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第四話 父と子

 ――べらべらとよく喋る男だ。


 ラデロは目の前のぶくぶくと太った中年の男を眺めながら、溜息をついた。


 ヨーク子爵の屋敷に到着してから彼是(かれこれ)、三時間。


 目の前の男――ヨーク子爵の伴侶ジョルディは、引っ切り無しに喋り続けている。


 話の中身はというと自慢とお(ため)ごかしの間を行ったり来たり。


 全く、実に貴族らしい。


 ちらりと隣りを盗み見ると、シュゼットは特段イラつく様子も無ければ、二日酔いの気配もつゆとは見せず、悠々とハーブティの満ちたカップを口に運んでいる。


 ただし、それも既に五杯目。


 ラデロは上官の膀胱(ぼうこう)(おもんばか)って、思わずジョルディの話を遮った。


「ご子息は随分、ご支度に時間が掛かっておられる様ですね」


「ははは、申し訳ございません。貴族らしく育てすぎましてな。人を待たせる事をあまり気にかけないもので」


 額の汗を手巾(ハンカチ)で拭いながら、ジョルディはシュゼットへと向き直る。


「それで……マルゴット卿。大切に育て上げた我が家の宝をお国の為、軍の為に供出しようというのです。先程お願いいたしました件でございますが……」


「良いでしょう。私の名でお嬢さんを王立士官学校(アカデミー)に推薦いたしましょう」


「あ、ありがとうございます。できれば上級士官候補生としてですねぇ……」


 ジョルディがそんな猫撫で声を出した途端、


「貴様、調子に乗るなよ?」


 と、ラデロがギロリと睨み付ける。


「ジョルディ殿、我々は下らぬ(いさか)いをしたい訳では無いのだ。自重していただければ助かる」


 シュゼットが穏やかにそう口にすると、ジョルディが憮然とした表情で頷いた。


 その時、扉をノックする音が響いた。


「お坊ちゃまをお連れしました」


「入れ」


 小太りなメイドの後について入って来たのは、一人の少年。


 フリルをあしらったシャツに青のチョッキ、白いタイツにキュロットという、いかにも貴族の子息らしい服装。


 だが、実に残念な事に、それが全く似合っていない。


 一言で言えば、服に着られているという有様(ありさま)である。


 (おおよ)そ貴族らしさとはかけ離れた陽に焼けた肌、目元を完全に覆うほど伸びきった前髪。


 襟足や揉み上げなどが、きちんと整えられているところを見ると、前髪を切る事を本人がよほど拒んだのかもしれない。


 ――よくもまあ、大切に育て上げたなどと言えたものだ。


 ラデロは思わず呆れた。


 残念ながら、育ちの(いや)しさは、多少身なりを整えたところで隠し切れるものではない。


 事前に農奴に落されたとは聞いてはいたが、少年のこの姿を見れば、それが(いつわ)りの無い事実だと直ぐに分かる。


 だが……。


 なんという魔力……。


 魔女ではない者には分からないだろうが、周囲の景色が歪んで見える程の濃厚な魔力が、少年の身体から漏れ出していた。


 シュゼットは歩み寄ると、少し腰を落して少年へと顔を寄せる。


「君がヴァン君だね」


「…………」


「そうです! それが我が息子です」


 取りつくろう様に答えたのは少年ではなくジョルディ。


 しかしシュゼットはそれを全く無視して、少年に優しく語りかける。


「怯えなくても良い。私はシュゼット。階級は中佐、西の国境マルゴ要塞の全権を預かる者だ。我々は君を必要としている。君を迎えに来たのだ」


 ――君を必要としている。


 その言葉に、少年はピクリと身体を震わせる。


「ヴァン、お前はこれからこの国の為に、私達の為に、マルゴ要塞で働くのだ、良いな」


 シュゼットの背後から、有無を言わさぬ調子でジョルディが口を挟み、少年は戸惑う様な素振(そぶ)りを見せた後、蚊の鳴く様な声で呟いた。


「僕で役に立てるのなら……」


「うむ、子は親への恩を返す物だ、私無しにはお前は生まれて来れなかったのだからな。お国の為、我がヨーク子爵家のために存分に働くのだぞ」


 ジョルディはニヤつきながら、少年を見下ろす。


 その時、ラデロは見た。


 自身の上官の、穏やかなその細い目の奥に、少年への憐みだけでは無く、この父とも呼べぬ男への(いきどお)りの炎が揺らめいたのを。


 ◇◆


 ジョルディはカーテンを(めく)って、窓から門の辺りを眺める。


 そこに小型車両に乗り込む三人の姿を見下ろして、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「小娘どもが偉そうに……」


