第八十話 女同士でありますよ?
ヴァン達五人は、壁際に背を向けて半円状に寄り集まり、周囲を警戒していた。
細い地下道、敵は前後。
だが、先ほどの様に水の中から襲い掛かってくる事も有り得るとすれば、勢い任せに、先へ進む事は困難だ。
負傷したミーロの傷は、幸いにもそれほど深くは無かった。
応急処置も出来ないような状況下、痛みはあるのだろうが、彼女はそれを露とも見せずに、隊列に加わって周囲を警戒している。
耳を澄ませば、ここにいる五人の呼吸音と汚水の流れる音に混じって左右どちらからも、獣の短いリズムの足音が聞こえてくる。
警戒しているのか、それとも嬲って楽しもうというのか、獣達は近づいたり遠のいたりを繰り返しながら、跳ねまわっていた。
「なあ、ノエル、スペイロ渓谷の時には、どうやってアレを倒したんだ?」
「あはは、あれは凄かったよー。えーと、ヴァン君がぴゃって跳んで、がしって捕まえて、ボクが光速指弾でバンって倒したんだよ」
「うん、全然わからない」
ザザは思わず軽く唇を尖らせる。
ノエルの擬音語、擬態語満載の説明では、さっぱり要領を得ない。
そして一瞬ちらりとヴァンの方へと目を向けて、こっちに聞いても同じようなものだろうなと、小さく溜め息を吐く。
「あはは、わかんない? そう? えーとあの時は確か、リルちゃんがちゅーして、それからボクがちゅーしたんだったと思う……あれ逆だっけ?」
「リルちゃんって、リル中尉か?」
「あはは、そうそう」
途端に、能天気に笑うノエルの隣で、エステルがギロリとヴァンの方へと振り返り、ヴァンは首を竦めて小さくなる。
世界にただ一人の魔法を使える少年。
とは言っても、やはりこの国の男性には違いない。
順調に女の尻に敷かれようとしている。
ザザは、そんな二人の様子を眺めて苦笑すると、一つ咳払いをして口を開いた。
「なんにせよ、魔法を組み合わせて倒した。そういう事だな。ヴァン君、今、チョーカーは持っているか?」
「えっ? は、はい」
「着けてくれ」
「え……わ、わかりました」
「ちょ、ちょっと! ザザ、何する気よ!」
「そのままでは乗り越えられない危機なら、試してみるしかないだろう。前回は、リル中尉の『翼』の魔法と、ノエルの『光』で倒したというのなら、同じ事は出来なくとも、色々組み合わせてみれば、何か手が見つかるかもしれないからな」
慌てて声を上げたエステルに、ザザが言い聞かせる様な調子でそう言うと、ノエルの方へと向き直る。
「ノエル!」
「あはは、分かってるよー、りょうかーいだよー!」
ノエルが元気よく声を上げた途端、まるでそれが契機になったかのように、来た道の方から獣の足音が、ものすごい速さで近づいてくるのが聞こえた。
エステルは何か言いたげな顔をしたまま、小さく「むー」と唸ると、まるで腹立ち紛れだと言う様に、
「火炎幕ンンッ!」
足音のした方へと勢いよく魔法を放った。
そんなエステルを他所に
「あはは、じゃ、ヴァン君! 行っくよー!」
そう言って、ノエルは猫がじゃれつく様に、ヴァンへと抱きついた。
「え、あ、あの、の、ノエルさん、ま、前! 前!」
途端に、ヴァンが顔を真っ赤にして慌てる。
それもそのはず、シャツの前は全開、ノエルの小ぶりな膨らみ。
それを包む水色の可愛らしい下着が惜しげもなく顔を覗かせて、その下のかわいらしいおへそまで見えている。
「あはは、大丈夫だよー。裸って訳じゃないんだしさ!」
そういって尚も身体を押し付けてくるノエル。
二人の間で、むにょんと小さな胸が潰れた。
その生々しい感触に頭の中が沸騰しそうになって、ヴァンが思わず俯くとノエルがその顎を指先で捕える。
ヴァンよりもノエルの方が身長が高い。
故に、まるで男女逆転。
ノエルはヴァンを抱きかかえたまま、上から覆いかぶさる様に彼の唇に自らの唇を押し付けた。
汚水の流れる水音に、それとは違う、ぴちゃっという水音が混じる。
唖然とした表情でそれを眺めていたエステルが、ハタと我に返ってノエルの肩を掴む。
「ちょ、ちょっとノエル! もういいでしょ、離れなさいよ!」
「えーいいじゃん。エステルのけちんぼ!」
