第七十七話 予言悪魔の目
「ばっ……かじゃないの。蘇生できたなら、さっさと逃げ……なさいよ。何のために時間稼いだ……と思ってん……のよ」
「うるさいですわよ、駄犬。それはそうと今、あなたの血に毒混じってないでしょうね」
「……そんな気力……残って無いわ……よ」
ロズリーヌは血に塗れるのも構わず、エリザベスの身体を抱き止め、二人はこの期に及んで、そんな憎まれ口を叩き合う。
「じゃあ、駄犬。そこで大人しく待ってなさい」
そう言って、ロズリーヌは静かにエリザベスの身体を石畳の上へと横たえると、サハの方へと向き直った。
「あなたもミュラーの家に仕える者ならば、主の物に手を出せばどうなるか、お判りでしょうね」
サハはギリリと奥歯を鳴らして、ロズリーヌを睨みつける。
「サハは申し上げます。誰が主ですか出来損ない、と。私の主はミュラー公様、そしてその後を継がれるコルデイユ様です。そもそも、あなたがリズを誑かさなければ、こんな事にはならなかった! あなたはここで死ぬべき人間なのです」
「死ぬべき? 死ぬべきねぇ……まあ、良いですわ。やれるものならやってごらんなさいな」
――何を企んでいる?
余裕たっぷりに挑発するロズリーヌの態度を、サハは胸の内で訝しむ。
そもそも、この女は『眼』などという希少系統に生まれついておきながら、魔力不足の所為で第一階梯までしか開けていない出来損ない。
しかも、唯一使えるその魔法『鷹の目』は上空から俯瞰するだけの魔法。
つまり、大規模戦闘ならばともかく、一対一の対人戦においては、何の役にも立ちはしない。
つまり……はったりだ。
「サハは申し上げます。では、虫けらの様に死になさい。出来損ない! 第三階梯 『雷撃』ッ!」
サハの腕に纏わりつく様に一筋の紫電が走り、それが茨の様に後を引きながら、真っ直ぐにロズリーヌへと飛んでいく 。
――これで終わり。
だが次の瞬間、
「な、なに!?」
サハは驚愕に目を見開いた。
ロズリーヌが彼女の『雷撃』を躱したのだ。
それも僅かに身体を傾けただけで、あっさりと。
「全く出来損ない、出来損ないと……いつまでも私が同じところで足踏みをしていると思ったら、大間違いですわよ」
ロズリーヌがしゃなりと金色の髪を掻き上げて、驚愕の表情を浮かべたまま硬直しているサハへと微笑む。
その時、サハには見えた。
ロズリーヌの、その瞳の内側で、光彩が金色の光を放っているのが。
「気付いたようですわね。私の魔法、第二階梯『予言悪魔の目』に亅
サハは思わず後退る。
「サハは申し上げます。バカな! そんなに都合よく、上位階梯が開く訳など……」
「ええ、もちろんそんな訳がありませんわ」
「では、なぜ今!」
「うふふ、実はずっと以前から開いていましたのよ、誰にも申してはおりませんけれど」
言っていないというのは、正確ではない。
胸を張って言える様なレベルに無かったというだけの話だ。
そう、ヴァンと初めて口づけを交わした……正確には襲って、唇を奪ったあの日、第二階梯が開いたのだ。
それに気づいたのは翌日の事、独居房で目覚めた朝の事だ。
ロズリーヌは、自分の魔力の上限が上がっている事を発見した。
ほんの僅か……元々魔力の高い者ならば気づかない程度の、髪の毛一本分ほどの数値。
だが、その僅かな差で、ついにロズリーヌの魔力は第二階梯へと到達したのだ。
ヴァンとの口づけ。
それは、おそらくただの切っ掛けでしかない。
偶然だろう。
『第二階梯』が開く目前まで、彼女の魔力は成長していたのだ。
だが、『第一階梯』しか開けない。長い間、そのことに苦しんできたロズリーヌは、ヴァンの事を神格化した。
一度のキスで、自分をその縛めから解放したヴァンを、シュヴァリエ・デ・レーヴルの再来だと確信したのだ。
そして、今に至る。
だが、これは上限値一杯まで魔力を使用して、初めて使える魔法。
まさに魔力を総動員して、なんとか発動できる魔法である。
これを使えば、すっからかん。
事前に一度でも『鷹の目』を発動していれば、その日はもう使用する事は出来ない。
だが、偶然にも今日はここまで、一度も『鷹の目』を使用していなかった。
だから使えた。それだけの話だ。
