第七十三話 さようなら お兄さま(※キャラクターラフデザイン公開その5)
コツコツとヒールの音が石畳の庭に高く響く。
背後に甲冑を纏った男達を引き連れ、まるで夜会にでも赴くかの様な澄まし顔で、深い赤のローブを羽織った女が、門の方へと歩いていく。
「当家にどのような御用でしょう」
鉄柵の向こうに居並ぶ、濃紺の軍装を纏った魔女達を見遣って、赤いローブの女――ブルージュ男爵が淑やかに微笑むと、
魔女達の背後から、一人の男性が静かに歩み出る。
「これは、これはブルージュ男爵様、御身自ら応接いただけるとは恐れ多い事でございます」
言葉の内容とは裏腹に、その態度には恐縮する様子は微塵も見られない。
青白い頬、病的に白い肌の痩せた男。
歳の頃は五十を超えている様にも思えるが、いまひとつ判然としない。
それと言うのも、見た目とは裏腹に、やけに声が高い。
しかも、その声には加齢による擦れの一つも見あたらず、まるで老いた扮装をする若手俳優を思わせた。
「お会いした事は有ったかしら?」
「いいえ、私が一方的に存じ上げておるだけでございます。私はミュラー家の家宰、マルタンと申します。以後お見知りおきを」
家宰。
その単語に、ブルージュ男爵は思わず意外そうな顔をする。
「ほう、ミュラー公は男に家を取り仕切らせておるのですか、これは物好きな……」
「はは、返す言葉も御座いませんな」
ブルージュ男爵のその言葉は、揶揄してのものではない。
女尊男卑の傾向の強いレーヴル王国の、それも三大貴族の一角ミュラー公爵家の家宰が、男性だというのは、相当に意外なことであった。
「ご無礼を承知で本日、大勢で押し掛けましたのは、こちらにマルゴ要塞の第十三小隊が逗留していると、聞き及んでの事でございます」
「それがなにか?」
そう答えながら、ブルージュ男爵は思わず苦笑する。
私兵で屋敷を包囲する事を『大勢で押し掛ける』とは、なかなか面の皮の厚い男だ、と。
「実は当家の主、ミュラー公ジョセフィーヌ様が、昨晩殺害されました。そして、その下手人と申しますのが、お恥ずかしい話、ミュラー家の長女、ロズリーヌ様……いやロズリーヌでございまして」
「ほう、子が親を殺したと……全く生き馬の目を抜く世の中ですね。世も末だ」
ブルージュ男爵は、少々大袈裟に痛ましげな表情を浮かべる。
彼女には分かっている。
マルタンの目がずっと、彼女の表情を観察していることを。
だが、別に気取られて困る様な事は何も無いのだ。
「我々は、逃亡したロズリーヌを追っておりますが、未だ捕えられておりません」
「なるほど、そのロズリーヌとやらの所属は、マルゴの第十三小隊だと、そういう訳ですか……」
「流石、ブルージュ男爵様、話が早い」
無論、わざわざ尋ねるまでも無く、彼女は第十三小隊の面々の事を概ね把握している。
王宮武官の名門ヴィダーラ家の娘や、あの没落貴族アパン家の娘がいる事にも驚いたが、まさか死の十三と揶揄される愚連隊に、ミュラー公の娘がいるのを知った時には、それこそ唖然としたものだ。
「ミュラー公には哀悼の意を。しかし、そのロズリーヌという者はここには戻っておりませんわ」
「こちらにはおいでではないと」
「ええ、そう」
「隠し立てされると、為にはなりませぬぞ」
マルタンの目つきが鋭くなると、ブルージュ男爵はそれを鼻で笑ってこう言った。
「力づくで確かめてみてもかまわない。だが、きっと後悔することになるがな」
◆◆◆
エステルがバルコニーから見下ろすと、ブルージュ男爵が門を挟んで、ミュラー公の私兵達と対峙しているのが見えた。
ここからでは門柱に隠れて、彼女と言葉を交わしている人物の姿は見えない。
「お兄さま、お姉さま方、急いでくださいまし!」
王立士官学校の制服姿のレナードが、開け放った扉の前で、苛立たし気に足を踏み鳴らす。
すでに軍装に着替え終えていたエステルは、最後にいつも通り、髪を左右に結わえ終わると、ぐるりと部屋にいる一同を見回す。
ミーロ、ザザ、ノエル、そして目隠しされたヴァン。
ヴァンが目隠しされているのは、無論、女性陣の着替えのためである。
その目隠しをしゅるりとほどいて、エステルはヴァンの長い前髪の奥の瞳を覗き込む。
「いくわよ」
「は……はい、エステルさん」
不器用に微笑むヴァンに微笑み返すと、エステルはレナードの方を振り返り、声を上げる。
「いいわよ! レナードちゃん」
「では、後をついてきてください!」
そう言って頷くと、レナードは臙脂の制服の裾を翻して、慌しく廊下へと駆け出す。
