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 六畳の部屋に、四角い漆塗りの机がでんと居座っていた。ナッキーのお母さんがほっとした表情で彰子と時也を迎えた。とりあえずは、丸く収まっているらしい。

「彰子ちゃん、雨の中、うちの馬鹿息子のためにありがとうね」

 時也の肩がずぶぬれなことに気づいたらしく、すぐにタオルを持ってきてくれた。

「時也くんも、本当に、ありがとう。さ、風邪引くからどうぞ」

 明日香ちゃんの気配はない。彰子はまず、明日香ちゃん用にこしらえたクッキーの包みを差し出した。

「今、ちょっと興奮気味だったから寝させたの。やっと落ち着いたところなの」

 ナッキーのお母さんはきっと、彰子が何から何まで分かっていると思っているのだろう。話をあわせることにして、まずは机の端にふたり並んで座った。部屋のあちらこちらに、日の丸を背負って腕組みしている学生服姿の男性写真が飾られている。ナッキーのお父さんだ。非常におっかない人だと周りでは言うけれども、彰子の知る限り「二月に紅白のお饅頭を持ってきてくれる、やさしいおじさん」という印象が強い。ナッキー曰く、

「また捕まっちまったんだよなあ、うちのおやじ」

 とぼやいてたりもするけれども、別に主義主張が違ってたっていい人はいい人なんだもの、いいじゃないかと思う。現在は、政治結社の関係で遠征かなにかをしているらしい。詳しいことはわからない。

「ナッキー、大丈夫だったんですか?」

 まずは心配だったので、出してくれた大福餅をいただきながら尋ねることにした。

「ご心配かけちゃったみたいね。さっきまで宗もずうっと部屋にこもっていたんだけど、時也くんが説得してくれて、なんとか、ね」

 時也を見てにっこりと微笑む。体型がっちりした時也が軽くうつむいて頷く。

「時也が説得したの?」

「そうなの。彰子ちゃんのお父さんと一緒に時也くんが来てくれてね、いくらしても宗が出てこないってことで、部屋の前まで説得に行ってくれたの」

「説得した、わけじゃ、ないけど」

 からからと笑うお母さん。息子が自宅謹慎している身とは思えない。

「彰子ちゃんがピンチだから出ておいで、ってね。宗にとって彰子ちゃんはお姫さまなんだなあって思っちゃったわよ。あの馬鹿息子もやはり、好きな子には弱いのねえ」

 ──好きな子? まあいいけどナッキー、なんで?

 今ひとつぴんとこなくて、彰子は相槌を打ちつづけた。隣りでじっと見つめていた時也は、彰子が渡したクッキーを取り出し、いきなりパクパク食い始めた。人のうちでそれをやるのもちょっとなと彰子は思うのだが、まあ自信作のクッキーだしいいかと思い直した。

