第六十五話 いもうとエンカウント
鬱蒼と生い茂る木々の間、緩やかに続く山道を、けたたましい動力音を響かせて、高速車両が疾走している。
ずんぐりとした立方体のような兵員輸送車両。
LV-05『犀』。
オリーブドラブを基調とした軍用カラーの車体を、道の左右から張り出した枝が擦っては、乾いた金属音を断続的に響かせている。
カントを脱出した後、止まる事無く走り続けて、この夜が明ける頃には王都へと辿り着くというところまで来ていた。
時刻は夜と呼ぶには遅く、朝と呼ぶには早すぎるそんな時間帯。
星の瞬きも数が減って、もし空から見下ろしてみたならば、御者席の左右で揺れるカンテラの灯りだけが、暗闇の中で光る梟の瞳のように見えることだろう。
「アネモネ、交代だ」
操縦桿を握るアネモネの肩を、ザザが叩いた。
ザザの表情が少し申し訳なさそうなのは、実際の交代の時間を一時間ほど寝過ごしたせいだ。
だが、アネモネはそんなザザを責めるような素振りも無く、僅かに微笑んで言った。
「ありがとうございます、准尉。それでは、もうすぐ丘を登り切りますので、そこで代わっていただけますか」
「ああ」
ザザは小さく頷くと、長い銀髪を掻きあげて、車内を見渡す。
カンテラの灯りに薄らと浮かび上がる車内には、第十三小隊の面々と、頭陀袋に身体を覆われて床に転がされている令嬢の姿があった。
御者席のアネモネから順番に名を上げていけば、アネモネの背後にザザ自身。
そして、彼女の足元にはノエルとミーロが横たわっている。
この二人は、既に何度か目を覚ましているものの、未だに歩き回れる程には回復出来てはいなかった。
更にその二人の向こう側には、車体の右側の外壁にもたれ掛って眠る、シュゼットの姿がある。
いや、もしかしたら起きているのかもしれない。
目を開いているのかどうかも判別し難い糸目なのだ。
……とりあえず眠っているということにする。
シュゼットの隣には外壁にもたれ掛って寝ていた筈のクルスが、いつのまにかズルズルと滑り落ちて、大の字になって豪快にいびきをかいているのが見える。
だらしなくはだけたシャツ。その裾から手を突っ込んで、脇腹の辺りを、ぼりぼりと掻いている。
一方、車体の左側へと目を向けると、エステルとベベットがヴァンの身体にしがみついて、その肩を枕に眠っている。
幸せそうな二人の表情とは、対照的にヴァンはなぜか苦悶の表情。
何か良くない夢でも見ているのかもしれない。
ともかく、そこにロズリーヌが参戦していないのを意外に思って見回せば、彼女は、例の令嬢の傍に佇んでいた。
◇
「アナタ……お名前は?」
唐突にロズリーヌがそう問いかけると、令嬢は不愉快気に眉根を寄せる。
「名前なんて聞いてどうするつもり?」
「どうもしませんわよ。別に友達になろうという訳でもありませんわ。あなたがノエルさんにした事は、絶対に許しません」
令嬢は不愉快気にフンと鼻を鳴らすと、小さな声で呟いた。
「……エリザベス」
「なんだか偽名みたいな名前ですわね」
「偽名ですもの」
ロズリーヌは一瞬ムッとして僅かに唇を尖らせたが、偽名だろうが何だろうが、呼びかける際に不自由がなければ良いのだと思い返して、苛立ちを鎮める様に目を瞑る。
「ではエリザベス。お母さまとコルデイユが、現状どう考えているのかを、詳しく話してくださいな」
「は?」
「王都についたら、ワタクシはお母さまを説得してみようと思いますの」
エリザベスは一瞬目を丸くした後、嘲る様に顔を歪めた。
「ばっかじゃないの! 無駄、無駄! アンタはもう見限られているのよ」
「……それでもです。ヴァン様が王位を欲しておられないことを伝えれば、暗殺などという後ろ暗い事をする必要はなくなりますもの。きっと話を聞いてくださると思いますわ」
「ははっ、これだから世間しらずのお嬢様は……」
心底呆れたとでも言いたげに大きく息を吸い込んで令嬢は、声を荒げる。
「王位を欲してないなんて事、誰が信じんのよ! 仮に、仮によ! 今そう思ってたとしても、実際に権力が手に入るとなったら絶対目が眩まない筈ないわよ」
「ヴァン様は大丈夫ですわ」
「だ・か・ら、それをどうやって証明すんのって言ってんの!」
エリザベスは深く溜息を吐いた後、目を閉じて黙り込んだ。
◇
傾斜の緩い坂道を長く登り続けていた『犀』が、ブルリと車体を震わせて輝鉱動力を停止する。
王都を臨む丘の上、あと一刻と経たずに辿り着けるという所に、到着したのだ。
夜の帳が捲れて、丘から見下ろすその先には、王都のシンボルである大聖堂、その尖塔のシルエットが暁の中に揺らめいている。
「ここまでくれば、一安心ですね」
アネモネがそう言って微笑むと、ザザが小さく首を振る。
「いや……むしろ王都に入ってからが本番だ。大っぴらに襲ってはこないだろうが、その分カントの時のように搦め手で襲いかかってくるに違いない。王権を護持したい連中と、原理主義者どもで勝手に潰しあってくれれば言う事ないんだがな」
その時、アネモネが顎をしゃくる様にして、王都へと続く道の先を指し示す。
「……あれはどっちなんでしょうね」
彼女が指し示した先、丘から王都へと続く一本道に目を向けて、ザザは思わず眉根を寄せる。
薄闇の中、そこにはこちらへ向けて駆けてくる、騎馬の一団が見えた。
