第九話 哨戒任務
「で、何でボク達、西側に来ちゃったの?」
リュシールからの指示は、マルゴ要塞の東側半面つまり、自国側の哨戒任務であったはず。
ところが先頭を行くロズリーヌは何の躊躇も無く、その全く逆、西側の山裾を下っていった。
そして山の中腹辺りまで来たところで、やっとノエルが疑問を口にしたのだ。
「東半面を幾ら哨戒したって、敵なんている訳無いじゃありませんの。バカですの?」
「いや、うん、ボクもそう思うけどさ。でも、これって命令違反じゃない?」
「リュシール中尉の命令に間違いはありません。リュシール中尉は、きっと西半面と言ったはずですわ」
「あはは、無茶苦茶だ。ロズリーヌらしいけど」
これが、ロズリーヌの問題児たる由縁である。
上官の命令は正しい。
自分も正しい。
ということは、聞き間違いに違いない。
そういう、とんでも三段論法である。
希少系統魔法の所持者で、レーブル王国三大貴族の一角ミュラー家の子女として、ロズリーヌは大いに期待されて、マルゴ要塞に配属されてきた。
だが、この三段論法を何度も繰り返した結果、上官が遂にさじを投げ、彼女は今春、めでたく第十三小隊に配属される事になったのだ。
もちろん、未だに本人には何の反省も見られない。
「じゃ、ロズリーヌ。そろそろこの辺りで一回視といた方が良いんじゃない」
ノエルがそう言うと、ベベットがコクコクと頷く。
「そうですわね」
そう言って頷くと、ロズリーヌは手を開いて目の前に翳し、指の間から空を見上げる。
「鷹の眼!」
彼女の蒼い瞳の中に、茨の様な文様が浮かび上がる。
次の瞬間、ロズリーヌの視界に、空中から地上を見下ろす風景が広がった。
中央に自分達三人の姿。
半径二キロほどの範囲を、空中から俯瞰する事ができる魔法『鷹の眼』。
しかもその視界の内側では、障害物なども全く無視される。
実際のところ、視るというよりは把握する魔法なのだ。
「ビンゴ! ノエルさんなかなか良い勘でしたわね。ここから北に千二百メートル。そこに六名ね。大型の武器は持って無さそう。いいとこナイフと小型のクロスボウぐらいじゃないかしら」
「おー! じゃあ、ちゃっちゃと狩っちゃおうか!」
そう言って、早速ノエルが駆けだそうとすると、
「ちょっと待って……南側にもう一人、一人だけ別行動してるのがいますわ」
と、ロズリーヌがそれを呼び止めた。
「はぐれちゃったのかな?」
「そんな訳ないでしょう。だからノエルさんは、ぶっちぎりのゴージャスバカだと言われるのですわ」
「そこまで言われたことないよ!?」
驚愕するノエルの鼻先に、ロズリーヌは指を突きつける。
「どう考えても六名の方が囮。本命はあっちの一人ですわ。他を囮にしてでも、あっちを逃がしたい理由がある、そう考えるのが妥当でしょう?」
――まあ、ロズリーヌが言うならそうなんだろう。
ノエルはそう思った。
ちっとも自分の頭で考えるつもりは無かった。
「じゃあ、六名の方はノエルさん。一名の方はベベットさんお願いね。ベベットさんの方は出来るだけ生け捕りでお願いしますわ」
「あはっ、了解だよ!」
「ん……りょーかい」
そう言って頷きあうと、二人はロズリーヌをその場に残して、左右へと走り去って行った。
◇◆
ノエルは木の陰に隠れて、男達を観察する。
グレーの開襟シャツに同じ色のボトムス。
明らかに帝国軍兵士の軍装だ。
夜の間にマルゴ要塞の近くまで近づいたが、発見されて帝国側へと撤退しようとしている。
ノエルにはそんな風に見えた。
あとはロズリーヌの情報通り。
数は六名、武器はナイフと小型のボウガン。
敵地の奥深くまで潜入しようとしていた割に、やけに軽装なのは気になったが、ノエルはそれ以上考えるつもりは無かった。
自分が考えることの無意味さは良く分かっている。
自分の頭で考えて、碌な結果になったことがない。
考えるのは、頭の良い人が考えれば良い。
ノエルのいる方に向かって、男達は警戒しながら、急ぎ足で山を下りてくる。
ロズリーヌは、ベベットに生け捕りにする様に指示を出していた。
