第四十九話 原理主義者
夏の終わり。
はらはらと、木の葉の舞い散る音が、秋の訪れを告げる。
季節は突然入れ替わる訳ではない、静かに、ゆっくりと巡っていく。
色づくマルゴ山脈の麓にも、未だ夏の名残を惜しむ様に、点々と青い葉を残すところもある。
「いい天気でありますねー」
「そうですねー」
暑くもなく、寒くもない昼下がり。
ミーロとヴァンは、帝国の方角を眺めながら、のんびりとした空気そのままに、目を細めて囁きあう。
肩の力の抜けたその有様は、もはや熟年夫婦の域に到達しかけている。
帝国の大規模侵攻から、早、一ヵ月。
大量の損失を受けた帝国が、早々に襲って来れる筈もなく、マルゴ要塞は至って平和であった。
本日二人に割り当てられたのは、城壁からの監視任務。
マルゴ要塞西側の監視である。
『炎龍轟来』の魔法によって完全に変わってしまった地形は、防衛的には有益なのでそのまま残され、空中戦艦の残骸は撤去された。
聞いた話によると、残骸は素材レベルで分解され、使用できるところは再利用するらしい。
ミーロが視線を少し上に向けたかと思うと、思い出したように口を開いた。
「そう言えば明日、第十三小隊に新規で配属があるらしいであります」
「後任の小隊長さんってことですか?」
「はいであります。それともう一人。ラデロ少佐がそうおっしゃっていたであります」
「へー、良い人だったら良いですねー」
「良い人だったら良いでありますー」
高さを増す秋の空。
ヴァンとミーロは二人、遠くの雲を眺めながら目を細めた。
◇◆
「中佐、やっぱりあの人選には問題があるのではないかと……」
ヴァンとミーロのいる位置の真下。シュゼットの執務室では、今まさに配属される予定の人物が、話題に上っていた。
「毒をもって毒を制すという意味では、間違いでは無いだろう? 問題児集団を率いられるのは、やっぱり問題児だと思うがな」
「どんな理屈ですか……それは」
向かいのソファーで、あっけらかんと言い放つシュゼットに、ラデロは思わず肩をすくめる。
「まあまあ、中央の資料室の番をさせとくには、惜しい人材だよ、あいつは」
「あの酔いどれクルスが、中佐の同期だったとは知りませんでしたけど……。ヴァン君が心配じゃないんですか?」
「大丈夫だ。ヴァンに手を出したら、一族郎党根絶やしにすると、ちゃんと伝えてある。私はそっちよりも、お前が捻じ込んで来た、もう一人の方が心配なのだがな」
「……一人ぐらい真面なのが居ないと、回る物も回らないですから」
ラデロが少し困惑するように言うと、シュゼットはひらひらと手を振る。
「違う違う、そうじゃない。真面なのが壊れる方の心配してるのだよ。ラデロ、お前の実家が、最も期待を寄せている若者なのだろう? そいつは」
「ええ、我がガーリン家の期待を一身に背負う人材です。実際、士官学校を断トツの成績で卒業した秀才ですし」
「なら尚の事だ。中央に根回しして、安全なポストでも確保してやった方が良いんじゃないのか?」
「まあ、それを喜ぶような人間ならそうしますが……ね。身内から与えられて、あの子が喜ぶのは試練ぐらいのものです」
「何だ、それは?」
「……まあ、実際に会ってみればわかります」
歯切れの悪いラデロの物言いに、今度はシュゼットが困惑するような顔をした。
◇◆
交代の時間が来て、ヴァンとミーロが食堂に辿り着くと、わいわいと騒がしい食堂の一角に、第十三小隊の面々がすでに集まっていた。
別段、小隊で集まって夕食をとるという決まりがある訳ではないのだが、エステルとロズリーヌが、張り合う様にヴァンと一緒に夕食をとろうとする所為で、結果、第十三小隊は、全員で夕食をとる様になっていた。
「お、おそくなりました」
「お、お疲れ様でありますー」
ヴァンの姿が見えるや否や、エステルとロズリーヌの二人がぱたぱたと駆け寄ってきて、それぞれヴァンの右手と左手に腕を絡め、互いのことを忌々しそうに睨みあう。
もちろんミーロのことなど、目に入っていない。
「ヴァーんん、お疲れぇ。ねぇねぇ聞いて、今日ね、ラデロ少佐ったらね……」
「ヴァン様ぁん、さぁさぁお疲れになったでしょう。今日、ワタクシ達は東側の哨戒任務でしたのですけど……」
と、二人はそれぞれにヴァンに語り掛ける。
だが、これはいつもの事。
ヴァンが戸惑っている内に二人が言い争いを始め、見かねたミーロが「ヴァン准尉が困っておられるであります!」と説教を始めるところまでが、ここしばらくのお約束である。
