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「ただいま」
「っ?!……お邪魔します?」
見た目の素朴さにログハウスだすごーい、なんて考えて中に入った私は、その中身の異質さに白目を向きそうになる。
これは通称文芸寮だなんて言われても仕方がない、サークルの名前がどうのとかの問題じゃないだろうこれは。
見渡す限りは本、本、本。
ありとあらゆる種の本を取り揃えているのでは?と思うのと同時に地震が来たら死ぬんじゃないか?と命の危険を感じるほど壁一面が本棚となり隙間なく本が詰められている。
これは寮なのか、図書館ではないのかと純然たる疑問が自然と湧いてくるほどには玄関開いて目に付くものは本オンリーという異常な光景になんの疑問も抱かずに靴を脱いで上がっていく彼についていく。
案内してくれた彼の慣れきった様子になにこれ怖い、と怯えながらも本好きとして興奮しないわけもなく。なんだこの夢の楽園は、と恍惚の表情を浮かべてしまいそうになるのを堪えて口元をもごもごさせながら私も靴を脱ぎ、彼に習ってそれを手に持ったまま中に入った。
「ここがみんなの下駄箱。1番右の下から3番目が桜瀬さんの下駄箱だね、名前が書いてある。」
玄関横の小さな小部屋に入りここが下駄箱だと教えてもらい、覗き込むようにして確認する。
私に与えられた場所の説明をしながら指し示したスペースの隣の隣に靴をしまいスリッパを取り出した姿を見て、そこが彼の下駄箱なのだと判断して靴をしまいながらちらっと名前を拝見させてもらう。
『Sakura』と書かれているのは苗字だろうか?いや、桜が好きなお母さんだったら息子だろうと桜と名付けるかもしれない。
そう考えると一概に名字だと判断はできないが、その後に確認した自分の下駄箱の上に書かれた名前が『Sakurase』だったから、多分名字なんだと思う。
さくらとさくらせなんて、うっかり運命感じてしまいそうになるから困る。
「さくらさんって言うんですね、ちょっと私の名字と似てる」
「あー、確かにちょっと似てるね。でも俺のさくらは人偏に左って書いて『佐』と小倉あんの『倉』で佐倉だから、特にかわいい苗字ってわけじゃないんだけどね。可愛さ求めたいわけじゃないから別にいいんだけど、桜瀬って名字はかわいいよね」
心臓がどくんと跳ねる。
超絶イケメンと名前の響きが似てるってだけでうっかりときめくような軽率な女に向かってかわいい名字だとか、ずるいだろう。
あーこわい、うっかり惚れたらどうするんだ。色々混乱してたから顔なんて最初以外気にしてる余裕なかったけど、改めて見ると本当に好みだから本気で好きになってしまいそうになる。面食いで何が悪い、前世最大の後悔がイケメンと付き合いたかったとか言ってる女を舐めるでない。
いかんいかんと緩みそうになる表情筋に心の中で鞭を打って、一足先に小部屋の前で待っていてくれた佐倉さんの元へ急ぎ足でかけよると、壁にもたれるようにして待っていてくれたようだった。
というかよかった、もたれかけられる程度に壁と呼べるスペースがあって。安心した。
「あ、ちゃんと確認できた?スリッパは入ってたやつ使っててもいいし、後で買い物行った時とかに気に入ったやつ買ってきて使っても大丈夫だから」
「なんか、上履きと外履きで上下にわかれてるのって学校っぽいですね」
「確かに、言われてみると学校っぽいかも。まぁ一応ここも学校の施設って括りになるのかもな。学校って感じも学生寮って感じもしないと思うけど」
「どちらかと言うと図書館って感じがします。本は好きなんですがここまで全面を囲われると、なんか落ち着かないです」
くすくすっと笑いながら、それもそうかと口にした彼からこの場所への愛着みたいなものを感じて、私もこんなふうにこの場所に馴染めるのかなって、胸が高鳴る。
