第五十話 問題児で戸惑う、問題児じゃなくて戸惑う。
一台の高速車両が、マルゴ要塞へと続く山道を走っている。
LVー10『豹』。
LVー03『山猫』の後継型の車両ではあるが、外見的には原型を留めていない。
優美な流線形の車体を持つ、二人乗りの四輪車両である。
速度を若干犠牲にする形ではあるが、『山猫』の
最大の欠陥であったクッション性を、多少の長距離走行に耐えられる程度には、向上させた一台であった。
「お誕生日のプレゼントにコイツをねぇ……金ってのは有る所には有るもんだな」
「末娘ですから……。与えてくるのです。頼みもしないのに」
「あらま、ドライだこと」
御者席で操縦桿を握っているのは、少女。
十四という歳の割には大人びた凛とした佇まい。釣り目がちの瞳に、左目の下に泣きぼくろ。栗色の髪はストレートのセミロングで、片目が髪で隠れている。
纏う雰囲気そのものは上品だが、そこには貴族らしい緩さをつゆとも感じさせない。
例えるなら武人。少女はそんな雰囲気を纏っていた。
一方、助手席でダッシュボードに足を投げ出して、背もたれに深くもたれ掛っているのは、二十代も半ばを過ぎた女性。
ぼさぼさに伸びたこげ茶色の髪は、櫛を通した気配もなく、数本の髪の毛が切れた弓の弦の様に飛び出して、車両の振動にあわせて揺れている。
造形は決してまずくはないのだが、肌は不健康にくすみ、目つきは虚ろな酔眼。
化粧っ気のかけらもない顔は、ぽってりと厚めの唇だけが、女性らしさを、わずかに主張していた。
容姿は似ても似つかないが、こうやって並ぶと、まるでよからぬ薬物の使用前、使用後の様にも見える。
「大尉殿。そろそろマルゴ要塞に到着いたしますが」
「いやー助かったぜ。マルゴなんてド田舎への転属命令が来た時にゃ、面倒くさすぎて、危うく退役を申請しかけたぞ」
そう言ってこげ茶色の髪の女がからからと笑う。
だが、少女の返事は素っ気ない。
「セネリエ教官から、首根っこ捕まえて引っ張っていけと、言い含められておりますので」
「ははッ、おばちゃん、相変わらず世話焼きだねぇ」
「ところで大尉殿」
少女の声のトーンが、いきなり下がった。
「なんだい嬢ちゃん」
「あなたは何故、放蕩者を装っておられるのです?」
少女のその問いかけに、女は腹を抱えて笑い始める。
「ははははは、装ってるか、こりゃいいや」
「まあ、話したくなければ、それはかまいませんが、私の目は節穴ではありませんので」
確信めいた少女の物言いに、女は困惑するような表情で呟いた。
「いやぁ……節穴だと思うけどなぁ」
◆◇
第十三小隊の面々は、昼食をとってすぐ、シュゼットの執務室に呼び出されていた。
呼び出された理由は言うまでもない。
昨日話に上った通り、新規の配属があるからだろう。
ヴァンがちらりと盗み見ると、表情の読み取れないベベットを除いて、皆、どこか期待するような表情をしていた。
「ずいぶん待たせてしまったが、貴様ら第十三小隊の後任の小隊長が決まった。あと、ついでと言えば語弊があるが、新人が一人配属になる」
シュゼットが一同を見回しながらそう言うと、ラデロが扉を開いて「入り給え」と声を掛ける。
だが、入ってきた人物を見て、皆一様に眉を顰めた。
だらだらした足取りで、髪を掻きながら入ってきたのは、ぼさぼさに伸びたこげ茶色の髪の女
ブレザーも纏わず、シャツのボタンも互い違い。
何より、酒の臭いがぷーんと鼻を衝いた。
場末の酒場のカウンターで酔いつぶれていた女を、そのまま連れてきたと言われた方が、まだ納得がいく。
その後をついて入ってきた少女が、皆の意識から完全にフレームアウトしてしまうほどのインパクトであった。
皆の様子に苦笑しながら、シュゼットが茶色の髪の女を紹介する。
「彼女が小隊長に就任する、クルス大尉だ」
「職務中に飲酒される様な方を、隊長として奉じろとおっしゃるんですの?」
呆れる様に口を開いたのは、ロズリーヌ。
あからさまに鼻をつまみながら、顔を顰めての問いかけである。
それに対して、応じたのは件のクルスであった。
「おいおい、パツキンの姉ちゃん。妙な言いがかりはよしてくれよ。オレは生まれてこの方、職務中に酒なんて、一滴たりとも呑んだことないぜ」
