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第八十五話 ごきげんよう。そして、さようなら。

 パンッ! という乾いた音が、医務室に響き渡る。


 必死の形相を浮かべるシュゼットを見据えて、セネリエがいきなりその頬を平手打ちしたのだ。


 ベッドの上で半身を起こしていたリルが、「あ」という小さな声を洩らした他には、誰も反応しない。


 だが、それは驚いて声も出ないという事ではない。


 セネリエという老婆のこの行動に、彼女の教え子たちは、今更驚きはしない。


 彼女は、口より先に手が出る。


 脊髄反射(せきずいはんしゃ)で手が出る(たぐい)の、厄介な人間なのだ。


 挨拶を交わすより先に、腹に一撃を喰らったクルスに至っては、(むし)ろ平手打ちで済んだことに、自身との扱いの差を見せつけられたような気がして、内心口を尖らせていた。


「固い、固いとは思ってたけど、そこまで頭が固かったかねえ……。アンタは」


 セネリエはそう言って、大げさに肩を(すく)める。


「アンタの思い至った黒幕が、何処の誰かは知らないけどさ。それでも、そいつが、どんな人間なのかは想像がつくさね。で、それが分かれば、アンタの今の反応の通り、そいつの次の一手が、シュヴァリエ・デ・レーヴルの再来をこのゲームの盤面から追い出す事だってのも、推測するのは難しい事じゃないさ」


「そこまでお分かりでしたら……」

 

「もう一度言うよ。アンタは頭が固い。眼先に囚われ過ぎている。仮にアンタ達が、王都に特攻したとするさね。そして、首尾よくその少年を救い出せたとして、その後はどうするのさ? 危機に晒されているのは少年だけかい? 軍人の本分ってのは、何だったかね?」


「軍人の本分は民衆を守る事、そして女王陛下をお救いすることです。無論承知しています。ヴァンを救う事は、それに繋がるはずです!」


「そうでしょうか?」


 そこで疑問を口にしたのは、セネリエではなくアネモネ。


「仮にヴァン准尉を救い出せたとして、王都に『無窮』を突き付けられてしまえば、たった一撃で王都は壊滅。女王陛下と民衆、果てはヴァン准尉を含む我々も無事で済むはずはありません」


「しかし! 王都には原理主義者達もいるのだ、それを巻き込んでまで『無窮』を放つ筈は……」


 シュゼットがそこまで口にしたところで、再び、パンッ! と乾いた音が、室内に響き渡る。


 再び、セネリエがシュゼットの頬を叩いたのだ。


「反論の為の反論はみっともないよ、シュゼット。アンタにだって分かってる筈さね。その黒幕にとって原理主義者は只の駒、只の捨て石でしかないことが。ペネロペ大佐が何に同調して、こんなことに加担してるのかは知らないけれど、その状況になれば『無窮』を撃つだろうさ、躊躇無く」


「おばちゃん、つまり、アンタはその黒幕の本命は、『無窮』だって、そう言いたいのかい?」


 クルスが口を開くと、セネリエはそちらをギロリと睨む。


「ちっとはマシになったかと思ったんだけど、やっぱりアンタはダメだね。黒幕にとっちゃあ『無窮』はあくまで保険さね」


「保険?」


「わかんないのかい? さんざん盤面をひっかきまわした末に、それでもダメなら最後はその盤ごとひっくり返して、目的を達するつもりなのさ」


 シュゼットにも、セネリエの言わんとすることは分かる。


『無窮』が王都を射程範囲に収める前に、なんとかしなければ、何をどうあがいても、自分達に勝利の目は無い。


 だが、シュゼットは未だに割り切れずにいた。


 ヴァンの身に危険が迫っている。


 そう考えれば、考える程に胸が張り裂けそうな気がするのだ。


 そんなシュゼットの胸の内を見透かすように、セネリエは言う。


「本当にその子は救いの手を必要としてるのかい? アンタは自分の不安の為に、救いに行きたい。そう思ってるんじゃないのかい? シュヴァリエ・デ・レーヴルの再来なんだろう? その子は。マルゴを吹っ飛ばしかけて、帝国の空中戦艦二隻を叩き落とした化け物なんだろう?」


 その瞬間、シュゼットはギロリとセネリエを睨みつける。


「化け物はやめていただけますか……先生」


「化け物が嫌なら、人外でも英雄でもなんでも良いさ。そんなヤツが簡単にくたばる筈ないだろうって言ってんのさ」


 この時、ヴァンは少女(エリザベス)の太ももに、首を締めあげられて死にかけているのだが、セネリエがそんな事を知る由もない。


「だが、ジグムント要塞の兵が、『無窮』がこっちへ向かっている事を知っているのは、今ここにいる人間だけ。つまり、それをどうにかできるのも、ここにいる人間だけってことさね」


