前編
仁王立ちの私は、立てた親指で後ろの桜の木をさしながら、私の前に立つ青柳遥人に勝負を持ちかけた。
「三十九勝三十九敗二十二引き分け。私たちの最後の勝負は、これにしない?」
高校生活最後の日。
今日は卒業式。
桜の木はすでに満開で、ハラハラとその花弁を散らしている。
「桜? 何をするんだ?」
いつの間にか私よりも背が高くなった遥人が、その快活な表情を変えてニヤリと笑い、黒い瞳を面白そうな何かへ期待するようにキラリと瞬かせる。
これは遥人が勝負を受ける時の顔だ。
遥人とずっと勝負してきた私には分かる。
「桜の花びらは、地面へ落ちる前に拾うと願いが叶うってジンクスがあるの。だから、それで勝負よ。花びらが落ちる前に、先にキャッチ出来た方が勝ち。これが私たちの最後の勝負よ」
これで最後。
大学の違う私たちは、この卒業式を期に会うことがなくなる。
長かった私たちの関係も――このケンカ友達という関係も最後になる。
だから私は……。
「いいぞ。最後に俺が勝ってやる」
「勝つのは私よ」
私は勝って願いを叶えたい。
バクバクと高鳴る心臓をなんとか抑えながら、すました顔を遥人に向ける。
この願いは気付かれちゃいけない。
この気持ちは、勝ってから伝えるんだから。
「準備はいい?」
二人で桜の前に立ち、私は遥人に確認する。
「ああ、いいぞ」
「じゃあ……。スタート!」
私と遥人は桜の木の下に走った。
花びらは今も落ち続けている。
風もなく、絶好の花びら拾いチャンスだ。
木の下に入って桜を見上げると、ちょうど目の前に花びらが落ちてくるところだった。
よし!
今だ!
私は花びらに向かって、バッと手を出す。
けれど、指の先でするりとかわされてしまい、花びらはそのまま落ちていく。
「待て!」
その花びらを追いかけて、手をすくい取るようにして左右交互に差し出すも、花びらには逃げられてしまう。
そして、何度か挑戦しているうちに、捕まえようとしていた花びらは、地面に落ちてしまった。
「ま、まだまだたくさん落ちてくるし」
私はすぐに次の花びらへと狙いを定めた。
私の頭上をヒラヒラと舞っている花びらに、右手を伸ばしながらジャンプする。
けれど、あと少しというところで花びらは軌道を変え、指先から離れていってしまった。
「まだ落ちてないし……!」
その後を追いかけ、私は何度も何度も捕まえようとする。
でも、花びらはまた地面に落ちてしまった。
意外と難しい……。
ゆっくり落ちてくる花びらは、簡単に捕まえられそうで捕まえられない。
練習すれば良かったかな……?
そんな考えが頭を過る。
いやいや、ダメだ。
ジンクスって練習して叶えるもんじゃないし。
それにこのジンクスは後押しのつもりなんだから、勢いが大事なのよ。
練習して勢いがなくなったら、意味がないじゃない。
今の考えを追い出すように、私は首を左右に振る。
どうしたら……。
私は遥人がどんな様子か、チラリと横目で確認した。
遥人も苦戦しているのか、手を何度も突き出して、花びらに挑戦しているようだった。
まだ大丈夫。
花びらを捕まえるのに、まだ時間はある。
私は深呼吸をして、はやる気持ちを落ち着ける。
よく考えて。
闇雲に突っ込むだけでは、花びらは手に入らない。
よく見て。
花びらがどう動くのか。
何も策がなければ、花びらだって私の元には落ちてこない。
一つ息を吐き、私は一番近い花びらを、ゆっくりと追いかける。
花びらが指の先、数センチまで迫った。
もう少しで触れられそう。
そう思って勢いよく手を前へ出すと、花びらは私の勢いに押されるように前へ流れ、その後はいきなり思わぬ方向へ舞い、遠くに行ってしまった。
そっか……。
掴もうとする手の風圧で、花びらの軌道が変わってしまうんだ。
ただ強く出るだけではいけないんだね……。
そう理解した私は、出来るだけゆっくりと花びらを追うことにした。
ゆっくりゆっくりゆっくり……。
花びらを驚かさないように……。
私はゆっくりと花びらの後を追う。
けれど、今度は花びらが目の前を通りすぎるばかりで、さっきよりも花びらに近付ける回数が少なくなってしまった。
「……うーん。ダメだ。ゆっくりだと、花びらの早さに追い付けなくて、置いていかれる……」
かといって、早く追いかければ、風圧で軌道が変わってかわされる。
……もうどうすればいいのよ!
私はどうすることも出来ない気持ちを腕にのせて、がむしゃらに花びらを掴みに行った。
どうしても花びらを手に入れたかった。
だって……。
どうしても叶えたい願いなのよ!
ずっとずっと一緒にいたいの!
話せばケンカばかりだったけど……。
私にはそれも楽しい時間だった。
いつの間にか、一緒にいるのが嬉しくなってた。
いつの間にか、触れ合うのが恐くなってた。
いつの間にか、この関係を壊してしまうんじゃないかって、怯えていた。
花びらは思うように掴めず、一枚も取ることが出来ない。
するりするりと指先から逃げられ、それがまるでお前の願いなんか叶わないと言われているようで……。
私は滲み出した涙を、手で乱暴にこすってなかったことにする。
諦めてないんだから。
絶対に花びらを手に入れて、お願いするんだから。
どうか付き合えますようにって。
それで、告白するんだ。
遥人に。
けれど、現実は無情だった。