「ね、おいしい?」

「もっとほしい」

 それだけ答えた後、時也は花柄の袋に手を突っ込んで、ひたすら食べつづけた。袋が空になった頃、もう一度玄関がざわめいた。

「かあちゃんただいま!」

 甲高い声。ナッキーだ。

「しーっ、明日香やっと寝たとこなんだから。ほら宗、彰子ちゃんいるわよ」

 玄関で迎えるお母さんの声がする。時也と顔を見合わせて、彰子はすばやくもうひとつの袋を用意した。ナッキー用のクッキーだ。

 父もいた。一緒にずぶぬれになり戻ってきた。いろいろ考えるところもあるのだろうが、何も言わなかった。彰子を見るなり、

「おいしそうだなあ。私にもあるかい?」

「ごめん、父さんのはうちにあるんだ」

 非常に淋しそうな表情を見せた。まだ言い争う声がするけれども、きっと着替えるか、ぬれているのを拭いてもらっているかしているのだろう。

 ──よかった。ナッキーいつもどおりだ。

 白線が施された学生服姿。それも裾が長い。背が低いせいもあるけれど。

 口を真一文字に結んでナッキーは、堂々と入場した。まさに「入場」そのもの。応援団が入ってくる時の雰囲気だった。おかしいのをこらえるのに苦労した。

「なにはともあれ、彰子、ちょっと俺の前に座れ」

 お母さんが慌てている。彰子を見るなりいきなり口調と目つきが険しくなった。となりで父が困ったように彰子の肩を叩いた。まあ、言う通りにしろってことだろうか。

「失礼なこと言うんじゃないの。あんたが頼んで彰子ちゃんにきてもらったんでしょ」

「事実関係を確認するんだ。黙ってろ」

「ちょっと親に向かって言う言葉じゃないでしょ」

「うるせえったらうるせえんだ。母ちゃんは明日香のところ行ってろ。俺は彰子に話があるんだ!」

 言い出したら退かないナッキーの性格を彰子もよくわかっている。

「いいです。いいよ。ナッキー、真っ正面に座るからいい?」

 細長い机を挟んで、少し戸口からずれた。父を時也の隣りに座らせて、彰子はナッキーの真向かいに座った。ちゃんと、大福も一つ持って。上座にためらうことなくナッキーが向い、じっと見下ろし、あぐらをかいた。ナッキー流に言わせると、あぐらは家長の威厳を示すものらしい。時也が心配そうに指をくわえて、なんどか鼻の下をこすっている。

 大きく深呼吸した後、ナッキーは自分のお母さんに手でおっぱらうしぐさをした。なかなか動かないのを無視して、次に彰子の父へ、

「なら先生、これから俺が話すこと、全部聞いてていいからさあ。まずは事実確認する。自分の娘のこと、少しは知っとけよ」

 ──うわあ、どうしようナッキー、全然しょぼくれてなんかないじゃない。もう心配した私ってばかみたい。ま、いっか。落ち込んでるよりもこういうナッキーの方が、私は大好きだけどね。

 父が苦笑いしつつも、時也と顔を合わせて頷いている。ある程度彰子の知らない部分を把握しているのだろう。彰子はあきらめてお白州の場に出ることにした。


「まず、ひとつめだ。彰子、お前、この前青大附中の変な奴に追いまわされてるって話してたよな」

 ──変な奴?

 話が全く読めない。斜め前から時也が助け舟を出してくれた。

「耳鼻科で会った奴のこと」

「追いまわされてはいないと思うなあ」

 くすっと笑う父。思いっきりナッキーににらまれて黙った。父も本気出したナッキーにはさからえないらしい。

「じゃあいい。次だ。彰子、その変な奴がお前にこの前ちょっかいだしてきたって本当のことか?」

「ちょっかい?」

 父がひたすら笑いをこらえている。まあまあと目で合図しつつ彰子はこたえた。

「ちょっかいっていうのかなあ。クラスで仲いい子がいてね、その子からお付き合いを申し込まれたってのはあるよ。一応断ったけど。でも」

「付き合いを申し込まれただと!」

 時也とナッキーが同時に身を乗り出した。父が、ほう、という顔をして様子をうかがった。どう答えるか迷ったけれども、嘘をいうとどつぼにはまるので素直に答えることにした。「だってね、その子性格はいいんだけど、見かけが私とつりあわないのよ。ほら、時也知ってるでしょ。『パール・シティー』のボーカルにそっくりだって子のこと。たぶん私と友だちとして仲良くしたいということをいいたかったのかなあ。ただ、私がそういうのに慣れてなくって思わず、いかにもの『お付き合い』と勘違いしちゃって、パニックになったってのはあったよ。だからきっと、時也もその話聞いて、心配してくれたんだと思うんだ。ありがとうね。ナッキー」

 南雲くんのことがおそらく時也の方からもれたのだろう。時也の通っている塾で、彰子の相談した内容を女子たちが話しているかなんかして、それを聞きつけたと。時也は心配して大至急、彰子の仲良しである男子たちに声をかけて留守電応援メッセージを送ってくれたと。ついでに自宅謹慎中のナッキーにも報告したと。なあんだ、時也が彰子のことを心配してみんなやってくれたことだ。もう一袋時也にクッキー用意してくればよかった。

 ナッキーはしばらく両腕を組んだ。お父さんの写真に似た格好でだった。ほんと、ナッキーはお父さん似だと思う。写真を見上げながらのんびり、そんなことを思った。

「彰子、お前なあ」

 いきなりじっと、彰子の顔をにらみつけた。素直に感謝したのが帰ってまずかったらしい。ちょっと読み違いありだろうか。身構えつつも笑顔を忘れないよう、彰子は答えた。

「なんか、悪いこと言っちゃったかなあ」

「お前なんも分かってねえよ! ばかやろう!」

 漆塗りの机にばしんと両手を叩きつけた。

 ──どうしよう、ナッキーに怒られちゃったよ。私って男子にどうも、逆なでしちゃうこと言っちゃうくせあるみたい。

 父だけが落ち着いたまま、時也の分のクッキーを一枚もらい食べていた。

 

