第九十八話 先制過ぎる攻撃
「レオが申し上げます。では参りましょう」
「はいっ!」
レオの言葉に、ヴァンが大きく頷く。
二人がいるのは、塔の第一階層。
衛兵の宿舎と思われる部屋である。
レオは既に、ヴァンのシャツから、ここで見つけた貫頭衣のような服に着替えている。
男性ものではあったが、裾は足首のあたりまで長く、青地に黄色の刺繍が施されたその服は、レオが纏うと華やかなドレスの様に見えた。
これにはヴァンもホッとした。
やはりヴァンのシャツでは裾が短すぎる。
色々なものが見えてしまいそうで、心臓に悪すぎるのだ。
レオは、静電気を起こして、捲り上がらないようにしている。
そう言ってはいたが、実際、これでよく竜の頭の上を飛び回っていたものだと、ヴァンは、妙な感心の仕方をした。
尚、余談ではあるが、なぜかレオは、ヴァンのシャツを返してくれなかった。
「レオさん、魔力はどうですか?」
「レオが申し上げます。八割と言ったところでしょうか。第六階梯を使えば一発で昏倒してしまいますが、第四階梯以下であれば、問題なく行使できます」
レオはそう言うと、まるで感触を確かめる様に、掌の上で紫電を起こして、それを握って掻き消した。
そして、レオは「うん」と一つ頷くと、ドアのノブに手を掛ける。
だが、彼女はそこで、ヴァンの方を振り返って言った。
「レオが申し上げます。一応言っておきますが……塔の中で戦闘が起こったら、レオが戦いますので、アナタは手を出さないでください」
「え? 僕だって戦えますよ」
「レオが申し上げます。勘違いしないでください。アナタが戦えるかどうかという問題じゃないんです。アナタのあの魔法じゃ、塔が吹っ飛ぶと言っているんです。いいですね」
出来の悪い子へ説教する教師の様に、レオは強く念を押し、ヴァンは少し、不貞腐れる様な顔をした。
「むー……わかりました」
二人は部屋の外へと足を踏み出すと、十字路まで戻って右側、螺旋階段の方へと向かう。
螺旋階段に辿り着くと、二人は同時に上を見上げた。
階段は、外壁と同じ黒曜石の様な素材で出来ていて、遥か上まで続いている様に見える。
「レオが申し上げます。……行きましょうか」
「そうですね」
行くかどうか。
つい確認し合ってしまうのは、二人の中に、未だに釈然としないものがあるからだ。
上層階を目指すとは言っても、それが二人の目的ではない。
二人の目的はあくまで帰還する事。
この塔以外に当てがないだけで、上層階に煉獄からの脱出口がある可能性も、ゼロではないという程度でしかないのだ。
レオを先頭に二人は階段を駆け上がり始め、足音がカンカンと高く響く。
途中の階層には立ち寄らない。
見る限り、どこも同じような造りに見える。
同じならば、立ち寄る意味はないのだ。
やがて、
「ハァ、ハァ……これで十五階層目です」
螺旋階段が唐突に途切れ、ヴァンが膝に手を置いて立ち止まった。
流石に、十五階分の階段を一気に駆け上がれば、息も切れる。
だが、外から見た塔は、少なくとも十五階程度の高さではなかった。
窓がある訳では無いので、はっきりとは分からないが、まだまだ塔の半分にも到達していないことは想像出来る。
苦し気に喘ぐヴァンの隣で、レオがぐるりと周囲を見回す。
「レオが申し上げます。ここは……他のフロアとは随分、雰囲気が違う様です」
言葉にするまでもない。
違うどころの騒ぎでは無かった。
そこはあまりにも広い。
広すぎるのだ。
外壁の他には、フロアに壁一つ無く、丸々と広いホールの様になっている。
ぐるりと見渡せば三百六十度、直径三十メートルの塔の外壁が見えた。
