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「もう一度、おっしゃっていただけませんか。ミリヤム王女」
「何度でも言うわ。ソフィア、私と一緒にドラゴニアへ留学してくれない?」
そんな爆弾を投げ込んできたのは、我がアヴィリル王国第一王女、ミリヤム様。
そして今王女が告げたドラゴニア王国は、竜人族が治める国であり、かつ、我が国アヴィリル王国が唯一国境を接する国だ。
アヴィリル王国は人族が中心の国だが、二国間の関係は極めて友好的で、地形的問題から頻繁とまでは言えないが、比較的交流がある。
それは庶民はもちろん、王侯貴族にも通じることで、ドラゴニアへの留学自体は然程珍しいことでもない。
しかしながら、さすがに王子ではなく、王女が直接赴くのは珍しい。
「ソフィアも昨年ドラゴニアのアウグスト様がいらっしゃっていたことは覚えているでしょう?」
「もちろん。それで今年はエドガー殿下が留学されるというお話だったはずですが」
両国の王子たちは必ず1年ずつ互いの王宮へ留学させるのが習わしで、昨年ドラゴニアの第二王子が留学しにきたため、今年は我が国の第三王子、エドガー殿下がドラゴニアに向かうはずだ。
「そう。そのはずだったんだけどね…」
ミリヤム王女は大きくため息をつく。
ミリヤム王女いわく、なんと、エドガー殿下がドラゴニアではなく、海の向こうの島国ージャン=エトワ公国に留学したいと言い出したという。
「なんてまたそんな急に…」
「それがそう急な話でもなかったみたいなのよ、お兄様の中では。前にジャン=エトワのサナ公女が外遊にいらっしゃったでしょう?」
私は頷いて同意を示す。サナ公女が来たのはもう3年も前の話になるが、ジャン=エトワから客人が来るのは珍しいことで、国中が歓迎ムードに沸いたのは今でもはっきりと覚えている。
たしかに、そのときにサナ公女を歓待した中心人物の中にはエドガー殿下もいらっしゃったので、エドガー殿下にとって全く関わりのない国ではないだろう。
「実はお兄様、それ以来サナ公女と文通を続けていたらしくて。その…サナ公女にもう一度お会いしたい、という気持ちが止められないほど高まってしまったのよ、お互いに」
「…なるほど、なんとなくわかりました」
確かジャン=エトワ公国現大公の直系血族はサナ公女だけだったはず。
国が絡む以上はもちろんすぐに婚約、ということにはならないだろうが、彼らにとっては、とにかくもう一度直接会いたい、という気持ちが抑えられないのだろう。
「ドラゴニアの方もお兄様が留学しにいらっしゃるということで、前々から色々と準備をしてくださっていたから、今更中止とか、ルーカスが留学可能な年齢になるまで待ってほしいだとかはとても言えなくて」
「では、ドラゴニアに留学してからジャン=エトワに向かうことはできないのですか?エドガー殿下も聡明な方ですし、いかにサナ公女を思っていても、一年ぐらいは耐えてくださるのでは…」
第一、第二王子たちはすでに国内の重要なポストについているから今更もう一度留学、ということは難しいだろうが、まだ勉学に励む年齢であるエドガー殿下であればなんとか融通は利くはずだ。
「それがね、話を聞いたアウグスト様がはりきってしまって。うちの国のことは気にしなくてもいいから、すぐにサナ公女のところへ向かうべきだーって」
「なるほど」
そういえばそうだった。
交流が多い二国は王族同士の仲もいい。中でもエドガー殿下とアウグスト殿下は親友といえる間柄だったはず。
しかも、竜人族は恋愛結婚を重視する種族で、自身の伴侶を何よりも大切にするはずだ。
「けれど、たとえドラゴニアの方達が気にしない、と言ってくださったとしても、あまりに申し訳なさすぎる話でしょう?かといって、お兄様方はもうみんな留学を済ませてしまったし、ルーカスは幼すぎるし。だから私に白羽の矢が立ったっていうわけ」
「それはよくわかりました。ですが、どうして私も一緒に?」
「だってお友達でしょう?」
「あ、はい」
そうにっこり言われると照れる。
いや、しっかりしなさい私。照れている場合ではない。
「いやいや、お友達だからって一緒に留学することになりますか!?」
「元々留学にはご学友、ということで一人同世代の貴族の子女を連れていけるのよ。それに、ドラゴニアは男性の割合が高めでしょう?元々お兄様が留学する予定だったから、さらにね。だから、かわいらしいものやきれいなものに一緒にわくわくしてくれる潤いが欲しくて」
