第八十六話 聞こえた? メイド!
いつもであれば、厳かに礼拝が行われている筈の大聖堂。
そこには今、混沌とした光景が広がっていた。
「ちょ、ちょっとヴァン! しっかりして、ヴァーーーーンッ!」
「し、死んじゃダメでありますーーーっ!」
赤毛の少女と兎のような少女が、泡を吹いてのびている少年に駆け寄って、あわあわと身体を揺すっている。
そして、その直ぐ脇では、
「ぐすん……アタシまた汚されちゃったよぉ……」
と、裸の上半身を包帯でぐるぐる巻きにした黒髪の少女が、金髪の少女にしがみついて泣きじゃくっていた。
だが、金髪の少女は少女で、
「よしよし……もう泣き止みなさいませ。っていうか……むしろ羨ましいですわよ。ああっ!? エステルさん、どさくさに紛れて、何処を触っておられるんですの!」
黒髪の少女を慰める様に髪を撫でつつも、明らかに気はそぞろ、意識は完全に少年の方へと向いている。
そして、そんな金髪の少女の背後では、
「あはは、ベベットだぁ! ひどいよー! ボクだけおきざりにしてさー!」
「……離して」
明るい髪色の短髪の少女が、眠たげな眼をした少女を抱き上げて、嬉しそうに頬ずりしている。
だが、一方の眠たげな眼の少女は、とてもいやそうに頬を歪め、短髪の少女を、ポカポカと叩いていた。
そんな中、銀髪の少女はただ一人、まるでこの混沌とした状況に巻き込まれるのを拒絶するように距離を置いて遠ざかる。
そして、この場にいる人間を見回して、ぼそりと呟いた。
「……なんだこれ」
彼女も一応、状況は把握している。
梯子を登って地下道を脱出し、大聖堂へ出た。
先頭のヴァンが表に顔を出してみたら、そこはなんと毒の魔女の股の間。
突然股間から、男が顔を出したら誰だってビックリする。
半狂乱になった毒の魔女は、その太ももでヴァンの頭を締め上げ、そして、彼は窒息した。
ザザはあらためて状況を冷静に確認し終わると、思わず困惑する様な表情を浮かべた。
大聖堂にロズリーヌ達がいた事も謎だが、毒系統の魔女が、ロズリーヌに縋りつく様に泣きじゃくっているのも謎。
余りにも状況が混沌とし過ぎている。
「ロズリーヌ……お前達は一体、なんでこんなところにいるんだ?」
「何でって、床下から現れる様な人たちに、言われたくありませんわよ」
「返す言葉もない……な」
◆◆◆
そこから、ザザはロズリーヌと互いの身に起こった事を語り合って、ようやく状況を呑み込むことが出来た。
昨晩、ロズリーヌはミュラー公を説得しようとした。
だが、ミュラー公は毒殺され、彼女はその罪を被せられて逃亡中。
これでミュラー公の私兵が、唐突にブルージュ男爵の屋敷を取り囲んだ理由が分かった。
ロズリーヌの引き渡しを求めてだ。
無論、それは口実で、本当の目的がヴァンの確保である可能性は否定できないのだが。
そして、ロズリーヌ達は、逃亡中に『高速悪魔』を連れたメイドに襲われた。
だが、ミュラー公の遺言で、ロズリーヌを守れと指示された毒の魔女が『高速悪魔』を、ロズリーヌとベベットがメイドを、それぞれ撃退した。
そして、その際に受けた傷を治療する為に大聖堂に隠れ、ブルージュ男爵の屋敷から逃げ延びたザザ達と出会ったという訳だ。
この流れを整理してみれば、大聖堂にロズリーヌ達がいたというのは、どう考えても偶然の様に思える。
だが、
『高速悪魔……か』
どちらも同じ様に『高速悪魔』に襲われたという事実は看過できない。
そこら中にいるような野良犬とは、訳が違うのだ。
「誰かの掌の上で踊っている様な、イヤな感じですわね」
「ああ」
ザザは返事をしながら、ヴァンの方へと目を向ける。
今はまだエステルの膝を枕にぐったりとしているが、意識を取り戻してはいるようだ。
おそらく問題は無いだろう。
同様にヴァンの方を眺めていたロズリーヌが口を開く。
「ともかくこれからどうするか……今後の方針ですわね」
「ふむ、通常なら、中佐達との合流を優先すべきだろうな」
「そう言えば、中佐はどちらへ?」
「ペルワイズ公との伝手を求めて、王立士官学校へ向かわれた」
「王立士官学校ですか……少し距離がありますわね」
