第六十七話 王妹シスター
「マルゴット卿、そのご様子では、女王陛下へのお目通りは叶わなかったようですね」
ブルージュ男爵がそう声をかけると、シュゼットはむっつりとした表情で頷く。
彼女はブルージュ男爵の声音に、ほんの僅かではあるものの、喜色が混じっている事に苛立ちを覚えていた。
だが、それを咎めたところで、何の益も無いこともまた、分かっていた。
「ええ、残念ながら。白百合の儀まで、誰にもお会いになる事は無いと、取り次いで貰う事すら出来ませんでした」
「それはそれは。白百合の儀までという事は、一週間ほどですか。では、その間の宿泊は兵員宿舎で?」
「……ええ」
シュゼットは、僅かに口籠もった。
確かに兵員宿舎に部屋を用意されてはいるが、この状況下において、多くの魔女が生活するそこでは、誰が刺客として襲ってくるか分かったものではない。
シュゼットの取り繕った表情の向こう側にある懊悩を見越したのだろう。
ブルージュ男爵は、大袈裟に頷いて言った。
「しかし、次代の王に兵員宿舎などという、みすぼらしいところでお過ごしいただくのは、些か心苦しい気がしますね。いかがでしょう。我が屋敷にお越しくださいませんか? 王都の屋敷はそれほど大きなものではありませんが、ヴァン陛下はもちろん、小隊の皆さまにも、出来る限りのおもてなしをいたしましょう」
この国の貴族は、自らの領地の他に、王都に屋敷を構えている事も多い。
この提案に、シュゼットは別段驚く事は無かった。
当然、予測の範疇である。
ブルージュ男爵の立場に立ってみれば、折角、懐に飛び込んで来た鳥を、わざわざ手放そうとする筈がないのだ。
おそらくヴァンの機嫌を損なうまいと、手厚くもてなしてくれるであろうし、王権護持派の刺客からも守ろうとしてくれる筈だ。
但し、それも王位の移譲を断ろうとしている事がバレるまでは、という条件がつくのだが。
「それでは、厚かましい話ですが、一つだけ条件を付けさせていただけませんか?」
「条件……ですか?」
「ええ、あなたはヴァンを既に王族の様に扱っていますが、彼は今はまだ私の部下であり、一下士官でしかない。どこに人の目があるか分かったものではありません。目立つような事は避けたいのです。彼の為に特別に部屋を用意する様な事は避けていただきたい。あくまで我が部隊の一将兵として、彼を扱っていただきたいのです」
ブルージュ男爵の眉間が僅かに陰り、シュゼットは胸の内でぺろりと舌を出す。
これを機会に第十三小隊とヴァンを分断し、自分が取り入ろうなどという、そんな見え見えの意図を、斟酌してやるつもりはない。
彼女としては不本意だろうが、余程の馬鹿でもない限り、ここで話をこじらせるよりも、屋敷に誘い込んで機会を待つ方が得策。そういう結論に至る事は火を見るよりも明らかだ。
そして案の定、少しの逡巡の末に、ブルージュ男爵はこう言った。
「結構です。それではあなた方の為に、四人部屋を並びで三つ用意させましょう」
◆◆◆
王宮から二ブロックほど南。
多くの貴族の屋敷が立ち並ぶ区域の一角に、ブルージュ男爵の屋敷があった。
周囲の屋敷と比べて、特に大きな屋敷という訳では無い。
だが、やけに目立つ屋敷だった
とにかく、金ぴかなのだ。
壁面のほとんどに金の意匠が施され、屋敷の玄関には、ブルージュ男爵本人と思われる金の胸像が鎮座する、豪奢ではあるが、どこか趣味の悪さを思わせる屋敷であった。
実際、ロズリーヌは口にこそ出さなかったが、田舎貴族らしいセンスの無さを鼻で嘲笑っていた。
『犀』を中庭の隅に停車させた後、屋敷の三階の奥にクルスとシュゼットで一部屋、その隣にエステル班の四人で一部屋、ロズリーヌ班の四人で一部屋が割り当てられ、各々、部屋へと荷物を運び込む。