「潤いって…私では役不足かと思いますが…」
「そんなことないわ。ソフィアが一緒に行ってくれたら私、心が潤うわ」
そんなことを面と向かって言われると照れる。
いや、だから照れている場合ではない。
「それは、それは大変ありがたいお言葉ですが…ですが、王女がご存知の通り、私は男性があまり得意ではなくて…」
そう、私は男性が苦手だ。
特に嫌なことをされたわけではないし、父も弟も大好きだけれども、どうしてか苦手意識がぬぐえない。
まだ線の細い方であれば気にならないのだが、騎士のような、男らしい鍛え上げられた身体の持ち主だとどうしても近寄りがたい。
竜人族はそもそも出生率が高くない種族だが、さらにその環境からか男性が生まれる率が高いし、人族に比べて体格も良い。
つまり、王女が仰ったとおり、ドラゴニアに行けば必然的に私の苦手な男性に取り囲まれる率が高くなるわけだ。
「大丈夫よ、私が一緒にいるもの」
「それはそうですが…」
「ねえ、ソフィア、お願いよ。正直なところ、私も心細いの」
そう言って、ミリヤム王女はぎゅっと私の手を握る。
「ソフィアが男性に苦手意識を持っていることを知っているのに、こんな頼みごとをするなんてひどいってことはわかってる。けれど、私、異国に行くならどうしてもソフィアと一緒がいいの」
「ミリヤム様…」
私の手を握る王女の手はかすかに震えている。彼女の瞳と同様に。
私は何をしているのだろう。
大事な我が国の王女に、いや、私の大事な大事な友達にここまで言わせるなんて。
命令してしまえばあっという間に決まること。それを私の意思を尊重して、敢えて個人的なお願いという形を取ってくれているというのに。
よし。
女は度胸。
「ミリヤム様、私行きます。あなたと一緒に、ドラゴニア王国へ」
苦手なことはいつか乗り越えなければならない。
それが想像より少し荒療治になっただけだ。
乗り越えられるかどうか、正直なところ自身はないけれど、行くと告げたときのミリヤム王女の安堵した笑顔を見て、少なくともこの選択だけは後悔しないと確信した。
そう、確信してから1ヶ月後。
ドラゴニア王国へ向かう道中で、私は早速後悔していた。
「下ろしてくださいー!!!」
「ん?なんか言ったか?」
「だから、下ろしてください!!!直ちに!!!」
「ああ、いい景色だろ。人族じゃあこんな空の上から見る機会なんてないだろうしな」
「そんなこと一言も言ってませんー!!!」
曲がりなりにも王女の前に出しても恥ずかしくないご令嬢として育てられた私が人生初と言ってもいいほどの絶叫しながら会話にならない会話をしているのは、私の後悔の大元、ドラゴニア王国の騎士、ヴァルナル様。
そして、私が叫んでるのはヴァルナル様の上。
どうしてこんなことになったのか。
それは一時間前に遡る。
「ミリヤム様、お久しぶりです」
「アウグスト様、今回は兄が大変ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ!むしろエドガーに勧めたのは私ですから。逆にアヴィリルの皆様に気を使わせてしまったようで、申し訳ありませんでした。ミリヤム様の留学が快適なものになるよう、尽力させていただきます」
乗馬用の軽装に身を包んだ王女と私を迎えに来てくれたのは、アウグスト殿下の他、ドラゴニアの騎士が5人。
ドラゴニアの王都は高原にあり、人の足では行き来が難しく、時間がかかる。そのため、ドラゴニアが迎えをよこしてくれたのだ。
このうち王子を含めた2人が私たちを支えて竜化した2人の騎士にそれぞれ乗せてくれ、残りの2人が私たちの荷物を運んでくれるはずだった。
しかし。
「荷物を乗せきれないとは…」
「女性の荷物の量を甘く見ていましたね…」
決して大きな声ではないが、聞こえてしまったその言葉に、ミリヤム様と顔を見合わせる。
そう。荷物が載せきれない。
ドラゴニアでも、いつもは荷物運搬役として1人しか派遣しないところを、2人用意してくれるなど対策を講じてくれたのだが、それ以上に荷物が多かったのだ。
これでも切り詰めた方なのだ。竜人族の女性と人族の女性は体格が違うため、ドラゴニアでの現地調達は難しく、これ以上荷物を減らすことは難しい。
追加で送ってもらうことも考えたが、王女がついてすぐ、歓迎の催しがすでにいくつか予定されている。あとで送ってもらったのでは、これらに間に合わない。
「追加の人員を依頼しますか?」
