第三十五話 それでも僕は、あなたに生きていて欲しいんです。
曇天の空を背景に、長吹鳴の進軍喇叭の音が鳴り響き、地鳴りの様な軍靴の音に合わせて、土煙が舞い上がる。
怒涛の勢い。黒い津波の様に押し寄せてくる敵兵の姿に、魔女達は戦慄した。
「『無窮』はどうしたのだ! まだ撃てないのか!」
「中佐、それが……。『無窮』が破損した模様です。ここから見える限り、砲身が折れてしまっています」
「ッ!? マセマーめ、とんだ不良品を押し付けおって!」
その場にマセマー=ロウがいたら、猛烈に抗議したであろう誤解を吐き捨てて、シュゼットは大声を張り上げる。
「各隊、迎撃にかかれ!」
伝令担当の魔女達が、一斉に作戦指令部を飛び出し、遠い位置に配置されている部隊には、『光』系統の魔女が、窓から光信号で指示を出す。
かくして、迫りくる敵兵に一発の魔法による火の手が上がったのを皮切りに、マルゴ要塞西側全域で迎撃戦が幕を開けた。
敵の攻撃が届く距離にはない、今の内に先制攻撃を仕掛けるのがセオリーである。
平原には事前に大小様々な罠を張り巡らし、幾重もの塹壕を掘り、防塁を設置している。
それらを乗り越える為に足が止まった敵をめがけて、雷撃、爆炎、氷礫、ありとあらゆる攻撃魔法が襲いかかる。
とりわけ、火炎系統第四階梯『爆裂』が使える魔女には、優先的に敵が密集している場所を攻撃するよう事前に指示が出ている。
『爆裂』の魔法が密集する敵のど真ん中で爆発。その近辺にいるものを巻き込んで爆散し、兵士達の千切れた手足と跳ね飛んだ石礫が、周囲の兵士をなぎ倒した。
だがそれでも、全体で言えば些細な規模の話でしかない。
事前に仕掛けた罠や塹壕を、味方の兵士の死体で埋めながら、帝国の兵士達は怯むことなく、突き進んでくる。
攻撃魔法が飛ぶ度に、幾人もの兵士の命が失われる。
あの世とこの世の境――嘆きの川の渡し守は、長蛇の列を作る男たちに今頃困惑している筈だ。
それでも尚、男たちは更に次、更に次と迫ってくる。
深手を負って倒れた物は起きることもできずに後続の兵士に踏み潰され、肉泥と化して地面に混ざり大地と一体になっていく。
醜悪にして酸鼻。
折り重なる死体で地面を埋め尽くしながら、それでも尚、敵の兵士達は士気高く突撃してくる。
それはまるで、皿に盛った砂糖に、群がる蟻を払うかの様な戦い。
限がない。余りにも数が多すぎる。数の暴力というのも愚かしい。
魔女達の表情にも、次第に焦りの色が濃くなっていく。
魔法も使えない弱者。そう侮ってきた者達でも、流石にこれだけの数を束ねて襲いかかって来られると、どこまで耐えられるものか分かったものではない。
「えい! 死んじゃえ!」
「死んじゃえ!」
リルとルルが率いる第八小隊の魔女達も、空からの投石攻撃を繰り返している。
とりわけ、ルルは今回の戦果に命が懸っている(と思っている)だけに、必死である。
だがそれも焼け石に水。
黒い波は地面を覆い尽くしながら、どんどん要塞の方へと迫ってくる。
やがて帝国兵達は、平地部分の防塁を打ち倒し、塹壕を埋めて、山の斜面へと取り付きはじめた。
今のところは一方的に攻撃している様な状況ではあるが、懸念は魔力切れである。
部隊を三交代に分けて運用してはいるものの、このまま相手の勢いが途切れなければ、魔力切れを起こしたところから、攻略されかねない。
「投石やクロスボウを有効に使え! 魔力が切れたものは、早めに休憩をとれ、綻びをつくるな!」
作戦司令部から、外の様子を睨みつけながら、シュゼットが指示を出し続けている。
そこへ、伝令担当の魔女が駆け込んできて、シュゼットに指示を仰いだ。
「伝令! 第十五小隊が、車両で打って出る許可を求めております!」
「馬鹿を言うな、どこにそんなスペースがある!」
「リール大尉殿は、踏み散らすと仰られておりますが……」
「却下だ! 却下! 十人も轢いたところで身動きが取れなくなって、バラバラに引き裂かれるぞ」
この規模は、魔女達の想像を超えているのだ。
だからこんなバカげた意見も上がってくる。
総攻撃というからには大規模だとは思っていたが、シュゼットにもこれほどのものだとは想像できて居なかった。
◇◆
「もっと、速度上がらないの!」
「す、すみません……。これ以上は無理……です。馬が死んじゃいます」
マルゴ山脈の麓あたりに、黒煙が立ち上っているのが見えた。
断続的に響いてくる破裂音は、火炎系第四階梯『爆裂』が着弾した音。
