第八十一話 逆境、逆境、また逆境!
「待ってたよ、シュゼット」
老婆――王立士官学校が誇る鬼教官セネリエの言葉に、シュゼットは思わず首を傾げた。
此処へ来ることは、第十三小隊の隊員達にしか告げていない。
車輛を借り受ける際、ブルージュ男爵にも尋ねられはしたが、それも「王宮へ何度も往復する事になりそうだから」と、適当に誤魔化したのだ。
「セネリエ先生。先生はどうして我々が来ることを、ご存じなのですか?」
シュゼットのその言葉に、セネリエは呆れた様な表情を浮かべる。
「忘れたのかい? ここはありとあらゆる系統の魔女が学ぶ学園さね。王都で起こっていることぐらい、大体把握してるさ」
そう言うとセネリエはくるりと振り返り、学舎の玄関の方へと歩き始める。
アネモネは老いて尚、盛ん。そう口にしていたが、なるほど、腰は曲がり、杖をついてはいるがよろめくわけでもなく、足取りもしっかりしたものである。
「もたもたしてるんじゃないよ! ついておいで」
「は、はい!」
「イエス! マム!」
シュゼットとアネモネは慌てて、セネリエを追って歩き始める。
だが、シュゼットは途中で思い出した様にふりかえると、背後に向かって声を上げた。
「おい! 何をしている。クルス、行くぞ!」
「……な、何をしているじゃねぇよ。放ったらかしかよ。あーくそ、痛ってぇ……久しぶりだと尚更効くぞ、あれ」
クルスがよろよろと起き上がり始めたのを見届けると、それを待つでもなく、シュゼット達はさっさと歩き始める。
石造りの重厚な学舎、その玄関に足を踏み入れると、そこにあるのは天井の高いホール。
シュゼットは何となく懐かしい気持ちになって、天井を見上げる。
三階まで吹き抜けの空間。
天井に無数の星が描かれているのを眺めて、学生の頃にはそんなものが描かれている事に、気づきもしなかったなと、独り苦笑する。
毛足の長い赤絨毯の敷かれた床。
セネリエは、正面の大階段をゆっくりとした足取りで上っていく。
後ろをついて歩きながら、アネモネが口を開いた。
「先生は王都で起こっていることを大体把握しておられる。そう仰られましたが、あの、王都の方で立ち上っている煙、あれは何が起こっているのですか?」
「アネモネ……相変わらず、あんたは呑気さね。ずいぶん矯正したつもりだったがね」
『矯正』という単語に、アネモネはビクンと身体を跳ねさせる。
アネモネはガーリン家きっての秀才。
王立士官学校も主席で卒業した優等生の筈なのだが、それでもセネリエに『矯正』される事があるのかと、シュゼットは苦笑した。
だが、その苦笑も、一瞬にして驚愕に変わる。
「反乱さね。原理主義を奉じる者達が、一斉に蜂起したのさ」
「そんな馬鹿な!」
原理主義者は、それぞれに思惑が入り乱れている。
一枚板ではない。その筈だ。
「シュゼット、あんたは学生の頃から優等生だったけど、頭が固いのが良くない」
セネリエは足を止めて振り返り、シュゼットの鼻先に指を突きつける。
「確かに物事には原理原則がある。それを無視して事象が表れる事はない。その通りさね。ただ、あんたには、原理原則が錯綜した時に対処ができない。それが問題だと、そう諭した事があっただろう?」
「……覚えております」
セネリエは小さく嘆息する。
「今のあんたの反応を見る限り、そこは克服出来ていないみたいだね」
「も、申し訳ありません」
「原理主義者は、それぞれバラバラで協力する状態に無い。おそらくあんたはそう考えていた。それは間違っていない。だが、彼らが載っているテーブルそのものを傾けてやれば、一気に同じ方向へと転がるのも、また自明のことさ」
シュゼットの眉間に深い皺が刻まれるのを見て、セネリエは再び嘆息する。
「まだわからないかい? 大義名分と趨勢。このたった二つの条件を満たせば、彼らは我先にと、挙兵するのさ」
セネリエは、アネモネが納得した様な表情を見せた事に、くすりと笑い、未だに難しい顔をするシュゼットへと再び目を向ける。
「シュゼット。やはり、あんたは頭が固い。シュヴァリエ・デ・レーヴルの生まれ変わりと言われる少年が三大貴族の打倒を宣言する。そしてそれに応えるという大義名分。そして、その三大貴族を必ず倒せる。そう思わせるだけの戦力。つまり、勝ち馬に乗らなければ! と思わず慌てる様な条件を整えれば良いのさ」