「ああ、なんとか車輛を手に入れたいところだな」
「徒歩でも行けなくは無いですけれど、外はまだ戦闘が続いてる様ですし……」
「戦闘? ブルージュ男爵とミュラー家の戦闘なら、迂回すれば大丈夫だろう」
「それだけじゃありませんわよ。遠目にしか見ておりませんから、はっきりした事は何も言えませんけれど、幾つもの方向から煙が上がっておりましたわ」
「なるほど、他にも戦闘が起こっている……か。他の原理主義者が呼応したのかもしれないが、いずれにせよ、何処と何処の戦闘なのか……規模も相手も分からないでは、判断がつかないな」
ザザが眉を顰めた途端、
ギイィィィ! と扉を開く重厚な音が、突然、大聖堂の壁に反響した。
表とホールを隔てる大聖堂の大扉。
鉄の飾りに縁どられたその重厚な扉がゆっくりと開いて、隙間から陽光が差し込む。
扉の向こう側に、表通りの広い道。
そして、その道を隔てた向こう側に、王宮の城壁が見える。
だが、そこに人の姿はない。
「なんだ、風か?」
ザザとて、この大扉が風で開くような物では無い事は、重々承知している。
単純に、願望が口をついて、こぼれ出たのだ。
何も無ければ良いなと。
だが願望は、やはり願望でしかない。
ザザのその呟きのすぐ後に、僅かな静寂。
そして、その静寂を掻き消す様な足音を立てて、扉の陰から一斉に濃紺の軍装を纏った魔女達が、ホールの中へと雪崩れ込んでくる。
突然の出来事に、反応が遅れた。
慌てる第十三小隊の魔女達。
しかしその中で、ただ一人、ノエルだけが反応した。
「『光速指弾』! 『光速指弾』!」
問答無用。
相手が何者かを確認する気も無い。
ノエルが放った光の矢は、瞬く間に二人の魔女の頭を貫き、彼女達は走り込んできた勢いのままに、前のめりに倒れ込む。
流石に先制攻撃を受けるとは、思っていなかったのだろう。
僅かではあるが、隙が出来た。
その間に、第十三小隊の魔女達は立ち上がると、其々に戦闘態勢をとった。
だが状況は大きく変わる訳ではない。
濃紺の軍装を纏った魔女達は、指先をノエルの方へと向けたまま、じりじりとホールの湾曲した壁にそって侵入し、いつしか第十三小隊の面々を取り囲む形になった。
ザザは表情に緊張を漲らせながらも、冷静に相手を観察する。
――指を突きつけているところをみると『光』系統の魔女……ざっと五十人というところか。
そして、彼女達が纏う軍装には見覚えがある。
ブルージュ男爵の屋敷を取り囲んでいた、ミュラー公の私兵と同じものだ。
「あはは、動くと死ぬよ。ボクのライトニングバレットは速いよ。少なくともアンタらが何かする前に、十人は死ぬと思いなよ」
ノエルが大声を上げて、魔女達を牽制する。
だが、ロズリーヌがそれを制して、一歩前へと進み出た。
「ワタクシはここですわ。目的はこのロズリーヌの身柄なのでしょう。他の方は関係ありません。その指をお下げなさい」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと! ロズリーヌ。大丈夫だよ! ボクが全部やっつけちゃうからさ!」
「無理ですわよ、ノエルさん。アナタも五十本も指がある訳じゃありませんでしょ? 一撃で倒せなければ、ワタクシ達皆、蜂の巣になりますわよ」
ロズリーヌの言葉に、ミュラー家の私兵達の間に、微かではあるが動揺が走った。
ザザの目には、彼女達はロズリーヌがそこに居ることに、戸惑っている様に見えた。
だが、次の瞬間、
「あらあら、まあまあ」
扉の向こう側から、呆れる様な声が響いて、魔女達はハタと我に返る。
「あの子ったら、あんなに偉そうな事を言ってたのに、結局ロズリーヌに逃げられちゃったのねぇ」
そう言いながら、扉の向こうから姿を見せた女に、第十三小隊の面々は、一斉に目を見開いた。
「ちゅ……中尉」
ミーロの口から零れた、その擦れた声に、女はクスリと笑う。
「リュシール中尉……死んではおられないとは思っておりましたが、まさか、ミュラー家に取り入っておられるとはね」
ザザが揶揄する様に言い放つと、その女――リュシール=リズブールは、堪えられないとでもいう様に、甲高い声を上げて嗤った。