 ナッキーの怒号は父譲りだとつくづく思う。

「いいか、彰子。お前、自分の立場がどれだけ大変なことになってるかちっとも理解してねえよ。彰子のことをばか女どもがさんざんこけにしていること、どうして気づかねえんだよ! あんな奴らにお前がなんで、そこまで言われなくちゃいけないんだよ!」

「私のことをこけにしてるって、どういうこと?」

 時也に目線を送るナッキー。ごほんと咳払いして、時也が答える。

「奈良岡のことを話していた女子たち、最低だ」

「は?」

「『あんなデブにどうして、゛パール・シティー”みたいなかっこいい彼ができるっていうわけ? 絶対変だよ』って言ってた」

 ──なにも時也、そんなにリアルに言わなくたって。

 止められない時也は更に続けた。

「『小学校の時から男に媚びるのが得意だった』とか」

「私、媚びてた?」

「『青大附中では全然男子が相手にしてくれないって話してたけど、やっぱり顔が命だもん、当然だと思ってたけど』とか」

「いや、私、この辺はそうだって思うけど」

「『絶対からかってるんだよ、それ。青大附中の子たちも言ってたけど、あんなブスに相手がいるなんて絶対変だって!』とか。うちの塾、青大附中の女子が何人かいたから聞いてる」「時也、教えてくれればよかったのに。私の友だちかもしれないじゃない。紹介してあげたのに」

 父が笑いをこらえきれずうつぶして声をもらしている。彰子からすれば時也が報告する彰子への悪口は、否定できないことばっかりだし、もうあきらめていることだらけだった。周りの人が南雲くんの「理科室告白事件」についてかなり冷静な見方をしているのは知っている。でも南雲くんが「友だち」としていい付き合いをしたいと真剣に言ってくれたことだけは確かだと思う。だから彰子なりに誠実な答えを返したつもりだった。ブスだとかデブだとか言われて言い返す気はない。健康面の問題さえクリアすれば、今の自分の顔も身体も、まんざら嫌いじゃない。

 とうとう、ナッキーが立ち上がった。

「なら先生! 自分の娘がこれだけこけにされてるんだぜ! 頭の悪いばか女どもにここまで罵られてるんだぜ! なんで笑ってられるんだ!」

「夏木、ごめんごめん、時也と彰子の漫才が面白すぎたんだ」

「笑い事じゃねえ!」

 両手を腰に当て、彰子を見下ろした。

「いいか彰子。ばか男がさんざん彰子を追い掛け回していたのはわかる。その気持ちはよーく、わかる。だがな、こんな奴らをのさばらしておいていいと思ってるのか。いいか、俺はな。そんな奴らを許しちゃおけねえ!」

「うん、そうだ」 

 合いの手、時也だ。

「なら先生、ここで言っとく。父ちゃんが日本を守るのと同じく、俺は彰子を守るからな。絶対に、こいつに手を出す奴は許さねえからな!」

 ──なんか、怒られにきてしまったみたいだなあ。

 ぼんやり、見上げながら彰子は答えた。

「うん、ありがとう。ナッキー、ごめんね」


 本来の目的「自宅謹慎中のナッキーを勇気付けるためクッキーを渡す」ではなく、結局は「青大附中の馬鹿男に追いかけられて、周りでは不当な評価をされている彰子を、ナッキーと時也が守ろうと宣言」のための集まりになってしまった。まあ、これでもいっか、ということで彰子はおとなしく大福を三つほおばっていたし、父も荒波をこれ以上立てないよう、ナッキーのしたことについては何も言わなかった。クッキーがあっという間になくなったのはきっと、それなりに美味しかったからだろう。彰子は満足だった。

 もっとも根掘り葉掘り、

「そいつの顔はどういう感じなんだ?」とか「まさか、連れ込まれようとしてるんでないだろうな」とか、あまりにも南雲くんに失礼な内容を突っ込まれるのには困ってしまったけれども。一応、