「行くわよ、みんな!」
エステルのその一言に頷くと、レナードの後を追って第十三小隊の面々は部屋を飛び出した。
長い廊下を走り、角を二回曲がる。
突き当りの階段を駆け下りて、一階の渡り廊下へ。
「あはは! なんか楽しーね! ところで、脱出するって言っても、囲まれちゃってるんだけど? どうすんの?」
ノエルが燥ぐような調子でそう問いかけると、隣を走るザザが、呆れたと言わんばかりに肩を竦める。
「お前……貴族の屋敷だぞ? 脱出経路の一つや二つ用意してて、当然だろう、普通」
「へ? そういうもんなの?」
「お前だって貴族の子女だろうが! なんでそんな事も知らないんだ」
そう言ってしまってから、ザザは理解した。
きっとコイツに脱出経路の存在を教えたら碌なことにならない。
ノエルの両親はそう考えたのだろう。
そう思うとザザは思わず、
「ちょ! ザザ、なんで、そんな不憫なものを見る目でボクをみるのさ」
そういう目をした。
離れの扉を蹴破る様にして中へ飛び込むと、レナードを先頭にバタバタと階段を駆け下りて、地下の葡萄酒の貯蔵庫へ。
レナードが、その重い扉を肩で押し開けると、ひんやりとした空気が外へと漏れ出してくる。
「ここに脱出口があるんです」
エステルが頷くと同時に、レナードは半分ほど開いた扉の隙間からするりと中へと入り込む。
そして、整然と並んだ酒樽、その一番奥の樽へと駆け寄って、それを乱暴に蹴り倒した。
樽の下には、鉄製の梯子が据え付けられた地下へと続く穴が口を開けていた。
大きさは樽の直径より僅かに小さい程度。
一人ずつなら、なんとか通り抜けられる程度の小さな穴だ。
「ここから地下に降りて道なりに進めば、下水道に下りられる筈です」
「下水道でありますか……」
ミーロは僅かに、顔を顰める。
少なくとも、年頃の女性が望んで行きたい場所ではない。
「下水道に降りて西へ進めば、大聖堂へ出る出口がある筈です。ブルージュ男爵様が、大聖堂の教主様に『いざというときには匿っていただけるよう話をつけてある』、そう仰っていましたから」
「なるほど、大聖堂か」
ザザは納得した様に頷く。
大聖堂に祀られているのは、神ではない。
それは、この国の始祖。
つまりシュヴァリエ・デ・レーヴルなのだ。
その再来だと言われるヴァンならば、手厚く受け入れてくれる筈だ。
「レナードちゃん、あなたは?」
エステルのその問い掛けにレナードは、ニコリと微笑む。
「私は残って少しでも時間を稼げる様に、この部屋に鍵を掛けます。大丈夫です。ご心配はいりません。ミュラー公の私兵達も、たかが学生に手を掛ける様な事はないでしょう」
「わかった。気をつけてね」
エステルは一つ頷くと、梯子へと足を伸ばし、穴の奥へと降りていく。
続いてミーロ、ノエル、ザザと続いて穴の中へと消えていくと、最後にヴァンが心配そうな目をレナードへと向ける。
「ご心配は無用ですわ。お兄さま」
そう言ってレナードが微笑むと、ヴァンは一つ頷いて穴の中へと降りて行った。
全員が穴の中へと降りたのを見届けると、レナードは一つ大きな息を吐き、踵を返して貯蔵庫の外へと歩み出る。
そして、扉を閉めようとノブに手を掛けた途端、背後に人の気配を感じて振り返った。
「あら……もうお戻りでしたのね」
「ええ、あっちの子は放っておいても、もう勝手に自滅していくばかりですものぉ、いつまでも一緒に居てあげる必要はないわぁ」
その人物が肩を竦めると、それに合わせて胸元で柔らかな球体が波打った。
「言われた通りにいたしましたけど……。本当にこれで良いんですの?」
「うふふっ、上出来よぉ」
そして、女は揶揄するような調子で、レナードへと問いかけた。
「でも逆に聞くけどぉ、良かったのぉ? 本当に血がつながってるのよ、あなた達兄妹は」
「やめてください。同じ血が流れてるなんて、考えたくも無いですわ。それに私、どうせなら王妹なんかより、女王になりたいんですもの」
そう答えながら、レナードは貯蔵庫のノブを引く。
ギギギと、軋む音を立てて扉は閉じ始め、やがて。
「さようなら、お兄さま」
バタン。
レナードのその言葉を打ち消す様に、大きな音を立てて閉じられた。
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さて五人目は、ついに登場、奇跡のQカップ。
リュシール=リズブール中尉(年齢不詳)です。
軍服も特注ですよね。
これ完全に……前が閉まらないヤツ。
さすが包容力(物理)。