第六十二話 カントの戦い その9
「じゃ、今度はこっちの番だな」
空中をゆっくりと旋回する巨大な黒剣。
悪辣な笑みを顔に貼り付けて、クルスがそれへと手を伸ばし、禍々しい彫刻の施された柄を握った。
クルスは自分の身体よりも遥かに巨大な剣を、威嚇するように一振りすると、軽々と肩に担いで、ちらりと右手後方へと目を向ける。
激しく燃え盛り始めた宿屋の建物、紅い炎に照らされる赤土の地面に額をつけて蹲る幼女の姿。そして、それを呆然と見下ろすザザとエステルの姿が見える。
幼女のすぐ側で起き上がろうとしている、黒い影は恐らくアネモネだろう。
どうやら、あっちはケリがついたらしい。
そう考えながら、あらためて令嬢の方へと視線を動かすと、それを遮る様にメイド二人が、クルスと令嬢の間に立ちはだかった。
クルスは呆れる様に肩を竦める。
「おいおい、お呼びじゃねぇよ、こっちの番だって言っただろう?」
この雷系統の二人は、正直言ってクルスの脅威とはなり得ない。
警戒すべきは毒系統。
あの令嬢が第四階梯『毒の息』まで使える様であれば、実際かなり厄介だ。
「サハが申し上げます。舐めるのもいい加減にしてください」
「レオが申し上げます。剣の戦いなら、寧ろ私達に分があります」
「あん?」
――分がある?
クルスが怪訝そうに眉根を寄せると、二人は声を揃えて、宙空に向かって腕を伸ばす。
「「第三階梯 雷剣!」」
その瞬間、雷鳴とともに降って来た稲光を、二人はそれぞれ両手に掴んだ。
質量を持った稲妻は剣というには歪な、ショーテルのような形状に変化して、バチバチと音を立てて発光している。
クルスは感心したとでも言う様に、ヒューと口笛を鳴らして肩を竦めた。
「おもしれぇ、魔剣系統に剣で勝負を挑むたぁ、中々良い根性してんじゃねえか」
「サハが申し上げます。余裕ぶるのもいい加減にしてください!」
「レオが申し上げます。切り刻んであげます!」
途端に二人のメイドは、勢いよくクルスへと飛び掛かってくる。
クルスがそれを見据えて、「フンッ!」と横なぎに剣を振るう。
五メートルにも及ぶ刀身が横なぎに振るえば、間合いになど入れる訳がない、その筈だった。
だが、メイド二人はそれをあっさりと躱して高く跳躍し、二本の稲妻を大上段に振り上げてクルスへと切りかかる。
「「殺った!」」
メイド達が確信した様にそう声を上げたその瞬間、クルスは慌てる様子も無く、剣先をメイドの一人へと向けると、唐突に剣の先端が風船の様に膨らむ。
そして、
「悪いが、こいつは意地汚くてな。とにかく口が卑しいんだ」
と嗤った。
その瞬間、メイドは思わず目を見開く。
唐突に丸く膨らんだ剣先が熟れた果実の様に一気に弾けた。まるで割れ竹の様に、先端から八つに割れて、その奥に暗黒の穴が口を開ける。
まるでイソギンチャクの触手の様に割れた剣先がうねって、宙空に舞う二人のメイドに襲い掛かった。片方は剣を振るってそれを弾き、地面へと逃れるも、もう片方は足を絡めとられた。
メイドは、「ヒッ!?」と、喉の奥に詰まった様な声をその場に置き去りにして、瞬時に暗黒の穴へと引きずり込まれていった。
地面へと逃れたもう一方のメイドは、余りの事に呆然としていたが、突然、目を覚ましたかのように身体を跳ねさせて、声を上げる。
「レオオォォォォ!」
狼狽えるメイドの方へと目を向けて、クルスはニヤニヤしながら、口を開く。
「ハハッ、人喰いってのを比喩か何かだと思ってただろう。まあ、そう思うわな」
「オマエェ! レオをどうした!」
「……なんだよ。普通に喋れるじゃねえか。知らねぇよ。こいつがどこに繋がってんのか、オレにもわからねぇ」
メイドは目を見開き、こめかみに血管を浮き上がらせると、奇声を上げる。
「ブッ、殺オオオオォォォオス!」
その瞬間、唐突にパシン! と乾いた音が響き渡った。
駆け寄ってきた令嬢がメイドの頬を平手打ちしたのだ。
メイドは驚く様な表情で令嬢へと目を向け、そして項垂れた。
「落ち着きなさい、サハ。貴女らしくもない」
「うぅ……申し訳ございません、しかし……レオが」
