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第三十三話 フロル少尉

 窓から差し込む光が、赤い絨毯の上に歪んだ窓枠の影を落とし、ボビンレースで飾られたカーテンが、緩やかに風に揺れた。


 エボニー材の重厚な執務机(デスク)の前で、一人の幼女が冷や汗を垂らしながら、小刻みに体を震わせている。


 執務机の向こう側にはシュゼット。その脇にはラデロが立って静かに幼女を見詰めていた。


「……言い訳はそれで終わりか?」


 シュゼットが、机に肘をついたまま幼女を見据える。


 彼女の、一筆でスッとひいたような細い目の奥には、蔑むような色が宿っていた。


「ラデロ……敵前逃亡は死刑だったな」


 シュゼットが静かにそう問いかけると、幼女は目を見開き、慌てて執務机(デスク)に縋り付いた。


「ちがうッ! ルルは残ろうとしたんだよ! でも、お兄ちゃんが『ここは僕らに任せて逃げろ』って! そもそもルルは連絡要員なんでしょ! 自分の仕事を果たしただけなのに、なんでッ!」


 目尻に涙を貯めて必死に声を上げる幼女に冷ややかな目を向けて、シュゼットは片方の眉を跳ね上げた。


「ほう? ここは僕らに任せて逃げろ。ヴァンがそう言ったと……」


「そ、そうだよ!」


(たわ)け! エステルやロズリーヌならともかく、あの子が『僕ら』などと人を代表してモノが言えるものか!」


 自分自身の事だけならばともかく、ヴァンがあの第十三小隊の連中に犠牲を強いることなど、逆立ちしたって無理な話だ。


「あ、あ……あ……いやっ……いやあああ」


 細い目を見開いて恫喝(どうかつ)するシュゼットに、ルルは思わず尻餅をついて後ずさる。


 今にも失神しそうな程に怯える幼女から目を逸らして、ラデロは静かに口を開いた。


「中佐、お待ちください。今はルルの処遇よりも、優先すべき事がある筈です。明日には戦端が開かれるのです。斯様(かよう)な者であれ、今は一兵でも惜しく思われます」


「戦場での汚名は、戦果で(すす)がせろと言うのか……」


 ラデロが緊張した面持ちで(うなず)くと、シュゼットは顎に手をやって、考え込むような素振りを見せる。


 幼女は目を見開いて、事の成り行きを窺っている。


 ハァ……ハァ……。


 静かな部屋に、彼女の荒い息遣いが、やけに大きく響いた。


「良いだろう」


 シュゼットが(うなず)いた途端、ルルはヘナヘナと床に身を伏せる。


 だが、すぐにラデロが、それを慌ただしく追い立てる。


「ルル、貴様はもう行け! 第八小隊をまとめて、交代で敵状を監視させろ、良いな!」


「わ、わかりました! ラデり……ラデロ少佐殿」


 ルルは弾かれた様に立ち上がると、一目散に部屋から飛び出して行く。


 虫のような素早さで去っていく幼女の背中を目で追って、シュゼットは溜息を吐いた。


「ラデロ。同期を庇いたいという気持ちは尊重するが、あまり甘やかすのもどうかと思うぞ」


「そういう事ではありません。本当に死刑にされるとは思っていませんが、ルルが使い物にならなくなったら、リルも使い物にならなくなりますから……。冗談抜きで今は一兵でも惜しいんですよ」


