第九十六話 タイプ20
ヴァンの身体から周囲に無数の紫電が走った。
バチバチと重い電磁音が響いて、宙空にハレーションが散る。
やがて、周囲を取り囲む魔獣たちの頭上に、幾つもの太陽が生まれた。
太陽――眩い光を放つその光球の正体。
それは――電離した水素。
液体でも無く、気体でも無ければ、もちろん個体でもない。
ドロドロに溶けた質量を持つ光が、還流しながら宙に浮かんでいた。
グオァアアアアアアアア!
ギャァオオオオオオオオ!
突然現れた眩い光に、何が起こったか分からぬまま、魔獣たちは狂乱し、一斉に咆哮を上げる。
何匹かの竜は宙に浮かぶ光の玉へと喰いつこうと首を伸ばし、また何匹かの他の魔獣は、興奮して跳ねまわっている。
「レオさん、目を閉じて」
ヴァンは掌でレオの目を覆うと、獣も斯くやとばかりに声を上げた。
「喰らえ! 荷電粒子爆発オオオオオオッ!」
ヴァンの絶叫とともに、光が一気に中心に向かって圧縮し始める。
そして――臨界。
次の瞬間、光球が一気に破裂した。
眩い光が周囲の景色を真っ白に染め、大地から音という音が消えて、白一色の世界が顕現する。
それは僅かに、コンマ数秒の出来事。
静寂が唐突に途切れて、世界はいきなり現実の只中へと回帰する。
耳を劈くような破裂音。
轟音の坩堝に放り込まれた世界は、激しくその身を振動させた。
「きゃああああああああ!」
レオが、ヴァンの胸に頬を押し付けて、悲鳴を上げる。
だが、それも音の洪水に一瞬で押し流された。
世界は揺れる。
世界は震える。
そして――燃え上がる。
宙空に広がった光から凄まじい熱が放出されて、魔獣たちは瞬時に形を失い、燃え尽きる。
大地は衝撃に穿たれて、石礫が宙を舞い、そして蒸発する。
直径にして四百メートルにも及ぶ範囲を包む熱放射。
ヴァンとレオ。二人の周囲をドーナツ状に臨界に達した熱が広がっていく。
そして、その熱が宙に逃げると、巨大なきのこ雲が立ち上った。
パラパラとふりそそぐ砂礫を背中に感じて、こほこほと立ち込める煙に咽ながら、レオが薄目を開ける。
レオが顔を上げると、ヴァンが声を震わせながら呟いた。
「び……」
「び?」
「びっくりした……」
どうやら、彼にとってもこの威力は予想外だったらしい。
規模こそ比べるべくもないが、熱量だけで言えば、炎系統第七階梯『炎龍轟来』さえも上回っていたのだ。
通常、魔法の威力は術者のイメージに左右されるところが大きい。
愛しているとまで言われて、テンパったまま放つ魔法の威力が、想定どうりの筈がなかった。
それだけに――
「レオが申し上げます。台無しです……アナタ」
「ええっ!?」」
まさかのダメ出しに驚愕するヴァン。
それをレオがじとっとした目で見上げ、そして、
「まあ……アナタらしい気もしますが」
と、肩を竦めた。
やがて、黒煙が晴れ始めると、遥か遠くの方に魔獣達の姿が垣間見える。
『荷電粒子爆発』の範囲にいた魔獣は、影も形もなく蒸発し、地面はヴァン達の周囲一メートルを円形のステージの様に残して、抉り取られていた。
おそらく、数百頭の魔獣が数秒の内に消滅したことだろう。
遥か遠くに見える魔獣たちは、唸り声を上げてはいるが、流石にこちらへ向かってくる気配はない。
ヴァンは「ふぅ」と安堵の息を洩らすと、レオに問い掛けた。
「レオさん、たぶんもう大丈夫です。塔の方へ向かいましょう。歩けますか?」
「無理です」
「じゃあ僕が背中におぶりますから……」
「レオは申し上げます。さては……おんぶして、お尻を触ろうとしてますね」
その一言にヴァンは思わず頬を引き攣らせた。
「……か、肩を貸しますから、自分で歩いてください。お願いします」
途端に、レオはぷくっと頬を膨らませる。
「レオが申し上げます。……そこは、お姫様だっこの出番ではありませんか」
「……いいから歩いてください」
先ほどまでの緊張感はどこへやら、一瞬にして安心しきった様な空気に、二人は軽口を叩き合い、最後は額を突き合わせて笑った。
焼け焦げた大地へと降りると、余りの高熱にガラス化した土がシャリシャリと乾いた音を立てる。
塔までの距離は約二キロ。
決して遠い訳では無いが、疲れ切った二人には、遥か彼方の様に思えた。
互いの身体を支え合う二人の姿を、魔獣たちは一定の距離を保ったまま目で追って、ずっと唸り声を上げている。
しかし、歩みを止めなければ、いつかは目的地にたどり着く。
二人は塔の傍までたどり着くと、その威容にあんぐりと口を開けたまま固まった。
直径はおそらく三十メートルほどで、高さは目算でも軽く百メートルは越えている。
王都で最も高い大聖堂でさえ高さは三十メートルほどなのだ。
それを思えば、この塔が如何に出鱈目な規模なのかは想像がつくだろう。
円筒形だと思っていたが、近づいてみれば八角形。
黒光りする表面は、黒曜石の様に見えるが、それにしては継ぎ目が全く見当たらない。
なにより異様なのは、その表面にびっしりと、見たことも無い文字が彫り込まれている事だ。
「レオさん……読めます? これ」
「レオは申し上げます。孤児に何を求めてるんですか……読める訳ありません。こんな文字は見たことがありません」
正面には十段ほどの段差があって、その先にはアーチ状の扉のようなものがある。
だが、それもあくまで扉のようなもの。
壁面にアーチ型に溝が掘られているだけで、ノブは見当たらない。
「たぶん、入り口はあそこなんだと思うんですけど……どうやれば開くんでしょうか」
「レオが申し上げます。……近づいて調べるしかなさそうですね」
レオに肩を貸しながらでは、たった十段でも疲れ切った身体にはきついものがある。
息を切らせてアーチの前に立つと、二人はまじまじとそれを観察しはじめた。
だが、どう見ても壁面に溝が掘られているだけにしか見えない。
レオが恐る恐るノックをしてみると、中身の詰まった重い音がした。
「レオが申し上げます。入り口は別のところかもしれません。裏に回ってみましょう」
「そうですね……はぁ」
ヴァンが溜息を吐いて歩き出そうとした途端、疲れのせいで足が縺れる。
慌てて、身を支えるために手をついた途端。
――アーチ状の溝が明滅した。
そして、
――認証。
『ようこそ、タイプ――二十(vingt)』
起伏の無い女性の声が、二人の頭上に降り注いだ。