「サハは申し上げます。しょせん第二階梯! いい気になるな、と」
苛立たしげにそう声を荒げると、
「雷撃! 雷撃! 雷撃!」
サハは次々に『雷撃』を放った。
幾重もの稲妻が空気を切り裂き、酸素が反応してオゾン化した、腐った卵の様な臭いが周囲に立ちこめる。
だが、ロズリーヌはその雷撃を、軽やかにステップを踏んで躱しながら、徐々にサハへと近づいてくる。
「ば、化け物め! ど、どんな魔法なのですか! それは!」
サハは顔を引き攣らせて、後退る。
恐怖の根源。
それは未知である。
何だかわからないものは、恐ろしいのだ。
次の瞬間、
「言う訳無いじゃありませんの。馬鹿ですの?」
気が付けば、眼前にロズリーヌの顔。
ロズリーヌはサハの鼻先に、ズイッと顔を突きつけていた。
「きゃあああああああああ!」
思わず悲鳴を上げて、飛び退くサハ。
ロズリーヌは耳を塞いで、首を竦める
「大声を出さないでくださいまし。そんな化け物を見るみたいな目で見られたら、ワタクシも流石にちょっと傷つきますわ」
「う、うるさい! 来るな! 化け物!」
「あらあら、言葉遣いが素に戻ってますわよ。『サハは申し上げます』っていうの、アレどうしたんですの?」
「や、やかましい!」
ロズリーヌが一歩足を踏み出す度に、サハはあわてて後退る。
やがて、サハの背中が固いものに触れた。
それは、大聖堂の外壁部分。
――追い詰められた!?
サハは壁に背を押し付けて、たじろいだ。
中天から僅かに傾いた太陽が大きな影を落とす大聖堂の裏通り。
彼女の方へと、一歩一歩と歩み寄ってくる金色の巻き髪。
だがその時、サハはハッと気が付いた。
ロズリーヌの目から、金色の光が消えていることに。
――魔力切れ!?
「ふふ……ふふふっ」
サハの口から、思わず笑い声が零れ落ちる。
考えてみれば、当然だ。
自分の時だってそうだった。
上位階梯が開いてすぐ、それを長時間に亘って行使できる魔力など、有る訳がないのだ。
「ふふふ! サハは申し上げます。神は私に味方した。と、第二階梯『雷剣ッ!』」
宙空から降ってきた稲妻が、サハの手に収まると、それは歪な剣を形作る。
だが、ロズリーヌに慌てる様子は無い。
ただ、憐れむ様な顔をして、こう言った。
「じゃあ、あなたの言うその神様は、きっと賭け事がお得意ではないのですわ」
「サハは申し上げます。負け惜しみを言うな!」
「だって、そうでしょう? あなたは既に破れているんですもの」
その瞬間、サハのいるその周辺、そこを覆う影が、まるで泡立つかのように、幾つも盛り上がる。
そして、それが弾けたかと思うと、黒い触手の様に伸びて来て、彼女の腕に、足に、絡みついた。
「なっ!?」
驚愕の表情を浮かべるサハ。
壁面の影から、顔を出したベベットがその耳元に囁きかける。
「死ぬかと思った」
やたら実感のこもったその一言には、何の誇張もない。
実際、一度は心臓を止められたのだ。
「だから……死ね」
感情の起伏のない声音。
その一言に、サハは喉の奥で「ヒッ!?」とくぐもった声を漏らす。
次の瞬間、ズブズブと影の中へとサハの身体が沈み込み始め、途端にサハは泣き喚き始めた。
「イヤだぁ! リズぅ! お姉ちゃん! た、助けてぇ……死にたくな……」
やがて、サハの身体が完全に影の中へと没すると、通りに静寂が訪れた。
静かになれば、再び遠くの方から、ズン! ズン! と、地鳴りの様な戦闘音が聞こえてくる。
ベベットは、大聖堂の壁面を這う影から抜け出して、ロズリーヌのもとへと歩み寄る。
「ほんとに殺しちゃ……ダメ?」
殺されかけたのが、よっぽど腹立たしいのだろう。
ノエルならばともかく、ベベットがこんなに相手を殺したいと強く主張してくる事は、今までに無かった事だ。
だが、ロズリーヌは、ちらりと地面に横たわったままのエリザベスへと目を向ける。
そして、唇を尖らせるベベットをなだめる様に、彼女はその髪へと指を這わした。
「ベベットさんが怒るのも、ご尤もなのですけれど、今回は、あの駄犬へのご褒美として、姉として振る舞う機会を与える事にしますわ」
ロズリーヌは今は亡き母の姿を思い描きながら、そう言った。