第八十八話 それは終わりの様に始まった。 (第三章エピローグ)
鉄の塊が、キャラキャラと異様な音を立てて、東へと走っている。
それは、街道に縞模様の太い轍を刻みながら、人が全力疾走するよりも僅かに速い程度の速度で走っていた。
試作高機動車輛 『盾亀』
何処から見ても、異様極まりない車輛である。
特長的なのは、まるで盾を掲げる様に、車両の前面に設置された鋼板。
鉄製のアームで支えられたそれは、あまりにもバランスが悪く、見る者に重みで前のめりに倒れてしまうのではないかと、無用な不安を与える。
車体もすべて鉄。
地金の色そのままの未塗装で、まさに鉄の塊としか言い様が無い。
輝鉱石と相性の悪い筈の鉄を、これだけ使用しながら、問題なく走行している辺り、狂気の錬金術師が、何やら新技術でも発明したのかもしれない。
そして異様さの極めつけは、車体の両脇についた複数の車輪を、鉄のベルトで繋げた意味不明な足回り。
セネリエは『無限軌道』と呼んでいたが、何の為にこんな大袈裟な仕組みを採用しているのか、シュゼット達には、さっぱり訳がわからなかった。
「この走る棺桶の何処がとっておきなんだよ!」
「多分、『爆裂』をニ、三発喰らっても、大丈夫そうなところでしょうね」
助手席で喚くクルスに、操縦桿を操りながら、アネモネが面倒臭げに答える。
本来アネモネは、礼儀正しい少女ではあるが、クルスに対しては日を追うごとに遠慮が無くなっているような気がする。
後部座席のシュゼットは、隣でちょこんと座っている幼女を見遣って、口を開いた。
「お前はついてこなくても良かったんだぞ、リル」
「だ、だって、戦闘に入ったらアネモネちゃんの代わりに、コレを操縦する人間が必要でしょう?」
別に責められている訳では無いが、気の小さなリルは、普段からシュゼットが怖いらしく、既に涙目になっている。
「まあ……そうだが。身体は大丈夫なのか?」
「うん……だいじょうぶ」
大丈夫な訳が無い。
命からがらマルゴ要塞を脱出して来たのだ、痣だらけ、包帯まみれの痛ましいリルの姿に、シュゼットは顔を曇らせる。
それでもリルが頑なに、同行を主張したのは、マルゴに残してきた、ラデロ達への罪悪感からなのかもしれなかった。
その時、アネモネが声を上げた。
「中佐! 見えてきました! 視認できる限りでは、『角犀』が、おそらく十四台、その後ろに自走式の『無窮』と思われる車輛が見えます」
「十四? それじゃせいぜい百五十人足らずにしかならねぇぞ? おばちゃんが言ってたより少なくねぇか?」
クルスが怪訝そうに首を傾げる。
「恐らく、速度を担保できる車輛のみの編成で、一刻も早く『無窮』を射程圏内に運び込んで、勝負を決めようという腹だ。アネモネ、車両を止めろ! ここで迎え撃つぞ!」
「イエス! マム!」
アネモネが力一杯レバーを引くと、ギギギと軋む様な音を立てて、『盾亀』は停車した。
「クルス! アネモネ! 表に出ろ!」
「しゃあねぇ! やってやらぁ!」
「イエス! マム! 中佐もご武運を!」
上部のハッチを押し上げて、クルスとアネモネが、車両の外へと飛び出して行く。
「リル! 御者席に移動しろ! 操縦を頼む」
「は、は、はい!」
リルが、座席の間をもぞもぞと移動し始めると、シュゼットは車両上部のハッチから身を乗り出して、外を見渡した。
数百メートル先に、濛々と立ち昇る土煙。
オリーブドラブの軍用カラーに塗装された『角際』が、三列縦隊でこちらへと向かってくる。
シュゼットは、『盾亀』の前で身構えるアネモネとクルスの背を眺め、これから始まる無謀極まり無い戦いを思い描いて、頬の内側を噛んだ。
◆◆◆
フロアに現れた巨大な眼が閉じると、そこには再び何事も無かったかのように、石造りの床が現れた。
一瞬の唖然とした様な静寂の中に「ふふっ……うふふふ」とリュシールの押し殺した笑い声が響くと、それを打ち消す様に、
「ヴァアアアアアアアアン! いやああああああああああ!」
エステルの絶叫が木霊する。
「バカ! しっかりしろ! ヴァン君だって、まだ死んだと決まった訳じゃないだろう!」
ザザはエステルを怒鳴りつけると、周囲を見回しながら声を上げる。
「みんな! シュヴァリエ像の後ろに身を隠せ! 急げ!」
「分かったわ!」
だが、返事を返したのは、毒系統の魔女エリザベスただ一人。
彼女が呆然と立ち尽くすロズリーヌとベベットを追い立てて、シュヴァリエ像の台座、その背後に飛び込むと、ノエルとミーロも呆けた様な表情を浮かべながら、やや遅れて彼女の後へと続く。
呆気に取られているのは、なにも第十三小隊の面々だけではない。