ドキドキワクワク、小学生が入学初日に校内を探検する時みたいな高揚感を心に抱きながら、佐倉さんの後ろをついて室内を巡っていく。
「風呂は部屋についてるのがあって、洗濯機はここの部屋にあるから各々使う感じ。コインランドリーみたいな感じだから小銭入れて動かすって形になってる。ただ数に限りあるから、使い終わったらすぐに出すのがルール。その隣にトイレ。リビングは掃除とかの当番表やら連絡板、後はサークルとしての活動の知らせとかも貼ってあるから、なるべくこまめにチェックして」
共同生活における細かいルールなども織り交ぜながら、生活する上で必要な場所や使い方などを教えてもらう。
全体的に1階に共有スペースがあって、2階が自室って形みたいだ。トイレは2階にもあるらしいから朝のラッシュでノックの嵐なんてことにはならないみたいだ。
「うーん、説明するって言ってもこんなもんかな。あとは過ごしていくうちに分からないこととかあったら気軽に聞いてくれれば何でも教えるから。最後にキッチンだけ寄ったら桜瀬さんの部屋案内するね」
「あっはい、料理得意ってほどじゃないので料理当番ちゃんと務まるかちょっと不安なところですけど、それなりに食べれるものは作れるように頑張りますね」
小さく拳を握りやる気だけはあります!と伝えると、人並み以上なんて求めるやついないから安心してと諭される。
「本当に大丈夫。今ここ住んでる奴らは地獄絵図を見たことあるから、相当アレじゃなきゃ大丈夫」
「じ、地獄絵図……?なんですかそれ、料理に当てはめる文字じゃないですよね」
死んだような目をして空虚を見つめる彼が恐怖を示すかのように自身を抱え込むように腕をさする様子を見るに、相当アレな味だったらしい。
「あれは正しく地獄絵図、一度の料理でキッチン立ち入り禁止を命じられた悪魔がこの寮にはっ……痛い」
「だーれが悪魔だ誰が!」
キッチンの扉まであと1歩といったところで、私と並んで歩いていた佐倉さんの頭がなにかで綺麗にスパンと叩かれる音がしてそちらを振り向く。
「新しく入った子相手に悪印象植え付けないでよ。わーかわいい子だね、食べちゃいたいくらい」
「お前が一番自分の悪印象を植え付けてると思うがな」
肉食獣を思わせる大きな目をぎらつかせて私のアゴをくいっと持ち上げたその人は、銀色の髪をさらりと耳にかけながら微笑んだ。
整った顔立ちから繰り出されるそれは美しい、美しいのだが、なぜだろうゾワゾワと恐怖を煽られるような気分になる。
チャラ男に口説かれるという初めての体験がそんな気持ちを沸き上がらせているのか……?いや、お兄さん佐倉さんほどではないにせよめちゃくちゃ好みのイケメンなんで冗談でも口説かれて嬉しいはずなんだけど。
いや、嬉しさはあるんだがそれを上回る違和感みたいなものが……。
「怖がってるからやめなさい。お前のその誰彼構わず口説き回る癖、いい加減直せほんと」
「かわいい女の子がいたら口説くのは礼儀ってもんじゃない?私、ちゃんと本気でのぼせ上がらない子選んで軽口叩いてるから、トラブルだって起こしたことないじゃん」
ぷくっと膨れて腰に手を当てながらむくれる彼に感じていた違和感。
そうかなるほど、そりゃ違和感も感じるわけだ。
「あの、失礼な質問だとはわかってるんですが、えっと、女性の方……ですか?」
「ピンポーン大正解!胸ないし男顔だからズボン履いてるとすぐ男に間違えられるんだよね。気にしなくていいよ」
「こいつはもはや女ではないから女だなんて思わなくていいぞ、桜瀬」
「ひどすぎない?」
違和感の正体、それは。
私を口説いてきた人が女だったってことだよ!モテ期到来か……?!とか心のどっかで思ってしまっていた自分が恥ずかしい!
彼女の冗談に踊らされまくった!
