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第八十七話 イントゥ・ザ・ヴォイド

「男の身で私と()り合おうとは、無謀極まりない。見た目通りの、とんだ道化だ」


「御託は結構」


 ブルージュ男爵が、マルタンを見据えて嘲笑うと、彼は左右其々(それぞれ)の手にした二本のナイフを、弄ぶようにクルリと回す。


 互いを見据えて睨みあう二人。


 ジリジリと前後に足を広げ、互いに(わず)かに腰を落とす。


 今にも飛び掛かろうとする獣の様に、身体中に緊張を(みなぎ)らせ、二人の間で、不穏な空気が膨れ上がっていく。


 そして、それが限界に達したところで――


 ブルージュ男爵が動いた。


「第一階梯 茨の縛(ソーン・バインド)ッ!」


 彼女の右手の掌から、出現した(いばら)が、マルタンに向かって飛来する。


 それをマルタンは、ナイフで巧みに払いのけながら、バックステップを踏んで逃れる。


「しぶといですわね! 第一階梯 茨の縛(ソーン・バインド)!」


 今度は左手から飛び出した(いばら)が加わって、倍に増えた(いばら)(つる)が、マルタンへと迫る。


 だが、


「ジュリー!」


 マルタンが、そう声を上げた途端、彼の影がむくりと立ち上がって、迫りくる(いばら)を受け止めた。


闇人形(ダークパペット)だと!?」


 闇系統の魔法でも、相当高階梯の魔法だ。


 ブルージュ伯は、思わず辺りを見回す。


 だが、周囲にそれらしい魔女の姿は見当たらない。


「探したって無駄ですよ ジュリーは……失礼。私の妻なんですが、彼女は極度の人見知りでしてね。私ですら、影の外で会った事なんて一度も無いんですから」


 闇人形(ダークパペット)が、受け止めた(いばら)を手でつかみ、それを引っ張った途端、マルタンはピンと張った(いばら)の上へと飛び乗ると、まるで軽業師の様に、二本の(いばら)の上を、つま先立ちで駆け出して、ブルージュ男爵へと迫った。


 ブルージュ男爵は、思わず眼を見開く。


 慌てて『茨の縛(ソーン・バインド)』を解除すると、逃れようと必死に後退(あとずさ)った。


 だが、マルタンの方が一歩速かった。


 振り下ろされたナイフがブルージュ男爵の腕を切り裂き、真っ赤な飛沫が、庭の芝へと降りかかる。


 その瞬間、


「男爵様! 今お助けに参ります!」


 ブルージュ男爵の背後にいた甲冑姿の愛人、二人の内、残りの一人が、剣を振るってマルタンに斬りかかる。


 だが、


「邪魔です」


 素人の様な、余りにも大振りな剣筋。


 マルタンは身体を反らせてあっさりそれを(かわ)すと、甲冑の継ぎ目、そこにピンポイントにナイフを突き立てる。


 呻きを挙げながら、(うずくま)る愛人の姿に、ブルージュ男爵が声を荒げた。


「貴様ああ! よくも!」


 愛人を傷つけられた事が我慢ならなかったのか、ブルージュ男爵の表情が悪鬼のように歪み、血走った眼が、マルタンを睨みつける。


「死ね! 死んで詫びろ!」


 次の瞬間、ブルージュ男爵の背中に現れた(いばら)が、蛇の様に鎌首を(もた)げると、鞭のようにしなりながら、マルタンへと襲い掛かった。


だが、マルタンに焦る気配はない。


 背後へと蜻蛉を切ってそれを躱すと、想像以上の重い音とともに、庭の芝が穿(うが)たれて、粘土質の赤黒い土が露出した。


「結構な威力ですな」


「うるさい! ちょこまかと!」


 そこからブルージュ男爵は、二撃、三撃と(いばら)を振り回すも、跳ねまわるマルタンを捉えられない。


 やがて、ブルージュ男爵の動きがピタリと止まる。


 マルタンが(いぶか)しげに目を細めた途端、彼女は、背中から伸びる(いばら)(つる)を大きく振り回すと、(いばら)は、そのまま彼女に巻きついて、その体を覆い隠し始めた。


 (いばら)でできた(まゆ)のような、異様な姿。


 ――何を狙っている。


 その姿に、マルタンは更に警戒を強める。


「ジュリー!」


 マルタンがそう声を上げた途端、彼の身体が再び影の中へと沈んだ。


 屋敷の門の外では、未だにブルージュ男爵の私兵と、ミュラー公の私兵による戦闘が続いている。


 濛々と立ち昇る黒煙が周囲一帯に立ち込めて、倒壊した建物の瓦礫が転がる惨憺たる有様。


 そんな激しい戦闘が行われている直ぐそばに、(いばら)で出来た(まゆ)が、芝生のど真ん中に、まるでオブジェの様に突っ立っているのだから、中々、シュールな光景ではある。


