第三十話 オウルネスト撤退戦 その6
時間を少し遡る。
ヴァンがエステルを探して、帝国兵たちの只中を走っている頃、包囲を破った、LV-05『犀』は、車体を盛大に軋ませながら、疾走していた。
荒地を抜け、整備された街道へと入り、未だ薄暗い道を、土煙を上げて東へ、東へ、マルゴへ。
カンテラも点けずに、暗い道を逃げ続けている。
薄闇の所為で数は判然としないが、約百メートルの距離をあけて騎馬部隊。さらにその後ろには、箱乗りに兵士を乗せた馬車が、『犀』を追いかけていた。
「くそッ! しつこい連中だ」
ザザは後部の乗降口から身を乗り出して、背後の敵を睨みつける。
ザザの『加重付与』の射程は、わずか十メートル。
追いつかれでもしたならともかく、現状、この距離からでは手の出しようが無い。
「ベベット上級曹長。もっと速度は上がらないのでありますか」
「うるさい」
ベベットの口調は、いつも通りの平坦なものだったが、明らかに苛立ち混じりの刺々しさを含んでいる。
ミーロは、思わず首をすくめた。
実際、LV-05『犀』は満身創痍。
ここまで逃げきれているのも、ベベットの卓越した運転技術に依るところが大きい。
おそらく一度輝鉱動力が止まれば、もう二度と動くことは無いだろう。
ベベットは、そう見込んでいる。
ザザは再び背後の敵に目をやって、御者席の方へと問いかけた。
「ノエル! お前の『|光速指弾《ライトニング・バレット』なら届くんじゃないのか?」
「あはは、届くよ。でも、ざんねーん! ボクもうすっからかんだもーん」
「調子に乗って撃ちまくるからですわよ……まったく」
能天気に笑うノエルの隣で、ロズリーヌが肩をすくめた。
ザザは荷台の床を睨みつけながら、思案する。
このままいけば、どこかで追いつかれるのは必至。
ならばいっその事、車を止めて迎撃する方が良いのではないだろうか。
敵に援軍がいないということが前提にはなるが、ベベットとザザの二人は攻撃魔法が使える。
敵の殲滅と魔力切れ、どちらが早いかという勝負にはなってしまうが、それほど分の悪い賭けのようにも思えなかった。
――ベベット、車を止めて迎撃しよう。
ザザがそう口に仕掛けた途端、ノエルが大声を上げた。
「あっ! あはははは! 流れ星だーっ!」
何を呑気なことを……と振り向いたザザは、大きく目を見開いて硬直した。
遠く西の空、つい先ほど脱出してきた梟の巣辺りの暗い空に、糸を引くように無数の光が降り注いでいる。
「おい! ロズリーヌ! なんなのだ、アレは!?」
「あれはたぶん……ヴァン様の『光弾狙撃』ですわ」
「あれ全部でありますかッ!?」
「あはは、だとしたら今頃、大暴れだねー」
「だから言いましたでしょう。心配するのも烏滸がましいと」
ロズリーヌは、なぜか誇らしげに胸を張る。
その時、突然、ベベットが大きな声を上げた。
「何かに掴まって」
そして、急に操縦桿を切ると『犀』は街道を脇へと逸れて、車幅ぎりぎりの細い山道へ入り込んでいく。
進む先は、急な勾配。
只でさえ異音交じりの輝鉱動力が、金切声を上げて喘ぐ。
今、『犀』が入り込んだのは、マルゴ山脈まで続く低い尾根を伝う山道ルート。
当然の様に速度が落ちて、追っ手との距離がどんどん縮まっていく。
「ベベット! 何を考えてるのだ! 追いつかれるぞ!」
「そのままでも追いつかれる」
これはいよいよ、車を止めて迎撃することになりそうだと、ザザは、乾いた唇をペロリと舐める。
ガタガタと小刻みに揺れながら、『犀』は坂道を昇りきり、やがてさらに細く、左側は切り立った断崖絶壁という悪路に出た。
暗くて下までは見通せないが、崖下はマルゴ山脈を水脈とする浅い川が流れているはずだ。
ベベットは前を見据えたまま、口を開く。
「ザザ……二手に分かれる」
「二手……?」
ザザは一瞬眉間に皺を寄せた後、何かに思い至ったように手を打った。
「兎ちゃん、手伝ってくれ!」
「ハ……ハイであります!」
ザザは、ミーロに声をかけると、既に穴だらけの車体側面を、内側から蹴りつけ始めた。