「土曜の午後に、友だちとして遊びにいくことにはなったんだよ。青潟こども公園。ちっとも、デートっぽくないよ。ナッキーが騒ぐほどのことでもないと思うなあ」

 とだけは、伝えておいた。自宅謹慎期間が過ぎたら、「あけましておめでとう」記念にどこかナッキーたちと遊びに行ってもいいだろう。

 夕方過ぎに辞去することにした。


「彰子さん、さっき、宗くんが言っていたことなんだがな」

 一緒に並ぶとなにか変。父が骨ばった手で彰子の髪に触れた。

「ナッキーってばもう、私なんかぶさいくもいいとこなのに、すごくかばってくれるんだからね。ほんと、ありがたいなって思うよ」

 周りの奴の悪口を告げ口されたので傷ついていると思ったのだろう。彰子としては外見のことを言われるのならばしかたないと割り切っている。性格が救いようないとか、人間的に存在価値がないとか言われたら傷つくかもしれないけれども、

「私、自分の顔、結構好きだよ。お母さんにもちっちゃい頃から言われてたもん。『みんなに覚えてもらうためには、いっつもにこにこしてればいいよ。そうしたら、あそこのぽっちゃりしていつもにこにこした子って、みんなが記憶してくれて、友だちたくさんできるからって。美人さんだったら近づけないかもしれないけれど、私みたいなタイプだったら、みんな安心してお友だちになってくれるからね』って」

 父はかすかに口元をほころばせると、時計を覗いた。

「そういえば彰子さんに最近、洋服買ってやってなかったなあ」

「いいよそんなの」

「その辺でいいのがあったら、教えなさい。お父さんはあまりそういうのわからないから」

 ──なんかやだなあ、お父さんも。どうしたんだろう。

 ──でもラッキーかも。あまり洋服にこだわる性格じゃないんだけどね。ただ、お母さんのおふるはちょっと、恥ずかしすぎるからなあ。スカートの裾いっぱいにフリルがたくさんついているフランス人形みたいな服はちょっとなあ。

 少しだけ考えて彰子はありがたく、父の申し出を受けることにした。

「じゃあ、今度、気合いれて洋服屋さん回ってみるね」

 だれかおしゃれなことに敏感な友だちを誘って出かけたほうがよさそうだ。

  ──美里ちゃんあたりにそういうのは相談してみるといいかもな。


 父は母に、ナッキーのことをあまり詳しく説明しなかったらしい。とにかくクッキーが満足だったことと、相変わらず彰子が男子連中に愛されていることを報告したにとどまる。彰子も照れくささありとはいえ、

「ねえねえ、言ってくれればいいのに。彰子に申し込みした男子いたの? どうするのよ。ねえねえ」

 大きなフリルがたくさんついている花柄エプロンをした母。南雲くんについてひとつひとつ聞き出すのだけはやめてほしかった。

「そりゃあ、ナッキーショック受けるよね。そうか、彰子にとって青大附中に入ってから初めてのデートかあ。お母さんがいい服、選んでおくからあとで着て見なさいね。お父さんも別にいいから。うちにたっくさん、古い服あるんだからね」

 父のまなざしはかなり、同情を含んだものだった。大丈夫、なんとかなるわと、目で答えた。

 ──いやあ、しかし、あきよくんと遊びに行くのはいいけど、お母さんのどふりふりを来て出かけるわけ? わああ、どうしよう。こっちの方がすっごく恥ずかしいよ。


 娘の初デートは、母にとっては心ときめくものだったらしい。たぶんウエストが入らないという理由で下げてくれたのだろう。百合の花がおおぶりにプリントされた真っ赤なワンピースに白いコサージ、かなりだぼだぼのボレロ、最後はフリルたっぷりの白い靴下とスニーカー。信じられないくらい自分には似合わない格好をさせられそうだった。

 鏡に映る自分の姿を見るなり、ふうとため息をついた。

 ──これって、なんかさあ。

 母の嬉々としている様子を見ていると、さすがに「こんなの恥ずかしくてやあよ」なんて言い返せない。かといって、南雲くんが呆然とするところを見るのも、悪いと思う。たぶん一瞬にして、南雲くんは彰子に交際の申し込みをしたことを後悔するんじゃないだろうか。「彰子はね濃い色が絶対似合うのよ。あんた赤とか苦手だとか言ってたけどね。でも、男の子と会うんだったら思いっきりおしゃれしないと、損よ。どうせその男の子に振られてもね、ナッキーや時也くんがいるじゃない。そうよ、時也くんならこういう服、お母さんの方で見慣れてるわよ」

