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「それでは、ミリヤム王女殿下、ソフィア嬢。訓練所は今見ていただきましたので、執務室や会議室をはじめとした騎士団の本庁舎内からご案内させていただきます」
先頭に立って案内してくれるのは、騎士団副団長であるホーカン様。
それに続くはミリヤム王女とトビアス様。
そしてその後ろに私とヴァルナル様。
完全に押し黙っている私たちを前方にいるミリヤム王女のみならず、トビアス様もチラチラと気にかけてくれている気配を感じるが、いつまでも皆様に気を使ってもらうわけにはいかない。
もう大丈夫だと言ったのは私だ。
胸の前で軽く手を握り、よし、と気合を入れた。
「あの…ヴァルナル様が、お花を届けて下さったとお伺いしました」
なんだか気まずくて顔を合わせづらかったが、さすがにお礼を言うのに顔を合わせないのは失礼だ。
思い切って顔を見ると、向こうも向こうで気まずそうに視線をうろうろさせていた。
「ああ…あれか」
「…ありがとうございました」
「いや…俺のせいでもあるからな」
意外だ。
まさか気にしてくれていると思わなかった。
そんな気持ちが表情に出ていたのか、彼は少し顔をしかめる。
「なんだよ。俺だって背中に乗せた女に泣かれた挙句熱出されたら気にもするぞ」
確かに、簡潔に表現はしているものの全部真実で、そう言われるとなかなかひどい反応だ。
連れてきてくれた恩義があるのだし、全部わざとではなかったのだけれど、私も彼に対してひどいことをしていたのかもしれない。
少し罪悪感にかられていると、いつの間にか振り返ったミリヤム王女がふん、と鼻を鳴らした。
「気にすることはないわソフィア。彼が結界を張り忘れなければ全部起こり得なかったことなのだから」
「それはそうなんですが…確かに私もひどい反応だったなと…。原因がヴァルナル様にあるとはいえ」
二人でうんうんと頷いていると、王女の隣にいたトビアス様も苦笑いしながら振り返る。
「王女殿下、ソフィア嬢…ヴァルナルにも一応罪悪感というものがありますのでその辺にしておいていけないでしょうか…」
隣から「とどめをさすなよトビアス…」という呻くような声が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
ホーカン副団長が案内してくれたドラゴニア王国騎士団の本庁舎はアヴィリルと大きな違いはなかったものの、私が案内された部屋と同様に、柔らかい質感の木が印象的だった。確かドラゴニアは高地に生息する木を用いて家具を作る、という話だったから、王宮の部屋はそれを積極的に用いているのだろう。
決定的に違ったのは、窓の大きさ。
「ドラゴニアの騎士は、お二方を乗せてきたときのように、完全な竜方のほかに、背から翼のみを生やす、半竜方をとることもできます。騎士はもっぱら半竜方をとることが多く、窓から出入りすることも多いので、窓自体が大きな作りになっているのです」
騎士服も、翼を出す部分が開けられるようになっているのですよ、と実際にトビアス様の背を示しながら話してくれる。たしかに、祖国では見たことのない位置にボタンが付いていた。
「それでは、馬はいないのですか?」
「いえ。空中から攻めにくい場所ですと、騎乗した方が有利な場合もございますし、空を飛ぶのにも体力を使いますので、馬も飼育しております」
「まあ!竜人族の方が乗る馬だもの。人族の乗る馬とは体格が違うのでなくて?」
興奮した様子のミリヤム王女の言葉に、ホーカン様は微笑みながら同意を示す。
「さすが王女殿下。おっしゃる通りです。人族の方が乗るよりも体格は大きく、気性の荒い馬が多いですね。今回ご案内はやめておこうかとも思ったのですが…ご覧になりたいですか?」
「それはもちろん」
ミリヤム王女は祖国でも乗馬が好きで、私もよくご一緒させてもらっていた。
その腕前は同世代の令嬢のみならず、貴族の子息と比べても遜色のないほどで、王宮にも王女のために選りすぐりの馬が揃えられていたものだ。
そんなミリヤム王女が、ドラゴニアの馬を見る機会を逃すわけがない。
「そうですか…。かしこまりました。厩舎では我々の側を決して離れないでくださいね」
ずっとにこやかに案内してくれていた副団長がそこまで念を押した時点で、若干嫌な予感はしていたのだ。
