第七十六話 犬の矜持II(キャラクターラフデザイン公開その8)
ベベットが意識を失った途端、『暗い部屋』が強制的に解除されて、ロズリーヌとエリザベスの二人は、勢いよく地面へと投げ出された。
「痛ったたた……なんなのよ、もう」
「……ベベットさん!?」
エリザベスが強くぶつけた腰を擦りながら、不満げな声を挙げ、一方のロズリーヌは、地面に横たわるベベットの姿を見つけると、慌ててそちらへと駆け寄った。
うつ伏せに倒れ込んだままのベベットは、ロズリーヌの呼びかけにも反応しない。
ロズリーヌはベベットを抱き起こすと鼻先に指を当てて、途端に今にも泣き出しそうな声を挙げた。
「息をしていませんわ! ベベットさん! ベベットさん!」
「慌てないの! 出来損ない。今ならまだ間に合うわ! アナタも軍人なら蘇生法ぐらいは身に着けている筈でしょ!」
エリザベスのその一言に、ロズリーヌは思わずハの字に眉を下げる。
出来ない訳ではない。
出来ない訳ではないのだ。
確かに学んではいる。
座学としては。
ただ、口から息を吹き込むという行為が恥ずかしくて、あれこれと理由をつけて、実技は拒否し続けてきたのだ。
だが、事、此処に至ってはやるしかない。
早く行えば行う程、蘇生する可能性は上がるのだ。
「ま、まずは気道を確保して……」
ロズリーヌはブツブツと座学で学んだ事を反芻しながら、脱いだ上着を丸めて、ベベットの首の後ろに差し込み、口の中を覗き込む。
舌が喉の奥に落ちて気道を塞いでいる。
指を口の中に入れて舌を引っ張り出した。
「つ……次は鼻をつまんで二回息を吹き込んで……えーと、一分間に百回のペースで胸を圧迫する……だったわよね」
ロズリーヌは、意を決すると、口を大きく開けて、喰いつくようにベベットの唇に自らの唇を重ねる。
今一つたどたどしいロズリーヌの手際に、呆れながらもエリザベスは周囲を見回す。
誰がどう考えても、ベベットは何者かの攻撃を受けたとみて、間違いが無い。
どこかに敵が居る筈なのだ。
注意深く辺りを見回すと、路地の奥から女が一人、ゆっくりとした足取りで、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
そして、その女の姿を見止めた途端、エリザベスは喜色の混じった声を上げた。
「サハ!」
それは、カントの村でともに、第十三小隊を襲ったメイドの一人。
エリザベスにとっては、孤児院から同時に引き取られ、姉妹同然に育ってきた双子のメイドの片割れ。
だが、それで分かった。
ベベットはサハの雷撃を喰らったのだ。
再会の喜び、その感情をグッと胸の奥へと追いやって、エリザベスはサハの姿をじっと見詰める。
通りに姿を見せたサハの目には、蔑む様な色が浮かんでいた。
「サハは申し上げます。リズ、見損ないました。脅されての事とは言え、まさか、命惜しさに大恩あるミュラー公様に毒を盛るとは」
「待ちなさい! サハ! 私じゃない! あなたは勘違いしているのよ」
「サハは申し上げます。勘違い? レオを殺した連中と一緒にいるあなたの現状の、何が勘違いのなのです?」
「私達は騙されていたのよ! コルデイユにミュラー公様が次期当主にしようとしていたのは、この後ろの出来損ないなの! ミュラー公様を殺したのはコルデイユなのよ!」
サハは大袈裟な溜息を吐いて、エリザベスを睨みつける。
「サハは申し上げます。吐くならもう少しマシな嘘を吐くべきですと。誰がどう考えても、優秀なコルデイユ様が次期当主です。コルデイユ様がミュラー公様を弑する理由などありません」
「あなたは騙されているの! 良い子だから言う事を聞きなさい! サハ!」
「いつまでも姉を気取るなッ!」
エリザベスの言葉尻を食う様に、サハが声を荒げた。
「あなたの方こそ第三階梯までしか開けない出来損ないの癖に! 確かに私達姉妹は、あなたに面倒を見られて育ってきた! それは感謝してる。だからこそ私達は、どうしようもない出来損ないでも、あなたの指示に従ってきた。なのになんで、レオを殺した連中を庇う!」
一瞬の沈黙の後、エリザベスは静かに眼を伏せた。
ロズリーヌを散々出来損ない扱いしてきた自分が、仲間から出来損ないだと思われていたという事実に苦笑する。
「サハ……言っても聞かない子には、お仕置きするしかなさそうね」
「サハは申し上げます。あなたには無理だと」
その途端、眼を見開いて、エリザベスは大声を上げた。
「第二階梯! 毒手!」
突如、エリザベスの両腕で、おぞましい緑色の文様が渦を巻く。
彼女は大声を上げたその勢いのままに駆け出し、サハへと迫った。
かすりでもすれば、一瞬で毒に侵される必殺の魔法。