目の前で起こった人知を超えた出来事に、ミュラー公の私兵達も何をどうして良いのか分からないといった風情で、呆然と立ち尽くしていた。
「ほら! エステル! 隠れるぞ!」
「いやああああああああああ! 離して! ヴァン! ヴァアアアアアン!」
ザザは、泣き喚きながら必死でヴァンが居た辺りへと手を伸ばすエステルを、強引に引き摺って、台座の背後へと移動する。
そんな彼女達の姿を眺めながら、リュシールは恍惚の表情を浮かべた。
「うふ……うふふ、プロトタイプと一緒に、他の悪魔も追い出してやったわ。うふ……ふっ……ふふふふ。これで! この世界は私だけの世界! 私の為の地獄になるのよ!」
もはや恐れる物など、何もない。
第十三小隊の魔女達など、羽虫も同然。
鬱陶しいが、それ以上の意味はないのだ。
意味がないという意味においては、ミュラー公の私兵達とて、かわりはない。
リュシールは、まるで慈母の様な微笑みを浮かべると、
「うふふ、外に出たいのね。良いわ、あなたの好きになさい」
誰かに囁きかける様にそう言った。
途端に、彼女の足元から冷気が立ちこめ始め、ピシピシと音を立てながら、フロアが凍り付き始める。
床の上を迫ってくる氷に、周囲の魔女達が逃げまどう中、指を突きつける者の居なくなったサハも、
「サハが申し上げます! な、なんですか、これは!」
声を上げながら、身をひるがえして逃げ惑う。
「あはっ、あははははははははははははは!」
狂ったような、けたたましい笑い声を上げるリュシール。
その足元には、いつの間にか氷で描かれた魔法陣が出現していた。
そして、次の瞬間、銀の鱗を持つ爬虫類の腕が、魔法陣の真ん中を突き破って、石畳のフロアに爪を立てた。
◆◆◆
藁の臭いがした。
「う……ううん」
寝返りを打つと、身体の下でザザッと音がする。
慣れ親しんだ、寝藁の音がした。
目を閉じたまま、ヴァンはぼんやりした頭で考える。
寝藁……。
そうか……僕は夢を見てたのか。
目が覚めればまた、農奴としての一日が始まるのだ。
それにしても、長い、長い夢だった。
魔法を使って、綺麗な女の子とキスをして、結婚して……とてもいい夢だった。
農奴の人生の延長線上に、ある筈のない生活を送っている夢だった。
それだけに、目を覚ましてしまうのが、残念な気がした。
だが、いつまでも寝床でうだうだしていては、あの頑固ジジイに怒鳴りつけられてしまう。
ヴァンはゆっくりと身体を起こすと、眠い目を擦りながら、大きな伸びをする。
そして、ゆっくりと周囲を見回して……呟いた。
「何処? ここ……」
それは見慣れた牛舎の景色では無かった。
寧ろ、それよりずっとみすぼらしい風景。
緑に苔むした木の枝を、無造作に組み合わせただけの狭い掘立小屋。
下はむき出しの土で、そこに、不器用に木を組み合わせて作られたテーブルのような物と、体重を掛ければすぐに潰れそうな椅子の様な物が、ぽつんと置いてあるだけ。
「なんだ……? どうして僕は……?」
状況が上手く飲み込めず、ヴァンは記憶を辿る。
第十三小隊の魔女達。
彼女達と過ごした日々は、夢じゃない。
大聖堂で足元に出現した巨大な眼の中に落ちていった。
それを最後に、記憶が途切れている。
どうして良いかわからないまま、ヴァンが途方に暮れかけたその時、入り口にぶら下がっているみすぼらしい布をたくし上げて、女性が一人、小屋の中へと入ってきた。
長い黒髪を頭の右側で一つに纏めた、二十歳前後の女性。
顔立ちは可愛らしいが、どこか薄汚れている。
実際、彼女は農奴でももう少しマシだと思える様な、胸元と腰周りに、白と黒のボロボロの布地を巻き付けただけの、みすぼらしい恰好をしていた。
だが、ヴァンは思わず首を傾げる。
どことなく、その女性に見覚えがあるような気がしたのだ。
彼女はヴァンが目を覚ましている事に気付くと、柔らかい微笑みを浮かべて言った。
「レオが申し上げます。お目覚めですか?」
ご愛読ありがとうございます!
ここで一旦章立てを区切らせていただきます。
単純に長くなってきたのと、しばらく(主人公なので本来当然なのですが)ヴァンの視点中心で話が展開する事になりますので、独立した章にした方が良いだろうと考えてのことです。
という訳で、次回より第四章 煉獄脱出編をスタートします。
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また、章の区切りですので、もしよろしければ皆様の感じたままにご評価いただければ、ありがたいです。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。