* * *
「おっきいわねー」
「…本当に」
ミリヤム王女と二人でぽかんと見上げる。
目の前には、鼻を鳴らし、蹄で地を蹴る、若干興奮した様子の栗毛の馬。
その体格は人族が乗る馬の1.5倍はあるだろうか。
悩んだ末に案内してくれた副団長であったが、やはり厩舎内を案内するのはためらわれたらしい。厩舎の外観と、そこからトビアス様が自身の馬を一頭連れてきてくれた。
そのためらいの理由も、この馬を見れば明らかだ。
ちなみにこのトビアス様の馬は、おとなしい方だという。副団長の馬は気位が高く、ヴァルナル様の馬は気性が荒いため、見るのは難しいのだとか。
これで、おとなしい方とは…。副団長が渋るのも当然だろう。
「ちなみに乗せてもらうことはやはり難しいのかしら?」
「ミリヤム王女!?」
王女がキラキラとした瞳でトビアス様に迫る。この体格を見てなお乗りたいという馬好きには恐れ入るが、万が一落馬しようものならただではすまない大きさだ。お付きとして到底許容できない。
「そうですね…私と相乗りならば、まあ」
「トビアス様!?」
絶対に断ってくれると信じていたトビアス様がまさかの同意を示したので、仰天した。私の素っ頓狂な声に苦笑いしながら、副団長も同意する。
「トビアスも同乗するのであれば、王女殿下に傷一つ付けることはありません。軽くこの辺りを一周する程度でしたら、大丈夫でしょう」
「ホーカン様がそう仰るのでしたら…」
確かに怪我は心配だが、トビアス様とホーカン様が保証してくれているのだし、こんなに目を輝かせている王女の楽しみを奪うのも酷な話だ。
それでも、と心配する言葉が口をついて出そうなのをぐっとこらえ、しぶしぶ頷いてみせた。
* * *
「とっても気持ちいいわ!やっぱりこれだけ体格が大きいと、ずっと遠くまで見通せるのね!竜人族は人族よりも目がいいから、これだけ視界が開けていると遠くの獲物や敵の気配にも気付けるのではなくて?」
「ええ。ですが、ドラゴニアは平原地帯よりも山岳地帯の方が多いですからね。むしろこの馬たちは平原よりも山岳で力を発揮するのです」
「立派な蹄をしているし、がっしりとした足をしているものね。素晴らしいわ!」
王女は満面の笑みを浮かべてトビアス様とゆっくり駆けている。本当であれば自分一人で思う存分早駆けしたいだろうが、そこはこらえてくれているようだ。
最初こそはらはらしながら見ていた私だが、危なげないトビアス様の手綱さばきと、思ったよりもずっと大人しくゆっくり走ってくれるトビアス様の馬の様子を見て、次第に落ち着きを取り戻した。
思えば、王女にはこの国に来てから(主に私の体調が理由で)ずっと心労をかけてきた。息抜きは必要だろう。
楽しげな王女の様子を見て、私まで楽しい気持ちになっていると、おもむろに私の背中が温かなものでぐっと押された。
「ひゃっ」
振り返った先にいたのは、大きな、真っ黒。
驚いてよろけると、がっしりとした腕に支えられた。
「おっと、驚かせたか。すまん」
「ヴァ、ヴァルナル様…?」
「暇そうだったからな。俺の馬を連れてきたんだ」
そう言われて目線を上げると、そこにいるのはトビアス様の馬よりもさらに大きく、激しく鼻を鳴らしている黒毛の馬。
たしか、ヴァルナル様の馬は気性が荒いから出さないはずでは…。
ホーカン様の話を思い出してどきどきするが、馬はその荒々しい様子とは反して、私に優しく鼻を押し付けてくる。
そのまま撫でてあげると、満足げに目を細めた。
かわいい。
「…ムスタもお前のことを気に入ったようだな」
「ムスタというのですね。お利口さんでかわいらしい馬ですね」
「んー…利口なのは認めるが、かわいいかどうかは判断が分かれるところだな」
そう濁すヴァルナル様の言葉に首をかしげる。こんなに大人しくてかわいいのに。やはり体格のせいかしら。
「気に入ったなら乗ってみるか?」
「いえ…。私はミリヤム王女ほど乗馬が得意ではないので…。乗馬服以外で馬に乗れる気がしません…」
「俺が支えるから大丈夫だろ」
申し出はありがたかったが、自分の乗馬能力に自信がなかったのと、なんだか似たようなケースで最近後悔したようなことがあった気がして、やはり断ろうと考えていると、後ろから「ヴァルナル!」と彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