そして、この場面でサハが使うとすれば、第三階梯『雷撃』。
さんざんすぐ傍で見てきた魔法なのだ。
それをワンステップで躱して、懐に入る。
エリザベスの頭の中には、既に戦闘終了までの筋道が見えていた。
だが、
サハは身構えるでもなく、ただニッと口元を歪めた。
不吉な予感が脳を掠める。
次の瞬間、エリザベスの身体を衝撃が貫いた。
思わずよろめいて、足を止める。
そして刹那、金糸をあしらった黒いドレスの胸元が、十字に切り裂かれて、血が噴き出した。
「ああああああぁぁぁぁあッ!」
遅れてエリザベスの喉から、悲鳴が溢れ出し、彼女は膝から崩れ落ちる。
「サハが申し上げます。ふっ……あなた程度に、私が直接手を下す必要などありません。薄汚い毒女」
エリザベスが、苦し気に息を荒げながら、身を起こしてサハの方を仰ぎ見ると、彼女の足元で、二匹の犬の様な生物がだらしなく舌を伸ばしているのが見えた。
「……なによ、あなた。ハァ、ハァ……いつから犬の調教師になったのよ」
「サハは申し上げます。まだ減らず口を叩けるのですね。教えてあげましょう。この二匹はコルデイユ様から下賜された化け物です。世間では、『高速悪魔』だとか、趣の無い名で呼ばれている様ですけれど」
苦し気な息を漏らすエリザベスを見下ろして、サハはニヤニヤと笑う。
エリザベスがロズリーヌの方へとちらりと目を向けると、未だに、唇をおしつけて、ベベットの心肺蘇生を繰り返していた。
ロズリーヌには、攻撃魔法はない。
……仕方ない。
胸の内でそう呟いて、エリザベスは痛む身体に力を込める。
「はあ……折角、綺麗なドレスを貰ってお嬢様気分を味わってたのに、こんなにボロボロにされたら台無しじゃないの」
そんな呟きを漏らしながら、エリザベスはゆっくりと立ち上がった。
「サハは申し上げます。大人しく転がっていれば、命だけは助けてさしあげます」
「残念ながら……そういう訳にもいかないのよ。ミュラー公様に命令されちゃってるのよね。あの出来損ないを守れってね」
その瞬間、サハは眉を跳ね上げて、怒りに顔を歪める。
「サハは申し上げます。戯言は聞き飽きたと。ミュラー公様の名を語るのはやめなさい!」
瞬時に、サハの足元から二匹の獣の姿が消えた。
「クっ……!」
立ち上がったエリザベス。
途端に、その両肩がざっくりと切り裂かれて、彼女は、二歩三歩とよろめきながら後退る。
だが、倒れない。
その場に踏みとどまった血まみれのエリザベス。
肩の布地を切り裂かれた所為で、ドレスがベロリと捲れて、彼女の血まみれの上半身が露わになっていた。
血にまみれた豊かな胸がまろび出る
白い肌に真っ赤な傷。
鮮血がぼとぼとと滴り落ちた。
「サハは申し上げます。ははは、良い恰好です。天下の往来でストリップとは、孤児院育ちの売女の娘にふさわしい最期だと思います」
「……ハァ、ハァ、煩いわね。売女の娘? 自己紹介なんて必要ないわよ」
「商売女に捨てられて父親も分からない様な、あなたと一緒にされるのは不愉快です」
サハは眉を吊り上げて、怒りを露わにする。
そして、再び足元の獣に襲わせようと目を向けたその瞬間、彼女は大きく眼を見開いた。
二匹の獣が、サハの足元で口元から白い泡を吹いて、ピクピクと痙攣をおこしていたのだ。
「『毒』の魔女を舐めんじゃないわよ。ハァ……ハァ……自分の血の中に毒を流すぐらいの事が出来ないと思って? 私に牙を突き立てたが最後、毒に侵されて死に至る」
「エェリィザベスウウウウッ!」
こめかみに血管を浮かび上がらせて、叫びを上げるサハ。
だが、エリザベスも既に限界を迎えていた。
視界の中で、サハの怒りに満ちた顔が二重にぶれる。
足元が消えてなくなったみたいな感触。
意識が白い色に蝕まれていく。
異常なほど長く引き伸ばされた時間感覚。
ああ、このまま死ぬのか、ミュラー公様……お許しください。
エリザベスが頭の片隅でそう考えた途端、倒れゆく彼女の身体を受け止める者があった。
薄っすらと重い瞼を開くと、白く靄の掛かった視界の中で、金色の巻髪が揺れた。
「あなたの犬の矜持。確かに見せて貰いましたわ、あとは私達に任せなさい」
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キャラクターラフデザイン紹介も8人目。
最後は主人公
ヴァン=ヨーク軍曹(15歳)です。
彼については、カラーの分では顔が分からないので、(まあそういうキャラなんですけど)表情パターンも併せて、さくらねこ先生によるラフデザインを公開させていただきます。
かわいい系男子ですね(笑)
彼は、二章後半から三章前半にかけては男の娘なわけですが、この顔なら大丈夫ですね!