 ──いや、あのふたりにこの格好見られたら何言われるかわかんないよ。

 きっと、普段の白衣でたまったストレスを、こういう派手なもので発散しているのだろう。さらにコーディネートを楽しんでいる母を見下ろしつつ、彰子は思いっきり脱力した。

 ──やっぱりあした、美里ちゃんたち誘って、いい服見繕ってこよう。まあいっか。土曜日はお母さんのリクエストにお答えするとしても。


 次の日、彰子が教室に入るまでの間、やたらと視線がびしびしと当たったのを感じた。急いで避難すべく二年D組にもぐりこんだ。なぜか、ここだけは安心して話ができるのだった。彰子にとっては気楽な場所だった。いつものように水口くんと解剖の話をし、他の女子たちとテレビの話や宿題の写し合いをし、南雲くんを始めとする他の男子たちには「おはよ!」と声をかける。不自然なほど、ふつうの空気が流れていた。

「彰子さん、これ、あとで見ておいて」

 美里ちゃんたちと「砂のマレイ2」の話につきあっていると、南雲くんが机に一枚、レポート用紙を置いていった。

「他のみなさまのご意見もいただいていいよ」

 ちらっと美里ちゃん、こずえちゃんたちの方もみて、頷いた。彰子の性格をよく掴んだ様子だ。南雲くんの態度は、理科実験室事件前とほとんどかわらなかった。デートを受け入れたことがかなりいい方向に進んでいるらしい。

「ねえねえ、見せて見せて」

「彰子ちゃん、結局どうしたの? 付き合うの? 南雲と」

「付き合うかどうかわかんないけど」

 もごもご言いながら、許可の出たレポート用紙を一枚覗き込んだ。


 一 青潟駅前にて集合。

 二 青潟駅〜バスで「青潟こども公園」まで十分。

 三 休憩室にてただのお茶をもらいながら、お弁当を食べる。

 四 遊ぶ。

 五 ないしょ。


 五の「ないしょ」というところが妙に受けた。項目の間には、それなりにお奨めスポットなどの記入もある。宿泊研修の時作るしおりによく似ていた。文章は少なかったけれども、あいているところにはいろいろな音楽系のイラストが書き連ねられていた。鉛筆書きのもの。たぶん、バンド関係に詳しい人なら一発でわかるのだろう。