目を凝らして見てみれば、先頭にいるのは深い赤のローブを身に纏った妙齢の女。
その両脇を固めているのはこの国では珍しい、騎士の装いを身にまとった男の様に見える。
そして、その背後には士官学校の制服である臙脂の上着を羽織った少女が、一人遅れる様に走っていた。
「誰だ?」
「男性の持っている旗の紋章からするとブルージュ男爵家の者の様ですね。あまり良い噂は聞きませんね。見目麗しい男性を侍らせるのがお好きな淫蕩な方だと聞いております。ただ……後ろの学生には見覚えがあります。セネリエ教官の講義で、見かけたことがあります」
ザザが更に質問を重ねようとした途端、
「ふむ、そう来たか……」
いつのまにか二人の背後にシュゼットが立っていた。
「そうとは?」
「たぶん、彼女達が攻撃を仕掛けてくることはないだろう。むしろ王都まで我々を守りながら同行する。そう言ってくる筈だ」
「味方ということですか?」
「いや、そうじゃない。ブルージュ男爵と言えば原理主義者の最右翼だ。尤も原理主義者どもにも色々いてな。馬鹿みたいに純粋にシュバリエ・デ・レーヴル様の再臨を望むものもいれば、王国内のパワーバランスを再編する機会としか捉えていないものもいる。ブルージュ男爵は間違いなく後者だ。ヴァンの後見人になって、陛下が王位をお譲りになった後、三大貴族に取って代わろうという腹なのだよ」
「どうします?」
一応尋ねる形ではあるが、アネモネが殺る気満々の表情で握った拳を目の前に翳すと、シュゼットは思わず苦笑する。
「いや、かまわん。まさかヴァンが王権を返上するつもりだとは思っておらんだろう。後見人気取りで同行させてやれば良い。盾替わりにはなるだろう」
それからしばらくすると、ブルージュ男爵の一団は高速車両の傍まで来て、馬を降りた。
第十三小隊の面々はノエルとミーロ、それにエリザベスの監視として置いてきたベベットを除いて、高速車両を降りてそれを待ち受けている。
面々をぐるりと見回して、ブルージュ男爵が声を張り上げた。
「ヴァン・ヨーク陛下にお目通り願いたい!」
その瞬間、シュゼットは怪訝そうに眉根を寄せる。
陛下という呼称の気の早さに呆れたということもあるが、ヴァンの名を知っているということが意外だったのだ。
カントで襲ってきた暗殺者たちも、魔法を使う男性としか聞かされておらず、ヴァンの名までは知らなかった。
「誰だ、それは? 我々はただ白百合の儀の警護のために、王都へ向かっておるだけだぞ」
不審に思ったシュゼットは、咄嗟に韜晦することにした。
ヴァンは未だに女装したままだ。
口さえ開かなければ、あの紅いドレスの少女がヴァンだと、気づかれる可能性はほとんどない。
ところが、ブルージュ男爵は不愉快気に肩を竦める。
「マルゴット卿、貴卿の不安は理解しますが、それほど警戒していただかなくとも結構です。我々はただ、陛下のご家族をお連れしただけですので」
「家族?」
シュゼットがその言葉の意味を理解するより早く、ブルージュ男爵の背後から、士官学校の制服を身に着けた少女が駆け出してきた。
彼女は、意表を突かれた第十三小隊の面々が身構えるより早く、両手を広げて、ヴァンに飛びつく。
「ああ、お兄様! お会いしとうございました!」
「お兄様!?」
目を見開いて戸惑うヴァン。
それを全く構うことなく、制服姿の少女はその頬を彼の頬にすりつけて、強く強く抱きしめる。
ヴァンは目を白黒させるばかり。
声を上げたのはヴァンの両隣にいた二人、エステルとロズリーヌであった。
「ちょっと! あなた何するのよ!」
「ヴァン様からお離れなさい!」
二人が少女の肩を掴んで、引き離そうとすると、少女は二人をきょとんとした目で眺めて、ヴァンに問いかける。
「お兄様、このお二人はどちら様ですの?」
「あなたの方こそ何なのよ! ヴァンは私の婚約者よ!」
「ヴァン様はワタクシのご主人様ですわ」
「そうなんですの? やはり手が早いのはお父様の血かしら……」
少女の視線がじとっとしたものに変わって、ヴァンは居た堪れなくなって思わず声を上げた。
「え、いや、あの……い、いもうとなんて、僕には……」
ヴァンは鯉のように口をパクパクさせると、少女は薄っすらと目尻に涙をためて一人でうんうんと頷いた。
「ご存知なくて当然ですけれど、半分とはいえ……本当に血を分けた兄妹、たった二人だけの兄妹ですわ」
――たった二人だけの兄妹
その部分をやけに強く発音しながら、彼女はエステルとロズリーヌを威嚇する様に見回し、再び兄の目を覗き込む。
「お母様とお父様に禁じられて、お会いすることも出来ず、会いたいという想いばかりを募らせておりました。私は……私だけは、お兄様のお味方になって差し上げ無くてはと、王都での私の後見人であるブルージュ卿に無理をお願いして、ここまで連れてきていただいたんですの」
確かにヴァンと同じ黒髪、妹だと思ってみれば、顔立ちもどことなく似ている。
妹は言葉を失ったまま突っ立っているエステル達から視線を外すと、シュゼットの方へと顔を向けた。
「シュゼット中佐殿。ヨーク子爵家の長女レナードでございます。中佐殿のご推薦のお陰で、士官学校にて学ばせていただいております」
満面の笑みを浮かべるレナードとは対照的に、シュゼットの表情が曇っていく。
次から次へと起こる予想を上回る出来事に、シュゼットは思わず歯噛みした。