ということは、こっちは生け捕りにしなくても良いということだ。
「あはは、じゃ簡単じゃん」
その後のノエルの行動は素早かった。
無防備に男達の前へと、飛び出したのだ。
「魔女かッ!」
「落ち着け! 相手は一人だ! 一斉にかかれば殺れる!」
慌てる男たちに、ノエルはニコニコと笑いかけ、両手の人差し指を二列縦隊、最前列の男達へと突きつける。
そして、男達の表情に警戒の色が浮かんだその瞬間、
「閃光指弾ッ!」
ノエルの指先で閃光が瞬いたかと思うと、光は男達の額を一気に貫通。コインの直径程の風穴が空けた。
ドサリ。
警戒の表情を浮かべたまま、声も無く倒れていく六人の男達。
それはまさに、一瞬の出来事であった。
いつもであれば「尋問も出来ないじゃない!」と、リュシールに張り倒されるところだが、今日に限ってはその心配も無い。
「あースッキリした」
トイレから出てきた直後の様な晴れやかな表情で、ノエルは男達の亡骸を見下ろした。
◇◆
ベベットは逃げる男の背を、表情一つ変えずに追っていた。
単純な身体能力で言えば、もちろん男の方が遥かに高い。
どんどん距離が開いて行く。
ベベットは少し感心している。
この敵は彼女の姿を目にした途端、完全に逃げに徹している。
これは帝国の兵士にしては珍しいことだ。
一対一で対峙すると武偏の男達は、魔女と言えど所詮は女、力押しで何とかなるのではないか、そう勘違いする者が多い。
それだけに、こちらが本命だというロズリーヌの言葉が、真実味を帯びてくる。
『闇』に喰わせてしまえば話は早いのだが、生け捕るとなるとちょっと面倒くさい。
「ほんと……面倒くさい」
ベベットはボソリと呟くと、少し走る速度を上げた。
兵士はベベットが徐々に迫ってくるのを見て、山道を逸れ、木々の間をすり抜けて、草木の深いところへと入り込んでいく。
「無駄」
そう呟いて、ベベットも兵士の後を追って、木々の間へと入っていく。
しかし、背の高い草をかき分けて進んでいる内に、兵士の姿を見失った。
ベベットは思わず足を止め、キョロキョロと周囲を見回す。
その時、カサッと頭上で葉が擦れる音がした。
見上げた途端、木の上からナイフ片手に落下してくる兵士の姿が見えた。
「キエエエエエエエエエッ!」
猿の様な奇声を上げる兵士。汗まみれ、必死の形相。
ナイフがベベットの脳天を貫こうかというその時、トプンという水音を立てて、彼女の身体が地面の中へと沈み込んだ。
ナイフが空を斬り、兵士は驚愕に顔を歪めたまま、ベベットが残した影の上へと着地する。
だがその瞬間、「ヒィ!?」と男の喉の奥で、声が詰まる。
水の上へと飛び降りた様な、わずかな抵抗をブーツの底に感じただけで、男の身体がズブズブと影の中へと沈み込んだのだ。
救いを求める様に宙に向けて伸ばした男の右腕。
それが、影の中へと完全に没すると、まるで何事も無かったかの様に、木々の間に静寂が訪れた。
只一つ不自然なのは取り残された少女の影。
しばらくすると、小枝を踏みしめるパキパキという音が響いて、ロズリーヌが現れた。
そして、残されたその影へと歩み寄ると、ロズリーヌは囁きかける。
「ベベットさん、殺して無いでしょうね」
ロズリーヌの問い掛けに応える様に、影が小さく膨らんで、そこからベベットが顔を覗かせた。
知らずに見ている者がいれば、その姿はベベットが首だけを出して、地面に埋められている様に見えたことだろう。
「ちゃんと生きてる」
「じゃあ、帰りますわよ」
「……疲れた。運んで」
ベベットが無表情にそう言うと、ロズリーヌはやれやれとでも言いたげに、溜息をついた。
「……仕方ないですわね」
「わーい」
ベベットが再び影の中へと姿を消すと、今度は影そのものがスルスルと這うように移動して、ロズリーヌの足を伝い、背中に張り付いた。
「さて、ノエルさんもこっちに向かってますわね」
空中からの視界でノエルの姿を確認して、ロズリーヌもそちらへと移動し始める。
空には、手を繋いで旋回する双子の魔女の姿があった。