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第六十三話 カントの戦い その10

 薄闇の中に飛び散る火の粉。


 黒く炭化した柱に、真っ赤な炎が蛇のように纏わりつき、黒煙が棚引けば、風に乗って焦げ(くさ)(にお)いが周囲へと満ちていく。


 炎を背景に背負って、歩み出てくる紅いドレスの少年。


 その場にいる者達が一斉に動きを止めて見つめると、少年はその視線を嫌うように、前髪を左右に分けていたヘアピンをかなぐり捨てて頭をふる。


 長い前髪が少年の目元を覆い、それに合わせて赤土の地面に伸びた影がゆらゆらと揺れた。


 呆然と少年の姿を眺めていたシュゼットは、ハタと我に返ると、慌てて声を上げた。


「バカ! 何してるんだ! 逃げろ!」


 令嬢はその慌てっぷりに、この少年の登場が策略の類ではない事を確信して、思わず頬を緩める。


 文字通り尻に火がついて、穴熊が穴の中から出て来た様なものだ。


 放っておけば、怯えて膝をつくか、多少の意気地があれば、逃げ出そうとすることだろう。


 だが、彼女にそれを許すつもりはない。


 そもそもこの少年の抹殺こそが、彼女たちの目的なのだ。


 その為にわざわざヨーク伯の伴侶、ジョルディを焚きつけて、行く手に暗殺者が待ち受けていることを伝えさせ、経路を変更させた。


 罠を張って、このカント以外には宿をとれる町がないというルートに誘い込んだのだ。

 

 令嬢はあらためて周囲を取り囲んでいる配下の魔女達を見渡す。


 指示を出すまでもなく、彼女達は既に少年に指先を向けていた。


 一言指示を出せば、かの少年は光魔法の一清掃射で、人の形を失って崩れ落ちることになるだろう。


 しかし、少年はそれに気づいていないのか、戸惑う様子も無く、ゆっくりとした足取りで歩み寄って来る。


 令嬢がニヤリと口元を歪めると、第十三小隊(トレーズ)の魔女達が口々に声を上げた。


「ヴァン様! 逃げてくださいまし」


「ヴァン! ダメ! こっちに来ちゃダメ!」


 ロズリーヌとエステルの、その悲痛な響きを(まと)った叫びに、少年は足を止めて、彼女達の方へと目を向ける。


 憔悴しきった表情のロズリーヌ、そして、エステルの頬を滴る一筋の血流を目にした途端、少年はギリッと奥歯を鳴らして、令嬢を(にら)みつけた。


「フッ……アホが。自分の置かれた立場を分かってないようね」


 令嬢はさも不快そうに、その視線を受け止めて鼻を鳴らす。


 だが、少年を覆っていた怒気が瞬時に和らいでいくことに気づいて、令嬢は怪訝そうに顔を歪めた。


「……ミーロさんとノエルさんを、あ、あんな目に遭わせて、その上、エステルさんに怪我をさせて、ロズリーヌさんにあんなに悲しそうな顔をさせたのは、あ、あなたですね」


 さきほど睨みつけてきた態度とは裏腹に、少年のその声は穏やかで、まるで事実を確認するかの様な口調。


「フン、だったらどうだって言うの」


「……ゆ、許しません」


 言葉の内容とは裏腹のおどおどした物言いに、令嬢は思わず苦笑する。

 

 馬鹿馬鹿しい。虚勢を張るなら、もう少し堂々としてもらいたいものだ。


 こうなれば問答無用と、令嬢は手を振り上げて、声を上げる。


「これで終わりよ」


「ダメ! ヴァン! 逃げて!」


「やめろおおお!」

 