 そう、ラデロの言う通り、状況はかなり厳しい。


 ヴァンが敵に囲まれて、戦場に置き去りになっている。


 本当ならばシュゼット自ら、今すぐにでも救援に飛び出したいところだが、状況はそれを許してくれない。


 マルゴ要塞を預かる身として、優先順位を誤る訳にはいかないのだ。


「ああッ! くそッ!」


 シュゼットは、思わず乱暴に頭を掻きむしる。


 次々に胸の奥から湧き上がってくる感情を、理性で必死に押さえつけた。


「ラデロ、敵の到達予想は?」


「早ければ今夜……ですが、夜戦は魔女に有利に働きますから恐らく朝を待って仕掛けてくるものと思われます」


「数は二十万人ぐらい……そう言っていたな」


「はい。あくまでルルの目算ではありますが、前回の四万よりも遥かに多いということは間違いないでしょう」


「僭主め……。掻き集められるだけ掻き集めてきたか」


 シュゼットはギリッと奥歯を噛みしめる。


「襲来に備えて要請した応援が続々と到着してはいますが、それでも従来の二千に加えて、明朝の段階では千五百ほどです」


「あわせて三千五百か……」


 ラデロは彼女にしては珍しく、不安げな表情を見せる。


「まともにやりあっては、いくらマルゴが堅牢とはいえ、一日ともたないかもしれません」


「……となれば方法は一つだな」


 ラデロは静かに(うなず)く。


 二人の頭の中には、同じ方法が浮かんでいた。


 ――敵の布陣が終わったところを、魔力砲塔『無窮』で一気に薙ぎ払う。


『無窮』――それは、天才魔女マセマー=ロウが作り上げた決戦兵器。


 着弾地点から半径二キロの範囲にあるものを、一瞬で蒸発させる程の圧倒的な火力を持つバカげた代物だ。


 ただ、それを使うには膨大な魔力が必要になる。


 今、レーヴル全土を探しても、これを撃てるだけの魔力を持つものは二人。


 ジグムント要塞のペネロペ大佐か、リュシール。


 いや、もう一人いる。おそらく今のヴァンなら撃つことが出来るだろう。


 但し、ヴァンの場合は膨大な魔力を放出することで、何か別の問題が起こりそうな気がするのだが。


「そう言えば、リュシールはどうした?」


「医務室です」


「医務室? なんだ、怪我でもしたのか?」


 ラデロは困ったような表情で、首を振る。


第十三小隊(トレーズ・エキップ)が敵に包囲されたのを聞いた途端、ショックのあまり卒倒してしまった様でして」


「……いい気なものだ」


 シュゼットは、許されるなら自分も卒倒してしまいたい、そう思った。


「まあまあ、中佐。たぶんリュシール中尉は思い出してしまったのでしょう。彼女には前回の侵攻の際、同じように包囲された苦い記憶もありますから……」


「部下が犠牲になって、リュシールを脱出させたのだったな」


「ええ、確かフロル上級曹長……いえ二階級特進していますから少尉だったと記憶しています」


  ◇◆


「あれですわ」


 ロズリーヌの指さす先、木陰に隠れる様に、直径一メートルほどの小さな洞穴のようなものが見えた。


 遠目にはただの洞穴にしか見えないが、近寄ってみれば、穴の周辺に木製の格子戸がついていた名残がある。


 古い時代の自然崇拝の名残。


 おそらく遠い昔、このあたりに集落があったのだろう。


 レーヴル王国成立以前のものともなれば、どんな祭祀が為されていたのか、学者でもなければ知りもしない。


「見た目より広そう」


 膝をついて、穴の中を覗き込んでいたベベットがぽつりと呟く。


「とりあえず、ここならそう簡単に発見される事はありませんわ。ともかく中に隠れて、夜を待ちましょう」


 ロズリーヌを先頭に四つん這いになって、穴の中へと入っていく。


 確かに、中は意外と広い。


 三人が足を延ばしても、まだ余裕がある程の広さ。


 這うように進めばさらに奥まで進めそうだが、とりあえずは入ってすぐの広くなったところで腰を下ろした。


 安心したせいか、急に眠気が頭をもたげて来て、ロズリーヌは目を瞑る。


「お二人とも……今は魔力の回復に専念してくださいな」


「おやすみ」


 ノエルの返事がないことが気になって耳を澄ますと、明らかにベベットのものでは無い寝息が聞こえてきた。


 どうやらノエルは既に寝付いてしまったらしい。


「ほんとにノエルさんは動物みたいですわね……」


 自分の苦笑する様な呟きを聞きながら、ロズリーヌも眠りに落ちて行った。


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