって、初めて思うよ……」

 瞳を潤ませるデネブの肩を、ゆっくりと引き寄せて、シリウスが力強く言った。

 「泣くな、お前も闘将だろう? 星は変えられる。ハシリウスはセントリウス以上の星読師だ。いつか自分の運命に気づいた時、あいつなら3人の運命をいい方向に変えて行けるだろう」

 「そうだね……。きっとそうだね……」

 星将デネブは、流れ落ちる涙をぬぐいもせず、星将シリウスに寄りかかっていた。【第7巻・終了】

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

最後にシリウスたちが言うように、ハシリウスたちの今後はどうなるのか、書いている私も楽しみです。

次回作もお楽しみに。

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