 そんなジョルディの背に、しな垂れかかる少女の姿があった。


「ねぇお父様ぁ、ワタクシちゃんと士官学校に入れますの?」


 甘える様なその声に、ジョルディは思わず頬を緩める。


 ヨーク子爵との間に生まれた愛娘レナードである。


「ああ、大丈夫だ。お前は出来の良い娘だからな。入学さえ出来れば、すぐに上級士官になれるさ」


「でもお父様。あの冴えないのが、本当にワタクシのお兄様ですの? 正直ゾッとしましたわ」


「まあ、気にすることは無い。アレはもうお前には関係の無い人間だ。魔法も使えもしないのに、帝国との戦いの最前線に出るのだ。放っておいても直ぐにくたばるに決まっている」


 そう言って、ジョルディが娘に笑いかけると、


「まあ、お父様ったら」


 と、娘は父親の肩に顎を乗せて、微笑み返した。


「まあ、愛するお前を士官学校に入学させる交換条件になってくれたんだ。孝行息子じゃないか。それに無事戦死してくれさえすれば、大した額にはならんだろうが弔慰金(ちょういきん)までもたらしてくれるんだぞ」


「そう言われれば、素敵なお兄様ですわね」


 そう言って、父と娘はクスクスと笑い合った。


 ◇◆


 LV―03 『山猫(ランクス)』が軽快なエンジン音を響かせて、屋敷の門を潜り抜け、緩やかに続く坂道を下って行く。


「見送りにも来ないとは……。大事に育てたが聞いて呆れる」


 ラデロは吐き捨てる様にそう言い放つと、荷台の上で膝を抱える少年へと振り返る。


 餞別(せんべつ)も無く身体一つ。


 似合っても居ない貴族然とした服装が、一層哀れに見えてくる。


「キミの父親はクズだな」


 ラデロの吐き捨てる様なその言葉に、少年が静かに顔を上げる。


「……悪いのは期待を裏切った僕ですから」


 少年のそのつぶやきはエンジン音に掻き消されて、ラデロの耳には届かなかった。


 だが、少年の目の前で胡坐(あぐら)を掻いていたシュゼットは、痛ましげに少年を見つめると、そっと手を伸ばして、無言で少年の髪を撫でた。


「しかし中尉。本当にヤツの娘を国立士官学校(アカデミー)に推挙するのですか?」


「ああ、約束は守るさ」


 その返答にラデロは思わず口を尖らせ、シュゼットは苦笑する。


「身の丈に合わぬ服を着る事に、相応の痛みが伴うという事を学ばせてやるのは悪いことではなかろう」


「……まさか、セネリエ教官に紹介状を書く気ですか?」


 ただニヤニヤと(わら)うシュゼット。


 その姿にラデロは思わず首をすくめる。


 セネリエと言えば、どんな問題児であっても、彼女の下で一年も学べば「イエス・マム」以外の言葉は忘れる。そう噂される程の王立士官学校きっての鬼教官である。


 あのいけ好かない男の娘だとはいえ、ラデロは少し同情した。


 丘を下りきって街道に入ると、左右には見渡す限りのブドウ畑が広がっている。


 そこを過ぎれば荒れ果てた農地。


 掘立小屋の様な牛舎が、(まば)らに立っているだけの閑散とした風景が続く。


 往路同様に、『山猫(ランクス)』が通過すると、輝鉱動力(エンジン)を積んだ車両が珍しいのだろう。牛舎の影からみすぼらしい男達が顔を覗かせて、通り過ぎていくこちらを目で追っている。


 ラデロは牛舎の内の一つ、その扉の影に隠れる様に、こちらを見ている貧しい身なりの老人の姿が目についた。


 額に刻まれた深い皺を歪め、哀しんでいる様な、喜んでいる様な複雑な表情。


 老人は、ラデロ達の方へ祈る様に手を合わせて、よろよろと扉の影から歩み出る。


 通り過ぎ様にラデロと目が合うと、老人は深々と頭を下げた。


 身分の違いを忘れてつい頭を下げ返し、ラデロは思わず背後を振り返る。


 そこにあったのは、遠ざかっていく老人を目で追う少年の姿。


 少年の微かな口元の動き、それが


 ――とうさん

 

 そう呟いたのだと気付いた時、


 彼女は悟った。


 この少年は、決して悪意だけに囲まれて育ったきた訳では無いのだと。

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