「しかし……落ち着かないわね、ここ」
天鵞絨張りのソファーに腰を埋めながら、エステルが溜め息を吐き、ザザが思わず苦笑する。
内装まで、いちいち金ぴかなのだ。
調度品の何もかもが金細工。
とどめは壁面にでかでかと描かれた女神の壁画。
女神の顔立ちはどう見ても、ブルージュ男爵そのひとで、それにもところどころに金細工があしらわれているのだ。
貴族出身のザザでさえ落ち着かないのに、平民上がりのエステルが落ち着ける訳がない。
ましてや、つい先日まで農奴であったヴァンに至っては、汚すのを恐れてか、とにかく部屋の中にあるものに触れないようにと、何もないところに移動して、所在なさげに突っ立っていた。
「で、兎ちゃん、具合はどうだ?」
「自分はもう大丈夫であります」
ザザの問いかけに、ミーロが弱々しく微笑む。
「まあ、無理をする必要はない。今日のところはまだ横になっていればいいさ」
確かに顔色も随分良くなっている様にみえる。
が、今何か動きがある訳でも無いのだ。
無理をさせる必要など、どこにも無い。
各自が荷物をほどいている間に、ヴァンがおずおずとエステルに問いかけた。
「あの……エステルさん、ぼ、ぼくもう女装やめてもいいですよね?」
「うーん、そうね。そろそろ見飽きたから良いかな」
「見飽きた!? ちょ、ちょっと酷くない……ですか? それ」
その時、コンコンとノックする音が響いて、扉の隙間からレナードが顔を覗かせた。
「お兄さま、エステルお姉さま、ザザさま、ミーロさま。レナードはこれで自室に戻りますが、何かございましたら、いつでもお呼びくださいませ」
なるほど、ブルージュ男爵はレナードの王都における保護者という話だったのだから、当然、彼女はこの屋敷で生活していて然るべし、自室の一つもあって当然だ。
「ありがと、レナードちゃん」
「はい、お姉さま。今日はゆっくりお休みになって旅の疲れを癒してくださいませ」
「うふふ、じゃあまた明日ね」
「はい、エステルお姉さま」
エステルとレナードが微笑みあう姿を脇から眺めながら、ザザはエステルの余りのちょろさに呆れ果てた。
その時、レナードが何かを思い出したように、ぱんと手を打つ。
「あ、そうですわ、お兄さま、ちょっとご相談が……」
「え、は、はい」
ザザとエステルが顔を見合わせるのを他所に、レナードに手招きされて、ヴァンが戸惑いながら赤いドレスの裾を引き摺って、廊下へと出て行った。
◆◆◆
「そ、相談って……」
廊下に出てすぐに、ヴァンがそう問いかけると、レナードは扉の向かいの壁面にもたれ掛りながら、神妙な顔をして口を開く。
「お兄さま、私、明日にでも国立士官学校から、籍を抜こうと思っておりますの」
「……はあ」
「はあ、じゃありませんわ」
「……すみません」
そんな事を言われても、ヴァンとしては、正直どう答えれば良いのか、さっぱり分からない。
妹だと言われても今日が初対面。
彼女が国立士官学校の生徒だというのも、今知ったし、ましてや、士官学校がどんなものなのかもわからなければ、そこから籍を抜く。
つまり士官学校をやめるという事が、何を意味しているのかすら、さっぱり分からないのだ。
「お兄さまは王になる身なのですから、しっかりしていただかないと」
「え……あ、はい……すみません」
レナードは腰に手を当て、俯くヴァンの顔を覗き込んで、呆れた表情で溜息を吐く。
「いいですか、お兄さま!」
「は、はい!」
「お兄様のように男性の身では、王位を継ぐ事なんて、本来ありえませんのよ。当然、侮って無礼を働くような輩も出て参ることでしょう。私も王妹となるのですから、お兄さまをしっかり支えて参る事に、専念する所存ですわ」