「パ……パツキン。それだけお酒の臭いをぷんぷんさせて、よくおっしゃいますわね」
「職務が始まる直前まで呑んでただけさ。まあ、たぶん午後になったら二日酔いで、「あ」とか「う」しか言わねえから、聞きたいことがあったら、今のうちに頼むわ」
第十三小隊の面々は、一斉にシュゼットに非難の目を向ける。
シュゼットは、すかさず目を逸らし、皆の視線には気づかなかったフリをして、
「皆、何を聞いて良いのかわからんのだろう。クルス、自己紹介を頼む」
と話を振った。
「自己紹介? しゃーね―な。クルスだ。ちょっと前まで少佐だったが、まあいろいろあって今は大尉だ。好きなものは酒。それと男、特に年下のかわいい男の子を、一晩かけて食い散らすのが大好きだ」
その言葉を聞いた途端、エステルとミーロ、ロズリーヌの三人が、ものすごい表情でヴァンの前に立って、彼を背後に隠した。
「あらま、過保護だこと。まあ安心しな。オレは女もイケる」
「何をどう安心しろと!?」
エステルが思わず声を上げた。
「オレと一晩一緒に過ごせば、天国に連れて行ってやるってことさ」
絶句する第十三小隊の面々の顔を眺めて、ラデロがシュゼットに囁きかける。
「中佐、想像をはるかに上回る酷い人物じゃありませんか……。ヴァン君の健全育成に、悪影響を及ぼすと思わなかったんですか?」
「……母親か貴様は」
「それを貴女が言いますか?」
ラデロのツッコミをスルーして、シュゼットは第十三小隊の面々に向かって口を開く。
「とりあえず、クルスには、ヴァンには一切手を出さない様に言い含めてあるから安心しろ。他の者は頑張って自分で貞操を守れ」
「「「「「だから何をどう安心しろと!?」」」」」
皆が驚愕の表情を浮かべる中で、完全に忘れ去られていた少女が口を開いた。
「中佐、そろそろ私の事も、ご紹介いただけませんでしょうか?」
「あ、ああすまん。紹介しよう。ロズリーヌの班に配属になるアネモネだ」
少女は、ぐるりと一同を見渡して、深く頭を下げた。
「アネモネと申します。階級は軍曹。士官学校出立ての若輩者でございますので、至らぬところも多々あるかと存じますが、何卒、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします!」
「……ど」
「ど?」
ノエルが驚愕の表情のまま声を漏らすと、アネモネが不思議そうに首を傾げた。
「どうしよう! ロズリーヌ! ビックリするぐらいマトモな子が来ちゃったよ」
「お、落ち着きなさい、ノエルさん。士官学校を卒業してすぐに第十三小隊に配属されるぐらいですもの。なにかとんでもない欠陥があるはずですわ」
「真面な事に戸惑うって、どうなんだお前ら……」
オロオロする二人を眺めながら、ラデロが溜息を吐いた。
なんとも言えない微妙な空気の漂う執務室。
そこで突然、クルスが思い出した様に、ポンと手を打つ。
「ああ、そうだ、忘れてたわ。シュゼット、アンタに手紙を預かってきたんだったよ」
そう言って、クルスはズボンの尻ポケットに手を突っ込み、くちゃくちゃになった封筒の様なものを取り出した。
「お前……預かりものをその扱いは酷くないか? くちゃくちゃだし、なんか生暖かいし……で、誰からの手紙だ」
「マルちゃん」
「マル? マル マルグレテ……って! 貴様ァ! 女王陛下からの勅命ではないか!」
流石のシュゼットも、これには驚愕の色を隠せない。
「お前! これはシャレにならんぞ。それに、なんで黄ばんでるのだ!」
「いやあ、昨晩、つまみ広げる皿が無くてさ」
その日、クルスは独居房入りの最速記録を打ち立てた。
◆◆
執務室に一人残ったシュゼットは、丁寧に皺を伸ばした、女王からの勅命を記した書簡を、真剣な表情で見つめていた。
その表情には懊悩が、色濃く浮き出ている。
その時、バタンと乱暴に扉が開いて、彼女の姪――マセマー=ロウが、能天気な声を上げて飛び込んで来た。
「ねぇねぇシュゼ! マルゴットの実家に、他の国出身のメイドがいたよね。魔女じゃない人。ヴァン兄ィにキスして貰って、魔女になっちゃうかどうか実験したいんだけどさ。こっちに呼び寄せられない?」
シュゼットは、苦いものでも口に入れた様な表情でこう答えた。
「呼び寄せる必要は無くなったぞ」