 だが、繭の中心。当のブルージュ男爵は真剣である。


 狭い繭の中で、彼女の呼吸音が響く。


「どこだ……」


 あの男は、影の中から突然現れて攻撃してくる筈。


 得物がナイフである以上、それほど遠くに現れる訳が無い。


 繭の隙間から目を凝らし、周囲を警戒しているうちに、彼女の右側に、僅かに動くものが目に入った。


 ぷくりと影が膨らんだその瞬間、ブルージュ男爵は魔法を放つ。


「第三階梯 死の棘(デッドリー・ニードル)ッ!」


 それは一撃必殺の魔法。


 右側一面に放たれる茨の棘。


 一つでも身体に棘が食い込めば、その棘が血管を伝って心臓を切り裂く、性質(たち)の悪い魔法だ。


「殺った!」


 ブルージュ男爵が勝利を確信したその瞬間、眼前にマルタンが姿を現した。


 慌てて影が膨らんだ方へと目を向ければ、先ほど現れた闇人形(ダークパペット)が、ゆらゆらと揺れている。


 次の瞬間、鋭い痛みと、凍り付きそうな程冷たい感触が彼女の脇腹に走った。


「やれやれ……なかなかしぶとい方でしたね、アナタは」


 マルタンは溜め息をつくと、手の中の得物をグリッと捩じる。


「フぐっ!?」


 ブルージュ男爵の口からくぐもった呻きが零れたのと同時に、足を伝い、ボトボトと水音を立てて、血が地面を染めていく。


 茨の隙間から腹部に深く突き刺さったナイフ。


 それをぼんやりと眺めながら、ブルージュ男爵は膝から崩れ落ちた。


 張り付いた様なマルタンのほほ笑み。


 それを見上げながらブルージュ男爵は、荒い息の下で言葉を絞り出す。


「ふ……ヴァ……ヴァン・ヨーク陛下はもうここにはおられない。無駄足だった……な。ざまあみろ。原理を奉じる者の勝利は揺るぎない……ぞ」


 だが、マルタンはやれやれと肩を竦める。


「そっちは、本当にどうでも良いんですよ」


「なんだ……と?」


「実際、ロズリーヌ様についても私にとっては只の口実。ロズリーヌ様にくっついて出て行った。ウチの家出娘を連れ戻しに来たというのが本当のところなんです。妻が寂しがって、毎晩泣くのでね」


 その言葉は、既にブルージュ男爵の耳には届いて居なかった。



 ◆◆◆



「サハは申し上げます! 絶対に許さない! と」


 雷光一閃、リュシールの身体を稲妻が貫く。


 周囲の魔女達が声を上げる(いとま)もない。


 まさに電撃の様な一撃。


 だが、次の瞬間、メイドは驚愕に顔を歪めて飛び退いた。


 手ごたえはあった。


 確かに斬った。


 だが、リュシールは小動(こゆるぎ)もせずに、その場に立っていた。


 まるで駄々っ子を微笑ましい目で見るかのように、目を細めて。


「もー。この服どうしてくれんのよぉ、特注なのよぉ、この軍装」


 リュシールが、そうボヤくと周囲の魔女達が、ハタと我に返ってサハの周りを取り囲む。


「サハは申し上げます。なぜ死なないのです? と」


「簡単な事よぉ、指先に棘が刺さった程度で、死ぬはずがないからよぉ」


「サハは申し上げます。化け物か……と」


 途端にリュシールは腹を抱えて笑い始め、魔女達はぎょっとした目を彼女へと向ける。


「あはははははは、ひぃ、ひぃ、面白いわね。あなた。そう、そうね。化け物なのよ。もう」


 リュシールは心底楽しげにそう言うと、ヴァン達の方へと目を向ける。


 未だに何が起こっているのか分からないままに、呆然と立ち尽くす第十三小隊(トレーズ)の魔女達を見回して、リュシールは口を開いた。


「何も分からないまま、死んじゃうのは可哀そうだから、最後に面白い事を教えてあげる。昔々の出来事なんだけどねぇ、煉獄(れんごく)に住まう悪魔が、地上に溢れ出した事があったのよぉ」


