第四十話 好きになっちゃったんだもん
「愛の力って……よくもまあ、そんな乙女な発想が出てくるもんだね。なに? シュゼ、まだ大スペクタクルロマンスとか読んでんの? あの「ア」の羅列ばっかりのやつ。ほら、実家の書庫に大量に隠してたじゃん」
「ちょ!? おま!? やめろッ! こんなところで、そんな話をするんじゃない!」
シュゼットは素早く駆け寄って、マセマーの口を塞ぐと、羞恥に顔を染めたまま、ギロリと周りを睨みつける。
――イエス、マム! 我々は何も、聞いてません!
事務官たちは、全力で目を逸らし、床に転がったままのルルとリルは、わざとらしくも耳を塞いで蹲った。
よく訓練された兵士達である。
「お、お前、一体何しに来たのだ! こんな時に!」
「ぷはっ! こんな時だからに決まってんじゃん。折角、かわいい姪っ子が悩める叔母さんに良い話を持ってきてあげたっていうのに、扱い悪いよ! もう!」
口を塞いでいた手を払いのけると、マセマーはシュゼットに詰め寄って、口を尖らせる。
「良い話だと?」
「そう、良い話。シュゼご執心のあの子の話だよ。外で荒ぶってるの、あれ、あの子の魔法なんでしょ?」
「たぶん、そうだ」
「ちゃんと魔法の制御も出来てるみたいだね」
「もったいぶるんじゃない! ヴァンについての良い話というのは何なのだ!」
シュゼットは声を荒げた。
だが、マセマーは怯える様子も無く、シュゼットの目を見据えて言った。
「あの子の中にシュヴァリエ・デ・レーヴルなんて、大仰な名前の、別の魂は存在しなかったって話だよ」
シュゼットは思わず息を呑む。
「それは……つまりローレン殿が嘘を吐いていたということか!?」
「その辺りも含めて、後で全部まるっと説明してあげるけど、今はそれどころじゃないんじゃないの? ほら、退路の無くなった連中が、死に物狂いで登ってきてるよ」
マセマー=ロウが、窓の下を覗き込みながら、指を差す。
実際、既にマルゴの山肌に取り付いていた敵は無傷。
退路を失った以上、彼らの生きる道は、マルゴ要塞を落とすしかないのだ。
シュゼットは恨めし気な視線を、姪っ子へと向けた後、事務官たちに向き直って声を上げた。
「各小隊に通達、あの溶岩は要塞には到達しない。要塞に取り付いた敵の掃討に専念せよッ!」
◆◇
「これじゃあ、『鉄槌』を待つまでも無く、マルゴ要塞は壊滅しちゃいそうねぇ」
まるで鼻歌でも歌うように、さも楽し気にリュシールが呟く。
「うふっ、兎ちゃん、本当に私と一緒に来ない? 思う存分、この国に復讐させてあげる。もう誰にも死刑囚の妹だなんて言わせないわ」
俯いたままのミーロの様子を他所に、リュシールはさらに浮かれた調子で話しを続ける。
「ああ、そう、そうだわ、私たち姉妹になりましょう。本当なら、私たち姉妹になっていたはずですものねぇ。『ヴァン』のせいで、売り飛ばされた恨みを一緒にはらしちゃいましょうよ」
「ヴァン軍曹は、無価値なんかじゃないであります!」
唐突に、ミーロは声を上げた。
そして、リュシールに掴みかかる様に詰め寄りながら、尚も言葉を投げつける。
「確かに自分は、命をお金で売ったであります! でも、それはヴァン軍曹のせいじゃないであります! アパンの家は没落したであります! でもそれは、自分たちの力が及ばなかったからであります! 父様や母様は、ヴィルヘルム兄様を誇りと思っておられました。優しい方だったといつも言っておられたであります。そんな優しい方が、あなたに! 愛した方に! こんな風になってほしいなんて思う訳がないであります!」
一気にそう捲し立てて、ミーロは掴んだリュシールの肩を揺する。
「もう……やめてください……であります」
