第三十七話 よりによって、何でそんな所に
「中佐! 敵陣に何らか異変が生じておる模様です」
「異変?」
戦場を監視していた事務官の報告に、シュゼットは片方の眉を跳ね上げて、訝しげに首を傾げた。
作戦卓に広げられた、地図に手をついて立ち上がり、窓の外へと目を向ける。
途端に、シュゼットは大きく目を見開いた。
ガタガタと椅子に足をぶつけながら、窓の方へと駆け寄ると、遠くの方へと目を凝らす。
――味方の光信号。
最初はそう思った。
だが、それにしては、余りに数が多すぎる。
暗灰色の陰鬱な空に、煌びやかな光。
大量の流れ星の様な光が、戦場の奥の奥、波の様にうねる敵兵の向こう側、広い戦場の極めて小さな一点に、間断無く降り注いでいる。
音もなく滑り落ちた光が、次々と爆ぜて、白い火花を散らしている。
見間違えようが無い。
「あれは――」
――光弾狙撃。
あの魔法を使える者が、他にいる訳がない。
あそこにいるのはヴァンだ!
シュゼットは、思わず頭を抱えて呻いた。
「よりによって、何でそんな所に……」
行方不明のわが子を見つけたら、なぜか猛獣の檻の中。
いうなれば、そういう状況である。
どう考えても、無事を喜んでいる場合ではない。
「今すぐ動かせる高速車両は?」
そう問いかけられた事務官は、何かおかしなものでも口の中に放り込まれた様な顔をする。
それはそうだろう。
つい今しがた、シュゼット自身が高速車両で打って出る事を、愚かしいと切り捨てたばかりなのだから。
そこに思い至って舌打ちすると、シュゼットは再び思考を巡らせる。そして、
「ルルとリルは、どこだ!」
と声を上げた。
「第八小隊は出撃中です」
「呼び戻せ! 早く! 今すぐにだ!」
シュゼットは、事務官の戸惑いを他所に怒鳴りつける様に指示を出すと、落ち着きなくつま先を踏み鳴らす。
司令部の窓からは、ヴァンの姿は未だ只の点にしか見えない。
こちらに向かって動いている様にも見えるが、それも遅々たるもの。
この間だけでも、何十という光が明滅し、飛び散って消えている。
あの魔法の魔力消費量はどう考えても大きいのだ。
それをあれだけ乱射できているという事実に驚嘆しながらも、それがいつまで続くかと考えると、シュゼットは胸が張り裂けそうな気がした。
◆◇
迫りくるラデロの拳。
ブーツの踵が床の継ぎ目に引っかかって、態勢を崩し、ガタガタッと音を立てて後ずさる。
何とか踏みとどまって顔前で両手を交差させると、次の瞬間、凄まじい衝撃がリュシールを襲った。
骨の砕ける鈍い音。
目の前で星が散って、弾かれた自分の腕が顔を叩き、つま先を残して一瞬、身体が宙に浮く。
背後の『無窮』の橋脚に背中を打ちつけられて、呻きとともに肺の空気が|口から押し出された。
リュシールの身体が打ちつけられる音を残して、固定砲台の中に静寂が舞い降りる。
窓の外で、間断無く鳴り響く爆発音と怒号、悲鳴と切羽詰まった声が遠く響いている。
折れた砲身を伝って、屋内へと滴り落ちた雨水がぴちゃぴちゃとやけに大きく音を立てた。
リュシールは顔を上げて、ゆっくりと歩み寄ってくるラデロの勝ち誇った顔を見上げる。
「お前は誰だ」
「……リュシール=リズブール」
「リュシールの魔法系統は『雷撃』だ、断じて『氷雪』では無い。お前は一体何者なのだ。リュシールをどうした!」
雨水は床の継ぎ目を伝って、しとどに足元を湿らせている。
リュシールは飴玉の様に、口の中で魔力を転がす。
――発動。
「まあ良い。意識さえあれば、『読心』の魔法でその正体を読み取らせることは出来る。体中の骨を砕いてやるから、陸の海月になるがいい」
次の瞬間、リュシールは鼻先で笑った。
「好きにすれば良いわ。足首から下が無くなっても良いならね」
「なんだと?」
ラデロの表情が怪訝なものから、焦りへと変わっていく。
床に出来た水たまりを冷気が覆い、水たまりごとラデロの足が氷付いていく。
「貴様ァ!」
吼えるラデロ。
痛みに顔を歪めながら、リュシールは弓を引くようなポーズを取る。
「第一階梯 凍てつく矢!」
次の瞬間、リュシールの手から放たれた氷柱が、身動き出来ないラデロの肩を打ち抜いた。
だが、軍人としての矜持か、ラデロは声を噛み殺して血走った眼でリュシールを睨みつける。
「この卑怯者が!」
「黙れ! 事務屋ッ!」
いつもの面影も残らないほどに、リュシールは顔を歪めて声を荒げた。
だが、それは一瞬の事。
すぐにいつもの穏やかな表情に戻ると、よろよろと立ち上がり、扉の方へと歩み寄っていく。
そしてドアのノブに手を掛けながら、ラデロの方へと振り向いた。
「なにもかも終わるまでそこでおとなしくしてなさい。アンタには約束したものね。終わりの始まりを見せてあげるって。家畜同然に生きていく辛い戦後がアンタを待ってるわよ」
◆◇
「行ける! 行けるわよ!」
これまで殺到していた敵兵が怯むように、遠巻きになっていくのを眺めながら、エステルが喜色の混じった声を上げる。
手を出そうとしたものから、光の矢に撃ち抜かれて行くのだ。
兵士たちが遠ざかる、ヴァンの目にも、それは当然のことの様に思えた。
確かに見た目には、状況は好転している様に見えるかもしれない。
だが、周囲から兵士の姿が消えれば、更に遠慮なく石弓の矢が飛来する。
エステルの言葉とは裏腹に、ヴァンが放たねばならない光の矢の数は増えていく一方。
エステルの感想と、ヴァンの実感は大きくズレ始めていた。
「もっと速度を上げて、一気に突き抜けたいわね」
はしゃぐような調子で囁くエステル。
だが、ヴァンには返事をする余裕もない。
少しでも気を抜けば、矢を撃ち漏らしかねない。
さらに前線に近づくにつれて、夥しい数の死体が転がり、『爆裂』で掘削された地面は、本来馬車で走れるような状態ではない。
速度はどんどん落ちていく一方だ。
――馬車を降りて、走りましょう。
ヴァンがエステルにそう提案しようとした、その時、右前方の兵士達の間から、一本の丸太を抱えた兵士達が、雄叫びを上げて突っ込んでくる。
――マズい!
「光弾狙撃ッ!」
焦りに顔を強張らせながら、ヴァンが声を上げる。
反応が遅れた。
一瞬にして五人の兵士を光の矢で打ち倒したが、間に合わない。
「きゃああ!」
「うわああああ!」
丸太は馬の横腹に突っ込んで、ヴァンとエステルは勢いよく馬車から投げ出された。