後編
私の決心とは裏腹に、花びらは私の手にとどまってはくれなかった。
気合いを入れ直した私の耳に、終わりを告げる遥人の言葉が届く。
「花びらが取れた!」
遥人の声に、弾かれるように顔を上げると、遥人は見せつけるように指で挟んだ花びらを見せてきた。
ああ、終わった……。
終わってしまった……。
「この勝負は俺の勝ちな」
遥人が勝ち誇って笑う。
この顔も、私が大好きな顔の一つだった。
遥人との勝負に負けるのは悔しいけれど、いつもそんなに嫌でもなかったのは、この笑顔があったからだった。
でも、今日は……。
「これで四十勝三十九敗二十二引き分け。トータルでも俺の勝ちが決まったわけだ」
今日は勝ちたかった。
勝って告白したかった。
負けてしまった今となっては、ジンクスにも見放されたみたいで、告白する勇気なんて出てこない。
「私の負けだわ……」
これは、告白して断られてきまずくなるよりも、卒業後に会えた時、今まで通り話せるようにという神様のお導きかもしれない。
好きだと伝えるよりも、この関係を壊さない方が良いよということかもしれない。
きっと、そうなんだ……。
花びらが取れなくてがっかりしているはずなのに、私は心のどこかでホッとしているのに気が付いた。
もしかしたら、私は告白が出来ない言い訳が、欲しかったのかもしれない。
「で、花びらが地面に落ちる前に拾えれば、願い事が叶うんだっけ?」
「うん。そうだよ」
告白を諦めたことをさとられないように、私はいつもの調子で喋る。
……いつも通りに喋れてるかな?
「お前は何を叶えたかったわけ?」
「うーん、秘密」
今さらこんな気持ちで、遥人と付き合いたいなんて言えるわけがない。
「遥人は? 何か叶えたいことある?」
これ以上、突っ込んで聞かれないように、私は逆に聞いてみた。
「俺? 俺は……」
少し考える風に、遥人は空を見上げる。
「ある。願い事」
手のひらに花びらをのせると、遥人はそれを拝むようにして両手で挟んだ。
そして、目をつぶって、遥人は大きな声を出す。
「好きな子と、付き合えますように!」
……え?
何?
好きな子?
“好きな子と付き合えますように”?
その言葉が、真っ白になった私の頭から、身体に流れてじわりと浸透していく。
そして、それが端まで行き渡ると、急速に心が冷えていき、私の手は震えだした。
そっか……。
遥人には好きな子がいたんだ……。
震える手を、私は両手でギュッと握りしめる。
言わなくて良かった。
告白しなくて良かった。
友達のままでいれて良かった……。
神様はちゃんと分かってたんだ。
失敗するって……。
だから、花びらは私の元には落ちてこなかったんだ。
「どう? 叶いそう?」
片目だけ開けて、遥人は私をチラリと見る。
「それを……」
それを私に聞くの?
私は思わず出かかった言葉を飲み込んだ。
今の私にそれを聞くのは残酷すぎる。
けれど、遥人は私が告白しようとしてたなんて知らない。
このまま友達関係を続けるなら、いつも通りのケンカ友達を続けるなら、答える言葉はこうだ。
「そんなの分かるわけないでしょ。でも、私より先に付き合う相手を作ろうなんて生意気ね」
声は上ずらずに出せた。
いつも通りの私で出せた。
悲鳴を上げる心の中で、私はひっそり息を吐く。
演技はうまくいった。
けれど、もう遥人を見ていられなくて、私は空を見上げた。
空は私の気分とは違って、憎らしいほどにどこまでも晴れ渡っていた。
いっそ雨でも降ればいいのに。
そしたら、涙が流れてもバレないのに。
「そうでもないよ」
「何が?」
「分かるよ」
「は?」
わけのわからない遥人の返しに、思わず遥人を見て慌てて顔を伏せる。
え?
伏せるまでの一瞬で、遥人の顔が見えた。
遥人は今まで見たこともない、真剣な顔をしていた。
「お前には分かるよ。俺の好きな子は……。お前だから」
……え?
顔を伏せたまま、私は戸惑いに目が泳ぐ。
遥人から言われた言葉を、動いてくれない頭で必死に考えた。
好きな子はお前?
えっと……。
つまり、私?
え?
驚きで停止しかかった身体を動かし、私は遥人をうかがいながらゆっくりと顔を上げる。
遥人は真っ直ぐに私を見ていた。
力強い目で、射ぬかんばかりに私を見ていた。
「どう? 叶いそう?」
私に同じ質問をする遥人の頬は、うっすらと赤くなっている。
それを見ていたら、喜びがじわじわと足から溢れだし、私の身体中を巡りだした。
そして、歓喜が私のてっぺんまでたどり着き、それが頭から飛び出そうとする勢いのまま、私は遥人に答えた。
「か、叶う! 叶うよ!」
目の前で、真面目な顔をしていた遥人顔が、満開の桜のようにほころんだ。
今までで、一番の笑顔だった。
そして、その笑顔が私に近付き、私は温かなぬくもりに包み込まれた。
遥人が私を抱き締めていた。
消えていた心臓の音が、猛烈に主張を始める。
出かかっていた涙は、全て吹っ飛んでしまった。
今は遥人の体温のせいだけじゃなく、顔が熱い。
私が遥人の腕の中で、どうすればいいのか分からなくなっていると、遥人が顔を傾けるのが動きから察せられた。
「ひゃっ!」
いきなり耳元で名前を呟かれ、変な声が出てしまった。
からかわれるかもと思い遥人の顔をうかがうと、そこにあったのは優しい笑顔で……。
至近距離笑顔に今度は耳まで熱くなるのを感じ、私は恥ずかしくて顔を伏せようとしたけど、遥人に顎の下から指ですくい上げられ、間近で見つめられた。
あまりもの近さに心臓がバクバク鳴り出して、もう心臓が持たないからと、遥人の顔を見ないように私がギュッと目をつぶると、サラサラとした何かが顔にかかり、間をおかずに温かく柔らかいものが唇に触れた。
びっくりして目を開けると、今度ははにかんだ遥人の顔と出会い……。
熱でショートした頭を、私は放棄した。
その後、落ち着いた私は遥人と帰路に着いたわけだけど、緊張し過ぎて間が持たず、とりあえず会話をしなきゃと、どうやって桜の花びらを捕まえたのか遥人に聞いた。
「灯台もと暗しと言うか何と言うか……。あの時は俺も必死になって捕まえようとしてたんだけどさ、お前は取れそうなのかと見たら、のってたんだよ。たくさんの花びらが。頭の上に。で、もしかしたら俺の頭の上にもって探ってみたら、案の定」
そう言って、さっきから笑顔の大盤振る舞いをする遥人は私の頭に触れ、その触れた手を私の目の前に差し出す。
遥人の手を見ると、指先には、桜の花びらが挟まっていた。
「本人が気付いていないだけで、いつの間にか落ちてきてるってこともあるんだな」
「……そうだね」
私は遥人に頷く。
気付いてないだけで、そんなこともあるんだ。
いつの間にか、あなたが私を好きでいてくれたように……。
end