「……わかりました」


 シュゼットが静かに頷くと、そこで再び、アネモネが口を挟む。


「しかし、我々三人と先生。それに王立士官学校(アカデミー)の学生だけで、精強なジグムントの兵を相手に勝ち目など……」

「は? 何言ってんのさ? アタシは行かないよ。もちろん学生達を戦場に出させたりする気はさらさら無いさね」


「は?」


「アンタたち三人でやれ。そういってるのさ」


 その瞬間、アネモネの表情がぐにゃりと(とろ)ける。


「それは……な……なんという試練」


 そんなアネモネをあきれたような表情で眺めて、クルスが肩を落とす。


「またアレやんのかよ……」


 そんなクルスの様子を眺めながら、シュゼットは思わず溜息を吐く。


「確かに今、この場でジグムントと遣り合えるとしたら、このバカと私をセットで運用することぐらいですがね……」


「お、お二人とも何を……。た、確かに素晴らしい試練ですが。たった二人……いえ、私を含めて三人でジグムントの兵と戦って勝てるとでも」


 アネモネのその言葉に、クルスは彼女の鼻先に指を突き付けた。


「ばあか、アネモネ嬢ちゃん。誰も勝てるなんて言ってねえ。せいぜい『無窮』を壊せるかどうかってとこだ」


「そ、そんなことが、か、可能なのですか!?」


 思わず目を見開くアネモネに、セネリエは思わずクスリと笑う。


「おや、知らなかったかいアネモネ。前回……いやもう前々回さね。この子達は、二人だけで帝国の一個大隊を壊滅させてるんだよ」


「は?」


「おばちゃん……言っとくけど、あんときとは話が違うんだからな。相手は同じ魔女だ。帝国の男どもを相手にするのとは訳が違う。で、それ以前にジグムントの兵はどんぐらいいんのさ」


「そうさね……ジグムントの駐留軍は確か千五百。向かってきてるのはその全部ではないだろう。原理主義者の主導に従わなかったものもいるだろうさ。勘の域を出ないが……。五百を越えてはいないだろうさ」


「……五百」


「かぁ……マジかよ」


 アネモネが思わずごくりと喉を鳴らし、クルスが眉間を押さえて項垂(うなだ)れる。


「『無窮』さえ破壊すれば良いのだ、五百という数に捉われることはなかろう」


「簡単にいうなよな! お前は良いよ。お前は! 戦うのも殺られるのも、オレなんだぞ」


 シュゼットの一言に、クルスが突っかかる。


 そして、セネリエは医務室の扉へと手を掛けると、三人の方を振り向いて言った。


「とっておきの車両を用意してやるさね。壊しても構わない。好きに使えばいいさ」



 ◆◆◆



 王都の一角。


 ブルージュ男爵の屋敷の周囲で唐突に始まった戦闘に、民衆は我先にと逃げ出し、町中は騒然としている。


 身一つで逃げ出した者、両の手に家財を抱えられるだけ抱えた者。


 手を曳かれる老人、それを蹴り倒して、我先に逃げ出すならず者。


 ぬいぐるみを引きずった幼い女の子が、人並みの中で立ちすくんで泣き声を上げている。


 だが、それに手を差し伸べる余裕のある者はいない。


 王都の外へと逃げ出そうと門へと詰めかける民衆。


 だが、それをあざ笑うかの様に、次々に火の手が上がる。


 そして、うち破られた門扉を乗り越えて、高機動車両が人並みの中へと突入し、阿鼻叫喚の悲鳴が、王都の空に木霊した。


 屋敷の門、その鉄柵の向こう側から聞こえてくる悲鳴。


 それを聞きながら、ブルージュ男爵は(きびす)を返す。


 屋敷に待機させている残りの兵を率いて、自らも打って出るつもりなのだ。


「ふふふっ……もうすぐ、もうすぐ……我が悲願が叶う。三大貴族の権勢は地に落ち、我がブルージュ家がヴァン・ヨーク陛下の後ろ盾として、家門の繁栄を欲しいままにする日が来る」 


 ブルージュ男爵は、喜びに胸を震わせる。


 思えば、あの女と出会ってすべての風向きが変わった。


 ヨーク子爵の紹介で訪ねて来た女だ。


 自分の愛人達の視線が、あの巨大な胸に吸い寄せられるのは不快ではあったが、その口から出た計略に思わず胸が躍った。


 ミュラー公にヴァン・ヨーク陛下を襲わせ、それを守るという大義名分を得て、原理を奉じる者達を合従(がっしょう)する。


 後は、あの女が地下道から逃れられたヴァン・ヨーク陛下を安全に(かくま)い、三大貴族を駆逐した後、正式に王位にお座りいただくだけ。


 あの女は筆頭魔術師の地位を手にし、そして、自分は最高の権力を手に入れ――


 ブルージュ男爵は、彼女の後をついて歩く、甲冑姿の見眼麗しい男達。


 すなわち、彼女の愛人達を見回して、舌なめずりをする。


 ――国中から見眼麗しい男を集めて、自分の為だけのハーレムを築く事も出来るだろう。


 彼女が思わず、淫蕩な笑みを浮かべたその瞬間、


 彼女の視線の先で、愛人の一人が虚ろな目をしたかと思うと、その眼球がぐるんと上を向いた。


「どうしたのです?」


 ブルージュ男爵が首を傾げた途端、その愛人の首筋から、いきなり赤い血が噴き出した。


 がくりと膝から崩れ落ちる甲冑姿の男。


 その姿にブルージュ男爵は眼を見開いて絶句する。


 そして、


「伏兵とは、なかなか、卑怯極まりないですな。ブルージュ男爵」


 倒れた愛人の背後、そこに先ほど言葉を交わしたミュラー家の家宰が、ナイフ片手に立っているのを見た。


「貴様アアアアアァ!」


 犬歯をむき出しにして激昂するブルージュ男爵を見据えて、その男――マルタンは、こう言った。


「淫蕩なる雌犬男爵様、ごきげんよう。そして、さようなら」

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