目尻に涙を浮かべて、リュシールを見上げるミーロ。
だが、
「ア゛?」
リュシールは一瞬にして怒りに顔を歪めると、いきなりミーロを蹴り倒した。
「バカじゃないの? もう後戻りできないところまで来てるのが、わからないみたいね。いいわ。後腐れ無い様に、ここで殺してあげる」
リュシールはそういうと、弓を構えるようなポーズを取った。
だが、その時、
「させるかッ!」
「きゃあああああ!」
リュシールの真上、天井から落ちてくる人影があった。
思わず狼狽えるリュシール。
その身体に覆いかぶさる様に体当たりをする影。
それは、先ほど階段を転げ落ちていったザザだった。
ザザは最後の魔力を振り絞って、魔法で体重をゼロにすると、壁を伝って天井に張り付き、襞に手を掛けながらリュシールの真上まで接近していた。
そして今、魔法を解除して落下してきたのだ。
そのまま絡まるように、階段を転げ落ちていくザザとリュシール。
何が起こったのか分からず、呆けたような顔で立ち尽くすミーロ。
やがて、はたと我に返ると、ミーロは疲れも忘れて階段を駆け下りる。
「ザザ上級曹長! 中尉ッ!」
そして、階段の随分下まで降りたところで、微かな呻き声が聞こえてきた。
「ううっ……兎ちゃん、君は無事か?」
「う、動いちゃダメであります。すぐに体力を供給するでありますから!」
そこにいたのはザザ。
ザザ一人だけだった。
◆◇
大地が破壊されていく凄まじい轟音。
溶岩に当たった雨水が、瞬時に気化して白く烟り、黒煙と入り混じって風のない地表に蟠っている。
ゴボゴボと音を立てて、赤く煮えたぎる溶岩。
マルゴ要塞を見上げる平野は、いまや正に地獄の窯の蓋を開けたような様相を呈していた。
そんな平野のど真ん中に、ぽっかりと溶岩の流れ込まない空間が開いている。
まるで防壁の様に、周囲の地面が隆起して、抱きあう二人を取り囲んでいた。
ヴァンと額を重ねたまま、エステルは囁きかけた。
「暴走……してないわよね」
「……だ、大丈夫です」
エステルは思わずホッと息を吐いて、顔を上げる。
そして、ヴァンの長く伸びた前髪を優しく掻き揚げながら、問いかけた。
「もう、終わったの?」
「た、たぶん……。少なくともマルゴへ攻め込むことは、もう出来ないと思います」
「なんで、前は暴走したのに。今回は大丈夫だったの?」
「あの……それは、その……」
「良いわよ、無理に説明しようとしなくても」
たぶんちゃんとした理由があるのだろうが、この少年にそれを説明しろというのも酷な話だ。
エステルが指先で髪を撫でながら微笑みかけると、ヴァンは何故か、そっと目を逸らした。
「あ……あの、その……ご、ごめんなさい」
「ぶん殴るわよ……なんで謝るの?」
エステルが頬を膨らませる。
「結婚してくれって言ったこと? あなたは私の事が好き、そうじゃないの?」
「す、好きです……すごく、すごく、どうしようもないくらい好きです」
その瞬間、エステルの只でさえ熱を持った顔が、ボンと音を立てて爆ぜそうな程に一層赤く染まる。
「じゃ、も、問題ないじゃない。私もあなたのことが、その……好きになっちゃったんだもん……」
最後の方は、ほとんど聞き取れないほどの小さな声。
その声がヴァンに聞こえたのかどうかは判然としない。
だが、熱に浮かされたような、気恥ずかしい空気が周囲に漂って、二人は抱き合いながら、もじもじと互いに視線を泳がせた。
だがその時、エステルが思わず視線を泳がせた先、西の方角、厚い雲の間で何かがキラリと光った。
「あれ……何、あれ?」
エステルが指さした先へと目を向けて、ヴァンが目を細める。
やがて、二人は大きく目を見開いて、呆然と立ち尽くした。