 第十三小隊の魔女達の悲痛な叫びが響く中で、令嬢はその手を振り下ろす。


 その瞬間、周囲で無数の光が明滅した。


 軌跡など見える筈がない。撃たれたと思ったら死んでいる、それが光魔法なのだ。


 魔法が発動してしまえば、声を上げる間もなく、少年は穴だらけになる。


 その筈だった。


 だが――


 令嬢は思わず片方の眉を、跳ね上げて、(いぶか)しむ様な、驚くようなそんな表情のまま硬直する。


 彼女の視界の中で、少年は小動(こゆるぎ)もせず、何事もなかったかのように目を覆う前髪の奥からじっと令嬢を見詰めていた。


「お前たち! もう一度よ! もう一度撃ちなさい!」


 令嬢が不愉快さを露にして、甲高い声で叫ぶ。


 再び周囲で光が弾けたその瞬間、彼女は見た。


 一斉に放たれた光の矢が、物理法則を無視してねじ曲がり、少年の頭上の一点に、音もなく吸い込まれていくのを。


 目を凝らせば、少年の頭上には闇の中に、闇よりも尚暗い穴が渦巻いているのが見えた。


「ふん、なるほど。光を吸収する魔法ってことね。だったら光魔法以外でとどめをさしてあげるわ。 サハ!」


 令嬢が顎をしゃくると、メイドが一歩進み出て両手を空に向けた。


「第四階梯 雷神の鉄槌ライディーン・ハンマー


 轟音と共に空が明滅する。空を切り裂く様に稲光が走る。


 ところが次の瞬間には、衝撃も何もなく少年の頭上で雷は闇の中へと消えていった。


 これには、令嬢やメイドだけではなく、第十三小隊の魔女達も声を失う。


 少年は呆気にとられる周囲を気にかける様子もなく、指先で頬を掻いた。


「シュゼットさん……。みんなで『(リノセロス)』まで走ってください。ベベットさん達が待ってます」


「お前はどうするのだ」


「だ、大丈夫です。心配いりません。すぐに追いつきますから」


 シュゼットが大きく頷くと、第十三小隊の面々に指示して、村の入り口の方へと走り出す。


 ザザと二人でアネモネに肩を貸して、エステルが振り向くと、ヴァンがニコリと微笑むのが見えた。


「バカが! 逃がすわけないでしょう! 標的変更! 敵魔女どもを一掃しちゃいなさい!」


「……む、無駄です」


 ヴァンのその呟きに動きを止める者はいない。


 第十三小隊の魔女達に、周囲の魔女達の指が向けられる。


 明滅する指先。


 だが、そこから発せられた光は、弧を描く様にして、やはりヴァンの頭上で渦を巻く穴へと吸い込まれた。


 怒涛の勢いで迫ってくる第十三小隊(トレーズ)の魔女に、その行く手で指を翳していた魔女達が顔を引き攣らせる。


 慌てて再び指を向けようとした一人の腹に、クルスのブーツのつま先がめり込んだのを皮切りに第十三小隊の面々は次々と魔女へと躍りかかっていく。


「あっはははは、格闘なんて久しぶりだな! オレはこっちの方が性にあってんだよ!」


「この乱暴者め、そもそもお前は士官学校時代から喧嘩ばっかりで、私がフォローするのにどれだけ苦労したと思っているのだ」


「今、いう事じゃないだろ! それ!」


 何故か言い争いながらも、道を塞ぐ魔女達を次々と殴り倒していくクルスとシュゼット。


 逃げまどう配下の魔女達の姿に、令嬢は唇を噛みしめ、あらためて少年を睨みつけた。


「ああ! もう! なんなのよ! あんた! 何よその魔法は!」


「……混沌たる深淵(カオティックアビス)。全ての魔法を呑み込む深き深淵です」


「はあ? 魔法が使えなくなるってこと? バカじゃないの。魔法を使うことが出来なくても、あんた一人(くび)り殺すぐらい訳ないわよ」


「……や、やってみたらどうです」


 口調とは裏腹の挑戦的な物言い。令嬢は思わず頭に血を登らせた。


 こめかみのあたりでドクンドクンと血管が疼く。


 たかが男の癖に腹立たしい。


 ミュラー公の下で汚れ仕事を一手に引き受け、何百という人間を闇へと葬って来た自分に向かって、たかが男が、か弱い男が、偉そうに挑発してくるなど許しがたい。


「みんながここから逃げたら、手加減する必要もなくなりますから」


「は? 手加減? バカにするのもいい加減にしなさ……え? えっ?」


 言葉の途中から、令嬢は自分の身に起こっている異常に気付いて、思わず声を上ずらせる。


 身体が硬直して、背筋に怖気が走り、がくがくと膝が震えだした。


 見回せばメイドも既に膝をつき、周囲を取り囲む魔女達も次から次へと(うづくま)っていくのが見える。


 驚愕に見開いた目を、少年の頭上へと向けると、そこに渦巻いていた暗い穴が、空を覆う程に大きなものになっていた。


「全ての魔法を呑み込む。そ……そう言いましたよ」


 そうしている間にも、メイドから、周囲の魔女達から、そして自分自身の身体から、鱗粉の様な光の粒が舞い上がって、暗い穴へと吸い込まれていくのが見える。


 ――魔力を吸われている!?


 それを認識した途端、脊髄に口を衝けて吸い上げられる様な激しい怖気が、彼女の体中を駆け巡った。


 視界がチカチカと明滅して、徐々に暗くなっていく。


「……お、男のくせにィいい」


 その恨みに満ちた呟きを最後に、令嬢は意識を暗転させた。


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