声量を抑えつつも焦ったようなその声に振り向くと、そこには声の通り険しい表情をしたホーカン様。
「ムスタは出さない予定だったろう。なんで連れてきたんだ」
「いや、ソフィア嬢が暇そうだったので…」
「だからといってムスタはないだろう!この前も厩舎係が気に入らないと蹴り上げたばかりだぞ」
気に入らないから、蹴り上げた。
いや、きっとこの美しい黒馬は、私のことは気に入ってくれたのだろう。自惚れでもなんでもなく、大人しく撫でられている様子からそうわかる。
だが、もし気に入られていなければ。
「ソフィア嬢!」
くらっときた私を今度はホーカン様が支えてくれた。
* * *
結果として、私はかわいらしい馬とふれあうことができたわけだが、実際のところ、それは大層リスクが高いふれあいだったらしい。
ヴァルナル様なりに私を慮ってくれたのだろうが、いかんせん彼には前科があった。
悪気なく、私を振り回した前科が。
この短期間に二度目だと、彼はホーカン様にこってり絞られ、ミリヤム王女にもちくちく言われたらしい。さすがに堪えたようでうなだれている。
だがしかし、何度も言うが、彼には悪気はなかったのだ。
そもそも、私がこうも頻繁に倒れそうになるのもいけない。
同世代の令嬢の中ではいっとう丈夫で、友人の令嬢からは、「ソフィア様は気が遠くなることはないの?貴族令嬢なのに信じられない」と褒められているのか貶されているのかよくわからない評価をもらった私だ。
さすがの健康優良児も異国にきて翳りがでてきてしまったのだろうか。もしそうだとしたら、それは私自信の問題だ。
ヴァルナル様に話しかけようと思ったが、うなだれているとはいえ、彼は背が高いし、こっそり話すには遠すぎる。
かといって、腕に触れて気を引くのも恥ずかしい。
悩んだ末に、令嬢として少しはしたないと思いつつも、一番手近にあった彼の上着の腕の裾をほんの少しだけ引っ張って見た。
その途端、ばっとこっちを見たものだから、思わずびくついてしまう。
「…どうしたんだ?」
私が怯えた気配を察したのか、身体をかがめてぎこちなく笑いかけてくれる。
多分、この人は不器用なだけで、本当はすごく優しい人なんだろう。
それがわかったら、なんだか楽しくなってきてしまった。
ムスタの話をしようと思って袖を引っ張ってみたのだが、口をついて出たのは、ずっと気になっていた花のこと。
「侍女のカロラが言ってました。ヴァルナル様が届けてくださったお花は、ヴァルナル様の色だって」
「侍女が…余計なことを…。いや、偶々だ、偶々」
なーんだ、やっぱり偶然だったのね。
うんうんと一人で頷いていたら、彼が続けてもごもごといった。
「その…偶々だったが、気にいったか?」
「ええ。お花は好きですし、とてもきれいな赤色でした」
「…そうか」
そう言った後の彼の笑顔に、思わず胸が苦しくなった。
いつも無愛想なのに徐にそんな満面の笑みを浮かべるなんて反則だ。
「女は花が好きなものだと聞いたからな。正解だった」
女は花が好き。
ヴァルナル様が把握している私の情報なんて、人族の若い女性、ということくらいしかない。
それしかないのだから、そのわずかな情報でせめて私の好みそうなものを、と持ってきてくれたのだろう。
それは確かに嬉しいはずなのに、私、という個人ではなく、女は、と括られたのが少し寂しかった。
「赤は俺が好きな色だしな」
「そうですか…ヴァルナル様の御髪にも赤色が入っていますものね」
そう言うと、彼はますます破顔した。
無邪気な笑顔だ。
きっと、自分が好きな色を、お見舞いに選んでくれたのだろう。
男性から花を贈られたことなんてなかったから、少し浮かれてしまっていたのだ。
彼は、あくまで謝罪の、見舞いの意味で当たり障りのないものを贈ってくれただけなのに。
優しい人だから、罪悪感を覚えて、よくしてくれただけなのに。
異国にきてやっぱり少しおかしくなってしまったのだろう。変調は私の身体だけではなく、心にも起きていたらしい。
最初こそ苦手意識があったはずなのに、そこから最初の印象とは違った、優しい姿を見せてくれたから、浮かれてしまったのだ。
さきほど楽しくなった気持ちがきゅっとしぼむのを感じつつ、足を止めた私を訝しげに振り返るヴァルナル様へ「気にしないでください」と首を振り、足早に歩み寄った。