「彰子ちゃん、つまり、土曜日会うの?」

「うん、公園だったらいいかなと思って。みんなで行った方がいいと思うんだけどね」

「それはだめだよ!」

 強く美里ちゃんが訴える。

「よくわかんないけど、これは彰子ちゃん一人で行くべきよ!」

「美里も何一人で力こめているのよ。全く、自分がかなわないからって」

「こずえ!」

 真っ赤になりつつも、美里ちゃんは一生懸命にしゃべっていた。

「お弁当は必要かなあ。休憩所だから。作っていった方がいいのかなあ」

「彰子ちゃん料理巧いからそれは当然よ!」

「それと、お茶も水筒に入れて用意したほうがいいよね」

「遠足と一緒!」

「公園でだったら、あまり派手な服はまずいよね」

「でも可愛くなくちゃ絶対だめ!」

 頭の中に浮かぶのは母コーディネートの派手なワンピース。

 可愛くないとは言わないが、着る相手を思いっきり選ぶ。

「洋服選ぶんだったら私が付き合ってあげる!」

 そうきた。よかった。言い出す前に美里ちゃん、強く受けてくれた。

「頼もうと思ってたんだ。ありがとう美里ちゃん」

「私も付き合っていい?」

 もちろん。こずえちゃんもいれば鬼に金棒。彰子は手と手を取り合い、レポート用紙に質問事項を書き込み、もう一度南雲くんに持っていった。

「あきよくん、お弁当のことなんだけどどうかなあ」

「あ、それ大丈夫」

 立村くんとふたりでテープの交換をしているところを邪魔してしまった。あっさりと南雲くんは受け取り、ぱかっとした笑顔で答えた。

「ちゃんと、料理は用意してるんだ。まかせといて!」

 立村くんがわけのわからなさそうな顔をしつつも、知らん顔してテープの入れ物をいじくっていた。南雲くんはいくつかレポート用紙にチェックを入れた後、

「じゃあ、後は俺が全部プランニングするから任せといて!」

 と胸を叩いた。

「あとね、ひとつだけご了解いただきたいんだけど」

「なに?」

「当日、諸般の事情で非常に、つれて歩きたくない格好をしてくるかもしれないけれども、その時はごめん。洋服あまり、そういうの関心ないもんだから」

「全然、そんなの気にしないよ」

 ──いや、うなされなければいいなあ。

 彰子は両手を合わせておいた。


 しかし不思議だ。二年D組から一歩出たとたん、空気がにごる。

 五月の風が、湿っていく。

 あまり季節を感じない彰子ですらも、

 ──うわ、息苦しいよ。

 思うくらいなのだから相当なものだろう。立村くんが顔色青くして机にうつぶしていた。南雲くんが軽く背中をさすってやっていた。羽飛くんが美里ちゃんに、

「あいつまた倒れてるぜ。ったく、何考えてるのこいつ」

 指差して肩をすくめていた。

 彰子が思うに、どうもいろいろな空気をよけいに察知してしまう体質の持ち主らしい。憑依体質、というのがある。一緒にいる人が「気」を出して、「おなかがすいた」とか「外に行きたい」とか「ぐあいわるい」とか考えているのを、普通の人はあまり感じない。しかし、憑依体質の人はそういうのをよけいに感じとってしまい、おなかすいていないのに思いっきり食べてしまったり、つられて具合悪くなってしまったりする。バスの中で一人が酔ってしまうと、連鎖反応で吐いちゃう人が連続するのと同じだ。教えてくれたのは母だ。もちろん、「あんたは神経ずぶといからいいよねえ」とため息をついて、ダイエットについて説明してくれた時だ。

「立村くん、保健室、行こうか?」

 心配そうに美里ちゃんがそばに寄って声をかけていた。やはり同じ評議委員だから、気遣ってあげているんだろう。ほんとにやさしい子だ。

「大丈夫、ごめん。少し落ち着いたら帰るから」

 身動きせずに立村くんは、か細く答えていた。

 彰子も保健委員の立場上、気になるところあって近寄ろうとした。とたん、美里ちゃんが勢いよく近づいてきて、手を引っ張った。

「じゃ、行こっか。こずえと一緒におしゃれの勉強、しに行こ!」

 南雲くんがきょとんとした顔で彰子を見つめている。羽飛が美里ちゃんに、あきれた顔して片手を上げている。立村くんは相変わらずうつぶせたまま。「じゃあ、お先にね!」 彰子はこずえちゃんに背中を押されるように、美里ちゃんに手をひっぱられるようにして教室を出て行った。ふたりの「気」が守ってくれているみたいだった。C組、および他のやっかみらしい「気」が跳ね返されたみたいだった。やっぱり自分は守られている。

 ──どうして私の周りっていい人ばっかりなのかなあ。


「一応、希望だけ言っとくけど」

 デパートの中を歩きながら、彰子は前もって母の愛好ブランド名を告げ、避けてもらうよう頼んだ。

「え、そんなふりふり、着たりするの?」

「たぶん、着なくちゃいけないと思うんだ。お母さんの立場上」

 こずえちゃんが噴き出したところみると、相当イメージと異なったらしい。

「それって彰子ちゃん絶対まずいよ。美里に任せときなって。美里はくやしいけど私よりずっと、男子が目からうろこ落ちるようなコーディネイト決めてくれるから! 相手は南雲でしょ。奴ならきっと、今時のしゃきっとした感じが好みだと思うからさ。あまりぶりぶりした感じは好きじゃないと思うんだ。ねー、美里。どこのだれかさんとは違ってね!」

「こずえ、うるさいっ!」

 なぜか美里ちゃんは顔を真っ赤にしてこずえちゃんの肩を思いっきりぶっている。いつもそうだ。美里ちゃんとこずえちゃんの会話は、「砂のマレイ2」のキャスト好みにしろなににしろ、「だれか」の存在をちらつかしてはからかい、相手が本気でくってかかる。そんなのりだった。しかもこずえちゃんは引かないで、傷つかないで、平気で言ってのける。

「正統派のトラッドファッションか、それとも気品のあるドレスとか、そういうのを気に入ってるみたいよ。あいつはね。羽飛とは大違い。羽飛の好みは美里も知ってるよね」

 ──羽飛くん?