そして壁だけではない。
天井は他のフロアでいえば、五階層分の吹き抜けになっていて、手すりのないステップむき出しの階段が、まるで蜷局を巻く蛇の様に、外壁に纏わりついていた。
「レオが申し上げます。まるでダンスホールですね。どうですアナタ、私と一曲踊りませんか? ふんふんふ~」
恐らく冗談のつもりなのだろう。
鼻歌を歌いながら、くるくると回るレオを眺めて、ヴァンは息も絶え絶えに言葉を絞り出した。
「レ……レオさんは元気です……ね」
その一言にレオはぷうと膨れる。
ヴァンにも分かっている。
おそらく、『かわいい』とか、『その美しさに見惚れた』とか言うべきなのだろうが、なにせ十五階層を一気に駆け上がった直後なのだ。
呼吸を整えきれないまま、ヴァンが苦笑したその時。
けたたましい警報音が鳴り響き、二人は思わず飛び上がる。
それは、吹き抜けの壁面にぶつかって、三重、四重と輪唱の様に響き渡った。
「うるさああああい! なんですッ! これは!」
力一杯吹き鳴らした所為で、音が割れてしまった喇叭のような、汚い『ビー』という音。
神経を撫でまわされる様な不快なその音に、レオは思わず耳を塞いで喚き散らした。
すると、まるでそれに応えるかのように、抑揚のない女性の声が響き渡る。
塔の入り口で聞こえた、あの声である。
『異常個体を検知、異常個体を検知。迎撃。ガルグイユ一体を構成』
途端にフロアの中央に、巨大な魔法陣が浮かび上がり、壁面の溝から洩れる光同様の、緑の光が溢れ出る。
「レオさん! こっちに! 早くッ!」
耳を塞いで喚き散らすレオ。
ヴァンはその手を取ると、走って魔法陣から距離をとった。
――何かが来る!
ヴァンには分かっている。
この感覚は、炎の魔獣を呼び出す時に感じる、それに近い。
地鳴りの様な響き。
足元のフロアがゴゴゴと音を立てて揺れる。
魔法陣の上で空気が渦を巻き、溢れ出る光の中から漏れ出した、一層濃い緑色の瘴気が、それに巻き込まれ、毒々しい色の竜巻と化してその場に蟠る。
次の瞬間、魔法陣の中から、捩じれた角のような物が突き出てきた。
思わず身構えるヴァン。
だが、まるで張り合うかの様に、レオがヴァンを押し退けて、前へと歩み出る。
「ば、ばかっ! レオさん、下がって!」
「レオが申し上げます。ばかとはなんです! ばかとは! 戦うのはレオだと、さっき言ったばかりで……」
「状況が変わったんですってば! あれは……」
――パイロスと同等……もしかしたら、それ以上の化け物。
ヴァンがそう言葉を紡ぐ前に
ウヴォヴァアアアアアァアアアアアアアァアアアアアア!
魔法陣の奥から、この世の物とは思えない奇怪な叫び声が響き渡った。
そして、フロアに爪を立てて、巨大な怪物が這い出して来る。
鋭い爪、蝙蝠の翼、塔の外壁同様の黒曜石の肌。
鳥のような脚に、筋骨隆々たる男の身体。
その上に乗っているのは、捩れた二本の角を持つ、ヤギの頭。
まさに古文書に記される悪魔の造形。
全長にして5メートルをゆうに超える化け物であった。
ふしゅぅ……。
悪魔は口から、毒々しい色の瘴気を吐き出すと、黒目の細長いヤギの目をぎょろりと二人の方へと向ける。
身の毛もよだつ様な恐ろしい姿。
だがその時。
レオとヴァンの視線は、悪魔の方を向いてはいなかった。
その頭上に向けられていたのだ。
「レオが申し上げます。……これは卑怯すぎませんか?」
「苦情は受け付けません。僕も第十三小隊の一員ですので」
悪魔が二人の視線を追って、上を見上げたその瞬間、
「荷電粒子爆発!」
悪魔の頭上で、どろどろに溶けた光が弾け、膨大な熱がフロア全体に溢れかえった。