令嬢はメイドの言葉を黙殺するとクルスをキッと睨みつける。だが、すぐに視線を外すと、クルスではなくその随分後ろにいるロズリーヌへと顔を向けて、口を開いた。
「そこの出来損ないのお嬢様。私達の主が誰かはもう分かっておられるのでしょう?」
「……いえ。ですが、ワタクシを出来損ない呼ばわりするものといえばそうはおりませんわ。お母様ですわね」
「ミュラー公爵……か」
シュゼットが小さく呟く。
「公爵様からの言伝がございますわ。お嬢様、アナタの相続権を剥奪し、勘当するとのことでございます」
その瞬間、ロズリーヌは怯えた様な表情になって、唇を震わせる。だが、弱弱しくも真っ直ぐに令嬢を見据えて口を開いた。
「……かまいませんわ。ワタクシの心は決まっております」
「公爵様からの幾度にも渡る書簡を無視して、この場にいらっしゃる訳ですから、当然ですわよね。今から私達に寝返っても、口利きはいたしませんわよ。貴女のようなお荷物は必要ありませんもの」
「ワタクシがヴァン様を裏切れる筈がありませんわ。お母様は、コルデイユをお選びになる。でも、わ、私はヴァン様に選ばれましたのよ。掛け替えのないものだと仰っていただきましたのよ」
ロズリーヌがそう言った途端に、クルスが令嬢とロズリーヌの間に不機嫌そうに身を差し入れる。
「おいおい、オレのことを放ったらかしにするのヤメてくんない? 戦ってるのはオレ、お前の相手はオレだぜ」
令嬢は呆れたとでもいう様に肩を竦める。
「なぜ私が、今更ミュラー公爵様のお名前を出したかお分かりになって?」
「はァ?」
「あなた方に絶望していただきたいと思いましてね。特に私のかわいいレオを奪ったあなたにはね。そこの出来損ないお嬢様の魔法系統は把握しておりますわ、外に敵はいない? ご冗談。あなた方は既に包囲網のど真ん中にいらっしゃいますわよ」
シュゼットがロズリーヌへと囁く。
「どういうことだ、ロズリーヌ」
「いえ……やはり見える範囲に怪しい者などおりませんわ」
「うふふ、だから出来損ないだと申しましたのよ」
クルスは怪訝そうな顔のまま、視線を令嬢とロズリーヌの間で行き来させる。
「この周囲の家々で普通に生活している村人達、おかしいと思いませんでしたの? 女ばかりですわよ。これが全て暗殺部隊ですわ」
シュゼットとロズリーヌの息を呑む音が響いた途端、今の今まで野次馬の様に隠れて窓を覗いていた村人達が、次々に表へと駆け出て来る。
令嬢がロズリーヌの魔法系統を把握しているというのは事実らしい。
確かにロズリーヌの『鷹の目』は、敵味方の判別をつけるような魔法ではない。そこにいて当たり前だと思う者に偽装されていれば、気づくことなど出来はしない。
「さて、光魔法の使い手ばかりを集めた長距離狙撃部隊を相手に、あなた達が生き延びられる可能性は万に一つもありませんわ」
勝ち誇る令嬢を見遣って、クルスが苦笑する。
「おいおい、光魔法かよ。この数に撃たれたら、チーズみたいに穴だらけだな。おい! シュゼット、とりあえずお前の魔法で何とかしろよ」
「悪いが、時の楔を使っても、私が死ねば無効になる。生き返ることなどできんぞ」
「あ、これホントにヤバいわ」
思わずクルスが天を仰ぐ。その様子をニヤニヤと眺めながら、令嬢は口を開いた。
「私の初めてを奪ったあの男……あの男を差し出せば、あの男とそこの人喰い以外は、命だけは助けてあげても良くってよ」
「……さてね。私もあの子がどこへ行ったかはわからないな」
シュゼットが肩を竦める。
死は免れなくとも、ヴァンが逃げ切るまでの時間稼ぎぐらいは出来る筈、今頃、彼は『暗い部屋』で逃げ切っている筈だ。
「じゃ、仕方ないわね、死になさい」
令嬢がそう言い放った瞬間、緊張感の漂う中に轟音が響き渡る。
燃え盛っていた宿屋が一気に倒壊したのだ。
思わずそちらに目を向けると、燃え盛る宿屋を背景にして、こちらへ向かって、ゆっくりと歩いてくる人の影がある。
燃え盛る炎と黒煙、紅く揺らめく炎が伸ばす長い影。
そこには、炎と同じ色のドレスを纏った少年の姿があった。