「悪魔が溢れだした? 何の比喩だそれは」


 ザザが眉間に皺を寄せながら、そう答えると、リュシールは人差し指を立てて左右に振る。


「ちっ、ちっ、ちっ。比喩じゃないわよぉ。事実よぉ。その数七十二。瞬く間に人を喰らい、女を犯して、悪魔達は地上を地獄に変えて行ったわぁ。でもね、そんな悪魔達に天敵が現れたの」


「天敵だと?」


「そう、天敵……あなた達がシュヴァリエ・デ・レーヴルって呼んでる存在ね。当時は『プロトタイプ』って呼ばれてたけど」


「そんな話、『建国譚』に無い」


 ベベットがリュシールを睨みつけながら呟くと、彼女は小さく肩を竦める。


「神話伝承なんて、後世の作り話だもの。ともかく、そのプロトタイプって子は、悪魔を駆逐するためだけに作られた化け物よぉ。悪魔は死なない。だから彼は、悪魔を次々に、自分の中へと封印していったのよぉ。最後には自分の身体ごと煉獄へ送り返すためにねぇ」


 第十三小隊(トレーズ)の面々は、息をするのも忘れて、真剣な表情でリュシールの話に耳を傾けている。


 それに気を良くしたのか、リュシールは更に声のトーンを上げて話し始めた。


「ところが、一体だけ彼から逃げ延びた悪魔がいたのよぉ。一体でも逃せばそれは重大な害悪となるんだもの。彼は、その一体を求めて旅に出た。だが、悪魔にとっては短い時間でも、人間にとって何十年という年月はあまりにも長い。その悪魔を見つける事もできないまま、次第に彼は年老いていったの」


「か、彼が死ねば、彼の中に封印されていた悪魔はどうなるのだ?」


「んふふ、さすがザザ。良いところに気が付いたわねぇ。彼が死ねば、その魂に繋がれた悪魔達の(くびき)は外れ、七十一の悪魔は再び解き放たれるのよぉ。だから彼は、この地に留まり、最後の魔法を使った」


「最後の魔法?」


「ええ、魂に七十一の悪魔を繋ぎ止めたまま、次の生へと生まれ変わる魔法――『世界』系統 第十階梯『転生』」


 その瞬間、この場にいる者達の視線が一斉にヴァンへと集まる。


 ヴァンは長く伸びた前髪の奥から、じっとリュシールを見ていた。


「さて、唯一逃げ延びた悪魔は、長い年月の末に一人の女と出会ったのぉ。力の大半を失っていたその悪魔にとって、その女の憎悪で濁り切った魂は、好ましい糧だったのよぉ」


「その女がアンタなのね! リュシール!」


 エステルが声を上げると、リュシールは楽しげに目を細めたままコクリと頷く。


 円形の大聖堂のホール。


 ステンドグラスから差し込む陽光が、床の上に七色の(いろどり)を描き出している。


 呼吸音の他には、何も聞こえない静寂が居座る。


「そして、教えてあげる」


 リュシールがパチンと指を鳴らしたその瞬間、ヴァンの周囲に光が走った。


 円、三角形、逆三角形。そしてまた円。


 ものすごい速さで光は図形を描き出し、見慣れない文字が円の外周沿いに描かれていく。


「な、なんだ!」


「ヴァン様! お逃げくださいましッ!」


 ロズリーヌとザザが声を上げる。


 だが、ヴァンは戸惑う様にきょろきょろと目を泳がせるばかり。


「何やってんのよ! ヴァン! きゃあああああ!」


 エステルが堪りかねてヴァンの下へと駆け寄ろうと魔法陣を踏み越えた途端、見えない力に弾き飛ばされた。


「エステルさんッ!」


 思わず声を上げるヴァン。だが、身体が全く動かない。


「最後には自分ごと煉獄へ送り返す。そのために彼が用意していた煉獄の門。この大聖堂はそれを隠すために建てられたものなのよぉ!」


 リュシールがそう言い終わるや否や、魔法陣の周りで漏れ出した瘴気を巻きこんで、空気が激しく渦巻いた。


「ヴァンくん!」


「ヴァン准尉!」


「ヴァンさまああああ!」


 第十三小隊(トレーズ)の面々は、飛ばされないように手近なものに掴まり、床にしゃがみ込んで、ヴァンの名を叫ぶ。


 そして次の瞬間、魔法陣が唐突に()()()()()


「さようなら、プロトタイプ」


 リュシールのその声を聴きながら、ヴァンは地面に表れた巨大な眼、その眼球の中へと落ちて行く。


「ヴァアアアアアアアアアアン!」


 エステルの悲痛な声が、大聖堂の壁に幾重にも反響した。

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