第五十一話 渦中の人
ロズリーヌの瞳の中、光彩を囲む様に、茨の様な文様が浮かび上がっている。
「あらあら、案の定ですわね」
ロズリーヌの視界に映っているのは、シュゼットの執務室。
執務机の向こう側に悠然と腰掛けるシュゼットに、肩までの黒髪を油で撫でつけた、特徴的な髪型の女性が激しく詰め寄っているのが見えた。
「あはは、もしかして、さっき言ってた通りになってんの?」
「ええ、サザランド中尉がブチぎれてますわ」
ロズリーヌ達が自室に戻ってきて、約一時間後の事である。
ベベットとノエルが並んで二段ベッドの下段に座り、ロズリーヌが向かいのベッドの梯子にもたれ掛っている。
今日配属されたばかりの新人――アネモネは、ドアの脇に立って表情も変えずに、ロズリーヌの方に視線を向けている。
そして、なぜかロズリーヌ班では無い筈のザザが、テーブルセットで足を組んで、ギシギシと椅子を軋ませていた。
「では、女王陛下からの書簡の内容は……」
「ええ、来月の『白百合の儀』。その護衛に我々、第十三小隊を派遣せよというご指名で間違いないでしょうね」
ロズリーヌがそう言って頷くと、ザザは小さく肩をすくめる。
「『白百合の儀』の護衛任務は例年、第十一小隊が独占しているからな。それを我々、問題児集団に持っていかれたとなれば、サザランド中尉の面子は丸つぶれだ。それは怒るだろう」
「独占と言っても、あれは第十一小隊の方々が、『白百合の儀の護衛任務は、爵位の高い者が集まる、我が第十一小隊にこそ相応しい』、そう言い張っておられるだけですわ」
「抗議するのも面倒」
ロズリーヌの揶揄する様な言葉に、ベベットが辛辣な一言で同意する。
「あはは! でもさ、でもさ、わかんないんだけど。陛下はなんで、ボクらを指名したの?」
能天気なノエルの疑問に、ザザが静かな口調で答える。
「正確にはボクらでは無いな。ヴァン君だよ。おそらく『王権護持主義者』と『原理主義者』が王都で蠢動し始めているんだろう。それに対して、女王陛下が手を打とうとしているということだ。まあ、陛下のお考えが、王権の返還なのか、偽物としての誅殺なのかまでは分からんが……」
「ザザ……何言ってんのか、全然わかんない」
「ザザ……それじゃ、バカにはわからない」
ノエルが口を尖らせるのと同時に、ベベットがザザに非難するような目を向ける。
ザザはガクリと肩を落とすと、助けを求める様にロズリーヌに視線を泳がせた。
「ノエルさん、ワタクシが説明しますわ。ザザさんのお話の、どの部分が分かりませんでしたの?」
「あはは、えーとね……まず、げんりしゅぎしゃって何?」
――そこからか……。
ザザが思わず眉間を押さえて、頭を垂れる。そんなザザの様子を他所に、手慣れた調子でロズリーヌが説明を始めた。
「ノエルさん、『建国譚』をお読みになられた事は?」
「あはは、ない……と思う」
通常、幼年学校で教えられる内容である。
下級とはいえ、貴族階級の出身であるノエルが、読んでいない訳はないのだが……。
「『建国譚』というのは、シュヴァリエ・デ・レーヴル様の伝承を纏めた王国誕生までのお話ですわ。原理主義者というのは、その『建国譚』に書かれている事を根拠に、現在の王室は仮のもので、王権を預かっている只の番人に過ぎないと主張する方々なんですの」
「えー、そんな事言っても、怒られないの?」
「もちろん、表立っては言わないですし、行動もしませんわよ」
こんなことが良くあるのか、ロズリーヌは慣れた調子で、まるで講義でもするかのように、話を進める。
「『建国譚』によると、シュヴァリエ・デ・レーヴル様はお隠れになる直前に、側仕えの一人、ミラという女性にマルクという姓を与え、後を託したとされています。現在の王室は、このミラという女性の血統ですわ」
「目印? あはは、変なの!」
楽し気に笑うノエルに、ロズリーヌは思わず眉を顰める。
「王室の姓ですから、間違っても他所で、変とか言わないでくださいね、ノエルさん」
そう言って、ロズリーヌは仕切りなおす様に、軽く咳払いをした。
「ともかく、その話から、王権はシュヴァリエ・デ・レーヴル様が預けただけで、現在の王室は只の管理人に過ぎない。シュヴァリエ・デ・レーヴル様の正当な子孫を探し出して、王権を返還すべきだ。そう主張する方々の事を、原理主義者と呼びますの」
「うーん、辻褄は、合ってる様な気がするね」
「確かに、言わんとする事は理解できますわ。問題はそこに権益が絡んでくることですの」
「権益?」
ノエルが首を傾げる。
「貴族の中にも隆盛の家もあれば、衰退の家もございますわよね。シュヴァリエ・デ・レーヴル様の子孫を見つけて、その後ろ盾になれれば、それは衰退の家にとっては隆盛に転じる好機だというのは、分かりますわよね」
「うん、分かるけど……それが陛下が第十三小隊を指名してくるのと、どう繋がるのさ」
ここまで言ってまだ分からないかと、ザザは呆れて天井を見上げる。
だが、ロズリーヌは、こういう事に慣れているのか、ノエルの質問に我慢強く答えた。
「以前からヴァン様が、シュヴァリエ・デ・レーブル様の再来だという噂が流れていますけれど、帝国の侵攻を退けた事で、おそらくその噂は王都にも伝わっている筈ですわ。そして、その噂を聞きつければ、原理主義者達は、ヴァン様を担ぎ出そうと画策するに違いありませんわ」
そして、ザザが話を引き継ぐ。
「そう、それを見越して、陛下は原理主義者達に取り込まれる前に、ヴァン君に会おう。そうお考えになられたという訳だ」
「なるほどぉ! じゃあさ、じゃあさ、女王陛下は会ってどうするつもりなの」
ノエルは大袈裟に手を打つと、興奮気味に質問を重ねる。
「それは……わからない。シュヴァリエ・デ・レーヴル様を顕彰する式典『白百合の儀』に合わせての面談ということだから、王権の返上を宣言されるつもりの様に思える……が、今の王室の下で勢力を伸ばしてきた、三大貴族や王権護持主義者達が、黙っているとも思えないからな」
「ロズリーヌは三大貴族の一角でしょ、どうなの?」
ノエルのその問いかけは、ロズリーヌにとって非常に不快なものであったらしく、彼女は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「家がどう考えているかは、知りませんわよ。ただ、ワタクシはヴァン様が望まれることを為すだけですわ」
「陛下の下へヴァン君を送り届けて、それからどうなるのかは正直、私にも全然想像がつかない。だがはっきり言えるのは、王都に辿り着けば、あの少年を害しようとするものと、すり寄ってくるもので大行列が出来るという事だ。そして私達は、それにおもいっきり巻き込まれる。そういうことだ」
ザザがノエルの鼻先に指を突きつけてそう言うと、ノエルはにんまりと笑った。
「それは、ちょっと楽しそうかも」
「……面倒臭い」
いつの間にか、ノエルの膝を枕に横たわっているベベットが、小さな声でそう呟いた。
「いずれにせよ、今、この国は大きく揺れ動き始めてる。しかもその渦の中心にいるのは、あの大人しい少年ということだ」
そう言いながら、ザザは一言も発せずに佇んでいる、アネモネの方を注意深く観察していた。