南側からマルゴへと至る、比較的穏やかな街道を、ヴァンとエステル、二人を乗せた馬車が疾走している。
背後にしがみついているエステルが、苛立ち混じりにヴァンの頭をポカポカと叩く。
「早く! 急ぎなさいよ! マルゴが危ないのよ!」
「ご、ごめんなさい……でもこれ以上は、ほんとに無理なんです」
「うううううッ!」
慌てるばかりの現状にエステルは、悔し気に唸り声を上げ、ヴァンが怯えて首をすくめる。
「そうだ! あんたなら、ここからでも『光弾狙撃』で撃てるんでしょう! そうだわ! 早く! 早く! 撃ちなさいよ!」
「ひ、一人や二人倒しても、状況は変わらないと思うんですけど……」
実際、ここからでは遠すぎて敵の姿は見えない。
ヴァンの魔法は、あくまで目で見える範囲のものを貫く魔法なのだ。
エステルは慌てすぎて、その事を失念していた。
「じゃあ、敵の司令官を狙いなさいよ!」
「どこにいるんですか?」
「知らないわよ! そんなの!」
もう、無茶苦茶である。
「仕方ない。分かったわ」
「分かっていただけましたか……」
ヴァンは思わず、ホッと胸を撫でおろす。
「ここから、街道を外れて、北東の方に切れ込んで!」
「それで……どうするんです?」
「敵の背後から、薄いところを狙って突破するわ」
「え゛?」
エステルがとんでもないことを言い始め、ヴァンは思わず硬直する。
「あの……エステルさん。う、薄いっていっても百や二百じゃないと思いますけど」
「大丈夫よ。アンタ、昨日突破したじゃない」
確かにヴァンは昨日、敵陣のど真ん中から、光弾狙撃の乱射で道を切り開いて脱出した。
「アレは敵も混乱してましたし……その……数も全然違うと思……」
「同じ事よ。敵の背後から突っ込んでいくんだから、混乱させられるわよ、たぶん。私だって、魔力は回復してるから戦えるし!」
ヴァンは思わずため息を吐く。
そんなヴァンの背中を叩いて、エステルが笑い掛ける。
「一人で死ぬよりは良いし、マルゴの皆が死んで、私達だけが生き残るよりは、ずっと良いわよ」
――それでも僕は、あなたに生きていて欲しいんです。
ヴァンは、喉元までせり上がってきたその言葉を、ぐっと飲み込んだ。
◆◇
「第一階梯 鉄化!」
ラデロは鬼のような形相で猛然と駆け寄ると、リュシールの顔面めがけて拳を振りおらす。
「喰らえ! 鉄拳!」
リュシールはとっさに首を傾げて、その一撃を躱す。
黒鉄色に変色したラデロの拳が空を切り、リュシールの頬を掠めて、細い傷を付けた。
反撃を警戒して瞬時に飛びのくと、ラデロはずり落ちた眼鏡をクイッと押し上げ、拳を構えてトントンと軽快なステップを踏む。
頬から滴る血を指で拭って、リュシールは楽しそうに口笛を吹いた。
「やるわねぇ、只の事務屋だと思ってたんだけど……」
「フン! 只の事務屋に、あのバカ中佐の副官が務まるとでも?」
「あらあら、本音漏れてるわよ」
「良いんですよ。陰口の一つや二つでどうこうなるような、繊細な神経なんて装備してないんですから、あの人は」
「まあ、確かに」
なぜか敵味方、二人の間でシュゼットの人格についての共通認識が成立した。
「じゃあ、今度はこちらから行かせてもら……」
リュシールはそう口に仕掛けて、思わず目を見開いた。
一瞬、目を離した隙に、ラデロは恐ろしい速さですぐ眼前に迫っていたのだ。
「第二階梯 氷壁!」
リュシールは慌てながらも、かろうじてラデロと自分の間に氷の壁を出現させて、振り下ろされる拳を受け止めた。
表面にぴしりとヒビが入る。
「危なかったわ、こんどこそ、こっちの番……」
だが、ラデロはリュシールの順番など知ったことではないと言わんばかりに、拳を振り上げると、両手の拳で無茶苦茶に氷壁を殴り始めた。
「鉄拳乱打!」
「無駄よ、ヒビを入れただけでも大したものだけどね」
実際、氷壁の厚さは三十センチを超えている。
大抵の物理攻撃は、これで防ぐことが出来るのだ。
だが、
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
ラデロは殴るのをやめない。
雄たけびを上げながら、間断なく殴り続ける鉄の拳。
ガシッガシッと一撃一撃が腹に響く様な音を立て、リュシールの頬を冷や汗が伝う。
「この狂戦士めッ……」
リュシールが手の甲で冷や汗を拭ったその時、氷の壁は、鈴の様な高い音を立てて砕け散った。
「嘘ッ!?」
驚愕の表情を浮かべるリュシール。その視界一杯に、ラデロの鉄の拳が迫った。