世間的な目で見れば、エステルはヴァンの婚約者であり、ロズリーヌは只の横恋慕でしかないのだが、彼女に一歩も引く様子は見られない。
「ロズリーヌ! アンタねぇ! ヴァンは私の婚約者なの! 手を放しなさいよ!」
「何を仰ってるのかしら? ヴァン様はワタクシに、どちらかなんて選べないと仰ったんですわよ。つまりアナタでなくてワタクシでも良いということですわ」
「あ、あの、ふ、二人とも、お、落ち着いてくだ……さい」
今日も早速始まった言い争いに、ノエルが苦笑する。
「あはは、毎日毎日懲りないねぇ」
「……よくやる」
「全くだ。若干ヴァン君が気の毒にも思えるが、あれも自らが撒いた種だからな、まあ、仕方あるまい」
ノエルとベベットそれにザザは、我関せずとさっさと食事に手を伸ばす。
もはや、止めに入るつもりもない。
だが、今日に限ってはいつもと違う展開が待っていた。
ミーロが説教を始めるより先に、エステルとロズリーヌを怒鳴りつけた人物がいたのだ。
「お前達、黙ってみていれば、なんという無礼千万! 万死に値するぞ」
そう言って二人を睨みつけたのは、肩までの黒髪を油で後ろに撫でつけた大柄な女性。
歳の頃は二十代半ばといったところで、睨みつけてはいるが、その目つきには、どこか良家の子女らしい上品さがにじみ出て、迫力に欠けている。
第十一小隊の小隊長、サザランド中尉であった。
「いきなりなんですの、外野は黙っててくださいませんこと」
「そうよ! これは私たちの問題なの。第十一小隊には何の関りもないでしょ」
いきなりの乱入者に、言い争っていた二人が一斉に噛みつく。
だが、サザランドはそれを見下すようにフッと鼻を鳴らすと、突然、ヴァンの前に跪いた。
「シュヴァリエ・デ・レーヴル様、アナタにこんな問題児ばかりの小隊はふさわしくございません。どうぞ、わが隊にお越しください」
突然の出来事に、ヴァンだけでなく、周囲の人間も一斉にぽかんと口を開けて固まった。
だが、そんな周囲の様子を気にかける様子もなく、サザランド中尉は片膝をついたまま、恭しくヴァンの手を取る。
「我が第十一小隊は、正にシュヴァリエ・デ・レーヴル様の御代より続く、名門の家柄の人間ばかりでございます。その高貴なる御身を、第十三小隊などという、どこの馬の骨ともわからぬ連中に預けているのは、もう耐えられません」
呆気に取られていたエステルが、我に返って声を荒げる。
「あ、あんた何言ってんの! ヴァンはシュヴァリエ・デ・レーヴル様なんかじゃ無いわよ! 私の婚約者なんだからッ!」
「黙れ端女! 平民の分際で増長するにも程があるぞ。シュヴァリエ・デ・レーヴル様のお優しさにつけ込む奸賊が!」
「奸賊だの、端女だの、言ってくれるじゃない!」
顎を突き出すように、詰め寄るエステルを小煩さそうに眺めた後、サザランドはヴァンの手の甲に口づける。
「我が隊にお越しいただければ、シュヴァリエ・デ・レーヴル様に身も心も捧げ、王位奪還に尽力させていただくことをお約束いたします」
サザランドにじっと見つめられて、ヴァンは盛大に目を泳がせて戸惑う。
そして余裕のないままに、ヴァンは頭に浮かんだことをそのまま口走った。
「す、すみません……けど、ご飯が食べたいので……お腹すいてるので……」
その瞬間、サザランドが、飼い主に突然叱られた犬みたいな顔をして硬直した。
途端にエステルが、「ブフウウウッ!」と噴き出し、ロズリーヌが口元に手を当てて、必死に笑いを堪える素振りをみせる。
サザランドはぷるぷると肩を震わせて、エステルとロズリーヌを睨みつけた後、ヴァンの手を放して立ち上がる。
「わかりました。今日のところは引き下がりましょう。私が申し上げましたこと、ご検討いただけます様、誠心よりお願い申し上げます」
そう言って、ヴァンに一礼すると踵を返して、食堂を出て行った。
「なんなのよアレ!」
「たぶん、ワタクシ達に襲撃されたのを未だに根に持っておられるんですわ。気位だけは高い方々ですからね。ワタクシ達からヴァン様を奪って、うっぷんを晴らしたいとでも思っておられるのでしょう。本当に愚かですわね」
エステルとロズリーヌだけではない。
一部始終を見ていた周囲のテーブルからも、サザランドの行動を揶揄する様な話声が、漏れ聞こえてくる。
だが、ザザとベベットは真剣な表情で目を見合わせた。
「……原理主義者」
「ああ、これは良くない風向きだぞ」