「しかし、それでは初日の宴に間に合わないしな…」
自らの荷物が彼らを悩ませているということにいたたまれなくなり、恐る恐る提案してみる。
「あの…私を支えてくださる方に荷物を持っていただくことはできませんか?」
「つまり…あなたは支えなしで乗ると?」
頷くと、騎士に渋い顔をされる。
「我々も気をつけて飛ぶが、人族の男性でも一人で乗るのは難しい。それこそ鞍にくくりつけでもしなければ…」
「そんな!そんなこと、ソフィアにさせられません!」
鋭く否を唱えたのは王女。そしてそのまま驚きの提案をしてきた。
「それなら私をくくりつけてくださいな」
それにびっくりしたのは私だ。
「ミリヤム様!それこそそんなこと王女殿下にできません!私がくくりつけてもらいます」
「ダメよ、ソフィア。元々私が無理をいって同行してもらうんだもの。これくらいは当然よ」
「当然ではありません!」
その後も私が、いや私がとお互いにどちらがくくりつけられるか押し問答を繰り広げる私たちを、アウグスト様を始め、ドラゴニアの方達は困惑したように見守る。
このままでは、決着がつかない。
「ミリヤム様、少しこちらへ…」
そう言って、非礼を承知で、ドラゴニアの方達から少し離れたところへミリヤム様を引っ張る。
「ソフィア。何を言われても私は譲らないわよ」
「譲ってください、ミリヤム様。…正直な話、私、男性と密着するということに耐えられそうもないのです」
そう、支えてもらうということは、必然的に迎えにきてくれたドラゴニアの方と密着するということ。
王女をくくりつけるなんてことができないのはもちろんだが、本音をいうと、そちらも勘弁してほしい。
何せ、ドラゴニアの代表としてきた騎士、というだけあって皆様非常に大柄で、軒並み鍛え上げられた身体の持ち主なのだ。
「あっ…そうね…そうよね…」
「もしミリヤム様がそちらは気にならないのであれば、何卒…私にくくりつけられる立場をお譲りください…!」
「そうね…そういうことなら…申し訳ないのだけれど、お願いできるかしら?」
「はい!お任せください」
数分の後に、「それではソフィアを鞍にくくりつけていただいて、この人員で出発しましょう」と朗らかに言い放ったミリヤム様をドラゴニアの皆様は唖然と見つめたのであった。
「苦しくはありませんか?」
自らをトビアスと名乗った騎士様は、そう心配しながら私をくくりつけてくれる。
「まったく苦しくないと言ったら嘘になりますが…許容範囲です」
「これ以上ゆるく結んだら上空で外れちまう。苦しくてももう少し強めに結んでやれ、トビアス」
今度の声は私の下から聴こえてくる。私を乗せてくれるヴァルナル様のものだ。
「そうだが、これ以上強くしたらソフィア嬢の肌を傷つけそうだ」
「厚着をしているので、多分大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
そう言って微笑むと、遠慮がちに笑みを返してくれた。
竜人族は女性が少なく、その少ない女性も人族よりもはるかに頑強だからか、人族の女性は触れば壊れてしまう繊細な生き物だと思っている節がある、というのは有名な話だ。
それ故、彼らは非常に紳士的で、女性を大切にしてくれるらしい。
我が国の男性ももちろん女性に親切だとは思うが、ここまで丁寧に接されることはさすがになくて照れてしまう。
「おそらくこれで大丈夫だとは思いますが…少しでも異変を感じたらすぐに申し出てくださいね」
「わかりました」
最終確認を済ませたトビアス様の言葉に頷くと、彼はもう一度安心させるように微笑んでから私の側を離れ、私たちの荷物の元へと向かった。
彼が去った後、どうしようもなく不安に駆られてため息をつくと、再び下から声をかけられる。
「不安か?」
そうだ、私が今乗せていただいている竜も、竜人であるヴァルナル様が竜化した姿だった。
「不安はない、といえば嘘になりますが…。十分に皆様にお気遣いいただいておりますし、きっと大丈夫です」
「ああ。俺も振り落としたりはしないから安心してくれ」
「…はい。よろしくお願いします」
そうだ、私が乗せていただいているのはドラゴニアの竜騎士様の背中。何を恐れることがあろうか。
その頼もしい言葉に、私は気力を取り戻したのだった。
そう、気力を取り戻したはずだったのだが。
「風が強くて息ができません…!」
「ん?ああ、あの湖が気になるのか。あそこは良い魚が釣れるんだぞ」
「だからっ、そんなこと…一言も言ってません…!」
