第八十三話 素直じゃない。
ステンドグラスを透過した色とりどりの光が、ホールの床に鮮やかな文様を描いている。
それは巨大な尖塔を持つ大聖堂の内側。
見上げれば尖塔まで、一直線に吹き抜ける荘厳な空間であった。
柱をとりまく様に添え付けられた鉛の燭台には、長い年月の間にこびり付いた煤と、固まる直前の滴る姿そのままの蝋が、一年に幾度か行われる大清掃を待つ様に残されている。
聖堂と呼ぶに相応しい静謐が居座る、外の喧騒とは切り離された清浄な空間。
礼拝者の為の長椅子がずらりと並ぶその奥、祭壇の前の広くなったところに、今、三人の少女の姿がある。
「……どう見ても違う、あの子じゃない」
ぼそりと呟いたのは、白黒ストライプのリボンを付けた小柄な少女。
彼女が見上げているのは、シュヴァリエ・デ・レーヴルをモデルとした白い女神像である。
それは、遠くを見つめる様に顎を上げる少女の像。
両手に絡みついた茨が、胸元に抱えている赤ん坊へと蔓を伸ばし、今にも絡みつこうとしている。
そんな場面が、形作られている。
この国の人間がシュヴァリエ・デ・レーヴルと言われて思い浮かべるとしたら、そのほとんどが、この像の姿を思い浮かべることだろう。
だが、この茨と赤ん坊の由来を知る者は誰もいない。
が、この像に形作られた赤ん坊こそが、嘗て、原理主義者の願望の象徴であった。
シュヴァリエ・デ・レーヴルの子供、その正統なる血統。
それを探し出して王権を取り戻す。
それが彼らの希望であったのだ。
だが、そんな血統の話をすっ飛ばして、シュヴァリエ・デ・レーヴルその人の再来だという少年が現れ、この赤ん坊の存在はあっさりと忘れられた。
黒白ストライプのリボンの少女は、女神像から目を離し、残りの二人の方へと目を向ける。
華やかな金髪を縦に巻いた少女、その膝を枕にもう一人の少女が床に横たわっている。
横たわる黒髪の少女、その上半身は裸。
包帯で、ぐるぐる巻きにされた裸身、ところどころが血で滲んだ痛ましい姿。
腰のあたりに垂れ下がるボロボロの布地。
もとは金糸に彩られた黒のドレスであったものが、今や、ズタズタに切り裂かれ、下半身を覆うだけのロングスカートの様になっていた。
「足ぐらい閉じたらどうですの、はしたない」
金髪の少女――ロズリーヌがエリザベスを見下ろしながら、嘆息した。
「いいじゃないのよ。この方が楽なんだから……。それに貴族のご令嬢のふりをするのは楽しかったけど、ドレスももうこんなだしね」
そう言って自嘲するように笑うエリザベスの傷は、かなり深い。
応急手当を終えたのは、つい数分ほど前の事。
彼女達が入った時には、既に大聖堂の中には誰も居なかった。
鍵が開いているのに、僧侶の一人もいない事は不審に思わないでもなかったが、外では戦闘が始まっているのだ。
大方、避難したのだろうと当たりをつけて、勝手にそこら中を漁り、包帯と傷薬を見つけることができた。
ロズリーヌは、身動きの取れないエリザベスを横たえ、目を背けたくなる気持ちを必死にこらえて応急手当に専念した。
治療を続ける間、彼女は幾度となく、唇を噛みしめた。
おそらく死ぬ事はないだろうが、いくつかの傷は、消えずに彼女の身体に残ることだろう。
それが自分を守るために負った傷だと思えば、ロズリーヌの胸には、言い様のない罪悪感が蟠った。
そんなロズリーヌの憂いに気付いたのだろう。
エリザベスは軽く唇を尖らせる。
「そんな顔しないでくれない。アタシが勝手にやったのよ。これでミュラー公様との約束だって守れたし、後は、ま、アンタが、生き残って次のミュラー公になってくれれば、私も職を失わなくてすむんだからさ」
すると、ロズリーヌはプイとそっぽを向く。
「貴女を雇うなんて言ってませんわよ。そもそもワタクシは暗殺なんて後ろ暗い事は好みませんの」
「はあああ!? ちょ! ちょっと! って……まあ、しかたないか……。私が勝手にやったことだしね。まあ、いいや、名前変えて、どっかの貴族の私兵に潜り込めば、生きていくぐらいは何とかなるかもしれないし」
そう言って力なく笑うエリザベス。
そんな彼女を横目に、ロズリーヌがぶっきらぼうに口を開いた。
「そんなことをしなくても、再就職先ぐらい斡旋しますわよ」
「就職先? 孤児院上がりの暗殺者を雇ってくれるところなんて……」
「ありますわよ。あなたにピッタリの吹き溜まりが」
「吹き溜まりって……」
やっぱり碌な話じゃないわよね……。
と、エリザベスが肩を竦めるのを眺めて、ロズリーヌが楽しそうに笑った。
「とある場所に、一人の美少女とステキな男性。それに多くのろくでなしで構成された愚連隊が有るんですの。周りからはバカにされたり、怖がられたり色々ですけど、彼女達は、まあ、それなりに楽しんでいる様ですわよ」
「それって……」
「マルゴ要塞の第十三小隊。そこが、いつでも兵員を募集していますわ。まあ、アナタは貴族でも、王立士官学校の卒業者でもありませんけど、次のミュラー公の推薦ということであれば、伍長あたりからは、スタートできますわよ、きっと」
エリザベスは思わず、目を丸くする。
「……本気?」
「ワタクシはいつでも本気ですわよ。ワタクシの部下になるんですから、こんどワタクシの事を『出来損ない』なんて呼んだら、承知しませんわよ」
「で、でも、あ、あたし孤児だよ、学も無いし。それに暗殺者だし……、毒の魔女だよ」
ロズリーヌは小さく肩を竦めると、そっぽを向いて言った。
「……だから、吹き溜まりだと言ったでしょ。第十三小隊はアナタや、アナタのあのメイドには、ぴったりじゃありませんの」
「……メイド? だってサハはもう……」
「殺していませんわよ。今はベベットさんの『暗い部屋』の中で、気を失っているだけですわ。でも、今度ワタクシに噛みついてきたら、容赦しませんから、アナタがちゃんと面倒みるんですわよ!」
「そ、そんなことが……あはは……は……ぐす…うぇええん」
エリザベスの表情が短い間に、くるくると変わる。
驚いた表情、次に笑顔。
そして笑ったその眼から涙が溢れ始め、彼女は慌てて顔を覆う。
声を上げて泣きじゃくる暗殺者の少女。
その姿に、ロズリーヌがすっと目を細めると、祭壇にもたれ掛っていたベベットが、
「ロズリーヌ……ほんと、素直じゃない」
と、口元を緩めた。