「あはははははっ、取り入る? まさかぁ。私とコルデイユちゃんはパートナーよぉ」
「ではなぜ、ミュラー公の私兵達を引き連れておられるのです?」
「うふふ、本当はいらないんだけどねぇ。この子たちは『ヘルハウンド』二匹を貸してあげる代りに、押し付けられちゃったのよぉ……コルデイユちゃんって意外と律儀なのよねぇ」
途端に眉をハの字に下げて、ロズリーヌが不愉快そうに吐き捨てる。
「は? 律儀ですって? その五十人は、コルデイユがアナタを監視する為につけたんですわよ。あの子の猜疑心の強さは、ワタクシが誰よりも存じておりますわ」
「うふふ、どっちでもいいわよ。それよりエステル! ヴァン君にキスするタイミングを窺ってるみたいだけどぉ、ダーメッ!」
リュシールが指さすと同時に、魔女達は一斉にエステルへと指先を差し向ける。
「うふふ、お見通しなんだからぁ。まったく、わざわざ狭いところで『ヘルハウンド』に襲わせたのは、何の為だとおもってるのよぉ」
「なるほど……そういう事か。ヴァン君に宿る魔法を、大規模攻撃魔法以外にさせる為だな」
「さっすが、ザザ。察しが良くて助かるわぁ。まあ、今はどんな魔法になってるのかまでは分からないけど、一撃でこの辺一帯を吹っ飛ばされたりしたら、危ないもの」
そこでリュシールは、どこかわざとらしい素振りで考え込む。
「もうちょっと、みんな、ヴァン君から離れて貰おうかな。人質もいることだし、ちゃんという事聞いてよねー」
「人質?」
「あの娘を連れてきてちょうだい」
リュシールが扉の外へ向かって声を掛けると、魔女が一人。
少女のこめかみに指を突きつけながら、中へと入ってくる。
「た、助けてくださいませ! お兄さま! 怖い! お兄さまあああ!」
「レ、レナードさん!」
怯えきって声を上げる少女。
それはヴァンの血を分けた妹。
会ってまだ数日しか経ってはいないが、それでも肉親だ。
「うふふ、この子の命が惜しかったら、みんなヴァン君から離れててちょうだい。そうね、五メートルは離れてもらおうかしら」
「エステルさん、ぼ、僕は大丈夫ですから。は、離れてください、早く」
「う……うん」
戸惑いながら離れるエステルを最後に、第十三小隊の面々はヴァンから距離を取る。
「さて、これで魔法をコピーされる心配も無し、と」
満足そうに頷くリュシールに、突然ベベットが問いかけた。
「コルデイユのパートナーって、何のパートナー?」
「あらぁ、あなたが自分から話かけてくるなんて、珍しいわねぇ」
「答えて。ミュラー公を殺した?」
「うふふ、わたしじゃないわよぉ」
「じゃ、コルデイユをそそのかした?」
「人聞き悪いわねぇ、私は背中を押してあげただけよぉ」
その答えに、周囲の魔女達の間に動揺が走る。
リュシールのその言葉は、コルデイユがミュラー公を殺した。
まさに、そう言ったも同然なのだ。
「おいおい、周りの魔女達に聞こえてるぞ、良いのか? そんな事を言ってしまって」
ザザが揶揄する様にそう言うと、毒の魔女エリザベスがギュッと唇を噛みしめ、ロズリーヌが握った拳を震わせる。
そんな彼女達を楽しげに眺めながら、リュシールはあっけらかんと言い放つ。
「バカねぇ、この子たちはコルデイユちゃんの飼い犬なんだから。それに死んだ人間に義理立てするようなバカはここにはいないわよ」
「そんな事無い!」
リュシールの言葉の末尾を叩き落とす様に、ベベットが大声を上げる。
彼女が大声を上げるその意外さに、リュシールは思わず目を見開き、そして……気づいた。
ベベットのその足元に、彼女の影が無い事を。
慌てて周囲を見渡して、ベベットの影を探す。
それはリュシールの足元。
いつの間にか小さな影が、リュシールの足元に蟠っていた。
思わず頬を引き攣らせるリュシールを、睨みつけてベベットが声を上げる。
「聞こえた? メイド!」
次の瞬間、その小さな影から勢いよく飛び出す者がいた。
それはメイド。
「サハは申し上げます! 絶対に許さない、と!」
彼女の手の中で、稲妻で形作られた剣が閃く。
それが、リュシールの身体を袈裟斬りにした。