これでもしばらく我慢していたのだ。
だが、どうしようもなく耐えられなくなり、トビアス様の言葉に甘えて叫んだものの、風にかき消され、まわりの竜騎士様には伝わらず。
唯一伝わるヴァルナル様もこの始末。
たしか、出発前の話ではドラゴニアへは5時間ほどかかるはず。
そして途中に休憩を挟む予定が、出発前の諸々の予定変更のせいで、休憩時間がなくなったはず。
間違いなく、死ぬ。
「下ろしてくださいー!!!」
「そのまま塩焼きにしてもうまいんだぞ。今度食べてみるか?」
「食べる前に死にそうですー!!!」
「騙されたと思って一度食べてみろ。死ぬほどうまいから」
実はこの人私の言葉が聞こえているのにとぼけているのではなかろうか。
そんな絶望的な気持ちで、薄い空気をなんとか吸おうと喘ぎながら、私はひたすら時間が過ぎるのを待った。
「おい、着いたぞ」
半ば、気絶しかけているときにかけられたその言葉で正気を取り戻す。
いつの間にか私は大地に降り立っていた。
「生きてる…」
「当たり前だろ。俺が乗せていたんだから」
あんたも楽しんでたじゃないか、と呆れた声はヴァルナル様のもの。
色々言いたいことはあったはずだが、その全てが地上に降りた瞬間消し飛び、ただただ自分が生きて地上に戻れたことに呆然としてしまう。
「ソフィア嬢、今外しますね」
そう、声をかけてくれたのは多分トビアス様だろう。
いつの間にか竜化を解き、騎士服に着替えた彼は、私を鞍へくくりつけるための紐を丁寧に外していく。
そうして、そっと鞍から降ろされ、地を踏みしめた瞬間、私はへたり込んだ。
「ソフィア嬢!?大丈夫ですか!?」
慌てたトビアス様がもう一度抱えなおしてくれる。
「大げさだな。俺はちゃんと風が安定してるところを選んで飛んだぞ」
先ほどまでヴァルナル様がいたその場所にいる、見覚えのない男性が、そう言うと肩をすくめた。
呆然としている私に代わって彼を睨んだのはトビアス様。
「ヴァルナル!それならどうして彼女はこんなにショックを受けているんだ!」
「知らねーよ。ドラゴニアが思ってたのと違うとかそんなんじゃないのか」
「お前また適当なことを…」
そう言いかけたトビアス様は、私の顔を見て固まり、ヴァルナル様もぎょっとした顔をする。
私、そんなに驚かれるほど、愉快な顔をしているかしら。
しばらく3人で黙り込んでいたが、私が何も言わないのをみると、トビアス様が恐る恐る話しかけてきた。
「ソフィア嬢…?泣くほど、飛ぶのは辛かったですか?」
「え?」
え、私泣いているの?
そう思って頰に触れると、確かに温かな水滴が伝っていた。
「ソフィア!」
「…ミリヤム様…!」
少し離れたところで同じように着陸したミリヤム様が駆け寄ってくる。
そのまま私をトビアス様の腕から奪うようにぎゅっと抱きしめてくれた。
「どうして私の大切な友人が泣いているのですか!」
「いえ、我々にもわからず…。ええと、ソフィア嬢は、元々高いところが苦手でいらっしゃいますか?」
「そんなわけないでしょう!もしそうであれば、最初からドラゴニアには連れてきていません!」
着いて早々ドラゴニアの騎士を叱責するミリヤム王女に、大変申し訳ない気持ちになる。
私は、王女にも、ここまで連れて来てくれた騎士様たちにも、なんてことをしているのだ。
「ミリヤム王女、大丈夫です。お二人のせいではありません」
「けれどソフィア…」
「本当に大丈夫です。私の覚悟が足りなかっただけです。まさか上空があんなに風が強いだなんて思わなくて。息が吸いづらくて驚いてしまっただけです」
「え?」
「え?」
「え」
ミリヤム王女は訝しげに、それに対する私は純粋な疑問として、そしてトビアス様は再び固まり、皆が同じ言葉を発した。
続く言葉を最初に発したのはミリヤム王女。
「…ソフィア、確かに上空は風が強いし、そこを竜人族の方のスピードで飛べば、息を吸いづらくもなるだろうけれど…そのようなこと、最初から分かりきっていることだから、乗せてくれた騎士が結界を張ってくれたでしょう?」
「え?」
「あ」
今度気まずげに言葉を発したのはヴァルナル様。
「ヴァルナル、お前まさか…」
ぎぎぎ…とトビアス様が錆び付いた自動人形のようにゆっくりとヴァルナル様の方を振り返る。
彼は肩をすくめながら、告げた。
「すまん。忘れてた」
忘れてた。
「忘れてたってあなた…!……ソフィア?ソフィアー!」
怒りを孕んだ王女の声を聞きながら、今度こそ私は気を失った。