細身の体躯に銀髪のショートカット、胸も確かにまないた……ごほんごほん、控えめだし。くびれの隠れるダボッとしたユニセックスのパーカーにジーパンなんて格好で口説き文句なんて口にされたらそりゃあ女だなんて思わないよイケメンだらけのお祭りかよってなるじゃん。
ちゃんとよく見れば女性の体つきだってわかるのに、冷静になれよ自分……。
「いや、綺麗なお姉さんだなって、ちゃんと意識すれば分かります。ほんと、男と見間違うとか何考えてたんだろ私。ははは」
口説かれて舞い上がって的確な判断ができませんでした。だなんて恥ずかしくて口が裂けても言えやしない。
「っとまぁ冗談はこれくらいにして。ごめんね怖がらせて、ちょっと私夜まで出かけてくるから、夕飯いらないんでよろしく!今日幸彦が料理番でしょ?」
「了解。気をつけて行ってこいよ」
「はーい、行ってきます!」
赤面しそうなほど恥ずかしい思いを隠すように両手で顔を覆って一瞬だけ俯くと、頭上で2人が一言二言会話して、女性の方は満面の笑みで手を振りながら外へ出て行ってしまった。
「初めて会う住民があいつだなんて災難だったな」
かわいそうに、と言いたげな様子の佐倉さんだったが、仲が悪いというわけじゃないんだろう。
いや、むしろきっと、仲の良い友人の部類に入るんじゃないだろうか。彼女と話している時の佐倉さんは、気楽に思ったことを口にしているような、そんな印象を受けたから。『幸彦』って、名前で呼ばれていたのもその証拠だろう。
「そういえば、今日は佐倉さんが料理当番なんですね」
先ほど突然の乱入で入る前に立ち止まってしまったキッチンの扉を開き中に入りながら、世間話のようなノリで声をかけると、夕飯のメニューは内緒だぞ、と言われる。
「あはは、佐倉さんはメニューの内容は隠す派の人なんですね。私の父もそうでした」
「隠す派って言うか、なんか変に想像して期待されるの嫌だから、言いたくないってだけ。俺もそんなに料理上手じゃないんだよ」
「なるほど、たしかにその気持ちはちょっと分かるかもです。美味しかった昔の記憶とか想像されると、ごめんって感じになりますもん」
「そうそうそんな感じ。あ、冷蔵庫に自分の物入れる時はマジックで名前書いていれてね。記名のない食品はみんなの食材ってことになっちゃうから、食べられても文句言えないってのも地味にルール」
「共同生活って感じしますねー、わかりました」
従姉妹が冷蔵庫に入れてたプリン勝手に食べて怒られて、名前書いてないのが悪いんだもん!と言い張ったいつかの記憶を思い返す。
あの時は悪い事をしたな。後からあれは従姉妹が私と半分こしたいんだって言って自分のお小遣いで買ったものだったって聞いて、新しいプリン買ってきて半分こしたっけ。
幼き日の思い出を振り返りながら冷蔵庫の中を覗くと、ちらほら大きくマジックで書かれた名前が見える。
あ、これ佐倉さんのだ。チョコケーキにわざわざしっかり名前とか、甘いもの好きなのかな。なんてクスッと笑いながら眺めていると、ほらほら冷気逃げちゃうよなんて言いながら横から伸びてきた手に扉を締められる。
節電も大事だよね、共同生活だもん。反省反省。
「すみません、気がきかず」
「大丈夫、晴なんて未だに冷蔵庫開けっ放しで牛乳とか飲んでよく怒られてるから。……あ、そうだそういえば。はい、これ誰が買ったか分からないパンだから、今日の昼飯にしちゃいな。朝晩は料理当番制だけど昼は各々食べる感じだからさ、今日はとりあえずね」
「えっいやでも申し訳ないですよ、名前書いてないとはいえもしかしたら楽しみに取っておいたのかもしれないし」
「大丈夫、多分それ晴のだから。桜瀬さんも名前書かないとそうなるよって戒めも兼ねて食べちゃいな」
ぽんっと唐突に投げられたものを受け取ると、それはふわふわのパンだった。クリームパンかな、これ。幼い子が拳を握りしめたみたいな形をしたパンは、どこでも見かける普通のクリームパンに見えた。
晴だからいいよ別に、と口にした佐倉さんだけど、実は冷蔵庫開けっ放しに怒り心頭だったりしたのかもしれない。さっきほんといい加減にして欲しいよねって呟いてたし。
それでもやはり人のもの、食べてしまっていいのだろうかと迷いもしたが、今回はルールに乗っ取るということで、お部屋に持ち帰らせていただくことにした。お昼ご飯にあてがないのも事実だし。
「あとは特にないかな、使ったものは片付けるとか、そういうことくらい。じゃあそろそろ自室に案内するか、荷解きもしちゃいたいだろうし、そろそろいい時間だからな」
佐倉さんは冷蔵庫から白い紙袋を取り出してから2階にあがるぞ、とふらふら色々と見渡していた私に声をかけてくれた。
さすがと言ってはなんだが、キッチンには山のように料理本の詰められた本棚が置いてあった。その事をごく自然に受け止められるようになってきてしまっている自分が怖いような気もするけど、ここで生活していくのならもっと更に慣れていかないといけないんだろうな。
とりあえず、この本読み漁って料理の練習することを今後の目標に定め、佐倉さんを追いかけて私も2階へ歩みを進めた。




