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第五十九話 カントの戦い その6

 ヴァンは、スカートをたくし上げて、階段を駆け上がる。


 目も当てられない様なみっともない恰好ではあったが、この際そんなことは気にしていられない。


 階段を昇りきると、廊下の奥、絶望的な表情で膝を抱えるベベットの姿があった。


 ヴァンの足音に気づいたベベットは、ゆっくりと顔を上げた。


「……死んじゃった」


 ベベットは蚊の鳴くような声で呟いて、赤く熱を持った目元を(こす)る。


 ヴァンは静かに歩み寄ると、彼らしくもなく彼女の髪を、わしゃわしゃと乱暴に撫でた。


「大丈夫です、ベベットさん」


 その一言にベベットは大きく目を見開き、ヴァンは力強く頷くと、寸暇を惜しむ様に扉を押し開けて、部屋の中へと足を踏み入れる。


 小さなカンテラの灯り。


 わずかに漂う死の香り。


 途切れた生命がその場に置き去りにした、居た堪れない様な静謐が居座っている。


 ヴァンは、静かに歩み寄ると、冷たい二人の死体を見下ろして唇を噛みしめた。


「……絶対に助けますから」


 ヴァンの背後に立ち尽くすベベットは、呆然とその姿を眺めている。


 ヴァンは大きく息を吸い込むと、階下へと届く様に大声を上げた。


「シュゼットさん! 『時の楔(クロッカウェッジ)』を解除してください!」


 一呼吸の間があって、ノエルとミーロは生と死の間を、継ぎ目なくシフトした。


 生き返ったという訳ではない。


 死んだという事実が追い払われて、(まばた)きする間に、二人の身体に生命が戻ってくる。


「ミーロさん!」


 ヴァンのその問いかけに、ミーロの身体がぴくりと震える。


 だが、見開かれたままの瞳には、全く光がない。


 こんな状態の女性の唇を奪うことは流石に気がひけるが、他に方法は無いのだ。


「す、すみません……」


 ヴァンは覗き込む様に顔を近づけると、静かにミーロの唇に、自らの唇を押し付ける。


 その小さな唇は、水分を失ってひび割れ、そして血の味がした。


 途端に襲い掛かってくる頭痛。


 魂に刻み込まれた魔法が、一度粉々に散って、再び再構成される。


 毒属性の魔法とミーロの吸収属性の魔法が混じりあい、新たな魔法となって、ヴァンの中で産声を上げた。


 これは賭けだった。


時の楔(クロッカウェッジ)』を解除した状態で死ねば、今度こそ、二人の命は永遠に失われる。


 だが、ヴァンはその賭けに勝った。


 容赦なく襲ってくる頭痛を(こら)えて、顔を歪めながらヴァンは二人の服の裾を(まさぐ)り、腹部に手を差し入れる。


「な! なにを……」


 突然、二人の服の中へと手を入れるヴァンに、ベベットは慌てて声を上げた。


 だが、ヴァンはそれを完全に無視する。


 今は一刻の猶予(ゆうよ)もないのだ


 冷たくなり始めている二人の身体。


 その感触に思わず肌を粟立てながら、ヴァンは声を上げた。


毒吸い(サキンポイズン)!』


 おぞましい感触が、腕を伝って這い上がってくる。


 ヴァンの腕の血管を伝って、紫色の液体が心臓に入り込んでくる。


 それは二人の身体を冒している毒。


 それがヴァンの中で、浄化されて消えていく。


 二人の顔色は血の気を取り戻し、弱弱しかった呼吸も静かな寝息に変わって、一定間隔で胸が上下し始めた。


「ふう……」


 ヴァンがちいさく息を吐いて、額に浮かんだ汗を拭った。


「……助かったの?」


「は……はい、でも身体に受けたダメージまで回復しているわけじゃないんです。しばらくは安静にしている必要があると……思います」


 途端にベベットの目から、ボロボロと涙が(こぼ)れ落ちた。


「ノエルぅ……良かった、良かったよぉ」


 ヴァンが静かに微笑みかけると、ベベットはしゃくりあげながら、蚊の鳴くような声で呟いた。


「……何の役にも立たなかった。ごめんなさい。泣いてるだけ……無力、役立たず……」


 ヴァンは、静かにベベットの髪に指を這わせると、笑顔で囁きかける。


「そ、それは違うと思います。ベベットさんが、ロズリーヌさんとノエルさんのことを本当に大切に思っているのは、よく知っています」


 ベベットは、思わず顔を上げた。


「めんどくさい、めんどくさいって言いながら、ロズリーヌさんやノエルさんが、他の人に嫌われないように、立ち回っているのを見てましたから……」


 その一言に、ベベットは驚いた様な顔をした後、再び目を逸らした。


「そ、そんなこと……ない」


 只でさえ真っ赤に熱を持った眼元が、更に赤みを増して、首筋まで朱に染まる。


 二人の間に、形容しがたいどこか恥ずかしい様な、熱を持った空気が居座った。


 それは、決して居心地の悪いものではなかった。


 だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。


「ベベットさん。ふ、二人をお願いします。『暗い部屋(ダークンドルーム)』に(かくま)って、『(リノセロス)』で待っていて……ください」


「お前……ヴァンは?」


「ぼ、僕は皆のところへ、今頃、暗殺者との戦いになっている筈なので……」


 実際、先ほどから階下では、叫び声や何かが爆発する様な音が響いている。


 ヴァンが立ち上がりかけると、ベベットが指先でヴァンの紅いドレスの袖口を引っ張った。


 思わずベベットの顔を覗き込むと、彼女は恥ずかし気に、身を(よじ)りながら小さな声で(ささや)いた。


「……その魔法じゃ戦えない、だから――」


 ベベットはグッと身体を伸ばすと、ヴァンの首筋に腕を回して、その唇に自分の唇を押し当てる。


 突然のことに驚いて、思わず目を見開くと、ベベットははにかむ様に小さく微笑んだ。


「――お礼、ノエルの」


 再び、ヴァンの中で魔法が砕け散って、新たな魔法へと再構成される。


 頭痛に顔を歪めるヴァンに、ベベットは心配げに問いかけた。


「……どう? 戦える?」


 ヴァンは自分の中に発生した、新たな魔法を確認して、思わず顔を引き攣らせる。


「十分です……これは……すごく凶悪な魔法になりました」


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