 思わず口からもれた。

「羽飛くんの好みと違うのは想像つくけど」

 にんまり笑ってこずえちゃんは無理なウインクをしてみせた。顔がつっぱっている。

「あのね、彰子ちゃん。美里はひそかに、彰子ちゃんのお母さんが大好きなブランドの服、着たがってるに違いないんだ」

「うん、美里ちゃんだったらああいうふわふわしたのって似合うと思うなあ」

 素直にそう思う。

「そういうんじゃないってば!」

「ほらほら無理しないでさ。彰子ちゃんも聞いてやってよ。この子のダーリン候補ってばねえ、美里の好きなおしゃれ系とずれててさ。すっごくジレンマ感じてるみたい。形崩さないできちんとした格好して、ブレザーとコートでびしっと決めて、冬は絶対シャーロック・ホームズ風コートって感じの奴だからさあ」

 ──羽飛くんじゃない?

 いっちゃなんだが全くイメージが異なる。彰子はもっと尋ねてみたかった。

「そういう子を、美里ちゃん、好きなの」

「こずえ言わないでってば!」

 通路の真ん中で完全に泣き顔を見せながら美里ちゃんはこずえちゃんを捕まえようとする。逃げながらべろべろばーしてみせるこずえちゃん。軽くかばって、

「こずえちゃん、いいよ。やめときなよ」

 声をかけた。だんだん、輪郭が見えてきたものがある。

「全くさあ、美里ってば好みが変よねえ。そばにさ、羽飛みたいな奴がいるのに、なんでよりによって」

「こずえにはわかんなくていいの! もう、知らない!」

 とうとう美里ちゃんはエスカレーターの方へ駆け出してしまった。


「ちょっとまずくない? 美里ちゃん、行っちゃったよ」

 こずえちゃんもさすがに、姿が見えなくなったのを見ていてあせったらしい。

「じゃあちょっと待ってて。美里を捕まえてくるからさ。彰子ちゃんもよさそうなものあったら目星つけておいてよ。どうせ買うわけじゃないんだからさ」

 でもちっともあせってない風に、舌を出した後こずえちゃんは、

「みさとー、待ってよー」

 叫びながら駆け出した。平日の午後、人通りのないデパート。販売員さんたちが目の笑っていない顔でお辞儀をしている。一人取り残された彰子は、同じ年頃の子たちがたむろっている店に入り、自分が着れそうにないブラウスを広げたりしていた。白も黒もいろいろあったけれど、ほとんど選んでいなかった。指先で触れながら、さっきのこずえちゃんが口走った言葉を思い出していた。


 ──この子のダーリン候補ってばねえ、美里の好きなおしゃれ系とずれててさ。すっごくジレンマ感じてるみたい。形崩さないできちんとした格好して、ブレザーとコートでびしっと決めて、冬は絶対シャーロック・ホームズ風コートって感じの奴だからさあ。

 ──そばにさ、羽飛みたいな奴がいるのに、なんでよりによって。

 

 羽飛くんではない。ブレザーとコートでびしっと決めるタイプじゃない。同じ理由で南雲くんでもない。もっというなら、シャーロック・ホームズ風コートという言葉。特定される一人しかいない。

 ──美里ちゃん、まさか。

 ──立村くんのこと、好きだったの?


 マント風のいかにも目立ちそうな格好で教室に入ってきた時、みなが呆然として指差したことを覚えている。彰子が立村くんについて記憶しているのはそのあたりだ。だから覚えていた。似合わないとは思わなかったけれども、学校ではちょっと目立つだろう。

 美里ちゃんと立村くんは同じ評議委員だし、もちろんそういうのがありえないとは思わない。でも、彰子は最初から羽飛くんの存在を意識していたから想像だにしていなかった。

 何よりも、クラスで人気者、可愛い美里ちゃんが、なぜ、評議委員とはいえ地味で目立たない立村くんを好きなんだろうか。

 ──羽飛くんと、幼なじみなのに。

 ──羽飛くんとだったら、お似合いなのに。

 ──私だったら、絶対羽飛くんを選ぶのに。


「彰子ちゃーん、捕まえたよー!」

 背中を叩かれた。恥ずかしそうにうつむいている美里ちゃんと、そばでけらけら笑いこけているこずえちゃんがいた。すぐに見つけて、探してくれたらしい。

「ほら、美里も機嫌なおしなよ。私が悪うございました。今日は彰子ちゃんのためにコーディネイトしてあげるんでしょ。ほらほら」

 まだむくれている様子の美里ちゃんをなだめるように、こずえちゃんは彰子へこっそり、「ねっ!わかったでしょ」と唇を突き出すしぐさをした。

 ──うん、わかったよ。

 動揺したところを見せたくなくて、彰子はもう一度、こっくり頷いた。


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