「え、あ、あの……」
ぐっと拳を握って、決意を語る妹、戸惑う兄。
「ぼ、僕は、お、王様なんて……」
思わず王権の移譲を断ろうとしている事を口走り掛けて、彼は慌てて口を噤む。
シュゼットに、強く口止めされていた事を思い出したのだ。
そんなヴァンの様子に気付くこともなく、レナードはヴァンの目を見据えて尚も一方的に口を開く。
「それと、お兄さま! おモテになるのは結構なことですけれど、エステルお姉さまやロズリーヌお姉さまとお戯れになるのも、ほどほどにしてくださいませ。お二人には、後宮に入っていただけば良いとしても、これから先、お兄さまの正妻の座は近隣諸国との外交において、重要な手札になって参るのですから、くれぐれもご自重くださいませ」
「ちょ、ちょっと、待って……くだ」
「いいえ、待ちませんわ。お兄さまが頼りないんですから、妹の私がしっかりしないといけませんもの」
そう言うと、レナードは急に夢見る様な表情になった。
「お兄さまが王位につかれたら、まずはその地位を盤石のものにしなくてはなりませんわね。まずはお母さまに後見人として王宮に入っていただいて、その補佐にブルージュ卿、筆頭魔術師は叔母様にお願いいたしましょう。氷雪系魔法の第五階梯まで到達されておられる叔母様ならば、誰も文句はおっしゃいませんわ。あとは三大貴族の権力を減じなければなりませんね。恭順するなら良し、さもなければ暗殺という手がありますわね。その他の貴族は、シュゼット中佐をマルゴット伯家の当主に据えて、まとめていただけば良いですわね。あの方はお兄さまの事を随分、気に入っておられるようですから、簡単に裏切る様な事は無さそうですし、精一杯働いていただきましょう」
「レ、レナードさん?」
「あと、私が王妹になるんですもの。お兄さまも可愛い妹が大事でしょう。セネリエ先生と、私をみそっかす扱いした同級生は皆、侮辱罪で投獄してくださいませ。地面に這いつくばって許しをこうなら、命だけは助けて差し上げてもよろしいですけど、できるだけ酷い目に遭わせて後悔させてやってくださいませ!」
暴走する妹。
その頭の中に描かれた未来絵図に、ヴァンは呆然と立ち尽くした。
◆◆◆
同じ頃、同じ屋敷の二階の奥。
ブルージュ男爵の私室。
カンテラの灯りがワイングラスを透過して、床の上に放射状に光が散らばっている。
ブルージュ男爵は並べたグラスに、葡萄酒を注ぎながら、神妙な口調で言った。
「これで、我々の願いは八割方、成就したと思って良いのですよね?」
「ええ、あの少年の身柄を押さえてしまえばぁ、あとは親の愛に飢えた可哀そうな娘達が、口火を切るのを待つだけよぉ」
ソファーに深くもたれ掛った女がそう言って笑うと、それに合わせて胸の膨らみが大きく揺れた。
だが、ブルージュ男爵はグラスの一つを女に手渡すと、すこし不安げな表情を見せる。
「ただ……掻き集められるだけ、掻き集めはいたしましたが、相手はあの三大貴族、そう簡単に事が運ぶとは思えないのですが……」
ブルージュのその不安げな言葉を、女は鼻で嗤った。
「大丈夫ですわよ。どんな狂暴な大蛇でも、獲物を飲み込んでいる最中に掴まえるのは簡単でしょぉ。あなたは最高のタイミングで横から殴りつけてやれば、それで良いんですよぉ。簡単でしょう?」
女はそう言うと、口を付けもせずに、グラスを置いて立ち上がる。
「どちらへ?」
「愛に飢えた娘のところに、親の代わりに愛を注ぎに」
「愛? 毒の間違いでしょう」
ブルージュ男爵が呆れる様にそう言うと、女は僅かに口元を歪めた。