ノエルはヴァンを抱きかかえたまま、振り向いて唇を尖らせる。
睨みあうエステルとノエルを他所に、
いつも通り、頭痛に襲われているのだろう。
顔を顰めているヴァンへと、ザザが問いかけた。
「どうだ?」
「は、はい! 『赤外線放射』って魔法に……な、なりました。身体から熱線を放射する魔法です」
「うん? よく分からないが、それで、どうだ倒せそうなのか?」
「ここで使ったら、たぶんこの地下道全体がオーブンの中みたいになります。た、倒せるとは思いますけど……」
「……私達もおいしく焼き上がる」
「……たぶん」
ザザは思わずため息を吐いて、ミーロを振り返る。
「じゃあ、次、兎ちゃん、頼む」
「ひゃ、ひゃい!」
唐突に声を掛けられて、ミーロが慌てて背筋を伸ばす。
顔は既に真っ赤である。
ミーロにとって、ヴァンとのキスは初めてではない。
だがそれは、カントの村で意識朦朧としている中での出来事。
キスした事を後で聞いて、恥ずかしい様な、惜しい事をしたような気になって、その時は盛大に落ち込んだものだ。
未だにぬいぐるみを奪われるのを拒む子供の様に、ヴァンを抱きかかえたまま、エステルと睨みあっているノエルへと、ザザが声を掛ける。
「ノエル! そろそろヴァン君を離してくれ、後がつかえてるんだ」
「むー、しかたないなぁ……でもやっぱり、結構気持ちいいんだよね。ちゅー」
そう言って唇を尖らせたかと思うと、ノエルは何かに思い至ったかのように、ぽんと手を打つ。
「……そうか、ヴァンくんじゃなくても、いいのかも」
なにやら不穏な事を言い出したノエルが、急にエステルの方へと向き直った。
「ねえねえ、エステル! ちょっと試させてよ」
「え、え、な、なに言ってんの……アンタ?」
途端に頬をぴくぴくと引き攣らせて、エステルが後退る。
「いいじゃん、ちょっとだけ、優しくするからさー!」
「ば、ばかー! や、やめなさいってば!」
エステルの方へと襲い掛かるノエルを尻目に、ミーロはちょこちょこと、ヴァンの方へと歩み寄った。
「じゃ、じゃあヴァン准尉、ふちゅち……不束者でありますが、よ、宜しくお願いするであります!」
「あ、こちらこ……そ」
ヴァンの言葉の終わりを待たずに、ミーロはぎゅっと目を閉じて必死に唇を突き出す。
既にシャツの前は閉じているものの、シャツを押し上げるミーロのボリュームのあるふくらみが目に入って、ヴァンは思わず目を逸らす。
恥ずかしい空気が二人の間に漂って、ぼーっと熱にうなされた様な表情のまま、ヴァンはゆっくりと彼女の唇に自分の唇を押し当てた。
僅かに触れるだけの軽い口づけ。
ヴァンがすぐに離れると、「あ……」とミーロが惜しむ様な小さな声を零し、すぐに恥ずかしくなったのか、真っ赤な顔を更に赤く染めて俯いた。
そんな、そこはかとなく初々しい二人の様子を眺めていたザザは、頬を赤らめながら、ヴァンへと問いかける。
「……こ、今度はどうだ」
「は、はい……えーと、何とかなりそうです」
「そうか!」
その瞬間、ザザの表情に、あからさまに安堵の色が広がっていく。
これでダメなら次は自分。そう思っていたのだろう。
「で……どういう魔法なんだ?」
「は、はい。『黒く塗れ』といって……」
ヴァンがそこまで言ったところで、エステルの悲鳴にも似た声が周囲に響き渡った
「ちょ! ちょっとおおお! バカ! ほんとバカ! いい加減にしなさいってばああああ!」
だが、その叫びは唐突に途切れる。
「むぐッ!? むーー! むーー!」
見れば、ノエルがエステルを壁際に追い詰めて、その唇を押し付けていた。
必死に目を見開いて、唸りながら、ノエルの背中を叩くエステル。
その姿に、
「「「うわぁ……」」」
思わず困惑の声を漏らす三人の姿がある。
そして、はたと気づくと、慌ててザザがヴァンの目を、掌で塞いだ。
「あ、あまり見ない方がいいな、ヴァン君は……」
「お、女同士であります……よ、ザ、ザザ准尉? あ、あれは気持ち良いのでありますか?」
「わ……私に聞かないでくれ……」
ミーロの問いかけに、擦れた声で答えるザザ。
たった一人の好奇心旺盛なバカの所為で、彼女達のいる地下道には、意味不明な居た堪れない空気が漂っていた。