◆◇
「かぁっかぁっかぁっ! ぶわぁかめぇ! 山道なら馬の方が足が速いに決まっておるわ」
『犀』を追いかけている帝国騎兵団。
その最後方の馬車で、御者の隣にふんぞり返っている、やたら濃い顔をした中年の男が、やたら濃い笑い声を上げた。
帝国軍の騎兵団を束ねる、カスタネダ中尉である。
なぜか速度の落ちる山道を選択した魔女の行動を、多少訝しく思わなくも無いが、魔女とは言ってもやはり人間、追い詰められれば理に合わない行動をとることもあるだろう。
テラテラと脂ぎった額の汗を拭いながら、カスタネダは御者台の上で立ち上がろうとし、慌てて背後の部下が「中尉! 座って! 座って!」と声を上げる。
気分が乗ってくると、やたら恰好を付けたポーズを取ろうとするのはいつもの事。
部下たちも手慣れたものである。
少し残念そうに再び腰を下ろすと、カスタネダは前を行く騎兵達に向かって声を張り上げる。
「随分、距離も縮まってきておるぞお! いいかお前たち車輪を狙って足を止めるのだ!」
道はどんどん狭くなっていく一方。
やがて木々の間を抜けて、尾根を伝う山道に出る。
左手は切り立った崖である。
先ほどから、魔女達の車両は、カラカラとおかしな音を立てている。
「故障だな」
カスタネダがニヤリと笑う。
だが、まるでそれに抗議するかのように、唐突に魔女たちが乗っている車両から、ガンガンと何かを打ち付けるような音が響いた。
カスタネダはギョッと目を見開き、兵士達が警戒に身を固くする。
「何事だッ!」
カスタネーダが大声を上げた途端、車両の側面の薄い装甲が剥がれ落ちて、後方に向かって転がった。
薄いとは言っても金属の板である。
それが、カンカンと音を立てながら騎兵の間を跳ねて、カスタネダの方へと飛んでくる。
「うわおおっ!」
慌てて身を伏せてそれを躱すと、背後の部下の一人に直撃して、馬車から落ちていった。
「伍長が! 伍長が落ちたぞ一!」
「魔女めッ! このカスタネダを狙うとは、なかなか見所があるようだな」
慌てる兵士達を他所に、カスタネダがなぜか満足そうに声を上げる。
その時。
装甲が剥がれた車両の側面から、少女が二人、手を繋いで崖の方へと身を躍らせる。
突然のことに、驚いた騎兵達の「あ」という間の抜けた声が幾重にも重なって響き、少女達の落ちて行く先を目で追うも、谷底の方は暗くて何も見えない。
「ぶわか者ども気を抜くな! 奴らは空を飛んで攻撃してくるつもりだ! このカスタネダの目はごまかせんぞお!」
カスタネダの声に、慌てて馬車の兵士達は石弓を空に向けて構え、騎兵たちは空中を見回して警戒する。
だが、かすかに白み始める空に、魔女の姿はない。
「むう……裏をかかれたか……。魔女め、なかなかやるではないか……」
カスタネダが悔し気に、濃い顔を歪めた途端、唐突に前を行く車両の方から、ポンッ! という気の抜けた様な小さな破裂音が響き渡る。
見れば魔女達の乗った車両の底の方から黒い煙が立ち上って、ふらふらと蛇行し始めている。
車両はそのまま道を逸れて、右手の木々の方へと突っ込んでいき、グシャッ! という鈍い音を響かせて、前方から大木にぶつかって停止した。
「止まれ! 包囲しろ!」
カスタネダの指示に従って、騎兵達は騎乗したまま、魔女の車両を取り囲み、慎重に距離を狭めていく。
車両の前面は衝撃でぐしゃりと潰れ、浮き上がった後輪がカラカラと乾いた音を立てて回っている。
車両の底からは、変わらず黒い煙が立ち上っていた。
騎兵の一人が馬を降りて、車両の中を覗き込んで声を上げる。
「中尉! 中は空っぽです! 何も乗っていません!」
「ぬわんだとぉおお! 乗っていたのは途中で落ちた二人だけでは無かったハズだ。辺りを探せ! 虱潰しにだ!」
慌てて周囲を見回し始める騎兵達。
空は白み始めているとはいえ、周囲は薄暗い。
潰れた御者席の脇に、不自然な影が蟠っていることに気が付かなかった騎兵を、誰が責められようか。
じりじりとその影は車輪の上を這って地面に落ち、森の奥の方へと消えていった。