「ですが、先生。そのいずれもありえないではありませんか。ヴァンは、そのシュヴァリエ・デ・レーヴルの生まれ変わりという少年は、そんな事ができる人間ではありませんし、三大貴族を必ず倒せる。そんな強大な戦力がどこにあるというのです」
「少年については、彼がそう言っていると思わせれば良いだけさ、戦力については……ついておいで。あんたを訪ねて来ている者がいるよ」
「私を……ですか?」
前女王の巨大な肖像画が見下ろす踊り場で、左右に分かれる階段。
それを右側に進み、上り切ってすぐの扉、セネリエはその前に立つと、ノックも無しに扉を押し開けた。
シュゼットは未だに要領を得ない、もやもやとした感情を抱えたままの表情で後に続く。
学生時代の記憶を辿れば、そこは医務室だったはずだ。
セネリエについてシュゼットとアネモネ、それに遅れて駆けてきたクルスが、部屋の内側へと足を踏み入れる。
天幕の様に白く薄いカーテンのかかったベッドが、全部で六床。
その内一つ。カーテン越し、奥の病床に誰かが横たわっているのが見えた。
「シュゼットが来たよ」
セネリエがシャッとカーテンを開くと、そこに横たわっている二人の人物にシュゼットは思わず声を上げる。
「リル!? ルル! お前達なんでここに!」
そこにいたのは第八小隊の双子魔女。
幼い姿の二人の少女が、手をつないだまま横たわっていた。
それも二人してあざだらけ、包帯塗れ、顔は腫れあがり、髪も焦げてちりちりと巻いていた。
「ああっ、うう……ぢゅ、中佐……ル、ルルが」
シュゼットの顔を見た途端、リルは嗚咽を漏らして喉を詰め、はらはらと泣き始める。
だが、ルルは一向に目を開く気配は無い。
驚愕の表情を浮かべたまま立ち尽くす、シュゼットを見遣りながら、セネリエが口を開く。
「片割れの娘は、ここへ来てから目を覚ましてない」
「な、何が起こっているのだ! おい! リル!」
思わず声を荒げるシュゼットを、リルが怯えた目で見上げると、背後からクルスが、シュゼットの肩を掴む。
「おい、落ち着け、馬鹿!」
それをじっと見つめながら、セネリエが口を開いた。
「そんな戦力がどこにある。シュゼット、あんたはそう言ったけど、あるだろう。あんたの戦力が。マルゴ要塞は今、原理主義者に乗っ取られたのさ。あんたに救いを求めて、この娘たちはガーリン家の娘に送り出されてきた。この娘の話じゃ。何人かが立てこもって、まだ抵抗を続けているらしいが、それも一昨日の話さね」
「首謀者は……サザーランドだな」
奥歯を噛みしめながら、シュゼットの口から呻く様な声が漏れる。
マルゴの原理主義者と言えば、考えるまでもない。
まさか、こんな強硬手段に出るとは思ってもみなかった。
「それに、マルゴだけじゃない。東のジグムント要塞も同じタイミングで叛旗を翻したのさ。この国の東西の要衝が、今やこちらに向かって剣を向ける様な状況さね。自領ならともかく王都に駐留する僅かな兵では、三大貴族と言えど、大した抵抗もできやしないさ」
だが、そこでクルスが、セネリエに突っかかる。
「おいおい、おばちゃん! ジグムントって……。そんな馬鹿な事あるかよ、あっちにゃ女王陛下の遠戚にあたる最強の軍人。ペネロペ大佐がいるんだぜ。そんな簡単に……」
「ジグムント要塞を占拠した首謀者は、そのペネロペ大佐さ」
「馬鹿な!」
シュゼットが思わず、空の病床の足を蹴り上げ、リルがビクリと身体を跳ねさせた。
「本当さ。その証拠に自走式に改良された『無窮』とともに、ジグムント要塞から軍がこちらへと向かっているのを掴んでる。ペネロペ大佐の他に誰が『無窮』を撃てるのさね」
愕然とするシュゼットとクルス。だがその隣で、
「な、なんたる試練……何たる逆境」
アネモネが恍惚とした表情を浮かべて、ぶるりと身体を震わせる。
そんな三人の様子を見据えて、セネリエが片目を閉じた。
「さて、状況は絶望的。「無窮」の射程範囲に入ったら、それで終わり。喉元に剣を突きつけられたも同然さ」
思わず項垂れるシュゼット。
それを叱りつける様な調子で、セネリエは言った。
「だがね! 私はあんたたちに諦めるという選択を、指導した覚えは無いね!」
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